音のない部屋
会社の転勤で、田舎町に引っ越してきたばかりの俺は、ネットで見つけた格安の一軒家に住み始めた。家賃は破格だったが、築年数が古く、少し軋む床や薄暗い廊下には、最初からどこか不気味な雰囲気があった。
引っ越して数日目の夜。眠りにつこうと布団に入ったそのとき、妙なことに気づいた。
「音がまったくしない」
夜になると、どんな田舎でも虫の音くらいはするものだ。しかしこの家は、本当に、一切の音がしないのだ。耳鳴りすらない、完全な無音。その静けさに包まれていると、だんだん不安になってきた。自分の心臓の音が、やけにうるさく感じる。
不安なまま数日が過ぎたある夜。真夜中にふと目を覚ますと、床が「ギシッ」と鳴った。
久しぶりに聞いた“音”だった。
「やっと普通になったのか?」そう思ってほっとしたのも束の間。もう一度、「ギシッ」。そしてまた、「ギシッ」。階段をゆっくり上がってくるような音。
耳を澄ませると、それはやはり階段からだった。そして、廊下を通り、俺の部屋の前で音が止まった。
……扉の向こうで、誰かが立っている。恐怖で動けずにいると、「コン……コン……」と、ドアがノックされた。そして、女のかすれた声が聞こえた。
「ここ……音がするの……あんたが持ってきたんだね……」
瞬間、また世界が静寂に戻った。ドアも開かず、声も止み、全てが“無音”に。
次の日、町の古い資料を調べてみた。すると、この家では十数年前、一人の女性が音に悩まされて精神を病み、最終的に自ら命を絶っていたという。
「うるさい、うるさい、全部消えればいい」そう言っていたらしい。
彼女が望んだ“静寂”は、まだこの家に残っていた。そして、それを破ったのは俺だった。それ以来、どんなに物を叩いても、叫んでも、この家の中では一切の音がしない。
ただ、時々──
夜になると、誰かが階段を上がってくる音だけは、確かに聞こえる。