30倍サイズの生徒の担任は危険だらけみたい 4
わたしの顔に乗っかった萩原先生は、鼻梁を転がっていき、そのまま鼻先からジャンプ台みたいに勢いよく飛んでいって、遠くに行ってしまいそうだった。
「やばっ!」
わたしは地面にしゃがんでるけれど、萩原先生からしたらアパートの屋上から飛び降りるみたいなものだし、落ちたらかなり危ない気がする。
怪我しないようにするために、わたしは口から舌を出して、限界まで伸ばす。このまま勢いよく飛んでいって床まで行くと無事では済まないだろうから、床に体を打ちつけるよりもは一旦わたしの口で受け止めた方がマシだと思った。全力で舌を伸ばして萩原先生を捕まえて、口にしまってから取り出そうとした。それなのに、小鈴ちゃんが泣きそうな顔でわたしに迫ってくる。
「そ、そんな酷い人だとは思わなかったわ! お腹が空いたからって先生のこと食べようとするなんて!」
「ん……?」
なんか小鈴ちゃんに凄い勘違いされちゃってるんだけど……。
「担任の先生を食べるなんて……。わたし、月乃のことはなんだかんだで優しい子だと思ってたのに!」
口に先生が入っていて喋れないから、わたしは必死に首を横に振った。早く出さないといけないと思ったのに、小鈴ちゃんが取り乱して、泣きながらわたしの服の首元を持って思いっきり揺らしてくる。
「バカバカバカぁ! 早く出してよぉ!!」
出すから、出そうとしてるから! 口に出すと、そのまま萩原先生を噛み潰してしまいそうだったから、心の中でそう言ったけれど、当然小鈴ちゃんには伝わっていない。
「ねえっ。本当に早く出して!」
また体を大きく揺らされてしまって、マズいと思った時にはもう手遅れだった。
「あっ……」
顔も揺らされ続けてしまっていたから、つい力を抜いた時に、喉を鳴らしてしまった。萩原先生が喉を通っていく。
先生がわたしの中で、なんとか胃に落ちないように必死に堪えようとしているのは伝わってきているけれど、食べられた物が食べた者の体の流れに逆らえるはずがない。大きさが違いすぎるから、わたしと萩原先生は被食者と捕食者みたいになってしまっていた。
「ど、どうしよ……。食べちゃった……」
わたしの顔が青ざめたのと同時に、小鈴ちゃんが完全に取り乱してしまった。叫び声に近い声をあげて泣き出した。わたしだって、先生のこと消化なんてしたくないよ……。怖くて泣きそうになっていて、いつもみたいに小鈴ちゃんを慰めてあげる余裕もない。
そんな取り乱し切っているわたしたちを見て、お姫ちゃん先輩が席を立って、勢いよくわたしの元にかけてくる。そして、次の瞬間には、わたしのお腹に重たい衝撃が入った。お姫ちゃん先輩が綺麗に左足を軸にして体を回して、ピンと右足を伸ばして回し蹴りをしたのだった。
「うぐっ……!」
変な声を出しながら、わたしの体が軽く吹っ飛ばされてしまった。多分、街中でやられたら、わたしはビルをいくつも壊しながら吹っ飛ばされていたに違いない。
わたしは蹴られた衝撃で思いっきり壁に背中を当てて、痛みでのたうち回ることになった。いきなり蹴られたことに困惑しながら、鳩尾に入った痛みと苦しさで思いっきりむせ返って咳を続けていたら、なんと、萩原先生がわたしの食道を逆流してきた。わたしの口内から、先生が外に出てきてくれたのだった。
唾液に塗れた萩原先生が、わたしの手の中でぐったりとしていた。横たわりながら大きく肩で息をして、必死に呼吸を整えている。
「あの、すいませんでした……」
わたしが恐る恐る謝ると、萩原先生が怯えた子どもみたいに大きく体を震わせた。すっかり怯え切っている萩原先生のことをお姫ちゃん先輩が摘み上げてから、胸元で抱きしめた。
「先生、大丈夫ですか……?」
「あ、ああ、大丈……ゔぇっ」
萩原先生がお姫ちゃん先輩の胸元で吐いてしまったけれど、お姫ちゃん先輩は嫌な顔はせずに、ソッと人差し指で背中をさすっていた。
