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地獄に天使  作者: ふゆづき
天界編
5/41

都市暮らし

 ミカエルの館焼失を受け、グラセルの処分は宙に浮いた状態になってしまった。

 グランマークの家に転がり込んではいるものの、グランマークの家も森の中にあり大自然溢れる場所で都市とは言い難い。

「ミカエル、私のベッド返してよ」

「なら毎晩ニシキヘビになって巻き付くのをやめてくれないか」

 ちろちろと細長い舌が覗いた。

「寒いんだもん」

「趣味のドールハウスはどうした。あの中で寝ればいいじゃないか」

「全部売っちゃったもん。ミカエルの家に隠しておいたやつは全部燃えちゃったし!」

「良かったな、新しい出会いがあるぞ」

 というか、人の敷地内に何を隠しているんだか。

「もう……どこかの賃貸借りればいいじゃん。ミカエルなら家族向けの広いの借りられるでしょ」

「金がもったいない」

「金持ちが使わないでどうするのさ」

「通常の建物を私好みの火の力で満たしてみろ、あっという間に爆発炎上だろうが」

 住んでいた特別製の館だって、自分が気持ち良く感じるレベルの火の力で満たしたらあの有様だ。

「やらなきゃいいじゃん」

 ぎりぎりと締め付けが強くなるが、本気で潰す気は無いようで諦めたように頭が胸元に置かれた。

「グラセルの幸せを考えての事なのはわかるけどさ、人里での暮らしを早い内に教えて訓練しておかないと選べなくなるよ」

「……わかった」

 そうしてミカエルが不動産屋から借りたのは下町の家族向け賃貸アパートだった。

「家具家電付きの事故物件を選ぶあたりキミのセンスが知れるね」

 ここの歴代の住人は初代住人の幽霊に殺されているらしく大家も頭を抱えており、家具家電付きで商業施設や病院に通いやすく一階の角部屋でありながら家賃が破格だった。

「物は新居に揃うんだからもったいないだろう。あと、亡霊如き焼き尽くせばいい」

 飲む打つ買うの三拍子で身を滅ぼしたという男の霊が住み着いているらしいが、新しい家主はこの私だとミカエルは宙を漂う亡霊を睨む。

「幽霊さん、この人本気だからね。死んでなお焼き尽くされたくなかったら冥府に行った方が良いよ」

 霊はかつての薄汚い男の姿になったが、軽く力を纏ったミカエルが躊躇無くその股座を蹴り上げて薄い髪の毛をつかみ上げる。

「生焼け、炭、灰、どれがいい」

 枯葉に火を点けたかのように燃え始めた己に慌てた幽霊は、まっすぐ冥府に行くと言ってグランマークが開けた冥界の門へと飛び込んだ。

「ふん」

 グランマークは乾いた笑みしか出なかった。

「除霊は完了したし、良い所だと思うよ」

 公衆浴場に飲み屋街に商店街、公園、病院と一通り揃っており人の営みが見られる場所だった。行き交う人々は笑ったり些細な諍いで怒って喧嘩をしたり和解したりと忙しい。

 石けんや布団などの最低限の日用品を買い込んで家に運び入れ、グランマークはぐったりと新居の机に突っ伏す。

「ねえ、私はキミの召使じゃないんだけどぉ」

「協力感謝する。私はこれから諸々の手続きを済ませて、今日はここに泊まり込む」

「これからやってくる亡者や妖怪の類のお掃除かい?」

「ああ。グランマークは今から家に帰ってみろ、良い事があるぞ」

 本当に? とグランマークが自宅へと飛んで帰ると、自宅の玄関先に大きな段ボール箱が置かれていた。

 運ぼうと頑張ったのかグラセルが段ボールに潰されておりルプゥが助けようと頑張っていた。

「大丈夫? 今運ぶからね」

「すみません、ありがとうございます」

