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地獄に天使  作者: ふゆづき
冥界・人界編
45/47

恋のお薬

 呪物の事件が解決し、グラセルは変わらず冥府で働いている。

 フェジオの魂はクエネルが、ドットの魂は自分が冥府へ運び、二人は獄卒になるための禊を終え、今は休憩中とのことだ。センリとリブラーはそのまま獄卒の採用試験を受け、基礎教育中だが隠竹が何としてでもうちの部署に引っこ抜くと言っていた。

 そんな日常の休日、グラセルはラウルやタルムと共に英知の森の中に作った畑や花壇、小さな家の手入れや掃除を行い、今は森を散歩していた。

「ドットとフェジオ、急に会いに行ったらびっくりするかなあ。ねえラウル」

「彼らなら歓迎してくれ……部外者の臭いがします」

「追え」

 走って行くと、真新しい切株と木材を引きずった跡があった。

「グラセル様、バルブルの木が……」

 変人揃いと有名な部署に配属される天使が用いる恋の弓や、香の材料になる木が盗伐されていた。

「お年頃だったのに」

 低く怒りに満ちた声にラウルの毛がぞわりと逆立つ。

 これがそこらの犬であれば死んでいただろうと彼は予想する。

 これから初めて花を咲かせて実をつけようという、まだ若い木がバッサリと伐られて持ち去られてしまったのだから。

 登記上でも英知の森はグラセルの私有地だ。グラセルにとっては自分の庭を荒らされただけではなく、抵抗できない子供を切り殺されたに等しい。

「被害届を出すよ」

「はい」

 通報して警察に来てもらったのだが、いまいち反応が鈍い。

「仕事する気あるの?」

 ざわざわと大地が騒ぎ始め、森の住民が一斉に巣に逃げ帰る。

「グラセル様、グラセル様! 森の者が怯えております!」

 呼びかけただけではもう気付いてくれず、左手に噛みついて引っ張りようやく気付いてくれた。

「ありがとう。ちょっと落ち着いたよ。捜査の方、よろしく」

「はい」

 ラウルは嘆息した。

 よろしくとは言うが、これはもう、こいつらはあてにしないと腹に決めたお顔だ。

 二人はすぐに隠竹に事の次第を報告すると、彼も頭が痛そうな顔をした。

「グラセルの留守中に亡者が逃げ込んでもわからんということではないか……まったく」

 英知の森は神域と化しているが、それ以上に危険物の宝庫なのだ。下手に入ろうものなら空間が弄ってあるため迷子になりやすく、また管理人に見つかること無く植物に殺される。

 熟すと大きな音を立てて破裂し、中に入っている鉄並みに硬くガラスのように鋭い種を飛ばす実をつけるサボテンもあれば、海底並みの高圧低温の水中でなければ育成も加工もできない、空気中では常に白焔を放つ木もある。

 海底で育つ宝石の木、夢を見せる花、可能性を見せる草、触れた者を狂死させる程の苦痛をもたらす茨など、どれも悪用されたらとんでもないことになるし、人間の手に渡った時など考えたくもない。

 それだけではない。神々の求めに応じて植物を出荷することもある。

 屑鉄を食べて良質な神鉄の実をつけるアイロニアはどの世界でも絶滅が危惧されて保護されており、今では市場に出回るアイロニアの実や苗木のほとんどはグラセルが出荷している。

 冥界から他の世界への輸出額の三分の一近くはグラセルが管理する英知の森によるもののため、それが損なわれるのは冥界としてもよろしくない。

「こちらでも何か対策を考えたいが、それ以上に厄介な事が起きている。どうしても後回しにせざるを得ない……すまない」

「厄介な事、ですか?」

「人間界に発生した魔獣だが、これの中には人間の負の念を乗り越えてより強力な神獣になる獣がいるだろう」

「はい」

「だが、元魔獣だと言って捕らえて始末したり、あのエルイラーナを亡ぼしたりする法案が通りかかっている」

「え、なぜ」

「エルイラーナは主に冥界と魔界と天界、この三つの知恵と力が集まっている……知り過ぎたというのが理由だ」

「ですがその代わり、エルイラーナは率先して魔獣を狩り、私たちの要請に必ず応じなければならないという契約があります。人間界で活動する上での大事な橋頭保にして拠点になっているのでは?」

