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海の声

 大学の夏休み、友人たちと小さな漁村に旅行に行った。海が目の前に広がるその村は、観光地としてはあまり有名ではなく、静かな場所だった。

 ある日の夕暮れ、俺たちはビーチで夕日を眺めながら話していた。風が少し強く、波の音が耳に心地よかった。しかし、どこか異様な感じがした。海の音が普通の波の音とは少し違うように感じたのだ。「お前、聞こえるか?」と友人の一人が突然言った。

「ん?何の音だ?」

 彼が指差した先に目をやると、海面が微かに揺れているのが見えた。それ自体は特におかしなことではなかったが、よく見ると波の合間に不規則に小さな「声」のようなものが聞こえてきた。

 最初は風の音だと思った。でも、次第にその声が明確になり、まるで誰かが呼んでいるような、助けを求めるような、引き裂かれたような声が聞こえ始めた。俺たちは顔を見合わせた。だんだん、その声がはっきりしてきて、誰かが実際に海の中で呼んでいるように感じられた。

「誰かがいるのか?」と友人が呟いた。

 その時、海が一瞬静かになった。波が止まり、風も途切れた。沈黙の中、再びその声が響き渡る。だが、今度はもっと近くから、まるで耳元で囁くように聞こえた。

「助けて…」

 全身に寒気が走った。俺たちは声の方を見たが、何も見えない。ただ、茫然と海を見つめることしかできなかった。

 その後、村に戻ると、地元の漁師のおじいさんに会った。話を聞くと、その村では昔から「海の声」という言い伝えがあるという。波の中に、海の底から上がってきた声が時折聞こえることがあるらしい。そして、その声を聞いた者は、必ず何かしらの不幸に見舞われるという話だった。

「海の声か…」とおじいさんは言った。「それは、遠くで命を失った者たちが、未練を抱えて海に引き寄せられた結果、現れるものだ。」

 その夜、俺たちは一晩中眠れなかった。海の音がどこか耳の奥で響き続け、眠ろうとすると耳元であの「助けて」という声がこだましたからだ。

 翌日、村を後にして帰ることにした。車に乗り込んだ時、最後に振り返った海が、あの声を思い出させるように静かに波打っていた。

 その時、突然スマホの画面に通知が届いた。メッセージを開くと、俺の名前を名乗る番号から一通のメッセージが届いていた。

「助けて」

 息を呑んだ。どうして海の中から送られてきたはずのそのメッセージが、俺のスマホに届いたのか、理解できなかった。しかし、そのメッセージには、送信者の情報が一切記載されていなかった。

 不安を感じた俺たちは、そのまま家に帰ることにした。しかし、途中、車が突然エンストを起こした。昼間だったにもかかわらず、辺りは薄暗くなり、まるで夜のような静けさが広がっていた。

 そして、再びあの「助けて」という声が、車内に響き渡った。今度は、まるで車の外から聞こえるような、何かが引きずられる音が後ろから迫ってくる。背筋が凍る思いだった。

 それでも車を走らせ続けると、突然視界が真っ暗になり、車が強烈に揺れた。頭がくらくらして目を開けると、前方に見覚えのある景色が広がっていた。そう、俺たちが泊まった漁村だ。

「おい、もう一度、あの声が聞こえたのか?」友人が震えながら聞いた。

 振り返った瞬間、海の向こうから、暗闇に浮かぶ無数の顔が見えた。その顔たちは、まるで俺たちを見つめているように、どんどん近づいてきていた。どの顔も、半分が水に浸かっており、口を開けていた。

 その時、ふと、車の後部座席に何かが座っているのを感じた。恐る恐る振り返ると、そこには、波に濡れた髪の長い女が、ただ一言だけ呟いた。

「助けて…」

 その瞬間、俺たちは何もかもを理解した。海の底で溺れた者たちが、何年も何年も、助けを求めていることを。それは、もうただの声ではなく、俺たちを引き寄せるための手招きだったのだ。

 だが、すぐに気づいた。あの「助けて」と呟いた女、彼女が俺たちの後ろに座っているのはおかしい。何かが違う。目を凝らして見つめると、女の顔がどんどん近づいてくる。そして、顔が完全に明るみに出た時、俺たちはそのことに気づいた。

 その女の顔は俺の母親だった。

 ただし、生前の母親ではなく、俺が事故で死んだ後に見た「母親」の顔。それが今、俺の後ろに座って、俺を引き込もうとしているのだ。

「助けて…」その声を呟くたび、俺の身体がどんどん冷たく、重くなっていった。

 気づけば、車の窓の外には無数の顔が浮かび、海がどんどん近づいてきていた。

 そして、すべてが静寂に包まれた。気づけば、俺のスマホの画面に再度「助けて」とだけ書かれていた。

 それは、俺自身が今も、この海の底で溺れ続けている証だった。

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