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5.大事な人


 さっきミカが姿を現わしたあたりに目をやりながら、ノエルが言います。

「おまえ、ここに来る前に天使たちに会ってきたよな」

「ええ。大天使様と指導天使様。それと見習い天使が復活した」

「あちらの大天使とこちらの閻魔は、表向きにはつながりはないけれど、実は昵懇の仲なんだ」

 閻魔大王は、かつて「宗教サミット」の会議に、釈迦如来の名代で出席したことがありました。そのときキリスト教代表で出席していた大天使様と出会い、意気投合してメアドを交換したのだそうです。

「大天使から閻魔に、おまえの扱いについて特別な配慮をするように依頼があったらしい」

「配慮って?」

「おまえを生き返らせてやって欲しい、ということだそうだ」

「大天使様が?」

「とはいえ、ここに来てしまったからには、おまえの気持ち次第だが」


 しばらく二人は黙って見つめ合っていました。

 やがてミカが小さな声で言いました。

「そんな...わからないよ、わたしには」

 さらにしばらく沈黙が流れたのち、ノエルが言いました。

「オレは、おまえに戻って欲しいと思う」

「どうして?」

 一呼吸おいてミカが続けます。

「たしかに生き返れるものなら、とも思う。でも...」

 ミカの声は次第に高ぶります。

「こうやってノエルにもう一度会って、わたしは、はっきりと分かった。わたしは、あの頃たしかにノエルに恋していた。ノエルの運命が決まっていたとしても、一緒になりたかった。だから...こうしてせっかくまた会えたのに、戻るなんて...」


「恋愛という感情は煩悩の領域だから、浄土に来ちまったいまのオレには、もうわからない」とノエル。

 ミカは泣き出しそうになっています。

「ただ、おまえがオレのことを大事に思ってくれていたことは、本当に有難いと思う」

「...」

「オレの最期の日々に、おまえは本当によくしてくれた」

「そんな、わたしは何も...」とすすり泣き始めたミカ。

「ただ、そうやってオレに寄り添ってくれた経験が、おまえを医学の道に進ませたのだとしたら、生き返ってその道を進んで行って欲しい」

「それはたしかにそう。ノエルのような人を治したり、治せないとしても寄り添えるようになりたいと思った」としゃくり上げながらミカ。

「だったら、オレの望みはおまえが生き返って、そのようになってくれることだ」


「それから、オレの親友のタイシとおまえの関係のことだ」

 タイシくんとノエルは、高校2年のときのクラスメイト。50音順で席が近く、よく話すようになりました。ノエルが入院した後も、タイシくんはよくお見舞いに行きました。

「タイシくんとは、医学の『同志』として仲良くやってたよ」と泣き止んだミカ。

「『同志』はそれでいい。けれどオレは、おまえとタイシに、人生のパートナーとして歩んで行って欲しいと思う。タイシは間違いなくそのことを望んでいる」

「だって...」

「オレに対する恋愛感情を抑えたことを気にしているんだったら、そんな気遣いは無用だ」と穏やかな声でノエル。

「けど...」

「いいか。約束してくれ」

 ノエルが言い聞かせるように言います。

「オレの親友であるタイシを、決して泣かせないと」

「...わかった。約束する」

「いずれおまえらがこちらに来たら、煩悩のない世界で三人仲良くやろうぜ。それまでは思う存分、煩悩にまみれて生きてくれ」

「うん。いつか...きっと、会えるんだよね」

「ああ。おまえらなら、間違いなく浄土に来れる」

 ミカの頬を涙が一筋伝いました。


「じゃあ、オレはそろそろ戻るわ。ボートが見えなくなった頃に、お前は元に戻っているはずだ」

「ノエル...最後に、ハグして」

「すまん。それはできない」

「どうして?」とすがるような口調でミカ。

「オレに触れた瞬間、お前は浄土へ行くことが決まってしまう」

「そんな...」

「改めてこちらに来たら、ハグでもなんでもしてやる。それまでの辛抱だ」

「...わかった」

 ノエルは、青鬼が控えている小屋に向かうと扉をノックしました。青鬼が出てきて、ボートを出す準備をします。


 青鬼が杭に掛けていたロープを外し、横向きのまま少し沖へ押しやると、ボートが水面に浮かびます。

 ノエルが再び舳先のほうに乗り込みました。

「じゃあ、ミカ。達者でな」とノエルがミカに大きな声で叫びます。

「ノエル、会えて嬉しかった」とミカも叫び返します。

 ノエルが最初のときと同じように右手を上げました。ミカも右手を上げます。

 艫のほうに乗り込んだ青鬼が、エンジンを始動して舵を操作すると、ボートは沖へと進路を取り始めました。

「ポンポンポンポン」といいながら遠ざかっていくボート。ノエルの後姿も遠くなっていきます。

 それに従って、ミカの意識が次第に薄れていきました。

 川霧の中に、ボートの姿が見えなくなりました...


 ぼんやりとした意識の中で、ミカは前の年のある秋の一日のことを思い出しました。

 学園祭の翌週の土曜日。午後のキャンパス。ミカはタイシくんと並んで、黄色く色づいた葉が舞い落ちるイチョウ並木を歩いていました。思いがけず出会った元軽音部のマーちゃんたち二人連れと言葉を交わすと、長く続く並木道をさらに進んでいきます。

 ふとタイシくんを見ると、落ちてきたイチョウの葉が、頭のおでこの少し上のあたりに左右一枚ずつ、扇型がきれいに下向きに広がるような形でひっついています。

「あ、タイシくん。鬼のツノみたい」と指差しながらミカ。

「そういうキミだって」とタイシくんがミカの頭の真ん中あたりを指差します。おでこの上あたりに、タイシくんと同じような形でイチョウの葉が一枚ひっついています。

 二人で笑いながら、しばらくひっついたイチョウの葉をそのままにしていました。

「ツノが二本に、ツノ一本」とミカ。

「赤鬼さんかな、青鬼さんかな」とタイシくん。

 ミカはやっとわかりました。さっきトンネルの中で思い出せなかった大事な人は...


 ベットサイドでミカを見つめている、その男性の顔に安どの表情が広がります。

 そう。タイシくんです。


 意識が戻ったとき、ミカは病室のベッドに寝かされていました。

「ナースステーションに知らせに行こう」と言って部屋を出て行くのはおじいちゃん。


 タイシくんが、ミカの右手を両手でしっかりと握ります。

「よかった...ほんとうによかった。キミがこのまま...もしそんなことになったら...ボクは...」

 タイシくんの瞳から、涙がぼろぼろとこぼれてきます。

「...おねがい...お願いだから泣かないで」


 そうです。ミカはノエルと約束したのです。

「タイシくんを、決して泣かせない」と。



<完>

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