 隠竹はうなずいた。

「だからおかしいんだ。中央で原因を調べようにも人手が足りん。今は気の弱い奴を反対派につけているが、いつまでもつかわからん」

「休日を返上します」

「表向きは休み……いや、ちょっと待て……ドットとフェジオなら今空いていたはずだ。引っこ抜いて来い」

「はい!」

 ラウルに乗って道を駆け抜け、冥府中央に行くと妙な匂いがした。

「……臭い……」

「グラセル様、鼻が曲がります」

 グラセルはすぐに翼を出し、子犬の姿になったラウルを抱きかかえた。

「なんて物ばらまいてるの……あ、ウィネル!」

 恋の弓を手に困惑顔で飛んでいた親友はすぐに降りて姿を現した。

「やあ久しぶり、酷い臭いだね」

 言う彼もマスク姿だ。

「冥府はどうしちゃったの? 恋の香水が使われたから来てみれば誰もそんな素振り無いし、リストにも載ってないんだ。しかもなんかみんなぼーっとしてるし」

「それを調べに来たの。でもこれ……ちょっと洗脳系の薬入ってるしバルブルが使われてる。それに聞いてよ、私のお家にあったバルブルちゃん勝手に伐られて盗まれちゃったの!」

「げ、なんて命知らず……となると新人の弓、どうなるんだろ……いや、まずはこれ中和しないと」

 うん、とうなずいたグラセルはその場でさっさと道具を広げて薬を混ぜ合わせ、己の羽を数枚入れた。

「羽の代金請求してやる」

「破産まっしぐらだね」

 そうしてできた薬を燃やし、臭いが広がり始めた。

「手伝うよ」

 ウィネルは風を操り建物中に広げる。

 するとそこに、土気色の顔をしたフェジオと、やや青い顔をしたドットがやってきた。

「グラセル、久しぶり。この臭いに対処してくれたのか?」

「そうだよ。顔色が悪いけど、大丈夫?」

「あまり大丈夫じゃない……揃って吐いたばかりだ」

「この悪臭をどうにかしようと思ってるんだ。二人の力を貸してほしいの」

「協力する。何をすればいい」

 フェジオは口を利く余裕も無いのか喋らず、一先ず外に出て隠竹が待つグラセルの職場に戻ることになった。

「……では、あの悪臭は本来恋愛成就の香水だと」

 こんな臭いが満ちていた、とグラセルに臭いを嗅がされた隠竹は催涙ガスでも食らったかのように涙目になっていた。

「はい。人間もそうですが、好きな人に振り向いてもらいたい時って装ったり贈り物を用意したりしますよね。

 私たち恋愛課の天使はそういうのを目印に恋の矢を放ったりするんです。

 それが今回、あまりにも広範囲にその目印が散布されているため誰がそれを用いたのかわからず、私の職場にも少なくない損害が発生しています」

「恋愛課の天使は仕事が速いことで有名だったな。どんな損害が発生したんだ」

「まず、業務に遅滞が発生しています。乱用された香水が本来助けを必要としている者の目印すらかき消してしまい確認に時間が取られている他、誤射も発生してしまいました」

「誤射? どうなるんだ?」

「道ならぬ恋に落ちます」

「それは酷いな」

「はい。それと私たちの士気も下がり、職員の私生活にも甚大な被害が出ています」

「士気の低下はわかるが、私生活……定時には帰れているのだろう?」

「そこが問題なんです」

 ウィネルは深刻な顔で言った。

「定時帰宅なら問題は出にくいはずだが」

 違うんです、とウィネルは首を振る。

「私の職場、恋愛課は恋愛至上主義を掲げています。

 通常業務で残業は無能、定時上がりなんて論外。

 定時前に帰って愛を囁きに行こうっていうのがうちの標語なんです。

 ですので、仕事なんかはお昼前には全部片づけて午後にはみんな帰っちゃうんです」

 鬼や竜、死者の目が丸くなった。

「それで先輩たちは何十人と恋人がいまして、今回の件で私と仕事とどっちが大事なの! ってふられていました。恋愛課の天使が失恋だなんて物笑いの種ですよ」

「ああ、確かにな……それで、恋愛課の天使としておまえはどうしたい」

「一刻も早くあの悪臭の元凶を片づけて通常業務に戻りたいです。できれば元凶は失恋人生にしてやりたいですよ」

