家族
宿題を持ち帰ったものの、どうしても原稿用紙が埋まらず、悩みに悩んだ末グラセルはありのままをミカエルに相談した。
「読書感想文が難しいなら、まずは家族で適当に書いてみろ」
今までに見た家族でも、理想の家族でも良いという言葉にグラセルは少し考える。
「短くてもなんでもいいから、書いたら見せてくれ」
「わかった」
グラセルは一度自分の部屋に戻って机に向かい、しばらくして原稿用紙を数枚持って来た。
「たくさん書けるじゃないか」
「なんか違う気がする」
「どれ」
ミカエルは最初に渡された原稿用紙を読み始め、段々とその顔が変化した。
「グラセル、これ、実在の天使じゃないよな?」
「天使じゃないよ」
ならいいが、とミカエルは眉間にしわを寄せる。
グラセルの最初の作文の内容は次の物だった。
その日の寝床にも困る程に貧しい家庭に生まれた幼い娘が、ある日突然母親におまえを養う余裕は無いと家を叩き出され、男女問わずに寝床や食料を争って喧嘩に明け暮れ、父親がわからぬ子供たちを出産。
ふらふらになりながらも子供たちを育てて、厳しい社会で生き残る術を自分なりに教えるシングルマザーとして奮闘する。
最後は自分がかつて母親にそうされたようにまだ幼いと言える子供たちを家から叩き出し、一人の女としてまた厳しい社会に戻り渡り歩いていく。
しかし、食事や寝床を争う競争相手には自分の子供たちも新たに含まれていた。
「いや、こいつは家庭じゃなくて虐待や貧困の連鎖という社会問題じゃないか? 私にできる範囲でもっと治安や福祉に力を入れるべきなのか……次、見せてくれ」
「はい」
渡された原稿用紙にミカエルは目を通し、目頭を押さえる。
一組の夫婦が子を授かるものの自分で育てる気は無く、別の家庭にその子供を押し付けて育てさせる。
しかしその子は押し付けられた先の家庭の子供を養父母の目を盗んで高所から突き落として殺害し、養父母に自分だけを育てさせるのだった。
これでパパもママも、ご飯もボクだけのもの。
そう言って子供は幸せそうに笑った。
「……って、殺人じゃないか!」
後で事故死扱いされた子供の死因などを洗い直さなければ。
「これもダメ? 次が最後ね」
グラセルはそっと最後の原稿用紙を渡した。
「最後ねって……おいおい……」
一見仲が良い夫婦があり、妻はヤキモチをよく焼き、夫はそれを心地良く感じつつもたまに怒られていた。
うちのカミさんがかわいくてな、ヤキモチを焼いてくれるって事は愛されているって事だろう。そう言って仲間に自慢していた頃、妻の方は夫より強い男との間に子を授かり産んで、何食わぬ顔で夫にも育てさせていた。
その事実に夫は気づいていない。
「……グラセル、この作文の家庭、どこで見たんだ?」
「英知の森。ネコさんと、カッコウさんと、カラスさん!」
ミカエルは頭を抱えた。
なんとしてでも大自然型家庭生産ラインをここで止めなければ。後でルプゥと話し合ってグラセルに天使や人狼族型の家庭を教えないと、誰もが不幸な結果にしかならない。
ちらりとルプゥを見ると、スコーンを作っていた彼女はまだできませんよ、と言いつつも苦笑していた。
「おばあちゃん、何作ってるの?」
「おやつのスコーンだよ。ジャムを付けて、紅茶と一緒にどうかなって。できるのはまだずっと先だから、宿題を片付けて待っててね」
「うん!」
大丈夫です、わかってますよ、というアイコンタクトに目礼し、ミカエルはグラセルの意識を宿題に戻す。
「まず、自分の事を書くことから……いや、ダメだな。読書感想文にしておけ。私も手伝うから」
「はい」
グラセルとミカエルは課題の本を読み、四苦八苦しながらどうにか原稿用紙五枚程度の作文を終えた。
「感想文って、こんなに苦労するものだったか?」
「わかんない」
二人して頭から煙を出すような気分で机に突っ伏しているとルプゥが紅茶とスコーン、ジャムを持って来た。
「お茶をお持ちしましたよ」
「うん!」
グラセルは終わった宿題をさっさと片付けて紅茶に手を伸ばす。
「いただきます! ……美味しい!」
