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こんなはずじゃなかった。そう、それもわかっている。
別段、ため息で吹き消されるほどの週末の予定もなかった平野 介広は、代わりにというわけでもないが、最近はめっきり片身どころか、人権すらも奪われそうな程に隅へと追いやられた喫煙スペースで一人、至福の煙を吐き出していた。
「今じゃ四十の入り口が見えてきてる冴えない......、まだ中年じゃないか。でも、大学の時はもっと夢が、ってか世の中が明るく見えてたんだけどな」
義務教育から大学を出るまで、これと言って苦しいことも無く、平々凡々と過ごし、就職活動中に何社か受けた内の、てきとうに受かった会社に入り、気づけば十数年。
出世意欲や、そもそも怒られない程度に業務をこなしているだけの平野。だが、やる気だけが先行するだけで土台が残念だったり、優秀だが女性経験がなく、上司の奥さんと不倫してしまった挙句に会社を去った同期。
付け加えれば、その上司もタイミングよく異動になり、別段、飛びぬけているわけでもないが、業務上でのマイナス点が無いことから「あれ、平野君実はできる人?」と、勘違いされて半ばところてん式に課長へ昇進。
昇進意欲こそ無いが、部下のミスで自分が怒られるのは不本意なので、見込みのある者には逃げ方や、所謂ずるいやり方を伝授した結果、なぜか平野のいる部署では、実にあざとい数字をキープしながらも残業は殆どなく、数年前に外資系の会社に買収され、会社事態の方針が変わってからは特に評価されるようになった。
「そりゃあ、コピペしないで一文字ずつ手打ちでやれ、なんていう石器時代の上司がいたら『定時』って、打つだけで日を跨ぐよな」
会社での拘束時間が減れば自分の時間に当てられる。
部下の話を聞くと、英会話やお料理教室、スポーツジムや文字通り「一杯どう?」と、軽く飲んで帰っても時間があると平野課長の評価は好調である。
「最近はなんだっけ......、若いのがやってるっていう......。あ、動画の投稿。ちょっとした小遣い稼ぎにもなるって言ってたな」
平野は種類は問わず、何か打ち込めるもの。皆、何らかの趣味を持っていることが意外であった。
「課長の趣味はなんですか?」と、飲み会の席等で聞かれても、咄嗟に出てくるものがなかったのである。
「煙草は呼吸の親戚。酒は毎晩缶をビール二、三本。ギャンブルはやらない。料理は......、しなくも出来なくもないけど、一人暮らしで料理するって、すごく無駄が多い気がするんだよな」
大学卒業まで両親と同居していた頃は家族三人。材料費は一人分より多くても、光熱費や各種に割く時間を計算に入れると、コスパ、という面では優れている。あくまで、家族で均等に分担すればの話だが。
「言っちゃえば同居人と割り勘してるようなもんだしな。一人暮らし始めたころから、特にお金に困ったことないけど、それでも最初はテレビで見た料理とか作ってみようかっていう、好奇心くらいはあったかな。でも、趣味もなければギャンブルもしないアラフォーの俺って、実際使えるお金は多いわけ」
そのためか、最近はめっきり外食がメインとなっていた。
食材の調達、調理、後片付け......。全てをやってくれて、自分は食べてお金を払うだけで良い。効率という意味では理に適っているのかもしれないが平野の場合、そこで時間を短縮したとろで、その後にやりたいことはない。適度に酒を呷り、テレビをつけながら寝落ちして、深夜に目が覚めたら寝床に入り寝なおすルーティーンを繰り返している。
「知ってるBarくらいはあるけど、一人静かに......、なんて言う気はあまり起きないし。でも、おねえちゃんのいる店でお酌されてってのも、なんだか落ち着かないんだよな。あ、女の子は普通に好きよ。健全な男子ですから。......でもなぁ」
先程の「趣味」と、いった項目でいつも悩んでしまう。
結果や成果を出さなければと言うなら、それはもう仕事と言ってもいいだろうと平野は思う。
上手に出来なくても、お菓子作りが好きなら、それは紛れもなく趣味と言えるだろう。
痩せなくても、なんか健康になった気になるなら、立派なダイエットという趣味だ。
同室の人が泡を噴いて倒れようとも、歌うのが好きなら、カラオケが趣味と言って何が悪い?
「趣味、生きがい。人生死ぬまでの暇つぶし」
そう呟きながら、幼い頃を思い出してみるがはっきりとは覚えていない。
記憶喪失とかでなく、ある日から今現在。ここで煙を吐いている自分に至るまでが、まるでどうでもいい事なのか、頭が「考える必要なんてないよ」と、でも言ってるかのように、すぐに別の事へと思考が移る。
「そいうえばここ最近、同じ夢を毎日見てる気がするんだけど......。やっぱり思い出せないな。あれ、これって何とかっていう現象だったっけか?病気......、じゃないよな。やめてくれよ~、そういうのでプッツンってしないように、できるだけストレス溜めないように生きてるんだからさ~」
そう、ぼやきながら、腕時計を見た中年男性は、短くなった煙草を最後に一呼吸して、喫煙所を出て行った。