 それは怖い、とフェジオは内心呟く。

「失礼します。隠竹様、天界の法務課のクエネル様がお見えです。例の法案に関してのご用件と伺っております」

「通してくれ。そのことで話し合っているところだ」

「かしこまりました」

 しばらくして、目の下に隈を拵えたクエネルが書類を手にやってきた。

「よく来てくれた。法務としての回答は?」

 どんよりと濁った、死んだ魚の目のような目をしてクエネルは言った。

「隠竹さんに言うのは気が引けますが、そのまま言います。『何度言えばわかるんだ、こんなものが通せるかボケ、鼻も頭も腐ってんのかてめえ』……以上です」

「助かる」

「いえ……冥界はどうなっているんですか。酷い臭いだし、本当に法務や会議が機能しているんですか」

「それなんだが、グラセル」

「はい。クエネル、今冥府の中央では洗脳系の薬が混ざった香水が散布されていて、これから私の部署でその対処を行おうってことになったの」

「この部署以外まともに動けんということか。わかった、上に伝える。元凶がわかったら呼んでくれ。ミンチにしてやる」

「クエネルの部署でも何かあったの?」

 濁った紫の目が殺意に煌めいた。

「連中の回答が遅いくせにこっちの回答は急かすし、バカみたいな法案が届くから業務が滞ってシワ寄せが来ている。おかげで私の私生活にも深刻かつ重大な被害が発生した」

「何があったの?」

「ナッツの脱皮に間に合わなかった。ナッツのご飯が五分遅れた、ラミアスタイルになったナッツのブラウスの製作、父上の服のアイロンがけに武具の手入れ……」

 ナッツ、ナッツ、父上、ナッツ……。

 壊れたラジオのように言うクエネルの手からフェジオは書類を抜き取り椅子に座らせた。

「かなり疲れてるな……クエネル、何日寝てないんだ」

「一週間……ナッツ……」

 グラセルはそっとルプゥに頼んだ。

「温かいお茶をお願い」

「この通り。お菓子も付けましたし、こっちの包みはパウンドケーキが入っています。お客様用の寝室も準備できておりますので、お泊りでも大丈夫です」

「ありがとう」

 ワゴンを室内に入れ、グラセルは茶と茶菓子を配った。

「みんな一息入れよう。ウィネルとクエネルは今日泊まってく?」

「すまない、私は戻って仕事を片づけねば」

「ごめんね、私も戻らなきゃ。でも、元凶を捕獲する時になったら呼んで」

「同じく呼んでくれ」

 一息入れた後、全員は再び額を集めた。

「それで、どうするか。香りは継続して焚かれたり散布されたりしたら終わりだ」

「それなんだが、こういうのはどうだろう」

 フェジオの考えは香りによる上書きがダメなら中から働きかけるというものだった。

「アーマスの葉っぱや実をたっぷり練り込んだ軽食や菓子、恋愛に効果がある別の香水を中央の建物内で売り歩くんだ」

「アーマスはわかるけど香水?」

「ああ、香水はごく普通の物だ。だが、そこに魔法の目印をつける。ウィネルさん、臭いに誤魔化されない、恋愛課の天使が確実にわかる目印ってありますか?」

「あるよ……そういうことね。いいよ、先輩にも言って手伝ってもらう」

 隠竹はすぐに筆を走らせ始める。

「販売許可証は任せろ。グラセル、すまないが植物の命をもらうぞ」

「はい。私はお菓子やパンを作ります」

 隠竹は更にさらさらと書類を書いてクエネルに渡した。

「これがあれば冥界の連中には効くだろう」

「感謝します」

「商売ごととなると、俺はあまり役には立てないか。グラセル、俺とラウルは森の守護に入る」

「お願いね。ラウルも頑張って」

『はい』

 全員はすぐに行動を開始し、恋愛課の天使が英知の森に集まり香水作りから梱包まですべて手伝った。


「目にもの見せてやる」


 ラベルや瓶のデザインまで、すべて恋愛課の執念が詰まっていた。

 そして一部はフェジオの商売を手伝い始めた。

「いらっしゃいませ! 美味しいパンとおやつはいかがですか、忙しくても片手で食べられてお手軽ですよ!」

「試食ありまーす! お兄さん、おひとついかがですか?」

