徒歩100キロの通学路 3
わたしは極力音を出さないように静かに歩いた。つま先から踵までローファーをゆっくりと地面に接地させて移動していく。パトカーは制限速度を守って運転をしているから、必然的に1時間で120キロの距離を移動できるわたしよりもゆっくりになる。
5台ほどのパトカーが音を出さずに明かりだけつけてくれていた。おかげで、わたしは上からだと車の位置がどこにあるのか見失わないですんで助かる。地上40メートルから見る暗闇では、ほとんど足元が見えないから。真っ赤な光を追い越したり、上から踏まないようにしながら、ゆっくりと慎重に歩いていく。
夜道に小さな赤い光が点滅している様子は、幼少期に今の大きさになる前にパパとママに連れて行ってもらった川で見た蛍みたいで、なんだか綺麗に見えた。今の大きな体は空が近くて視界が広く使えるから好きだけれど、小さな体の時には、いろいろな自然に生息するものを見れて楽しかったな、なんて思う。そんな風にノスタルジックに浸っていると、耳元に音が入ってくる。
『右足注意してね』
「え?」
わたしが驚いたのと同時に、パキッと音が鳴った。何か、固いものを潰してしまった音。暗くてよく見えないけれど、ローファーに何かがくっついてしまっているのがわかった。
「なんだろ……」
平面と化してしまったそれを手に取って、顔の前に持って行ってみると、車種はわからないけれど、車が引っ付いていたみたいだ。
「やば……、人乗ってないよね……」
冷や汗を流していると、またイヤホンから音が入る。
『路上駐車されてる車だったんから、乗員はいないわよ。先週から春山さんが今日通学に使う道路は、この時間帯は通行しないようにって告知してたんだけど、知らずに止めっぱなしになってたみたいね』
わたしが通学するだけでそんな大々的な告知がされるなんて、なんだか恥ずかしい。
「わたしはただ歩いてるだけなんだけどなぁ」
足元からの景色は想像しかできないけれど、まあ、普通の歩行で自動車をスクラップにしちゃう女の子なんて、ちょっと怖いのかな。間違って踏まれたら嫌だもんね。これまでわたしのことを下から眺めていた人たちに思いを馳せていると、またバキッという、今度は何かを蹴った音がした。イヤホン越しに『うわぁ』とか『ヒィッ』とか『こりゃまずいな」とか、そう言ったネガティブな雰囲気を醸し出す声が聞こえてきた。なんだか不安になってくる。まさか、人がいたとかじゃないよね……?
「あの……、わたし何かしちゃってます……?」
恐る恐る尋ねると、イヤホンから困ったような声がする。
『街路樹を数本まとめて蹴っ飛ばしたみたいで、道路を塞いでるみたいなのよ』
「なるほど……」
わたしはサッと座る。スカートが起こした風のせいでバサバサと木々についている葉っぱが大きく揺れている音が聞こえるけれど、さすがにパトカーがスカートの風で揺れることはないみたいで、警察の人たちは大丈夫みたい。
とりあえず、わたしは赤いランプのすぐ目の前に倒れている街路樹を指で摘み上げた。
「これで合ってます?」
『助かるわ、これで問題なく進めるわね』
わたしが蹴っ飛ばしたせいで通せんぼをしてしまった木を、わたしが自分で退けたことで感謝をされるのは、なんだか自作自演みたいだけれど、無事に解決ができたのなら良かったのかな。根っこごと引っこ抜けてしまった街路樹を道路の端に寄せる。
『すごいわね。春山さんがいたら重機いらずね』
褒められて、ちょっと嬉しくなって、えっへん、と胸を張ってみた。
『なんだか羨ましいわね。特別な子って感じ』
「えへへ、凄いでしょ!」
良いことしたら気分が良いな。まあ、悪いことしたのもわたしなんだけど……。
