第4話 魔王の影、王都に走る噂
床を走った黒い鎖が、リヒトの足元に食い込んだ。
音もなく、しかし石畳が裂け、亀裂から冷気が噴き上がる。
彼の頬がわずかに引きつり、次の瞬間には取り繕った笑みを浮かべていた。
「……なるほど。冥界と通じたか。処刑されてなお蘇るとは、やはり魔に堕ちた証拠だ」
周囲の貴族たちがざわめく。恐怖と興奮が入り混じった声。
けれど私は、一歩も引かずにリヒトを見据えた。
「魔に堕ちたのは、あなたの方でしょう。弱き王太子を操り、妹を駒として使った。わたくしを陥れるために、どれだけの証を捏造したのか……!」
その声に、ミリエルが震えた。
だが彼女は必死に首を振り、王太子の腕にしがみつく。
「違うの! わたくしは何も……! 殿下、信じてください!」
王太子エドワードは蒼白な顔のまま、唇を開いた。
だが言葉は出なかった。私の瞳を見て、そして黒い鎖を見て――すべてが嘘であることを悟りながら、それを認める勇気が出ない。
◇
そのとき、私の背後で空気が震えた。
黒い布を裂くような音とともに、虚空に裂け目が走る。
そこから伸びたのは、長く鋭い指――。
『……レイナ』
アルヴィンの声が、誰もが聞けるかのように低く響いた。
影が膨らみ、私の背に重なるように“魔王の半身”が現れる。
大広間の人々は一斉に息を呑んだ。
背後から抱き寄せるように伸びた影の腕が、私の肩を覆う。
その瞬間、冷たいはずの黒が熱を宿し、胸に灯がともった。
「これは……っ、魔王……!」
「本当に冥界と……!」
誰かが叫び、貴族たちが後ずさる。
恐怖が伝染するのを、私は冷ややかに眺めた。
『恐れるがいい。冥王の花嫁に刃を向ける者は、その名をも呪いに変える』
アルヴィンの声は、雷鳴のように広間を揺らした。
リヒトでさえ一歩退き、剣の柄に手をかけながら顔を引きつらせる。
◇
私はそっと息を吸い込み、声を張った。
「聞きなさい! わたくしは処刑された侯爵令嬢、レイナ・リースフェルト。
しかし冥界にて蘇り、魔王の婚約者として再びこの世に立つ!
いずれ真実を暴き、この王国の偽りを裁く!」
広間に響く宣告。
その瞬間、王都にいた誰もが“冥界の花嫁”の噂を耳にする未来が、確かに決まった。
ミリエルの顔は青ざめ、王太子の瞳は揺れ、リヒトの笑みは歪む。
誰もが恐怖と困惑に支配される中で――私は一歩、堂々と前に出た。
この復讐劇はもう隠しようがない。
“処刑された悪役令嬢”の二幕目は、王都全体を舞台にして始まったのだから。