「こちら当店の香水です! 扇に吹きかけて仄かに香らせるのも風流ですよ!」

 どれも値段が安いというのもあり、飛ぶように売れ、数日後には店に男女が殺到していた。

 恋愛が成就しやすいだけでなく、普通に使っても気分が落ち着くので男性にも気に入られ、口コミで急速に売れるようになったのだ。

 それだけでなくパンや菓子を買った者たちもこぞって買うようになった。

「あれ、おまえもここのパン買うの?」

「うん。最近頭が重くてぼーっとしてたんだけど、ここのパンやお菓子食べるとなんか頭がすっきりするんだよ」

「おまえもか。そういえば、グラセル見てないか?」

「いや、見てないよ。森にいるんじゃないか?」

 鬼は買ったばかりのパンを見て言った。

「あの子休暇中に中央に来て、翼出して臭いって言ってたんだよ」

「臭い……まさか……」

「俺たち、近い内に天界に菓子折り持って行かされるかもな」

 あり得る、と鬼たちは肩を落とした。

 一方クエネルが所属する法務の長、レックスは冥府からの書類を見て言った。

「ようやくまともになったか。それにしても臭いな」

 あまりの臭さにグラセルの羽扇で書類を扇げば黒い霧が出て行き消えた。

「……下種が」

 だが油断してもいられない。

 前回の件で反省したはずの鬼がここまで鈍らされるなど、天使にも同様のことが起きてもおかしくないのだから。

 幸いグラセルの羽を持っているが、いつこれが無力化される方法が出るかもわからない。

「クエネルにはもうひと働きしてもらうか」

 元凶の香水を回収して、こっちで解析できれば対処もできるだろう。

 そうして彼は指示書を飛ばし、すっかり冷めた紅茶を飲み物憂げに息を吐いた。

 ここ最近、忙し過ぎて疲れ切ったクエネルを抱っこしてやれない。そして献身的なナッツにまったく報いてやれていないとクエネルが酷く落ち込んでいた。

「……絶対に許さんぞクズが……」

 手に持っていたのがクエネルからもらったカップでなければ弾け飛んでいたと法務の天使は振り返る。

 恋愛課の天使たちも死に物狂いで働いた。

 もう彼女も彼氏もいねえよ! と完全フリーになった天使が他の天使の通常業務も担い、通常業務から解放された天使たちが交代でフェジオの店やグラセルを手伝っていた。

「あ、お兄さん! お茶はいかがですか? 今なら一杯無料ですよ」

「ありがとう」

 こんな日々が続き、フェジオとクエネルは市場の動きと材料の消費の計算を行いにやりと笑った。

「そろそろ向こうの材料が尽きるな」

 隠竹も歯を剥き出しに笑う。

 バルブルの木は保護指定され、百年も前から市場には出回っておらず新たに調達するとなったらまた英知の森に入るしかない。

「ドットには警戒を緩めるよう言っておいた」

「では、捕獲に入ります」

「ああ、俺が許す」

 タルムとグラセルも今回は千里眼で見張っている。死角など無い。

 そうして待ち構えていた昼間、彼らは堂々とやってきた。

「この木だな」

 斧を構えた時、一陣の風が吹いて斧の首が落ちた。

「頭、狼です。囲まれています」

「あんだと? ……こりゃまずいな」

 魔界狼とそれが統率する魔界チワワたちに包囲されていることを知った彼らは戦慄した。

「動くな。武器を捨てて投降しろ」

「あ、おい、そこの人間、この狼の頭か?」

「そうだ。ここは天使グラセルの私有地、英知の森だ。おまえたちは誰の許しがあってここに入った」

 ドットの声に鬼の額に青筋が浮いた。

「あ? 未開のサル如きが鬼になめた口利いてんじゃねえ!」

「そうか。捕らえろ!」

 抵抗したため散々に噛まれ、彼らは血塗れの姿で隠竹の前に出された。

「捕らえました」

「ご苦労。さて、サル如きが鬼になめた口利くんじゃねえ、だったか。鬼の中の鬼たる俺が許してやる。何か申し開きがあるなら言ってみろ」

 鬼たちの目に映ったのは黄金の目と、この世の者とは思えないくらい整った容姿だった。

 鬼は生きた年月や持っている力に比例して美しくなり、そこにいるだけで周りを魅了し操ることすら可能だという。