ジャムの甘酸っぱさと紅茶の味と香りが酷使された頭に沁みるようだった。
「……ほっとする。後は植物と工作だったか」
「うん、それと親の仕事内容に関しての作文。でも、一代限りでも植物さんを下手に作るのはちょっと」
だろうな、とミカエルは思う。
大地をよく知る天使だからこそ抵抗感は大きいだろう。
「……なら、綺麗な、通常ではあり得ない実をつける植物にしてみたらどうだ」
「あり得ない?」
そうだな、とミカエルは考える。
手に入ってもなるべく無害で、喜びに繋がりそうとなると意外と難しいが、手にするのはグラセルだ。
「色々な色や形をした、綺麗な石を実としてつける植物なんかはどうだ」
「綺麗な石?」
「石ならそこらに埋めても放置しても芽を出して辺りを侵食することもあるまい。それにここテクシートは宝石の加工やその販売を行う店が多い。まずは見に行こう。ルプゥ、食べ終わったら一緒に来てくれ」
「かしこまりました」
三人は揃って宝石を取り扱う店が並ぶ通りに入り、グラセルは目を輝かせている。ルプゥとミカエルに手をつかまれていなかったらきっと飛んで見に行っていただろう。
金銀を始めとする宝飾品の数々にグラセルは興味津々だ。
「お嬢ちゃん、良いの着けてるね。ちょっと見せておくれ」
ん? とグラセルが振り向くのをミカエルが押さえた。
「この子の髪飾りと首飾りですが、大地からの贈り物です。手を付けたら最後ですよ」
男はげ、という顔をして逃げ去り、ミカエルの視界には他にも逃げ去った者たちの姿が映っていた。
「父様?」
「あの人はグラセルの髪飾りと首飾りを盗ろうとしていたんだ」
「え」
「気をつけろよ。世の中にはああいうのが多い」
「う、うん」
もっとも盗んだり奪ったりしても大地がそれを許すはずもなく、盗人を始めとする持ち主たちを次から次へと殺してでもグラセルの手へ戻すだろう。
先ほどまでの浮かれた様子はすっかり消え、グラセルは静かに宝石たちを見ていた。
「何か欲しい物はあったか?」
「うーん……よくわかんない」
ルプゥはクスクスと笑ってグラセルの頭を撫でつつミカエルに言う。
「旦那様、グラセルにはまだただの金ぴかくらいにしか思えませんよ。もっと興味を持ってもらえるようにしないと」
「興味?」
例えば、とルプゥは原石を母岩付きで売っている露店を指差した。
「ちょっとあのお店に行ってみましょう」
彼女は二人を連れて露店に近づき、店主の許しを得ると石を品定めし始めた。
「グラセル、これを見て」
ルプゥが手にした石の中は空洞になっており、中には細かい水晶がたくさん生えていた。
「卵みたい」
「でしょう? これがずっと大きくなると、ああして綺麗に加工されるんだよ」
掘って、選んで、切って、磨いて……様々な工程を経て宝飾品になるのだとルプゥは教える。
「あと、宝石の中にはおもしろい子がいるんだよ。例えばこの子。太陽の下では綺麗な赤紫色でしょう? でも人工的な明かりの下では綺麗な青緑色なのよ」
ほらね、と指先に魔法の光を灯しルプゥが見せてやる。
「うわあ」
「綺麗でしょう? あら、値札が書き換わりましたね」
「こっちも商売なんで」
あらあら、とルプゥは微笑みグラセルに問う。
「残念だけどこの子のお家は決まっているみたいね。グラセル、このお店の中で欲しいと思った石はある?」
グラセルがきょろきょろと見回して手にしたのは青と赤の宝石だった。
「ああ、それならタダで良いよ」
「おばあちゃん、タダだって」
ルプゥは少し考えるとやや大きい透明な石を手にして値段を問う。
「お客さんたちが選んだのはクズ石ですわ。さっきの色石の事を黙っててくれるってんならタダだ」
「では、今日より一か月黙っていますので、私たちはこれらの石をいただきますね」
「ああ、いいよ。持ってってくれ」
「……商談成立、確認」
ぼそりとミカエルが言うが、店主の耳には届かなかったようだ。
青と赤の石を手にしたグラセルがルプゥにその石は何? と問うが彼女は笑ってお家に着いたらね、と言うばかりだった。
帰宅し、ルプゥは透明な石を机に置いて言う。