「わ、悪いわね……」
「気にしないでください」
お姫ちゃん先輩が胸元の萩原先生に優しく微笑んだあと、わたしたちの方を睨んだ。
「東條さんのとこに先生預けてくるから、3人はそこで正座してて」
お姫ちゃん先輩がかなり怒った様子で、教室の外に出て行ってしまった。
わたしと小鈴ちゃんは怯えながら正座をしていたけれど、詩葉先輩は「めんど」と言いながら、机に突っ伏してしまった。詩葉先輩の綺麗に染まった明るい髪の毛が机の縁から滝みたいにだらりと垂れていた。
少しして、お姫ちゃん先輩が戻ってきてから、いつもの穏やかな表情ではない怖い顔で、わたしたちの方を見た。机に突っ伏している詩葉先輩を見て顔を顰めていたけれど、またすぐに険しい表情に戻る。
「3人ともやりすぎ。反省して。詩葉は論外として、月乃ちゃんはイタズラしすぎだし、小鈴ちゃんも慌てすぎ。一歩間違ったら萩原先生は月乃ちゃんのお腹の中で消化されるところだったよ?」
「ごめんなさい……」
萩原先生本人はこの場にいないけれど、先生本人に謝るつもりで、真面目に謝った。
当然萩原先生のことを本気で食べる気はなかったけれど、それでも飲み込んでしまったのは事実なわけだし。わたしに続いて小鈴ちゃんも「すいませんでした……」と謝る。
「とりあえず、一年生2人組は自分の大きさに慣れるまでは萩原先生の授業もリモート授業にしてもらうからね」
わたしと小鈴ちゃんは怯えながら何度も必死に頷いていた。
2人ですっかり震えていた後ろから、詩葉先輩の大きな欠伸が聞こえてくる。
「もうその辺でいいんじゃない?」
「詩葉が一番反省しないといけないんだよ? わかってる?」
お姫様ちゃん先輩の声を聞いて、詩葉先輩がため息をつく。
「てかさあ、あたしらこんなデカいんだよ? どんだけ気をつけたって踏むときは踏むし、飲み込む時は飲み込むよ。それ全部気をつけたらまともに生活できないんだから、ちっさい方が気をつけなきゃダメじゃん」
一瞬教室の空気が凍った。お姫ちゃん先輩の眉間がピクッと動く。
「詩葉のそういうとこ、わたしは本当に嫌いだからね」
「分かり合えないんなら仕方ないんじゃない? あたしは虫みたいなサイズの人間には肩入れできないんだから、しょーがないじゃん。こんだけ大きさ違ったらもう別の生物じゃん。チビ人間とか、そんな呼び方つけてあげた方がいいんじゃない?」
「う、詩葉先輩……」
わたしたちも詩葉先輩とは同じくらいのサイズだけれど、さすがに賛同はできなかった。わたしたちも元は詩葉先輩のいうところのチビ人間だったんだし、強いていうならわたしたちがデカいわけだし。
心の中でそう思っていたら、お姫ちゃん先輩が代わりにそれを口にしてくれた。
「だから、わたしたちが大きいんだってば。この世界でイレギュラーなのはわたしたちで、みんなは普通なんだから――」
お姫ちゃん先輩がヒートアップしているときに、横から啜り泣く声が聞こえてくる。
「小鈴ちゃん……?」
突然小鈴ちゃんが泣き出してしまった。わたしは不安になって、小鈴ちゃんのことを抱き寄せた。
「大丈夫?」
「う、うん……。ごめんなさい、話の途中なのに……」
授業中だけれど、わたしは小鈴ちゃんを引っ張って立ち上がる。正座していた足が少し痺れて歩きにくい。
「すみません。わたしと小鈴ちゃん、ちょっとトイレ行きますね」
「え、うん……」
教室の外に出ていくわたしたちを見て、お姫ちゃん先輩が困惑気に頷いた。
小鈴ちゃんを抱き寄せて歩きながら、ぼんやりと考える。わたしも萩原先生も、しばらくの間お互い気まずいんだろうな、と。萩原先生はわたしに危うく食べられかけたし、わたしにとっても人に食道まで直で見られたのは初めてだし。そんな状態で普通に接するのは難しそうだな、と思った。