 一先ず自宅に運び入れ、開封して驚いた。

「え、ナニコレ」

 数年間にほんの数組しか作られない超高級な羽布団と毛布と枕と、布団のカバーやシーツが入っていたが、全部最高級の絹で作られていた。

 カバーやシーツの柄もグランマークの好みに合わせてある。

 枕や敷布団の高さや硬さも理想だった。

 仕事で疲れ切った体を理想のお布団が優しく受け止めて包んでくれる……夢のような状況だ。

「……これは……お風呂を改築しなきゃ!」

「あの、どうしたのですか」

「ミカエルからお布団をもらったんだ。これからベッドメイクしてお風呂を改築するからちょっとうるさくなるよ」

「かしこまりました。お食事はどうしましょう」

「五十人分くらい一気に作っちゃって。これから人を集めてくるから。倉庫に寸胴鍋と台車があるからそれ使って。グラセル、ルプゥを手伝うんだよ」

「はい!」

 せっせと布団を敷いて寝床を整え、グランマークはこの時ばかりは本気を出した。

 未来視以外の自分の力や知恵、財力、性能を総動員して風呂の改築を行い、広い浴場に湯船、そして温泉を掘らせて引き入れた。

「うん、完璧!」

「先生、俺もう疲れたんだけど」

 満足そうな顔をするグランマークの横では汗や埃でドロドロに汚れてずぶ濡れのジールと、海底で捕獲されてこき使われたヤムとマクールが互いに寄りかかっていた。

「ジール、今日は本当にありがとう。ご飯出すからお風呂入って。おまえたちは海底に戻してあげるね」

 いただきます、とジールは即座に温泉に向かう。

「は、ちょ、温泉は!?」

「あの時は悪かったって。私たちも温泉に入らせて!」

「良いよ。ご飯は残さず食べて行ってね」

 こき使われた三人と使った当人は特急改築した風呂に向かい温泉を楽しみ始めた。

 その頃、台所から良い匂いが漂ってきており、小さな家の台所では老女と幼子がせっせと働いていた。

「おばあちゃん、先生たちのお着替え置いてきたよ」

「ありがとね。グラセル、ほら、味見して」

 大きく開けられた真っ赤な口内にでき上った煮物の欠片を落とせば、小さな口は味を覚えるべくむぐむぐと咀嚼する。

「……美味しい!」

「この味を覚えておいてね」

 コトコトと煮込まれるカボチャは落し蓋がされ、煮汁が減るのを待つばかりだった。

「こっちは豚肉の角煮ね。天使さん一人がどのくらい食べるのかわからないけど、少し多く作っておけば大丈夫でしょう」

 ルプゥに教えられながら料理を作り、グラセルはテーブルに食器を並べていく。

 料理がすべてできあがる頃、天使たちは風呂から出てきた。

「ルプゥ、着替えありがとう」

「いえ、それはグラセルが。お食事をご用意いたしました。たくさんございますのでどうぞ召し上がってください」

 途端に目の色を変えたのはジールで、後は欠食児童の戦場だった。

「おばあちゃんも食べて。私がおかわり持って行くから」

「そうだよ。全部野郎どもにやらせれば良いよ」

 鉢のように大きく深い皿を片手にグランマークはさらりと言ってのけ業務用の炊飯器から山脈を作るようにご飯を盛り付け、カレーをたっぷりと流し入れカレーのダムが完成した。

 更には焼いてあったパンを数個取って山脈に乗せ、空いている方にシチューを大量に流し込む。

「これでよし」

「先生、カレーとシチュー後どれくらい残ってますか?」

「まだ半分以上残っているよ」

 ジールがすっ飛んで行った。

 ルプゥは天使がどれくらい食べるのかも好みの料理もまるで見当がつかず、グランマークに言われるままに業務用の炊飯器や寸胴鍋などをフル活用して多種類の食事を拵えたのだが、どうやらそれで正解だったようだ。