 同族の心すら奪う美しさを持つこの鬼は何年生きているのか、それすら定かではなかった。

「役に立たぬ舌なら顎ごと引き抜いてやろうか」

 太刀などを握り慣れた、戦う者の手が鬼の顎に添えられ睦言を囁くように告げられた。

「痛いのはこれからだ……それ」

 ぶちりと顎が引きちぎられ倒れた相棒を見た鬼が恐れ戦き慌てて口を開く。

「ま、待ってください! 喋ります、何でも喋ります!」

「なんだ、喋るのか。最初からそうしろ」

 盗伐を行った鬼は法務の鬼に頼まれたと言い、依頼書や契約書も差し出した。

「玖城、手当してやれ。クエネル殿、契約書と依頼書が本物かどうか確認を。俺は手を洗ってくる」

 隠竹が血に汚れた手を洗いに行く間、玖城が鬼の傷を治しルプゥが風呂の準備ができたことを言いに来た。

「あらあら、お召し物が……これでは繕えませんね。玖城さん、すみませんが治したら彼らを湯殿に案内してください。その間に客人用のお召し替えをご用意いたします」

「はい。ほら立て。鬼なんだろう?」

 ずるずると半ば引きずるように連れて行かれ、風呂から戻されると隠竹が待ち構えていた。

「戻ったか。クエネル殿、どうだ」

「やられましたね。これ、不正文書です。冥界にも行政が民間企業などと契約する場合、必ず専用の用紙を使うという規定があります。この用紙にこういうことをすると……」

 クエネルが懐からペンダントを取り出して近づけると、用紙から子供の落書きのような絵が浮かび上がった。

「本来ならここに魔法で契約文書が浮かび上がり、これはいつどこで、どこの部署の誰が作成したという一文が追加されます。いうなれば公文書であるという保証です。

 詳細は口外できませんが、作成者が洗脳魔法や薬物に汚染されているなどの場合、不正防止機能が作動し契約文書ではなくこのような落書きが浮かび上がるんです」

 他にも内部の誰かが勝手に公文書用の紙を持ち出して契約書を書き、上司の判子を捺したりサインを偽造したりするとこうなるのだ。

「職場に連絡を入れて調べてもらいましたが、ここに書かれている人物も存在していません」

 嘘だ、と鬼は呆然と呟いた。

「前金も、確かにもらったのに」

 ドットは無表情に言った。

「その時受け取った現金、持ってきているか?」

「ああ、財布の中にある」

 仕事終わりに飲もうと思って補充した、紙幣が入っているはずだった。

「中を調べるぞ」

 新聞紙の上にひっくり返された財布の中身はすべて木の葉や紙屑、石ころの類と小銭が少々だった。

「贋金をつかまされたな」

「ドット、どこで知った」

「中央庁舎だ。受付とどこかの店長が詐欺だの贋金だの石ころがどうのこうのともめていた」

「わかった、そちらの記録も調べる」

 よくわかったな、とフェジオに言われた彼は言う。

「捨て駒に現金を支払うか?」

「それもそうだな」

 その後、盗伐した業者はグラセルと直接会うことになった。

「本当に、申し訳ありませんでした」

 平身低頭して謝る鬼にグラセルは言う。

「謝ってるのはわかったから顔を上げて」

 顔を上げた鬼たちを見て彼は小さな頭を巡らせる。

 自分の目的は何か。盗伐者を捕まえるという目的は達成した。次の目的はこいつらの雇い主、中央で悪さしている奴を捕獲し血祭に上げることだ。

 ならば、自分が今ここで被害届を取り下げるのは敵に動きが露見してしまい不利益になる可能性が極めて高いし、雲隠れする可能性がある。

「隠竹さん、今から釣りをしていいですか?」

「釣り? ……エサと糸は?」

「エサは間伐材、糸はお芋さんのツルで」

「良い子だ。でかいのを釣って来い」

 その後、グラセルは間伐して置いてあったバルブルの木を少し加工して鬼に持たせた。

「おまえたちに支払われたのはちゃんとした現金だ。元気が無いのは狼に追いかけ回されたからだ。そしてドットは狼を追い払い、運搬中の材木を守るのに雇った護衛だと言え。納品したらこの金で良い酒買ってここに戻って来い」