「この石、普通のガラスと比べてとても硬いのよ。火と衝撃にはとても弱いんだけどね」
ミカエルが思い出したように言う。
「ダイヤモンドか。水晶と比べて硬くて加工しにくいからクズ石扱いだったはず」
「はい。ですが、大昔の人狼族の産業にはこのダイヤの加工があったのですよ。子供の小遣い稼ぎになっていましたとも」
ルプゥは手早く準備を整えた。
「その機材は?」
「グランマーク様に頂いたのですよ」
「……何か交換条件を付けられなかったか?」
「はい。ドールハウスの部品製作を手伝う事が条件ですよ」
言いつつ、彼女は原石の形をできる限り留めたまま表面を削り鏡のように磨き上げた。
「見事だな」
「綺麗!」
「ふふ、でしょう? グラセルのも磨いてみようか」
グラセルの石も手早く磨くと、美しい宝石となった。
「これは凄いな……グラセル、露店の不思議な石の事も、ルプゥの技術やこの石の事も、絶対に黙っているように」
「どうして?」
「まず、露店の石に関してはルプゥが一か月間黙っているという条件で三つの石を買った……石をもらう代わりに一か月黙っているという約束がある」
「うん、わかった。不思議な石は言わない」
「よろしい。ルプゥの技術やこの石たちに関して黙っているのは、ルプゥを守るためだ。こんなに綺麗な石となると、みんなが欲しがるし、その技術を教えろと強引に迫る奴も出て来る。中には留守番をしているルプゥを殺してでも奪おうとする奴だっているかもしれない。そういうのをお家に入れないためだ」
「う、うん、わかった。言わない」
「グラセル、ありがとうね。でも人狼族として言わせてもらうと、この青いダイヤと赤いダイヤはとても珍しいんだけど、綺麗に磨いてもそんなに価値が無いのよ」
そうなのか、とミカエルとグラセルの目が丸くなった。
「こんなにぴかぴかなのに?」
「ええ。大きいのにも価値はあるんですが、それはあくまで大きいまま保存されたという所に価値が発生します。ほら、ここをご覧ください。肉眼でもわかる亀裂や不純物が入っているでしょう? これだけで宝石としての価値は大きく落ちてしまいますし、宝飾品として使うとなるとこの部分はみっともないと嫌われてしまうんです。元々割れやすい事で知られて、偽物が多く出回っているエメラルドなどは天然物の証として好まれるんですが、なんとも」
グラセルはダイヤを明かりに透かし見て言った。
「虫眼鏡が無くても自分のってわかるからいいと思うんだけどなあ」
「ふふ……そう言ってもらえてその子は幸せね。でも、他の人にはその人なりのこだわりがあるのを忘れちゃダメよ」
「はい」
「ルプゥ、ルプゥはどんな石なら価値があると思う」
「そうですね……どんなに透明度が高くてもただ大きいだけの石にはあまり価値を感じませんので、職人の仕事が光っている石に価値があると思います。ただの石ころをどれだけ輝かせたかという点に価値を見出します」
「カットの精密さに価値を見出すんだな」
「はい。器用な職人さんになると、虫眼鏡で宝石を覗き込んだ時にいろんな模様が見えるように加工したりして遊んでいましたよ」
光を通すと文字が浮かび上がったり、台座の職人と協力して光を反射させて風景を見せたりして子供たちを楽しませていた。
「そんな技術があったのか」
「はい。私にはそこまでの技術はありませんが、こうやって原石の形を留めるように磨く程度ならまだまだできますよ」
「おばあちゃん凄い!」
おかしそうに彼女は忍び笑う。
「ありがとう。ところでグラセル、どうしてこの石を選んだの?」
「父様とおばあちゃんの色だから。父様の目の色、青でしょ? 赤いのはおばあちゃんの尻尾の色」
「ふふ、そうか」
そうして、グラセルの植物を作る宿題が一つ埋まった。
一見すると普通の若い木なのだが、色とりどりな宝石や金銀を生み出す木を創造し育て始めた。
グラセルが毎日歌ったり肥料や水をやったりしているせいか、木の成長は早くもう実を結び始めた。
ミカエルの手にはじゃらじゃらと小指の爪程度の大きさの宝石が転がっている。木がこのまま育って大きくなればもっと大きな実をつけるかもしれない。
