第7話 血塗られた刺客、降臨する影
夜の王都は、昼間の喧騒が嘘のように沈んでいた。
けれど侯爵邸の庭には、確かな殺気が潜んでいた。
風の音に紛れて足音が近づく。影が塀を越え、音もなく庭石に降り立った。
――刺客。
私は窓辺の椅子から立ち上がり、黒い短剣に手を伸ばした。
アルヴィンの声が心に落ちる。
『来たか。リヒトの牙だ。試されるぞ、レイナ』
「望むところですわ」
障子が破られ、黒装束の男たちが雪崩れ込む。
彼らの刃はためらいなく私の喉を狙った。
◇
短剣を振ると、契約の印が熱を帯びた。
刹那、黒い鎖が奔り、床を這いながら刺客たちの足を絡め取る。
ひとりが叫び、倒れ込む。だが他の者たちは怯まない。
殺すために調教された瞳。リヒトが放ったのは、容赦なき殺意だった。
「ここで死んでいただく!」
鋼の刃が振り下ろされる。
私は鎖で受け止めたが、力は拮抗し、押し返すには足りない。
(……足りない!)
そのとき、胸の印が燃え上がる。
鏡もないのに、アルヴィンの声が直接響いた。
『呼べ。完全に』
迷いはなかった。
私は息を吸い込み、魂の奥からその名を呼ぶ。
「――アルヴィン!」
◇
空気が裂けた。
部屋を覆うように黒い裂け目が広がり、そこから現れたのは冥王の影ではなく、その“本体”だった。
漆黒の外套が空間を支配し、銀の炎を宿した瞳が刺客たちを射抜く。
ただその存在だけで、空気が凍りついた。
「……ま、魔王……!」
刺客たちは膝を折り、震えた。
アルヴィンは手を振り下ろす。
鎖が雷のように奔り、刺客の刃をことごとく砕いた。
『この女に手を上げることは、冥界への挑戦と同義。――愚か者ども』
その声だけで、刺客たちは血を吐き、次々に崩れ落ちる。
◇
私は震える手で短剣を握り直した。
力を借りるだけでは足りない。私自身が、刃を振るう必要がある。
「……逃がしません」
残ったひとりが必死に後ずさる。
私は一歩踏み込み、短剣を突きつけた。
鎖が導くように動き、男の肩口を裂いた。
鮮血が散り、彼は悲鳴を上げて倒れる。
自らの手で、人を傷つけた――その事実が胸を震わせた。
けれど、恐怖よりも先に湧き上がったのは確信だった。
(これが……私の戦い)
◇
アルヴィンが振り返り、私を見つめた。
冷酷な冥王の顔に、わずかな誇りの色が宿っていた。
『よくやった、レイナ。お前はもう“守られる花嫁”ではない。冥王と並ぶ刃だ』
「……ふふ。光栄ですわ」
息を整えながら笑うと、アルヴィンは歩み寄り、私の額にそっと触れた。
指先は冷たいのに、触れたところから甘い熱が広がる。
『次は、お前自身の望みを告げろ。復讐だけではないだろう』
私は瞼を閉じ、彼の影に包まれる感覚を受け入れた。
その問いに答えるのは、まだ先でいい。けれど、確かに芽生え始めている。
復讐の炎の奥に、もうひとつの“想い”が。
◇
夜が明けたとき、刺客の死体はひとりも残っていなかった。
冥王が影へと呑み込み、痕跡を消したのだ。
ただひとつ、壁に黒い薔薇の紋章が残されていた。
――「冥王の花嫁は裁きを下す」。
その言葉が、翌日には王都の隅々まで広まることになる。