「はい」

 知らずに働いてしまった詐欺、そして盗伐と不法侵入の減刑がかかっているため鬼も必死にならざるを得ない。

「グラセル、ラウル、ドットについて行け」

「はい。ラウル」

 一言吠えたラウルはドットの影に潜り込み、グラセルは黄金のヤモリに変身するとブローチのようにドットの服に張り付いた。

「行ってきます」

 ドットは鬼たちについて行った。

「隠竹様、私はしばらく中央の店で商売に励みます」

「ああ、商売敵を潰してやれ」

「はい」

 バルブルの木は町はずれの工房へと運ばれ、そこで香へと加工された。

「しっかし、またこんな良い木が採れるなんて……なんか嫌な予感がするなあ」

 下手したら相手は冥界で一番恐ろしい天使だし、ちゃんと許可取っているのかなあ、と職人は不安を隠せない。

 そこに、客が一人やってきた。

 明らかに値段の張る服や化粧品などで装った美女で、毛皮のコートを着ていた。

「できているかしら」

「ええ、こちらに」

「お代はいつものように振り込んであるわ」

 職人はその場で入金を確認し、うなずいた。

「いつもご贔屓にしていただきありがとうございます」

 商品を受け取った女を追跡し、何かが混ぜられたのをドットとグラセルは見た。

「まったく、隠竹も天界の法務も頭が固すぎるのよ」

 それにしても古い鬼だのなんだの知らないけど何あのオヤジ。

 私の魅力がわからないなんてどうかしているわ。本当についているのかしら。

 言いたい放題言う彼女は香を手に職場に向かい、それを焚き始めた。

「みんな私の言うこと聞いていればいいのよ」

 そしてあの悪臭が、一番強烈な臭いが立ち込め始めたため、グラセルは音もなく壁にへばりつくとどこからともなくカードを取り出してドットに渡した。

 カードをしっかりしまい、ドットはラウルに乗せてもらい隠竹の所へと戻る。

 魔界狼に乗る男は目立ったが、ラウルは速く女の耳目は一人分しかない。

「戻りました」

「ご苦労。どうだった」

「この通り、しっかり記録しました」

 カードを取り出し記録を見せると、そこにはちゃんと女が薬を混ぜた香を焚いている姿が記録されていた。

「よし、これで動ける」

 隠竹は無線機を手にすると言った。

「グラセル、女と香を押さえろ」

『了解』

 短く返された天使の声に隠竹はニヤリと笑った。

「ドット、中央に行くぞ」

 うなずき、二人と一匹は中央へと走った。

 一方連絡を受けたグラセルは素早く女を気絶させると香炉の火を消し、女を縛り上げた。

「……臭い……」

 あまりの臭さに涙目になり、咳も鼻水も出て来る。

 香炉をそっと密封容器に入れてしっかり蓋をしてから体内倉庫にしまい込み、換気のため窓を開けた。

「グラセル、どうだ?」

「捕まえました」

 涙と鼻水を滝のように流す酷い顔に金色の目が一瞬丸くなり、次いで笑い始めた。

「酷い顔だな。ほら、鼻をかめ」

「はい……くしゅんっ」

 ティッシュを大量に消費する横で隠竹は女を見て苦笑する。

「おい、起きろ」

 声音のわりに隠竹の足は鋭く女にめり込んだ。

 短く悲鳴を上げて蹴り起こされた女は、目の前にいる鬼の姿に血の気を失った。

「寝覚めが良くて何よりだ。頭の固いオヤジで悪かったな」

「ひっ」

「古い鬼の怒りがどんなものかは聞いて知っているだろう」

 ぱさり、と羽音がした。

「そこに天使の怒りも加えるね。我々恋愛課と法務課への公務執行妨害に対し、力の理を行使するよ」

 小さな衣擦れや翼の音に女が周りを見るとウィネルを始めとする恋愛課の天使たちとクエネルが青筋を浮かべて立っていた。

