ウルティオ
ウルティオの居場所が特定できたため、隔離して慎重に対処する――それが当初の予定だった。
「まさか既に隔離されているとは」
ミカエルが苦く言うのも当然で、これでは手が出せない。
「仕方がない、偵察を出す」
グランマークたちの千里眼も通じない以上、人手を使っての目に頼るしかなくなったのだ。
「今回の偵察は危険度が極めて高く、グランマークたちが妨害を続けているとはいえ、相手が千里眼あるいはそれに近い能力を保有している。察知されていることを前提として動け」
敵はあのグランマークたちと同レベルの情報戦力を持つ。
そのことに会議室の兵士たちの顔が引き締まる。
「もう聞いているだろうが、重ねて命じる。戦って勝つことが目的ではない。おまえたちの仕事は情報を少しでも多く持ち帰ることだ」
言って、ミカエルは偵察部隊に画像を見せた。
「冥府にいるグラセルが持ってきた情報だ。地域の中心部にいる対象がこいつ、ウルティオだ」
動揺を露わにした新兵を認めた彼は言葉を続けた。
「この通り、ウルティオは平行世界のグラセルなだけあってこっちのグラセルそっくりだが、断じて同一人物ではない」
ミカエルの拳に力が籠る。
「グラセルはこんなに大きくないし、美味しい物にホイホイ釣られるし、イタズラ好きだし、なにより食べられもしない生首を抱えている趣味は無い。フレメル、おまえならよく知っているだろう?」
「は、はい!」
「参考に、グラセルが能力を最大に解放した際のパラメータを公開する。各自頭に叩き込んでおけ」
個人能力を勝手に公開するなど、本来やってはならない異例のことだ。
「あの、ミカエル様、よろしいのですか」
「構わん。どんなに隠蔽しても出る時は出るし、うちのグラセルと戦ったならこんなパラメータなどあてにならん」
どこか苦い顔で言うミカエルに天使はそっとフレメルに問う。
「フレメル、本当か?」
「はい。信じられないような動きをしてきます。グラセルと戦う時は世界中の動植物の集合体と戦うと思った方が良いですよ」
「そ、そうか」
各自が注意事項などを頭に叩き込み、特殊な門に飛び込むと人間界の上空へと放り出された。
『全員人界に降りたな? 点呼!』
偵察隊各自が返事をしていき、全員揃っていることを確認した隊長は高高度から急降下し情報を集め、急上昇しての離脱する作戦をちゃんと全員把握しているか確認した。
だが、フレメルはどうにも嫌な予感がした。
「フレメルより隊長へ、意見具申」
『言ってみろ』
「地表付近で妙に甘ったるい花のような匂いがしたら、その場で天界に帰ることを具申します」
『なんだ、臆病風に吹かれたか?』
からかう声に彼は返した。
「いえ、ですがグラセルは昔一匹の蜘蛛を見せてくれたんですよ。この子の糸は凄いんだよ、甘い匂いを出して虫さんを捕まえて食べちゃうのって。そいつが大人になると天使ですら捕獲して食べに来ると言っていました。実際に父と蜘蛛の巣を見に行きましたが、父でも振り解けず燃やすしかありませんでした」
『生息区域から離れすぎているし、そんなのが人間界に放たれているわけないだろう』
「いえ、根っこがグラセルと同じなら、似たような手を使わないわけがありません」
『隊長、フレメル、もうその辺にしましょうや。そん時はそん時です。作戦地域も近づきましたよ』
上空に到着し、各自は散らばり作戦通り急降下、急上昇を試みた。
フレメルはこっそり持ち込んだ灰の袋を開けると全身に塗りたくり、最後はひっくり返して、灰まみれの姿で急降下した。
彼の後を追うように灰が降り、しばらくすると灰の糸が青空に線を引いた。
「やっぱり」
グラセルのことだ、花粉団子とか、人に寄生する植物とか、爆発する種とか、色々使ってきてもおかしくない。
『た、助けてくれ。蜘蛛の糸が絡まって動けない』
『植物に寄生され……う、うわああっ』
無線では先輩たちが悲鳴を上げている。
「だから言ったのに」
フレメルは罠を警戒しつつ静かに森を駆け抜け仲間を救助して回った。
蜘蛛の糸、寄生植物、花粉爆弾、爆発する種、竹槍が仕込まれた落とし穴や肉食魚が棲む川への突き落としの罠……自分は本当に運が良かったらしい。
フレメルは己の幸運を噛みしめると同時に首を傾げた。
おかしい。自分が知るグラセルならもっと悪辣な、ウィネルやクエネルの案や思考を取り入れた罠を仕掛けるはずだ。もしかしたら彼らとは出会わなかったのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「ああ、なんとか……バカにして悪かった」
「いえ、私はこれで失礼します」
フレメルは危険区域の中心部を目指し走った。
不思議と罠は無く、代わりに時計の数字の位置のように何本もの柱が立っておりドームのような円形の障壁を築いているのを確認した。
