16 同じオチ
ニナに案内された寝室、声を掛けて入室するが返事が無い。ベッドの上にはニナが飛び出した時と変わらない白いパン。
「エリス様」
微動だにしないパン。しかし、起きている気配は感じた。
「そのままで良いので聞いてください。丁度良いので、僕は王都に戻ろうと思います。アルテオ兄上から僕に代わる新しい側近を見つけるまでは王都で仕えて欲しいと前々から言われてはいたので。期間は数年になるはずです」
僅かに揺れるパン。
「そして王都で僕は……恋愛経験を積んで来ます」
一度驚いたように動くパン。
「不甲斐ない話ですが、今このようになったエリス様にどのように接するのが正解か判断できません。恋愛初心者同士である僕とエリス様、そこにニナ嬢が加わると今現在の様にグッダグダな恋愛模様になります。僕が対応できないせいでエリス様に女性の憧れるような時間を贈ることができません。そこで、僕はどのようなイレギュラーにも動じない程の恋愛上級者になればいいのだと気が付きました」
パンは動かないがパンの上部に浮かぶ?マークの幻影がリーゲルにもニナにも見える気がした。
「りーげる恋愛経験どうやって積むの?」
「知識だけでは意味がありませんから実際に沢山の女性と疑似交際することになるでしょう」
パンが今迄で一番大きく揺れた。
「その間に辺境伯がエリス取っちゃったらどうすんの」
「帰って来た時にエリス様の心が他者にあったとしても、僕は振り向かせられるほどの男になってみせます」
その時、ばさりと布団が捲れてエリスが現れた。
「い、嫌です……!」
エリスの顔は恥ずかしさからかほのかに赤く、目元には涙が滲んでいた。リーゲルはエリスを落ち着かせるように優しい声音で尋ねた。
「嫌、というのは?」
「殿下が王都に戻るのも、多数の女性とお付き合いするのも、私がすぐ他の男性に靡くような女だと殿下に思われているかもしれないのも、全部嫌です……!」
「……ああ、すみません。最後に関してはエリス様に失礼な発言でしたね。……いや、その、何というか、勘違いで無ければエリス様は本当に現在、僕に好意を?」
「そ、そうです……」
エリスはまたもやパンに戻ろうとしたが、頭を振って布団から手を離した。
「つまり、僕が数年間離れても他の男に靡きはしないということでしょうか」
「……私としては……そう思っています…………」
段々とエリスの声が小さくなるのは自身の無さというよりは、言い切って信じて貰えるほどの態度を取ってきていない癖に何を言っているのだろうと自分でも思っているからだ。
「申し訳ありません、恋愛感情に直面した途端、逃げの一手だった私の言葉なんて信じなくてかまいません。それよりも……! 殿下が恋愛経験を積む必要はありません……!」
「そうだぞりーげる。ニナちゃんがエリス断ちすれば良いだけなんだなー」
「「え?」」
エリスとリーゲルの声が重なる。
「二人が恋愛するのにニナちゃん邪魔ならニナちゃんは城から出て一人で暮らすのだ。仕事ある時に城とか基地くるけどエリスに合わないようにして、エリス断ちするのだ」
「……嫌、それはもっと嫌よ……! ニナが邪魔な訳ないわ、私が駄目なせいなの」
珍しく声を大きくするエリス。しかしニナは首を横に振る。
「このままだと二人の恋愛はニナちゃんのせいで一歩進んで二歩下がるを繰り返しそうだもん。りーげるの言う通りグッダグダだもん。それはエリスの幸せじゃないもん」
「……私の幸せを勝手に決めないで頂戴!」
他ならぬニナ自身によってニナを取り上げられそうになったエリスは宝物を取り上げられた子供の様に感情をあらわにした。エリスの強い声にニナだけで無く、リーゲルも驚き言葉が出ない。叱られたのかと勘違いしたニナは窓辺に逃げてカーテンに隠れた。
「ご、ごめんなさい、ニナ。怒っているわけではないのよ」
ニナはカーテンから顔半分だけちらりとする。
「ただ私は恋愛に過剰な憧れだとかは無いの。だから、世の女性が夢見る美しい恋愛は無くてもいいのよ」
「……」
「これからも一緒にいましょう、ね?」
まだニナは出てこないので、エリスはゆっくりと近づいてから、目線を幼児姿のニナに合わせるように屈んだ。
「でもニナちゃん言っちゃ駄目なことも言っちゃうし、良かれと思って何かしても多分失敗するし、……良い雰囲気にムズムズしてあばれるかもしれないし」
「いいのよ、ニナはまだ精神が子供なんだから仕方ないの」
「……えりすホントに恋愛グッダグダでもいいの? あとで後悔しない?」