歩き始めた頃は住宅街だったから、チラホラと灯りもあったけれど、70キロほど歩いた頃には随分と灯りが少なくなっていた。一瞬だけ上を見ると、星も綺麗に見えるから、結構な田舎道に来ているみたいだ。家からかなり離れて来たんだということを実感させられる。
時速60キロほどのペースで走るパトカーの速度に合わせてゆっくりめで歩いてきたから、かなり時間もかかっていて、足が疲れてくる。人を踏み潰してしまわないように、ずっと下を見ながら歩いていたから、首も痛くなってきていた。わたし一人なら1時間弱で到着できるんだけどな、なんていう不満は心の中だけに止めておいた。警察の人にはわざわざ早朝から来てもらっているのだから、文句は控えておかないと。
結局、1時間半ほどかけて、時々街灯をへし折ったり、道路標識を壊しながら歩いていき、なんとか学校の近辺に到着する。学校の敷地に足を踏み入れる頃には潮の匂いが漂っていた。学校がある場所は海沿いの、住宅がほとんどない地域みたい。辺りに人が住んでいないなら、多少音を出しても大丈夫だから安心だ。目覚まし時計を音有りで使っても良いのかもしれない。
足元には、わたしの踝辺りの高さまでしかない普通サイズの正門があった。巨大少女の受け入れが可能な場所だから、てっきり正門も大きいのかと思ったけれど、そうではなかった。まあ、全ての建物をわたしサイズにしたら、建設費が国家予算レベルになっちゃいそうだし、贅沢は言えないか。
『学校の人が出迎えてくれてるみたいよ』
イヤホンから入った声を聞いて、ジッと地面を見つめていたけれど、人影が見当たらない。踏み潰したらやだな、と思ってしゃがんでから、運動場で四つん這いになってみたけれど、誰もいない。
『上よ』という苦笑いが聞こえる。
「上……?」
顔を上げると、少し離れた場所(と言っても、わたしの感覚では5メートルほどの場所だけれど)に、暗闇でもよく目立つ人の姿がそこにはあった。わたしの大きさからでも、しっかりと見える大きさの女性が、丘(わたしの身長よりも高いから、もしかしたら小さな山なのかも)の上から手を振っていた。わたしも立ち上がって、手を振り返した。その後、うっかり手についた砂を払ってしまい、砂の雨を降らせてしまってたことは内緒だ。
わたしは、丘のうえにいる、ミルクティーブラウンカラーの髪の毛をミディアムボブに纏めている、カーディガンとロングスカートを着用している綺麗な女性のことをジッと見つめた。不思議なことに、同じサイズの女性を見たら安心感が湧き出てくる。普通は、50メートル近いサイズ感の女性を見たら、どんなに可愛い子に対しても恐怖心を抱いてしまうだろうから、やっぱりこの大きさは得な気がする。
あのオシャレな髪の毛は誰かに切ってもらったのだろうか。だとしたら羨ましい。わたしなんて、髪の毛を切れる人がいなかったから、ずっと自分でしていたから。同じサイズの人に会えた嬉しさから、ぼんやりと見つめていたら、女性が声を出す。
「春山さんで合ってますかぁ?」
優しくて、癒されるようなおっとりした声がわたしの耳に入る。丘の上に立っている彼女を見上げながら頷いた。パッと見た感じ、女性は45メートルくらいだろうか。わたしよりもちょっと身長は低いみたいだ。
「ここからは学校の敷地内になるので、わたしが案内しますね。足元に普通サイズの校舎があるので、蹴らないように気をつけてくださいね。わたし、在学中に何回かやっちゃってますので」
よく見たら、丘の麓にわたしのお腹辺りくらいまで高さのある大きな校舎があった。
平然と校舎を蹴ってしまったと言っているけれど、ゆるふわ美人の彼女でも30倍サイズの蹴りは多分かなり強いはず。何回も蹴ったら修理費だけで相当な額になりそう。まあ、わたしも街を壊したことがあるから、人のことは言えないけれど……。
とりあえず、わたしたちは警察の人にお礼を言ってから、彼女の案内に従って、巨大少女用の校舎へと向かったのだった。