2 贈り物
辺境伯ことネフリード・エトゥキオンは、エリスに好意を示しても反応が芳しくないことに悩んでいた。
少年の時分から整った容姿に加えて、学業、剣術、攻撃魔法も優秀であった為、女性に人気があった。それ故に言い寄られることには慣れていても、自ら女性にアプローチするのは不慣れであった。己を巡る女性の醜い争いに巻き込まれた経験から女性不信になっていたことを理由に、女性の口説き方など必要ないと学んでこなかったツケが回ってきたのだ。
しかし、今更誰かに教えを乞うということもできず、ただエリスに会って率直に好意を告げることしかできない。
決裁書類を捌きながらも、そんなことを考えていた辺境伯に秘書官アルバが声を掛ける。
「辺境伯様、そのように不機嫌全開では、他の者が怯えて仕事になりません」
「不機嫌ではない」
本人は本当に悩んでいるだけなのだが、その精悍な顔つきはただ無表情なだけで威圧感を感じさせるのに、眉間に皺を寄せて悩んでいると迫力がある。
辺境伯が執務室を見渡すと、確かに文官たちの顔色が悪い。怯えているようだった。眉間に指をあててもみほぐす。
「この顔が悪いのか……だからエリスも……」
やはりエリスのことを考えていたのかとアルバは呆れた。以前から自分を含む辺境伯の周囲の者は彼に早く結婚して世継をつくれとせっついていたが、仕事中に女のことを考えるほど色惚けろとは言っていない。だが現をぬかしながらも、仕事に不備は無いので強くは注意できない。実害は辺境伯が怖くてガチガチに緊張してしまう部下が普段ならしない軽度なミスをすること。
アルバとしては辺境伯がエリスを落とすのなら早く落として欲しいが、そうしたらそうしたで浮ついて仕事に身が入らなくなりそうでもあるので悩ましい。しかし、主であり、一応幼馴染でもある辺境伯の恋路を応援したくもあるので、
「エリスさんに好かれたいなら、まずニナさんに懐かれることが重要でしょうね」
エリスとニナは同い年のはずであるが、エリスはニナを実の子のように面倒を見ている。エリスを攻略するには、ほぼ子持ちのシングルマザーを口説くつもりで子供から攻めれば攻略は容易であると、アルバは推測している。
「……ニナ本人にもそれに近いことを言われた」
「では、もう自然に懐いてもらうのは不可能でしょうね」
こりゃもう無理だな、と思ったが口に出さなかった自分を褒めてやるアルバ。辺境伯は更に眉間の皺が深くなる。
「ニナに懐いてもらえれば、楽にエリスとの仲を深められるとはわかっているのだが、いざエリスを前にすると彼女しか見えなくなるのだ。どうすればいい」
知るか、どんだけ夢中なんだよ、と思ったが口に出さなかった自分を再び褒めてやるアルバ。
「もう、ニナさんを無視して直接エリスさんを口説くしかないでしょう」
「簡単に言ってくれるな……」
辺境伯がペンを置き、両手を組んで深い溜息を吐く。
「はい、そこ、ペンを置かない。仕事を続けて下さい」
それは無視して辺境伯が独り言のように呟く。
「贈り物をしても受け取って貰えないしな……」
アルバが若干苛立ちを含んだ声で、
「そりゃ、いきなり指輪だの服だのは重すぎるでしょうよ」
辺境伯は元貴族のエリスが喜ぶだろうと流行りの装飾品やドレスを贈ろうとしたが、どれも受け取って貰えなかった。そもそも平民となったエリスには必要のないものであるし、明らかに値段が高すぎるので受け取って貰えないのは当たり前である。今まで気まぐれに交際してみた女性たちはすぐにこういった物を強請るので、女性といえばこれを欲しがると思い込んでいた辺境伯には衝撃であった。
「そうか、重すぎるのか。……消耗品なら、気軽に受け取って貰えるだろうか……」
今更誰かに教えを乞うのも恥ずかしいと思っていたはずの辺境伯だが、悩みが晴れず、つい弱気になって秘書官に相談してしまっていることに気付かない。
「例えば何を贈ろうと?」
辺境伯が今迄の女性に強請られた物を思い出しつつ、
「……香水」
何故、花を贈るなどの発想が無いのだろうとアルバは疑問に思ったが、そういえば気まぐれに付き合うにしても顔と金にしか興味ない女たちの中から選ぶしかなかったので無理もないと思いなおす。
「香水も好みでないと単なるゴミになります。贈られると嬉しくて遠慮なく捨てれるので邪魔にならないもの、それは花です」
