02-01
「まぁったく、あの方はいつも突然来る台風なんですから!でもぉ、思わぬ副産物といいますかぁ、あの作家さんの別名教えていただけたのは感謝ですぅ。そうですよねぇ、表では正統派で売っている方でも、いえ、だからこそ禁忌やリビドーは必然!あぁ、己が推しにあえて屈辱を与えるこの描写。心を鬼にして、舌を噛み切りながら苦悩と葛藤ゆえの妖艶さなのか、それとも自ら入り込み、その巧みな筆捌きで縦横無尽に舐るように描いたのか......。もぅ、作者さんの心情を考えるだけで、玉藻ちゃんも滾ってぇ~......。
あら、今日は玉葱がお安いですの?今年は雨が少なかったから、お野菜のお値段がどうなるかと思いましたが、相変わらず良いもの揃えてますわねぇ」
無理やり付き合わされた買い物から解放され、帰路の途中で近所の商店街に寄り道していた玉藻。今でこそスーパーや大型商業施設にお客を奪われている印象はあれど、根強く愛されている八百屋の前で足を止めた。
「お、いらっしゃい!玉藻ちゃん。今日の献立は決まってるのかい?」
ツバを後ろに向けて被っている黒いキャップに負けず劣らず、黒豆のように陽に焼けている店主が笑顔で声をかけてきた。
本日の戦利品に心奪われていた玉藻は、すっかり晩御飯のことを忘れていたので、陳列されている野菜を眺めながら考え出した。
「主様と姫様は数日出張と言ってましたしぃ。とはいえ、スパイクさんは別としても自分に寄る所が大半な大所帯なのでぇ......。あ、そうだ玉藻ちゃん良いこと思いついちゃいました♪」
「お、決まったかい?」
「こういう時、我が家では賛成以外の意見はまず出ないカレーにしちゃいますぅ!お兄さん、そこのとぉ、それとぉ......」
次々に材料を指名する玉藻だが、選び終わってみると、持てないことは無いが細身の玉藻には些か手に余る量である。
「買い物はここだけかい?」
「いえ、お肉とその他もですので、もうちょっと増えますぅ。駅前に自転車置いてるので、また戻って来ますから置いといてくださぁい。あ、お代お代♪」
ささっと支払いを済ませ、少し離れた精肉店へと向かう玉藻を見送ってると、店主の奥さんも店先に出てきた。
「あら、玉藻ちゃん来てたのかい?」
「おぅよ、相変わらず元気だねぇ。後で取りに来るから、来たら渡しといてくれ。俺は空き箱片付けてるからよ」
そう伝えると、店の中へと入っていった店主に代わり、奥さんが店番に立ち、何気なく玉藻の買った野菜が入っている箱を見る。
「いつもこれくらいの量だけど、そんなに大家族だっけかね?」
毎度この疑問を抱いているが、玉藻と会うと、そのことはおろか、毎日仕入れ等で慣れている店主でも、少し重そうに持つ量を軽々しく持ち上げ、自転車で帰っていく姿を見ても、なんの不思議にも思わなくなる。
当然それは玉藻の術によるもので、悪意からではないが、これによって玉藻は主一家+α以外を化かしている。これも人の身ならざる特異な自分達が、ご近所さんとスムーズに共存していくために必要なことである。
◆ ◇ ◆
「お帰りになりましたぁ」
玉藻が家の扉を開け、玄関に買ってきた今晩の食材が入ったダンボールを置くと、奥から数名の賑やかな声が駆け寄ってくるのが聞こえる。
アノヒ「あ、当主様。おかえりなのじゃ~」
クノビ「人参!ジャガイモ!玉葱↷......」
タリメ「当主様、お持ちいたしますの」
「はいはぁ~い、ただいまですよぉ~。ちゃんとお留守番してましたねぇ? スパイクさ~ん、ご要望の雑誌買って来ましたよ~。......あら?タリメ、スパイクさんは?」
タリメ「アノヒが存じ上げてるとおもいますの」
アノヒ「さっき、イシメと遊んでいたのじゃ」
イシメ「アツネ兄とかくれんぼしていましたの」
アツネ「クノビとイクツ、一緒に本読んでたのじゃ?」
クノビ「昼寝してたのじゃ~」
イクツ「アノミ兄とタツメが番するからって、一緒に連れて行かれたのじゃ」
「ま、お夕飯ができましたら、お呼びすれば良いですね。さ、主様がいない時はちょっぴり手抜いちゃいますが、本日はみんな大好きカレーですよぉ♪は~い、お手伝いしてくれた人には宝島カレーに旗刺してあげますよぉ~」
玉藻がそう言うと、見た目幼く、狐のような耳が頭から生やし、袴をアレンジしたような着物を着たお子達は一斉に手を挙げて、我こそはとアピールする。各々、食材を台所に持って行ったり、テーブルのセッティングをしたりと分担しながら役割をこなしていく。