「宝石の木だな」
ミカエルは言ったが、普通の宝石の他にも気まぐれに照明代わりにもなる石を生み出すので、それは星の木と名付けられた。
そうして生み出された小さな石をグラセルが集めてコトコトと錬金鍋で煮詰めて不純物を取り除いて大きな塊にしたり、たまに大きめの石を見つけたりしてはルプゥが加工してグランマークに渡していた。
「約束だけど……おばあちゃん、いいの?」
危なくない? と心配顔のグラセルの頭を彼女は一つ撫でる。
「グランマーク様は、大昔の人狼族の暮らしを知っているから。それに、これはグランマーク様に頼まれたからね」
「それにしては頻度が高いな。ルプゥ、グランマークに何を渡しているんだ」
「カットした宝石ですよ。グランマーク様がドールハウスに使うのだとか」
「約束とはいえ対価はちゃんともらってるか?」
「はい。グラセルと折半しています。グラセルも錬金術や加工技術を覚えて手伝ってくれて」
なら良いが、とミカエルはグランマークに会いに行った。
「あれ、ミカエル。どうしたの」
「石がどのように使われているのか気になってな」
「ああそれ? ドールハウスに使ってるんだ。良かったら見てって」
誘われるままにグランマークの工房に入ると、ちょっとした城があった。
ラピスラズリが惜しむことなく使われた紺碧の城壁とターコイズの屋根、そして城壁に設置されている兵器のミニチュアには見覚えがあった。
「この城はミネラ族の」
そうだよ、とグランマークは得意気にうなずく。
「ハムスターくらいの大きさにならないと入れないし工事できないんだけどね。見ての通り外壁がラピスラズリで、床がペリドットのモザイクタイル。窓ガラスが水晶、琥珀やガーネットのシャンデリア。水回りもちゃんと作ってあって小人なら生活できるよ。魔石で冷蔵庫も照明も暖房も使えるし、他にもいろんな機能があるんだ」
ほぼ宝石製の城の庭には同じように宝石で作られた樹木や花による庭園が備えられていた。
「池の中に魚が……樹脂で固めたのか?」
「水晶だよ。お魚も宝石でね、埋め込むのが大変だった」
このためだけに極めて透明度が高くて大きな水晶がかち割られたと知ったらどこぞのマニアは卒倒するだろう。
「これ作って、どこかに発表するのか?」
「うん。ドールハウスの品評会があって、そこに出展するんだ。買いたいっていう人がいたら売っちゃう」
「グランマーク、非常に言いにくいんだが……」
「なに?」
「これ、最早ドールハウスを通り越した何かだぞ。重量もかなりあるし、中を見るにはハムスターや小人になるしかないし、人形を置いて遊ぶ事もできないんじゃないか?」
この時、グランマークに目があったなら呆然と丸くしただろうとミカエルは振り返る。
「出品届、出しちゃった」
打ちひしがれるグランマークにミカエルは言う。
「失敗は誰にでもある。今回は魔法をかけて軽くして、外壁の一部が見えなくなるようにすればいいんじゃないか? そうすれば中を見てもらえるだろ」
がっくりと落ち込んだグランマークが小さく首を振った。
数日後、ミカエルがルプゥとグラセルを連れて品評会を見に行った。
「グランマーク先生、やり過ぎって言われてたね」
あんなに大きくて綺麗なのを作って、一番凄かったのに、とグラセルはグランマークの作品を思い返す。
「ええ、まあ……うぅん……」
ルプゥも言葉に困る程、彼は品評会の専門家にボロクソに言われていた。
「ルプゥ、とどめが慈悲になる時もあるぞ」
材料もさることながら完成度が高過ぎ、中が魔法無しでは見られない事が指摘されてしまい、最早小人用のシェルターとまで言われてしまった。
そのグランマークの展示を見ると人が集まっていた。
「見て、ハムスターがいる」
「寝てるね。作者さんのペットなのかな」
口々に言う客の視線の先には城に比べて小さな、丸太をくりぬいて作られたドールハウスで、ちゃんと中が見られる。
ハムスターがいるハウスの枝の部分には札がかけられており、『出品者外出中。買い取り交渉などのご用の方はこの家の呼び鈴を鳴らしてください』と書かれ、小さなベルが吊るされていた。
