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6 かたまりーげる

 エリスが辺境伯に相談した結果、エリスの薬は辺境伯家が管理し、ズスルクの各医療機関にて取り扱われることとなった。薬屋で取り扱うと一部の者が買い占める恐れがあるからだ。エリスが市場で売っていた薬はもう既に一部で評判になっており、転売されて高値で取引されるようになっていたのだ。本当に欲しい人へ行き渡らせるには医師の診察を受けて必要と判断された者に処方するのが望ましい。

 最初に取引を持ち掛けた薬問屋は当然不服だが、この辺境の主に楯突くことは出来なかった。それどころかエリスが製造者だと漏らさないよう辺境伯家の監視下に置かれる事となったという。


 エリスの薬のように完全に痛みを無くす薬など、この世には存在していなかった。誰もがそのレシピを知りたがった為、アルカに許可を取り、辺境伯家に問い合わせれば誰でも知ることができるようになった。

 エリスは自分の薬と同等のものを調合する薬師が現れてくれるだろうと予想したが、それは外れる。様々な人物や組織が再現しようとしても、アルカがエリスに言った通りの「この地方で古くから伝わる塗り薬」以上でも以下でもないものができるだけであった。


 休日は薬の調合に明け暮れることとなったエリスだが、ニナの為に貯金を増すのだと思えば苦にならない。辺境伯に借りができてしまい、何か要求されるのではと少し不安にはなるが、いざとなればニナが何とかしてくれると信じている。


 何やら自分が調合した薬だけ本来の効果以上になるのはおかしいと思いつつも深く考えないようにして「これからも平穏に暮らしていこう」と思うエリスを置いて、薬を巡る状況は少しづつ動き出す。


 辺境伯がエリスを守るために薬の製造者を秘匿しようとしても、人の口に戸は立てられない。エリス本人が市場で売っていたのを目撃している人々は、どこもエリスの薬を再現できない話を知って、エリスが選ばれし特別な存在では無いかと噂し始めた。


 実際にエリスを見た者が「薬を売っていたのは見目麗しい女性」「落ち着いた物腰で穏やかだった」「所作は上品で、平民とは思えない」「少し話しただけで教養のある人物だと分かる」「薬の礼を言うと微笑んでくれたが、この世のものとは思えないほど美しかった」「薬は安価で利益が無さそう」「ほぼ利益なしでただただ人の役に立ちたくて薬を作っているのかもしれない」などと口々に言うものだから、薬の前代未聞の効果も相まって、エリスの薬は『聖女の薬』と呼ばれるようになる。

 それどころか街を歩いて、以前薬を購入した者に目撃されると「聖女様だ!」などと指をさされ、人に囲まれてしまう。ニナが近くに積んでいた木箱を爆散させて人々が驚いた隙に逃げ出せたが、このままでは普通に暮らすのも大変なのは明白であった。


「街で暮らすのは危険だ。ニナを連れてきても良いから城で住むように」


 と、命ずるのは辺境伯。出勤してくるエリスを門で待ち伏せて、朝の挨拶をすっ飛ばしていきなりこの発言である。後ろには辺境伯の秘書官アルバが控えている。

 エリスは首を傾げる。エリスが人々に囲まれたのは昨日の仕事帰りのこと。辺境伯とは昨日の昼に会ったきりで、この件については何も相談していない。


「シャーッ」


 ニナは嫌な感じがしたので取り合えず威嚇しておいた。


「こら、ニナ……」

「ヴー、てめーエリスを監視してたな」

「えっ」


 動揺するエリスに辺境伯は優しく語り掛ける。


「エリス、すまない。お前が心配で以前から護衛の者を付けていた。逐一お前の動向を報告させていないから、監視では無い。安心してくれ」

「いえ、あの、そうではなくて。護衛など、私にそのような費用はお支払いできませんので……」

「案ずるな、私費だ」

「いえ、そういう問題ではなく……」


 ニナが辺境伯に近寄りその脛を蹴り蹴りする。


「エリスにはニナさんがいるから護衛なんて必要ねーっつーの」

「ええ、そうです。昨日もニナのおかげで無事でした。ですので、護衛は必要ありませんし、街で暮らします」

「確かに、ニナは強い。それは分かる」


 そこで、一旦言葉を区切った辺境伯が思い出すのはニナとの初対面でのこと。新しく辺境に配属になった魔法師団の軍人がどう見ても子供だという話を耳にした辺境伯は興味を持ち、魔法師団辺境基地にわざわざ赴いた。そこでニナを一目見て、表には出さないが気圧さた。「勝てない」と判断した。優れた魔術師にしかわからないであろう、圧倒的強者の纏う気。ニナが本気になればこの辺境など一瞬で消し飛ぶと、そう、否が応でも理解できた。……にも関わらず、エリスに夢中になってニナの存在を意識の外にやってしまう辺境伯は相当な色惚け野郎である。


「聖女などと呼ばれはじめたエリスがこれまで通り市井で過ごせば、相当有名になってしまうだろう。現時点でも良くない輩がエリスを狙っているという情報を掴んでいるというのに」