ニナは、エリスが自分より短い人生を終える時、自分の存在が何かしらの後悔をもたらすのを恐れているのだ。エリスに居ない方が良かったと思われると生きるのを放棄したくなる。
「ええ、グッダグダでもいいの。ニナが傍に居ない方がきっと後悔するから」
大好きなニナが孤独にならないよう子孫を残したいのに、その為に離れて彼女を独りにするなど本末転倒だ。ニナの幼い精神が成熟するのはエリスが死んでから、かなり後。それまでは、ニナには理解者が必要だ。そして、それからも、ニナにはずっと笑顔でいて欲しい。
「えりしゅー……」
鼻水と涙でズビズビのニナがよろよろとエリスに近づき抱き着いた。服が汚れるのも厭わず優しく抱きしめるエリス。幼子を抱きしめる美しい女性の顔は聖母のようで、その姿はまるで一枚の絵画であった。二人の間に割って入るのは無粋に思われた。
リーゲルはやれやれと肩を竦めて小さく呟く。
「前にもあったな、こんなこと……」
□
「というわけで辺境伯ー。エリスとりーげる付き合うことになったから」
突然執務室にやってきたニナは案内された応接室で焼き菓子を頬張りながら辺境伯に告げた。
「……は?」
「だからー、辺境伯とリーゲルがエリス好きなの同じ理由ってエリスに教えたら、エリスはリーゲルのこともともと好きだったと判明したのだ」
辺境伯は目を閉じ、眉間に皺を寄せる。
「……例えそうだとしても、この気持ちを簡単に捨てることはできないのだが」
「ふーん」
他人事のニナに辺境伯は流石に何か言いたくなったが、エリスに告げ口されるのを恐れて何も言えない。
「これからエリスに言い寄ったら他人の彼女を寝取ろうとする辺境伯とか言われるからご注意ご注意ー」
「……」
確かに、そうなったら部下や辺境軍兵士からの信頼が無くなることは無いだろうが、目減りしていきそうではある。せめて自分からエリスに想いを告げたかった。だが、相手に振られること前提で想いを伝えるのは、己の恋の美しい思い出の為に相手を無理矢理付き合わせるだけの行為である。未だに好きな相手に、それで嫌われるのは辛い。
「私は、この想いをまともに清算することすらできないのか……」
辺境伯がそう呟いたのと同時に秘書官アルバが入室してきた。
「何を言っているんですか、ニナ嬢に好意の理由を伝えた時点でまともな恋愛感情の清算は不可能でしょう」
「おー秘書官のにいちゃん、ニナちゃんのことわかってるー。そうでーす、ニナちゃんは恋愛関連をグッダグダにさせてゆくのだ。これからも」
「……エリスはそれで良いのか」
「エリスはニナちゃん大好きなので、ニナちゃん居ない方が駄目なのだ」
自身満々で誇らしげに答えるニナを目にし、辺境伯は溜息をひとつ。
「エリスが良いならば、もうそれでいい……」
そう零してから執務室へ戻ろうとする。
「んー辺境伯もエリスの幸せとかは考えてくれてるんだなー。振られたのかわいそかわいそ」
「お気になさらず、私が良い相手を見つけてきますから」
辺境伯はじろりとアルバを睨む。
「この想いはそう簡単に切り替えできないぞ」
「大丈夫ですよ。貴方は亡くなった姉君の笑顔に似た笑顔の女性に惹かれるようですから、笑顔だけで無く姉君そのものに近い女性との見合いを……」
「……どういうことだ?」
「どういうこともなにも、以前からエリス様の笑顔は貴方の姉君に似ているなとは思っていたのです。まさか本当にそこに惚れていたとは思いませんでしたが」
辺境伯は幼い頃、年の離れた姉を失くしていた。記憶は朧げだが優しい姉で大好きだった。
「えっ、じゃあ辺境伯はエリスじゃなくて姉ちゃんの代わりが欲しかったってコト!?」
「それは辺境伯様にしか分かりませんが、そうと思われても仕方が無いかもしれませんね」
「じゃあ、エリスは恋愛初心者だから姉の代わりとかそうじゃないとか面倒な状況にならなくて、最初からエリスを見てくれるりーげると付き合えて良かったってコト!?」
「そうともいえなくもないですね」
アルバとニナの会話に辺境伯は何も言えず、自身の姉への想いとエリスへの想いを比較して恋について今一度考えなければいけないと感じた、だがその前に言って置かなければならないことがある。
「ニナよ、私の見合い相手には接触しないと誓ってくれ。二度目の恋があるとして、またもやグダグダにされたら立ち直れない」
棒付きキャンディーを差し出す辺境伯。ニナは素早く受け取り口に入れる。
「ふぁい!」
わかっているのかいないのか、返事だけは良いニナであった。