「隠竹殿、今回の件の証拠品の共有をお願いします。特にグラセルが回収した香炉の中身、少し分けてください。こちらでも成分を分析しますので」

 こちらが書類です、と出された書類に目を通した隠竹は快諾した。

「ねえ、この人が犯人? 撃って良い?」

「一発までなら誤射ですよね?」

 殺気立つ天使たちに隠竹はそっと苦く笑う。

「気持ちはわかるが、俺がやる分を残しておいてくれ」

 大丈夫ですよ、と恋愛課の天使が微笑んだ。

「私たちの弓矢に実体はありませんから」

「ええ、古今東西の性癖丸出しなエロ本や、昼ドラ人生にしてやるだけですから」

 恋愛課の天使たちは三方向から弓矢を構えた。

「放て!」

 女に無数の黒い矢が刺さっては消えた。

「ねえウィネル、あの黒い矢が刺さるとどうなるの?」

「酒乱、博打、女遊びが激しくて借金持ち……世間一般で言う交際や結婚しちゃダメな男がこれでもかっていうくらい寄って来るようになるよ」

 親友は実に良い笑顔だ。

「あと、そういう男が既婚だった場合、不倫関係になる。背徳の味は忘れられないだろうねえ」

 天使らしからぬ高笑いをする彼の顔には大きな手形があり、目は赤く充血していた。

「グラセル」

 肩に置かれた手を辿ると目の下に隈ができたクエネルが言った。

「止めないでやってくれ。彼らにはもう、失うものは何も無いから」

「クエネル……クエネルは、どうしたい? 私は冥府所属だからこういう力の行使はできないんだけど、厳罰を希望ならそれを受理する事はできるよ」

「厳罰……いや、できる限り軽くしてやってほしい。その方が恋愛課の仕事が光るだろう。そして、私はこうする」

 クエネルは銛を手にすると女に突き刺し、引き抜いた。

 返しの付いた穂先が外れるようにしてあったのか、柄だけを手にしたクエネルは言う。

「よくも私の父上を頭が固いクソ親父だの言ってくれたな。それにナッツを気持ち悪い蛇女だぁ? ふざけるなよ売女が」

 クエネルの怒りに呼応して周辺の気温が上がり始めた。

「お兄ちゃんこっち!」

「ドットも逃げなきゃ!」

 グラセルとウィネルは慌てて隠竹とドットを引っ張って引き離し障壁を展開した。

「楽に死ねると思うなよ」

 とうとうクエネルが翼を出し、そこから火の粉が飛び始めた。

「む……良い炎だな」

「クエネル、火の扱いが得意だもんね」

「うん。クエネル凄いね」

 呑気に会話する天使二人だが、状況は笑いごとではなくなりつつあった。

 建物や調度品は隠竹の力とグラセルの障壁に守られて無事だったが、それ以外が燃え始めたのだ。

「ちょ、あちちっ」

「うぎゃああっ、羽に燃え移った! 誰か消して!」

「羽ばたくな! 消せないだろ!」

 恋愛課の天使たちがあたふたする中怒りに燃えるクエネルは告げた。

「《起きろ、這いつくばれ、茨のように満ちろ、その身深く浅く潜れ》」

 女に刺さっている銛を中心に亀裂のような光が全身に走り、光が収まると皮膚の下に茨が張り巡らされたように醜い模様が浮かんでいた。

「呪いあれ、災いあれ!」

 雷のように声が響き渡る。

「苦痛の泥に沈みながら、己が愚行を思い出せ!」

 悲鳴を上げて苦痛にのたうち回る様を見て隠竹はほう、と感心したように声を漏らした。

「天界の責めも凄いな」

 勉強になる、と喜ぶ隠竹であった。



 女は禁止薬物を用いた事で現行犯逮捕され、家宅捜索を行うと洗脳系の薬物が大量に発見された。

 他にも詐欺や贋金などの余罪が出てきたため、叩けば叩く程埃が出るという有様であり懲役の年数や罰金や賠償金も過去最高の数値になるのではないかと言われている。