 グラセルが屋外に頑丈なかまどを構築して中身がたっぷり入った鍋を飛んで運んでくれなければこの光景は無かった。

 明らかに五十人分以上の食事だったのだが、一瞬で無くなった。

 グラセルもたっぷりと大人十人分は食べており、大きな子供が最後のパンを巡って三つ巴の争いをしている間にシチューやカボチャの煮物をおかわりしていた。

「美味しい?」

「うん!」

 そして争いの中飛んできたパンをグランマークは空中で受け止め、無慈悲に平らげた。

「これで争う理由は無くなったね。平和が一番」

「あんたが言うな!」

 敗者は残ったおかずを巡り争い始め、最後まで食べていたでかい子供たちが後片付けを行った。

「あ、あの、私がやります」

「いいって。ばあちゃんは座っててくれ」

「事前の仕込み無しにこれだけ作るのも運ぶのも大変だったでしょ」

「美味しいご飯作ってくれたもん、片付けくらいやらせて」

 三人は手際良く調理器具を洗い終えて片付け、それぞれの家に帰って行った。

「ふふ、美味しかった」

「お腹いっぱいになった?」

 幸せそうにうなずくグラセルとは逆に、ミカエルは次から次へとやって来る亡者や怪異をこれでもかと焼き払い、燃えカスに等しくなったそれを冥界へ叩き落していた。

 消滅させない程度に焼かねばならず神経をすり減らしている彼の顔は疲労の色が濃くなりつつあった。

「次はどいつだ……おまえか……おまえだな……」

 答えなくてもいい、ただ集まってこい!

 住宅地の一角に炎が踊った。

 ミカエルが生産中の燃えカスを引き受ける冥界の方ではコンテナを用意して天界から落とされる亡者や怪異を受け、コンテナがいっぱいになったら次のコンテナを用意するような事態になっていた。

「そろそろ一杯になるぞ。次のコンテナ来てるか」

「持って来たぞ。しかし、天界にどんだけいるんだよ」

「さあなあ。あそこも結構ドンパチやってるからな」

 夜明け頃になり、ようやく終わりが見えた作業にミカエルは思わず笑う。

「おまえで最後だ」

 炭化した亡者を穴に蹴り落とし、彼は朝日を眩しそうに目を細めて見て、ひとり新居に戻りさっさとシャワーを浴びて布団に潜り込んだのだった。

 その日、近所では夜通し行われた除霊に関しての話題で盛り上がっていた。

「あの事故物件に新しい人が住み始めたんだけど、ずっと幽霊と戦ってたわよ。差し入れ持って行ったら、お礼だってうちの除霊もやってくれて、おかげで肩が軽くなったわ」

「ああ、見たわ。この間うちの主人を返り討ちにした幽霊もあっという間に炭にしてたよ。胸がスカッとしたわ」

「綺麗なお兄さんだったわね」

「天使長ミカエル様と同じ名前でそっくりさんだって。怒られたりしないのかね」

「ミカエル様といえば、この間お家が跡形もなく燃えちゃったんですって」

「え、自分で燃やしたって聞いたわよ」

 そんな井戸端会議が行われているとは露知らず、当人は枕カバーに寝涎を垂らして寝ていた。

 そのお昼ごろ、グランマークはルプゥを抱えて新居まで送った。

「それじゃあグラセル、詳細はミカエルに送るから学校で会おうね」

「はい! ありがとう!」

 ぱさりと羽音を残し、グランマークは飛び去った。

「おばあちゃん、行こう」

「ええ、新しいお家での最初のご飯は何にしましょうかね」

 新居は館に比べるととても狭いがルプゥは狭い場所にも慣れており、グラセルに至っては外敵や雨風などの脅威に曝される事無く安心して眠れれば良いという大雑把さであった。

「グラセル、旦那様は疲れて眠っていますから静かにね」

「はい……だんなさま?」

「ミカエル様は偉い人ですから、身分がバレてしまっては生活しにくくなってしまいますので、私はできる限りこう呼びます。グラセルはそのまま父上や父様などで大丈夫ですよ」

「良かった。別の呼び方考えなきゃならないかなって心配だったの」

「ふふ、それは……あとここはいろんな人が住んでいる場所で、壁や床越しにも音が聞こえるから、大きな声を出したり足音を立てたりしないようにね」

「はい」

 二人はミカエルが目覚める間に時間を潰そうと、家の中を一通り調べた。

「布団などの最低限の物は買ってありますが食材や調理器具はまだみたいですね」

「お買い物?」

「グラセルはお買い物をしたことはありますか」

「ないよ」

「なら、ちょっとお勉強ですね」

 ルプゥは硬貨や紙幣を並べて簡単な計算を教え、遊びを通じてグラセルに買い物とはどういうものなのかを教えた。

「お金を使っているからわかりにくくなりますけど、やっていることは物々交換と変わりません。お店の人がどんなに愛想を良くしてくれるからといって自分が偉いと勘違いするのはおバカさんのやることですからね」