「お子達」とは、強い力の宿る玉藻の尻尾が分裂し、それぞれが意思を持ち、個体となったものである。実際に玉藻が産んだ子供というわけではないが、見た目幼く、自分の分身には違いないので、お子と呼んでいる。
明確な性別と言うものは実のところ曖昧だが、仮に性別と序列を記すと、
アノミ 長男 タリメ 長女
アノヒ 次男 アツネ 三男
イクツ 四男 イシメ 次女
クノビ 五男 タツメ 三女
となる。
普段は皆、幼子の姿で過ごしていて、この時は男女で識別した袴以外は同じ見た目である。一緒に生活している者であれば微妙な見分けがつくのだが、初見では、八名と同時に会った場合、まずわからないだろう。
用事がある時や、スパイクと同様に能力を解放する時には真の姿となる。
幼いのは見た目だけ(解放前は中身も幼児化している)だが、一番若いタツメでも軽く百年以上は生きていて、元は玉藻の一部なので、それぞれ特化した能力を有している。
さて、少しだけ玉藻のことにも触れておくと、八名の分身がいることから九尾の狐を想像した方もいるだろう。これは正解の内の一つになる。
伝説等の玉藻前のメジャーな部分を掻い摘むと、中国で悪さをした妖怪が追いやられて日本に逃げて来た後、どこぞの武将に討伐されたといったところか。
ここにいる玉藻も、それに沿っている部分はあれど、史実ですら解明していけば昔の解釈は間違っていたということは往々にしてあるので、伝説上のどの玉藻も正しく、また、別の話の人物が実は当人だというも珍しくない。
「あ、でもぉ、この玉藻ちゃんのちょっぴり前の事をお知りになりたいようでしたらぁ、どこぞの売れない作家活動されている方が書いてらっしゃる、いつ出るかもわからない本に玉藻ちゃんのサクセス?ストーリーが載っているので、応援してあげれば少しは筆が進むかもですぅ♪」
イクツ「当主様、誰に話しておるのじゃ?」
「あらあらぁ、主様がいない寂しさから玉藻ちゃんついつい独り言をぉ。さ、玉葱を切ってくれるのはどなたかしら~♪」
そう言って台所に入っていく玉藻とイクツ。夕飯が出来るまではもうしばらく時間がかかりそうなので、先程イクツが言っていた「番」についての説明を。
主の家の周りには玉藻の術で、人避けに似た結界が張ってある。
これは主を始め、特殊なメンバーで構成された主一家の存在を知られないため(と、言うよりは円滑なご近所付き合い)である。
お子達は主の家の裏手にある小さな社を根城としているが、主の家に全員が住めないことはない。しかし主一家は現在、主、姫、スパイク、玉藻、お子達(八名)と、それなりの人数。
出張が多く、休みが少ない主。気づけばある程度の貯蓄になっていたので、手頃な物件を購入したところまでは良かった。だが、玉藻達が来ると、解放前の姿であればまだ良いが、それなりに外に出る用事はあるので、皆が一斉に力を解放して大人の姿になると、家の中は一気に手狭になってしまう。
そんな時、タイミング良く家の裏手にある社の住人(神族の類)が、何百年単位で旅に出るというので、その間はお子達が管理を含めて借りるということになった。
なお、社は外見こそ二畳ほどのスペースに収まっているが、中は空間の広さを自由に変更できるようになっているので、お子達はプライベート空間も含め、各々でリノベーションをして暮らしている。
結界があれど、万が一のことを考え、見張りという名目でお子達が番をしているが、大抵は姫やスパイクと遊んでいたり、近所の住人の手伝い、蟻の観察や蝶を追いかけたりとしているので、特に常駐している意味は薄く、寝床に戻る程度の認識である。
補足すると、玉藻から分裂したお子達が、また玉藻の尻尾に戻れないということはない。元々、分裂した理由は玉藻の蓄えすぎた力が限界を超えて現在に至っているため、本人曰く「皆の思いが一つになったら、留まることを知らないこのぱぅわ~と、主様への愛を抑えるなんてことは無~理ぃでしょうねぇ☆」らしい。
「は~い、カレー完成でぇ~す♪ さてさて、伝心っと ......あ、アノミ?お夕飯できたので、タツメとスパイクさんも連れて来てくださいな♪え、お二方とも寝んねですかぁ?起して起きなかったら置いてきちゃって良いですよぉ。二、三百年くらい食べなくても死にはしませんからぁ......、と言うのは冗談ですけど。カレーなので後で温めなおしますので~」
自らの術に胡坐をかいているわけではないが、どこまでもマイペースな玉藻達の夕飯は賑々しく始まったのであった。