「……花」
辺境伯にとってそれは盲点であった。自分が花を見て綺麗などと思う感性を持っていないこともあって、女性に花を贈るという文化が完全に頭から消失していた。「そうだ、何も花屋は祝いの贈り物や祭りの飾りや墓に供える為だけにあるのでは無かった」と思い出す。
「そうか、ありがとう、アルバ」
無表情だが、礼を言う声には感謝の気持ちが込められていた。アルバが辺境伯に礼を言われるなど、大昔にカマキリの卵が見たいと言った彼に取ってきて見せてやった以来だった。
虫の卵以降、礼を言われたことが無いのは、基本的に彼が人の手を借りずとも何でもこなせる人物だからだ。そんな彼が女に悩ませられているとは、何とも可笑しいものだとアルバは声に出さずに笑った。
□
翌日、朝の挨拶に治療室に訪れた際、辺境伯は白い薔薇の花束をエリスに差し出す。薔薇は二十四本だった。
「エリスによく合うと思ってこれを選んできた。受け取って貰えるか」
「ええと」
これは意味を分かってのことなのだろうかと、エリスは困惑する。
「お前に受け取って貰えなければ、この薔薇は行き場がない。捨てることになる」
「ええと、まだ枯れていないのに、それは可哀想ですね……」
そう言って、そろりとエリスが花束に手を伸ばす。その際、辺境伯が更に花束をエリスにほんの少し近づけた為、エリスの指が辺境伯の大きな手に触れた。
「あ、すみません……!」
咄嗟に手を引っ込めて少し頬を染めるエリスに、辺境伯の目が少しだけ嬉しそうに細められた。普段無表情の辺境伯のわずかな微笑ともとれる表情の変化に、更にエリスの顔が赤くなる。
「てめ、おら、なにしてんだ、おら、え? え?」
甘い雰囲気クラッシャーニナが、ずさささと音を立てながら滑り込んできた。辺境伯の脛を軽く蹴り蹴りし始めたので、エリスが焦って止める。
「こら、ニナ!」
「かまわない、全く痛くない」
ニナが更に辺境伯の脇腹に向かって軽く拳を当てる。
「てりゃてりゃっ」
「こら、ニナ……!」
そろそろ本気で怒られるなと察したニナは大人しくなる。
「ちょっとニナさんがトイレに行ってた隙にとは、おちおちトイレにも行けねーな」
「私はエリスに花を贈っていただけだ」
「ふぁああん? 花ぁ? そんなの私がエリスに既にあげたことあるんだよー、おらおら」
ニナが辺境伯に向けてしゅっしゅとジャブする。
「でも私が受け取らないと、この花は捨てられてしまうそうよ。まだ瑞々しいのに、それは可哀想でしょう?」
「ぬーん……」
それでも納得していないニナにエリスが、
「それに、これで少しだけど薔薇のジャムが作れるわ」
「ばらのじゃむ!?」
ニナの緑の瞳がキラキラと光り始める。
「ええ、とても香りが良くて美味しいのよ。作り方を本で読んだことがあるから、いつかは作ってみたいと思っていたの」
「わーい、わーい」
一転してはしゃぎ始めるニナ。果物の入ったお菓子は嫌う彼女だが、どういう訳かパンに塗るジャムは大好きだった。お菓子の甘味に対して更に果物の甘味が足されているのは嫌だが、甘くないパンに甘いジャムを塗るのは大丈夫というエリスにはよくわからない理由である。
ニナが辺境伯の手から花束を奪ってエリスに渡す。それからエリスの周りをくるくる駆け回る。
「ふふふ、ニナが嬉しそう。ありがとうございます、辺境伯様」
エリスがふわりと、ニナに向けるような柔らかな笑みで辺境伯に礼を言う。辺境伯はその美しさに見惚れて一瞬呼吸が止まり、
「……ああ」
と、返すのがやっとであった。そのまま熱に浮かされたように、半ば無意識で城に戻った。
執務室で机に向かっていてもどこかふわついている辺境伯に苛立ったアルバが何があったと問う。辺境伯はエリスたちとのやり取りを細かく説明した。
「はあ、それでエリスさんに喜んでもらえたと」
今迄は雇い主に対する義務的な笑顔しか向けられていなかった辺境伯。初めて心からの笑みを向けられて、もうそれだけで幸せの絶頂である。
「やはり、ニナさんが重要ですね。これからもニナさんが喜ぶものならエリスさんは喜んで受け取るでしょう」
「つまり、食べられる花を贈り続ければ良いと」
こいつ、幸せ過ぎて今頭動いてないな、とアルバが辺境伯に冷めた眼差しを向ける。この辺境都市に住まう女性の憧れ、麗しの辺境伯も恋をすればこんなにポンコツになるのだった。