「おバカ?」

「貨幣というのは国家のような力有る共同体が『これにはこれだけの価値がある』と保証し、また共同体に所属する人にその価値を認識させなければ鉄屑や紙切れと同じです。その効力は基本的に物品にのみ適用されると思ってください。厚意や善意に値段は付けられません。付けられるとしたら給与を支払う雇用主ですね。給料を少し上乗せするから客人に失礼のないように、という契約も実際にあります。そうでない所は、従業員個人にお客さんがチップを支払いより良いもてなしを受けるという形になります」

 だが基本的には値段に見合った品とサービスが受けられるので、安い店には不愛想な店員や態度の悪い店員と値段に見合った粗悪品が待っている。

 それが嫌ならもっと稼いでマシな店に行けという事になるのだ。

「まあ……それなりに良い物が欲しければ、こちらも同じだけの物を差し出す必要があるという事だけ覚えておけば大丈夫ですよ」

 ふんふん、とグラセルはうなずく。

 森での物々交換もそうだった。

 自分たちは薬や油を出して鉄やレンガを手に入れ、そこにはどちらが偉いというのは無かった。納得がいかなければ話し合い、それでもダメだったなら取引は無くなった。

「では、お買い物に行きましょうか……お目覚めですか」

「ああ、起きた」

 ミカエルはかなり眠そうな顔で椅子に座るが、きっちりしているのは服だけで髪はぼさぼさのまま。顔も洗ってはいなさそうだった。

 とても外に行けるような恰好ではない。

「旦那様、起きてください。御髪を梳かしますから。グラセル、そこのタオルを濡らして持って来て」

「はい」

 グラセルは言われた通りに濡れタオルを持って来た。

「お顔を拭いてあげて」

「はい」

 顔を拭かれるというより、タオルをぐいぐいと顔面に押し付けられたミカエルはさすがに目を覚ました。

「グラセル、もういい、起きたから。あとは自分でできる」

 ミカエルが身なりを整える間、お買い物! とグラセルは目をきらきらさせて待っている。

「待たせたな。行くぞ」

「うん!」

 ミカエルはグラセルの手を引き、不足していた物をルプゥに問う。

「食材と、包丁やまな板などの調理器具が主に不足しております」

「それは元々おまえに選ばせるつもりだった。まずは包丁だな。金に糸目はつけないから使いやすいと思う物を遠慮なく買え」

「ありがとうございます」

 包丁を専門に扱う店に行き、ルプゥはさっさと自分用の包丁を包んでもらいグラセルに言う。

「包丁さんは大事にすれば百年以上使えるから、ちゃんと仲良くなれそうな子を選びなさい」

「どれが良いんだろう。おばあちゃん、どんなのがいいの?」

 並んでいる刃物を見たミカエルが言う。

「料理を覚えさせるなら万能包丁辺りで良くないか? 万能包丁にペティナイフ、出刃。この三本があれば大抵の料理は作れるだろう。後は成長や必要に応じて買い足せばいい」

「そうですね。じゃあ、まずは万能包丁さんから買おうか」

「うん!」

 無事に万能包丁とペティナイフを買い、残るは出刃包丁となった時、初めてミカエルがこれが良いだろうと示した。

「グラセルには少し大き過ぎませんか?」

「グラセルなら大丈夫だ。これなら成長しても使えるだろうし、ルプゥのより大きいからより大きな魚を捌ける。魚の頭が落とせないなどの問題が起きたらグラセルか私を呼べ。叩き切る」

