徒歩100キロの通学路 1
簡易的に作られた、狭いプレハブ小屋の中が中学生までのわたし春山月乃の家だった。
「でも、明日から寮生活だなんて、ワクワクするな〜」
今まで両親と離れて一人で暮らしてきたから、なおのことワクワクする。これからは独りぼっちで生活をしなくても良くなるのかもしれない。
家から離れた学校に行くから、友達の夏穂と離れて暮らさないといけないことが気がかりだけれど。
「まあ、こっから100キロ弱くらいの距離なら、歩いて遊びに行けない範囲じゃないし、お休みの日は遊びに戻ってきたら良いよね」
そんな風に夏穂のことを考えていると、ちょうど夏穂からメッセージが来た。
夏穂『明日から寂しくなるけど頑張りなよ』
月乃『任せて!』
夏穂『何を任せるのよ……』
夏穂『しばらくこっちに帰ってこれないと思うから、またわたしの方から遊びに行くわね』
月乃『歩いて帰れるけど?』
夏穂『あんたがよくてもみんな困るでしょ……』
月乃『お散歩するだけだよ?』
夏穂『あんたの散歩は一歩間違ったら無差別殺人になっちゃうんだから、気軽にしないでよね……』
月乃『怖いこと言わないでよ!』
わたしはリスのキャラクターが頬を膨らませて怒っているスタンプを押した。
まあ、実際のところ、自由に移動すると、大変なことになっちゃうのは事実なのだけれど。一回通学中に歩道橋で転んで街を半壊させちゃった前科もあることだし……。
わたしが夏穂の言葉に納得していると、夏穂からは『確かに言いすぎた、ごめんね』と返事が来る。
月乃『気にするでない』
今度は殿様の格好をしたネコが笑っている絵文字を送っておいた。
いつも思うけれど、夏穂と話をするのにメッセージアプリがあるのはとても便利である。わたしは別に夏穂と話す時に不便を感じることはないけれど、夏穂はよくわたしと話すと大声を出すのが疲れる、と文句を言っているから。スマホだとお互い気楽に話ができるのが良いよね、と思う。
夏穂との会話がひと段落ついたから、中学時代に使っていたスクールバッグの中にひたすら寮での生活に必要なものを詰めていった。といっても、わたしたちに支給されている日用品なんてたかだかしれているから、歯ブラシとか、マグカップとか、リップクリームとか、最低限のものだけなのだけれど。教科書もノートも学校で支給されるらしいから特に必要ないし。
本当は100キロ近く歩くのだから、トラベルケースでゴロゴロ引っ張っていきたいけれど、それを夏穂に相談してみたら『家を何軒タイヤの下敷きにするつもり?』と言われて、割と本気で注意されたから、やめておいた。まあ、そもそもそんな高価なものをわたし用に支給してもらえる気もしないから、トラベルケースの使用はそもそも無理な話ではあるのだけれど。
「入れるものほとんどなかったし、案外あっさり準備終わったな」
大きく伸びをしていると、スマホの着信音が鳴った。知らない番号からだ。
「誰だろ……。変な人だったらやだなぁ……」
面倒に思いつつも、無視するわけにもいかずに通話ボタンを押す。
「春山ですけど……」
『月乃さんの電話番号で合ってるかしら? わたしは明日からあなたのクラスの担任をする萩原妃織という者だけど』
少し低めのクールな女性の声がした。電話越しの萩原先生はハキハキと喋っていて、しっかり者のイメージだった。
「春山月乃ですけど、担任の先生とかって入学式の前に教えちゃっても良いんですか?」
『春山さんたちのクラスは特別だもの』
ふむ、と頷いた。日本で唯一わたしたちを受け入れてくれる学校らしいから、確かに特別だと思う。でも、それ以上に春山さんたちという表現が気になった。
「ところで、わたしたちって言ってましたけど、わたし以外にも同じような長身の子がいるってことで良いんですか?」
ドキドキしながら尋ねてみる。
『ええ、その為の学校だからね』
わぁ、と喉元から喜びに満ち溢れた声を出してしまった。
『嬉しそうね』と言う萩原先生の声もどこか嬉しそうだった。
「わたし今まで背の順一番後ろ以外経験したことなかったから、自分より背の高い子に出会えるのすっごい楽しみなんです!」
今まではわたしの身長を抜いてくれる気配の子もいなかったから。ていうか、そもそも身長は文字通り桁が違うというか、なんというか……。まあ、いっか。
『喜んでくれて何よりだわ』
萩原先生が苦笑いをした後に小さく咳払いをしてから話を変えた。
『じゃあ、そろそろ本題に入るわね』
「お願いしまーす」
すでにウキウキ気分のわたしは、普段よりも楽しそうに返事をした。
『別に大した話じゃないんだけどね』
「なんでもどうぞ!」
『明日の入学式なんだけどね、朝の4時くらいから学校への移動初めてもらっても良いかしら?』
「なんですと!?」
朝の4時って、超早朝ってことだよね……。
「あの、まだ太陽も登ってないですし、そんな時間から未成年の女の子を一人で100キロも歩かせるなんて、危なくないですか!?」
『春山さんが危ないってこと?」
「そうですよ! わたし、まだ未成年ですよ!」
『あなたを危ない目に遭わせられる人がいたら、紹介して欲しいくらいね。むしろ、通勤通学の時間帯にあなたが100キロも移動すると他の人を危険に晒しちゃうでしょ?』
「確かに……」
昔トラックにぶつかって運転手さんを怪我させてしまったこともあるし、あんまり否定はできないな……。
『納得してくれた?』
「渋々ですが……」
『素直でよかったわ』
「素直はわたしの長所ですから」
ふんす、と自慢気に伝えておいた。
『じゃあ、素直な春山さん、明日は早いけど、よろしくね。まあ、早く行って入学式前にお仲間さんと一緒にお話する時間ができると思っておいてもらったらいいわ』
「はーい。明日からよろしくお願いしまーす」
そう言って、わたしはスマホの通話ボタンを切った。
さてと、と小さく声を出しながら立ち上がって、窓の外を見る。立ち上がったまま外を見ると、すぐ目の前のマンションの12階くらいの人と目が合った。向こうにギョッと驚かれてしまってなんか気まずいから、さっさと視線を逸らした。
この小さな街の景色ともしばらくお別れだと思うと、少し切ない気分になる。でも、それ以上に身長48メートルのわたしを受け入れてくれるだけでなく、わたしと同じくらいの身長の子も通っている場所にいけるなんて、とっても楽しみである。今まで、わたしのくるぶしくらいの大きさの子たちとしか出会ったことがなかったから、目を合わせて話すには、運動場で座りながら校舎の窓越しで話したり、四つん這いになって頬を土にくっつけながら話したりするしかなかったから。同じ視線で普通に誰かと話せるのがとっても楽しみだった。