「だから、そんな奴、ニナさんがドカーンでバラバラにしてやるっつの」

「そう、それだ。ニナが対処した後、それが問題だ」


 ニナは魔法師団でも特殊な隊に所属している。それは第十三小隊という、ニナのような優秀だが少し問題のある魔術師が集まる部隊。彼らはその能力の希少性から特別扱いされている。様々な特権の中で最も民間人に眉を顰められるのは「正当な理由があればどれだけ人を殺傷しても罪に問われない」だ。そもそも第十三小隊に所属するには様々な心理検査などをクリアする必要がある為、快楽的殺人衝動がある者はまずいないのだが、民間人にしてみれば知ったこっちゃねえ、なのだ。


「お前は人を殺しても無罪だ。友人であるエリスを守るという理由があればな。さて、これを目撃した辺境の民はどう思う」


 エリスは辺境伯の言わんとしていることがわかり、何も言うことができない。


「ぬー、確かに。ニナさんは人殺し扱いされても平気だけど、一緒にいるエリスまで何か言われるのはヤダなー、でも辺境伯と同居はもっとヤダなー、ぬー……」


 渋面で唸るニナに辺境伯は畳みかける。


「エリスとニナは一階の客室を使うといい、私の居住は三階で離れている。共に城に住んでも顔を合わせない日もあるだろう。そもそも城は広く、警備や護衛、使用人も居て、文官も寝泊りする。これだけの者が居る城で同居という言葉は正しくないと思わないか」

「……ぬーん」


 ニナがちらりとエリスを見上げる。エリスはニナが決めてね、と目配せする。


「辺境伯よー」

「なんだ」

「エリスに毎日会いに来るの止めるなら、城に住んでやってもいいぞー」


 辺境伯は休日以外、毎日エリスに会いに来る。リーゲルもしょっちゅう城を訪れているものの、エリスと会えるのは毎回ではない。リーゲルをがんばすると決めているニナは少しでも辺境伯とエリスが会うのを減らしたいのだ。


「……それは」

「おん?」

「……わかった、二日に一度にしよう」

「多い」

「これ以上は譲れない。エリスと会えないと私はもう駄目なんだ。何もかも上の空で無気力な人間になってしまう」

「ぶっぶー、却下」


 ここで黙っていた秘書官アルバが主に許可を取り発言する。


「ニナさん、辺境伯様の言っていることは本当なのです。エリスさんに会えない休日、辺境伯様はベッドや長椅子でただ呆けているのです、時折エリスさんの名を呼びながら。休日とはいえ、すべきことはあるというのに、本当に何もしないのです。何を考えているのかと問い詰めれば『エリスのことを考えている』との返答が返ってきます。夜は明日の朝にエリスさんと会えると思うと眠れなくなるそうです」

「うわー」


 ニナさん、軽く引く。


「現在は溜まった仕事を平日に消化して滞りなく業務が進んでおりますが、これ以上辺境伯が使い物にならない日が増えますと、大変なことになります。どうか辺境の為にも、二日に一度程度は許していただけないでしょうか」

「辺境伯、大人のくせに使えねーな」

「ええ、全くその通りでございます」


 アルバの同意を得られて、ニナはご満悦である。


「しゃーねーな、じゃあエリスと城に住んでやるよ。感謝しろよなー」

「すみません、辺境伯様。お世話になります。とりあえず、細かいことはあとでお伺いしてもよろしいでしょうか。そろそろ医務室に行きませんと……」

「……ああ、わかった。後ほど話し合おう」


 ニナとエリスの去っていく背、というかエリスの後姿のみを瞳に移しながら辺境伯は地面に膝をつき、空を仰ぐ。その体は歓喜に震えていた。


「エリスとっ……同居っ……」


 こいつさっき同居じゃないって言い張らなかったかと、アルバは主に半目を向けた。





 ニナさん、その日のお昼にリーゲルの元へ突撃する。役所の人間は「何やらまたちっこいのが来たぞ」とニナをつまみ出さずに、すぐリーゲルを呼んだ。現れたリーゲルはまだ少しどんよりしていた。


「リーゲルー、ニナさんとエリス、城に住むことになったから」

「……は?」

「エリスの安全のために城に住むのだ。といっても聖女とかいう噂が無くなってきたら元の家に戻る予定だけどー」

「……え?」

「だから、辺境伯の城に住むって」

「……ん?」


 リーゲルは笑顔で聞こえない、という姿勢を取る。どうやら脳が言葉を理解するのを拒んでいるようだ。


「聞こえないふりしても現実は変わらないぞー」


 ニナが落ち着けとリーゲルの肩をポンポンしてやる。


「そうか、夢か、悪夢か」

「夢じゃないぞー」


 今度はリーゲルの頬を抓ってやる。


「……嘘だ」

「ホントだぞー。辺境伯とエリスは明日から一つ屋根の下なのだ」


 いい加減にしろとニナがリーゲルをぺちぺちするが何の反応も無い。これはおかしいと顔を覗くと、生気の無い目が見開かれたまま、固まっていた。


「し、死んでる……!」

「えぇ!?」

「殿下!?殿下ー!!」


 様子を見守っていた職員たちが慌てて集まってくる。どうやら意識を失っているだけのようだとホッとして職員はリーゲルを運んでゆく。その光景を見ながらニナは呟く。


「何か辺境伯もリーゲルもエリスに相応しくない気がしゅる……」


 情けない男どもは頼りにならない、やはり自分がエリスを守るのだと決意するニナだった。

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[良い点] 辺境伯もどうなるか楽しみにしています
[良い点] 見守られるレベルで日常的な光景w
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