グラセルはそっと中を覗き込んだ。
「こっちも綺麗。ネズミの大工さんがいたのかな」
ハウスの中には上品な木製の家具がきちんと配置されているが、ベッドでハムスターが観客に背を向けるように丸くなっていた。
「旦那様、あれは……」
「ああ、前にグランマークが手抜きで作ったと言っていた」
手抜きとはいえあのグランマークがハムスターの姿で大工仕事を行い建築した物だ。その中で不貞寝しているのが製作者当人とは誰も思っていないようだ。
「……グラセル、行け」
「はい。父様、ちょっとこれ持ってて」
グラセルはラズベリーやブルーベリーをいくつかミカエルの手に乗せ、ハムスターになるとそれらを頬袋に押し込んだ。
「そら、行って来い」
グラセルがハウスのドアをノックすると、寝ていたハムスターが起きて玄関に向かいグラセルを迎え入れた。
「あ、かわいい!」
そんな声にグランマークは暗い雲を背負いながらもグラセルを客間に案内し、魔石で作ったティーポットからお茶を出した。お茶請けは戸棚に入れていたひまわりの種だ。
『あ、お構いなく。差し入れも持ってきました』
お茶が準備される間にグラセルは頬袋からラズベリーやブルーベリーを取り出した。
『ありがとね……ミカエルと一緒にキミも私を笑いに来たのかな』
どんよりと沈んだ声にグラセルは目を丸くして慌てて否定する。
『ううん、そんな事無いよ。家族で先生の作品見に来たの。お城凄いね。綺麗。あ、これどうぞ食べてください』
『うん、ありがとう……甘くておいしいね』
ラズベリーを食べてお茶を飲み、ぱきぱきとひまわりの種を割って中身を出す。
『今回は失敗しちゃったよ。やり過ぎだって』
『ドールハウスを初めて見たからよくわかんないけど、良いお家だと思うんだけど違うんだ』
『うん。中を見たり触ったり、お人形を置いたりするために壁の一部を取り外しできるよう作るんだけどね、忘れちゃったんだ』
しょんぼりと肩を落とすグランマークにグラセルはブルーベリーを差し出した。
『甘くておいしいから、これも食べて元気出して』
『うん……ありがとう』
外では仲が良いのかな、という声がして観客が増えつつある。
『ブルーベリーもラズベリーもまだあるよ』
追加で頬袋から出しつつ、グラセルはティーポットからグランマークのカップに温かいお茶を注いだ。
『お城の中だって、うんと頑張って作ったんだよね。すぐにわかったよ』
グランマークはもそもそとブルーベリーやラズベリーを食べてお茶を飲み、お茶請けが足りないと見たグラセルはひまわりの種を割り始めた。
手元に種が無くなると、どうしようかとグラセルは考える。
人の家を勝手に漁るわけにもいかないし、まだ元気になってない。
悩んだ結果、グラセルはそっと毛皮の質を天使の羽のものにしてグランマークに身を寄せた。
『あれ、この毛皮……羽を変質させたのかい?』
『うん。森のみんなは私の羽に触ると嫌な事忘れられるし、元気になるって言っていたから。先生もどうぞ』
ありがとう、とグランマークはそっと前足でグラセルの毛皮を撫でる。
たしかに、地の底まで沈んでいた心が地表付近まで軽くなった。
『ありがとう、だいぶ楽になったよ。せっかくだからお城の中も見てって。ハムスターサイズじゃないと入れないし』
『お邪魔します!』
二人は樹木のドールハウスを出て城に入った。
『今明かりを点けるね』
パチリとスイッチを入れるとシャンデリアなどの照明が点灯し、観客を驚かせた。
『あ、この床もしかして』
『うん。キミが作った星の木の実をルプゥが加工した物が材料なんだ。このお城、ほとんどルプゥとキミが加工してくれた石で作られているんだよ』
『おばあちゃんも先生も凄い!』
『凄い?』
『うん。私だったらこの床や壁の模様とか、作ってる途中で飽きちゃいそうだもん。それを先生は短い時間でこんなに綺麗なのを作ったんだもん。魔法みたい』
『あ……え……うん、その……ありがとう』
ヒゲをぴくぴくさせ、前足で素早く顔の毛繕いをするとグランマークは城の案内を続ける。