「ありがとうございます。では、それで」

 包丁と砥石を買って店を出て、鍋やフライパンなどを購入し、一度家に戻って荷物を置き、食料の買い出しにかかる。

「小麦粉やお米に、お味噌やお醤油、オリーブオイル……重くなりますが大丈夫ですか?」

「先に重く嵩張る物を買って一度家に戻る。その間にルプゥとグラセルは肉や魚の類を買っておいてくれ」

「はい」

「グラセル、食料の目利きと荷物持ち、ちゃんとやるんだぞ」

「はい!」

 言った通り、ミカエルはさっさと小麦粉や米や味噌、醤油や油など重量のある物を先に買うと自宅へと運び込んだ。

 その間に、二人は八百屋に行き野菜を見る。

「グラセル、リンゴさんはどれがいい?」

 グラセルはきょろきょろとリンゴを見ると、早々と二つ取ってきた。

「これとこれ」

「それが良いのね。すみません、これをくださいな」

 野菜とリンゴが入った袋を抱え、グラセルはルプゥに続く。

「後はお肉とお魚ね。少し持とうか」

「ううん。大丈夫」

 肉と魚を買った所でミカエルが追いつき、自宅へと荷物を運び、戻ってきた。

「これで全部だな?」

「はい。後は日々の買い出しですね。お米などは当分大丈夫かと思いますが……もしかしたらこの量を数日おきになってしまうかも」

「先生たちみたいにいっぱい食べるの!」

 ミカエルは苦く笑う。

「天使がみんな大食漢だと思わないでくれ。グラセル、底無しの胃袋はこれから長期休暇だ。通常の食事から効率良く補給する方法を教える」

「はい!」

 三人は仲良く町を見て回り、どこに何があるのかを把握する。八百屋や魚屋、肉屋など、グラセルにはどれも目新しく興味を惹かれる物に溢れていた。

 グランマークとの勉強で教えられてはいたものの、こうして触れる臭いや物は新鮮な驚きをもたらしている。

「そろそろ帰るか」

 ミカエルが二人を連れて自宅に戻ろうかという時、何かが壊れる音と悲鳴が聞こえて来た。

「グラセル、守れ」

「はい!」

 グラセルはルプゥの前に立ち、構えた。

「税金は前に払っただろう!」

「追加徴税というものだ。文句ならミカエル様に言え」

 聞えて来た一言にルプゥとグラセルはそろりとミカエルに目を向けると、据わった目でドスの効いた声がした。

「あぁ?」

 声の主は通信機を手にした。

「ハカム、ああ、私だ。税金の集金は先週終わったよな? 今テクシートで私の名を出して追加徴税と言っている男がいるんだが……ああ、情報共有を開始する。回線開いてくれ」

 通信機をしまうと、集金していた男がグラセルたちを見つけてニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。

「見ない顔だな、最近越してきたのか」

 警戒するグラセルの頭を一つ撫で、ミカエルはその美貌の微笑を向ける。

「ええ、つい先日越してきたばかりなので、これからご近所の方にご挨拶に伺おうかと思っていたのです。顔役の方にもご挨拶をと思っていたのですが、田舎から出て来たのでどなたかわからなくて」