 新聞には、魔獣から神獣に至った獣の毛皮があまりに美しかったのでそれで服を作って自慢したいと思い、冥府中央を支配下に置き楽して毛皮を手に入れようと今回の凶行に走ったと書いてあった。

「……バカみたい」

 グラセルは新聞を畳んで机に置き、ラウルの毛皮を撫でた。

「どうしました、グラセル様」

「神獣の毛皮欲しさにあの悪臭騒ぎだって。神獣だって、ちゃんと努力してあの毛皮なのにね」

 どんな経緯で神獣に至ったにせよ、神獣たちには大抵誰かが世話役についており、その世話役の努力によって毛皮が維持されるのだ。

「毛皮ですか……私も、下手をすれば剥ぎ取られるところだったんですね」

「冥府の犬の中では唯一の魔界狼にして神獣だもんね」

 きっちり管理された食生活と運動量、そしてこまめな入浴と毎日のブラッシングによって艶々の毛皮が維持されているのだ。

 おかげで神獣に至る前からも犬や狼のメスにもてて子供もたくさん残せたらしい。

「本当に、狙われたのがラウルじゃなくて良かったよ」

 胸を撫で下ろすグラセルとは別に、隠竹は深々と息を吐いた。

「まさかラウルの毛皮目当てだとは」

「グラセルに教えますか?」

「いや、やめておこう。見ろ、天使たちからの苦情がこんなに……あいつら理路整然と文句を並べたてるものだからぐうの音も出ん」

 証拠品の一部は天界で分析され、すぐにより効率良く悪用した場合の手段を思いついたらしい。

 上がうるさいというのと、グラセルを冥界に置きたいがために考えて立ち上げた自分の部署だったが、こんな形で役に立ち地位が上がるとは思いもしなかった。

「ドットとフェジオとその部下たちは手に入った。後は早くセンリとリブラーを引き抜かなければ……おちおち昼寝もできん」

「隠竹様、センリとリブラーですが、こちらの部署に売り込みに来ました」

「売り込み?」

「はい。あちこちの部署から声をかけられ続け辟易した様子で、それなら自分の能力を最大限活用できて居心地が良さそうな所に行きたいと」

 確かに、自分の部署は他の部署で対応できないレベルの荒事が多い代わりに福利厚生がしっかりしている。住居に関しても問題は無く、グラセルの許可を得れば天界の空気に限りなく近い英知の森に住むことだってできる。

 そしてルプゥを始め、ノルルやミリルなど、家事を行う専門職もいるため飯も美味い。

 天使にとっては極楽と言える。

「呼べ。今すぐにでも引き抜いて来い」

 玖城はすぐに走り、荷物をまとめたセンリに担がれて帰ってきた。

「戻りました」

「森を百周してこい。速度を落とすなよ」

「……はい……」

 天使二人は揃って敬礼した。

「天使センリとリブラー、参りました。本日現時より黒狼課に配属……で、よろしいんですよね?」

「ああ、よく来てくれた。これが書類だ」

 二人はその場でせっせと諸々の書類を書いて提出し、正式に隠竹の部下になった。


「グランマーク様、ジール様? 天界でお仕事されていたのでは?」

 目を丸くするルプゥにグラセルは言った。

「異世界のグランマーク先生とジール先生だよ。お顔とお名前が一緒だとみんな混乱しちゃうから二人の名前を変えたの。グランマーク先生の方がセンリ、ジール先生がリブラーっていうお名前になったの」

 わかりました、とルプゥはうなずいた。

「大変失礼いたしました、家政婦のルプゥです」

「初めまして、これからよろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 その日、隠竹の部署は後に古代エルイラーナと称されるくらいに元人間と天使の獄卒が増えたのだった。


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