キッチンや寝室、リビングや会議室、武器庫など。
「本当に城だな」
「え、お水も出るの!?」
観客が驚きの声を上げる中ミカエルは苦い笑みを深くする。
「旦那様?」
「あの城にはモデルがあるんだ。大戦時に竜族に一時間で攻め滅ぼされた幻の城だ」
妖精のミネラ族がその英知と総力を結集して完成させたが完成直後に攻められ、もうその資料も残っていない。
「ラピスラズリが使われた紺碧の城砦で見事な物だったが、跡形も残らなかった。グランマークは千里眼でその城を余す所なく見て覚えていたのだろう」
すると、一人の老いた妖精が声をかけた。
「もしや、あなた様はミカエル様では」
「そうだが……久しぶりだな、ミネル翁。病はもういいのか」
杖を突いた小柄な老人はゆっくりとうなずいた。
「はい、おかげさまで。この城を買い取りたいのですが、出品者はいずこにおいでですか」
「城の中を教え子に見せて回っている。ハムスターくらいの大きさでないと入れないぞ」
「ほっほっ、これでも妖精ですから、心配ご無用です」
ミネルは姿をそのまま小さくすると城の前まで行き声を張り上げた。
「開門!」
そんなので開くのかと誰もが思った時、城門はゆっくりとその門を開けて中に老人を招き入れた。
一方、グランマークとグラセルは城内を走り城門へ向かいミネルを見つけた。
『ミネル翁! 来てくれたんだね』
「はい。こんなに再現していただいて……ぜひ、この城を買い取りたいのですが」
『ミネル翁の言う金額で良いよ』
金額が提示され、グランマークはそれにうなずいた。同時に、外に飾られていた値札には売約済みの文字が表示され見る者を驚かせた。
「ありがとう。これで後世に私たちの存在と戦いを伝えられます」
『先生、このお爺さんは?』
『このお方は妖精族のミネルといって、物作りがとても上手なミネラ族の中でも一番長生きなんだよ。長生きさんだからミネルっていう名前の後に翁っていう敬称を付けているんだ。大昔この要塞の建設に関わっていたんだって』
『このお城、本当にあったの?』
『うん。ぎりぎりまで隠されていたんだけどばれちゃって、完成して一時間で竜の総攻撃を受けて壊されちゃったんだ。でも兵隊と兵器の配備が終わっていたらわからなかった。もし配備が完了して十全に稼働していたら、竜と巨人と天使が手を組んで攻めないと攻略できないんじゃないかって言われていたよ』
「ええ、そうでしょうとも。ですが、まさか各種機能まで再現していただけているとは思いませんでした」
『そう言ってもらえると嬉しいよ』
グランマークはグラセルとミネルを連れてまた城内を歩き回り、時にミネルをその背に乗せた。
『さて、一通り見たしそろそろ出ようか』
「はい」
一行は出て元の姿に戻った。
「グラセル、城の中はどうだった」
「シャンデリアとか、暖炉とか、みんなお星さまみたいで綺麗だった! あとね、妖精さんの言葉で動く本棚とか食器とかあっておもしろかった!」
「グランマーク、そこまで作り込んでいたのか」
「うん」
ミネルは苦笑する。
「我がミネラ族があなた方と和平を結んで良かった。戦っていたなら負けない事すら難しかったでしょう」
「そんな事はありませんよ。あなた方の兵器にはあの竜族ですら散々手を焼かされましたから、戦火を交えず済んで本当に良かった」
「ええ、そうでしょうとも。誉有るあなたにそう言っていただけると、亡き父や兄たちも喜びます」
ミネルはどことなく誇らしげな顔をした。
「ミネル翁、移動するなら手を貸すよ」
「ご厚意に甘えさせていただきます。それでは、またお会いしましょう」
グランマークが差し出した手をミネルは取り、ゆっくりと会場内の雑踏に消えた。
グラセルはその後ルプゥとミカエルに手を引かれてドールハウスを見て回り、帰る頃にはミカエルに負ぶわれていた。
ルプゥがグラセルの顔の下に敷いたハンドタオルは涎で濡れ始めている。
「楽しかったのね」
「はしゃぎっぱなしだったからな」
その日のグラセルの日記はイラストも交えて数ページにも及んだ。