 男はげらげらと笑った。

「その顔役は私だ。この町では越して来たらまず私に二十万納める事になっている」

「そうでしたか。期限はございますか?」

「越してきてから一週間以内だ。だがおまえは綺麗だからな、特別に考えてやらんことも無い」

 不躾に頬などを撫でられてもミカエルの笑みは崩れないが、グラセルは地面に視線を走らせて石ころを探していた。

 不穏な気配を察知したルプゥに手を繋がれていなかったら向う脛や急所を蹴り飛ばしに行っていたことだろう。

「ご親切にありがとうございます。納めに伺うため住所等のご連絡先と、ご都合のよろしい日時を頂いてもよろしいでしょうか」

 にこやかに受け答えするミカエルをグラセルは不安そうな顏で見上げている。

「グラセル、おいで」

「おばあちゃん、父様どうしちゃったの? 父様が取られちゃう」

 小さな声で言うがその顔は不安に満ちている。

「あれは大人の喧嘩だよ」

「大人の?」

「直接殴り合うだけが喧嘩じゃないんだよ」

 よく見てごらん、とルプゥはグラセルを宥めるようにそっと抱いて撫で、促す。

「……この辺りで商いをやってらっしゃるのですか。私も友人のように商いを始めようかと思っていまして、手数料などはいかほどお支払いすればよろしいですか」

 ざっとこの位だ、と指が三本立てられた。

「それと、利益の三割は私が受け取る。できない場合は新しく取り扱う商品の一部を納めてもらう。不服か?」

「いいえ、とんでもありません。顔役たるあなたのお力があって初めて秩序が保たれているのでしょうから」

 男は得意満面の笑みだ。

 ルプゥはそっとグラセルの手を引いて話し込むミカエルと男から少し離れた。

「グラセル、あれが悪魔の話術だよ」

「え?」

「あの男の人は自分の権力や財産を自慢したいんだよ。ミカエル様はそれをわかっているんだ」

 相手を尊敬していますと示し、関係していそうな話題や自慢に思っていそうな話しを振り、そこから更に掘り下げたり広げたりする質問をして情報を片端から抜き取っている。

 名前や種族、住所や職業、家族まで。

 もちろん、ミカエルもある程度の情報を開示してはいるがほとんどが嘘や誤魔化しだ。

「大変勉強になりました、これもあなた様のおかげです。店を構える際にはどうぞご贔屓に」

「うむうむ、待っておるぞ」

「はい、その時が大変楽しみでございます」

 にっこり笑って別れ、男が馬車に乗り込むと馬車は大きく傾いて軋み、酷い音を立てた。

 牽引する四頭の馬もしばらく動けず、何度も鞭で叩かれて文句を垂れながら男の館へ向かう。

「父様、お店やるの?」

 グラセルに言われ、町の者たちもやめておけと言う中彼は安心させるように笑って言う。

「もう開店している」

「え?」

「商品はあれだ」

 ミカエルが指差した先には男が乗っている馬車。そして男の館の遥か上空には武装した天使が数名待機していた。

「あれは、なんですか?」

 町の者たちが何事かと上空を見て問い、彼はにっこり笑った。

「上空で待機している天使は刑務、法務、財務の天使で、私は彼らにあの男を売ったんですよ」

 翌日の新聞の朝刊には、テクシートの徴税官が横領、強制わいせつの罪で逮捕され余罪を追及されているという見出しが躍った。

 また、勝手に名前を使われた天使長ミカエルを始めとする数名からも名誉棄損等で訴えられているという。

「聞いたかい、あのオッサン天使長に痴漢したんだと」

「うわあ……天使長綺麗な顔してっけども、男触って楽しいのかね」

 さあな、と町人は肩をすくめる。

「しっかし、あんな方法があるなんてな」

「あの兄ちゃんも大したもんだ」

 生真面目そうな顔つきで近寄りがたい印象と見た目だが、あんな風に笑って話して冗談も言うとは。

「でも最近この辺りにお役人様が来るようになったね」

「みぃんなあの兄ちゃんの所に行くけどな」

「まさか、本物の天使長?」

「そっくりだしねぇ」

 その時、半分寝ているミカエルがゴミを集積所に半ば放り出すようにして置いたのだが、その姿はどう見ても天使長というイメージとはかけ離れていた。

 服はよれた短パンとTシャツで足元は下駄とサンダルで片方ずつ違っている。顔は洗ったようだが寝癖はそのまま、なぜか頬には殴られたようなあざがあった。

 グラセルの寝相によってできたあざとは本人も知らぬことである。

 ゴミを出した直後、大あくびをして「何やってたんだっけ」などと言って棒立ちしている。

 すると、とてとてとやってきたグラセルに「父様、朝ご飯できたよ!」と引っ張られるが歩みは遅々として進まず「抱っこか」などと寝ぼけ声で言って抱き上げる始末。

「抱っこも良いけどお腹空いた!」

「んぅ……ぃまぃくぅ」

 ミカエルの鼻に鼻提灯ができた。

「一歩も動いてないじゃん!」

 とうとうグラセルは大蛇に変身してミカエルを口の中に放り込むとにょろにょろと移動し、ルプゥが開けた玄関に頭を突っ込むと吐き出した。

「あれが天使長?」

「まさか」

 ただの朝が弱い兄ちゃんだ。

 町人は農具を担いで自分の畑に向かうのだった。

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