柱の模様や大きさ、位置や数などを記録し、同時に隊長と本部へと送信した。
「……力を奪って封じている? それか、守っている?」
試しに柱の側を掘ってみるとどれも柱から力を吸い出せるように、外へ漏らすようになっていたのでこれも報告する。
「フレメルより各自へ。これよりウルティオと接触する。念のため天界へ退避してくれ」
『フレメル、待て、全員でかかった方が良い』
『仕事を忘れたのか、戦って勝つことじゃない、情報を持ち帰ることだ』
「情報はもう隊長と本部へ送りました。後はこの障壁の中です」
ガサガサと音がし、振り返るとそこには隊長がいた。
「功を焦るな」
「はい。すみません。私がウルティオを引き付けますので、先輩たちはこの柱の回収をお願いします」
「十二の柱……わかった、やってみろ」
フレメルは大剣を抜き、全力で振り下ろした。
障壁に食い込んだ大剣の峯を蹴り飛ばして障壁を一時的に砕いて中に入ると、拳で柱をへし折った。
轟音を立てて倒壊する柱の残骸に埋もれた大剣を拾うと次の柱目指して駆け抜け、今度は大剣で切る。
十二本すべての柱を破壊すると障壁が消え、偵察隊は大急ぎで柱を回収し天界へと戻って再出撃を行った。
同時に、フレメルは中央へと駆け、グランマークの首を抱いて胎児のように岩の上に丸くなっているウルティオの前に立った。
「ウルティオだな」
濁った眼が向けられた。
「ふれ、める……」
ゆっくりと身を起こすがその背には煤けた四枚の翼が現れ、殺意と呪詛を多分に含んだ、灰のような光が零れた。
「また、奪うの? ……ユルサナイ」
フレメルは反射的に飛び退いた。
つい先程まで立っていた場所は宙に浮く六本の剣の内の一本に深々と切り裂かれ、断面が呪いの泥でべったりと濡れていた。
「人違いだ!」
二人の天使が衝突し、その余波はエルイラーナのグラセルにも届いた。
「ドット、行くよ」
「ああ。準備はできている」
翼を出したグラセルの手を取り、ドットはふと思う。
「俺はグラセルよりずっと大きい。どうやって行くんだ?」
「一時的に私の中に入ってもらうの」
ドットが目を丸くすると、その姿はぐにゃりと歪んでグラセルの中に消えた。
「行くんだな」
「うん。フェジオたちをよろしく」
「任せろ……気をつけて」
行ってきます! とグラセルは飛び立ち、すぐに高度を上げてウルティオとフレメルが戦っている大地へと飛んだ。
「そこの天使、止まれ! ここからは危険区域だ!」
「任務でそこに用があるの!」
「おまえ……グラセルか?」
「そうだけど、オジサン誰?」
「俺はパラシム。危険空域の偵察任務に当たっている。邪魔だから帰れ」
グラセルはむっとした。
「冥府黒狼課所属のグラセルだ。統合作戦本部の方にグラセルを通して良いか聞いてみなよ。今、すぐに」
その時、天界の門から一筋の光が走りグラセルとパラシムの横で止まった。
「ミカエル様」
「遊んでいる場合か、すぐに行くぞ。グラセル、おまえは先に行け!」
ミカエルはグラセルの腰のベルトをつかみ、投げた。
「きゃああっ」
流星のような速さで飛ばされたグラセルは盾を構え障壁を展開する。
「フレメル、どいて!」
「うおっ、うるさっ」
通信で叫ばれたフレメルはあまりのうるささに顔をしかめつつその場から離脱し障壁を展開した。
本物の流星が落ちたのかというくらいの閃光と衝撃が走り、フレメルは舞い上がった埃を吹き飛ばすが、脳天に落ちてきた小石に顔をしかめる。
「いてっ……あのチビ……」
彼は早速、すり鉢状になった地面に着地しグラセルの頭を叩いた。
「痛いっ! 何するの!」
「もうちょっと静かに来いよ」
「文句なら私を投げた父様に言ってよ!」
キャンキャンと吠えつつグラセルは自分の中からドットを出した。
「なんで人間連れて来てるんだ」
「来たいって言ったから。この人がドットね」
「ふぅん」
「ドット、この人がフレメルで、私と同じ天使ね」
「エルイラーナのドットだ、詳細は後で。グラセル、相手も無事だぞ」
「うん。ドットはラウルと一緒に周囲の警戒をお願い。ラウルが吠えたら斬っちゃって良いから」
「わかった。ラウル、運んでくれ」
「わん」
ラウルはドットのフードから出ると元の大きさに戻り、ドットを乗せてすり鉢状の大地から出ると森を歩き始めた。
「で、グラセルはどうするんだ」
ウルティオは再起動したばかりでぼんやりしているようだ。
「こうするの。周囲の警戒よろしく」
言ってグラセルは武装ではなく両手いっぱいの桃を手にした。
「こうして会うのは初めてだね、ウルティオさん。私はグラセル。お近づきの印に桃を食べない?」
のろのろと錆びた動きで顔が上げられる。
「モモ?」
酷く掠れた声が向けられた。
「そうだよ」
ふらふらと近寄るウルティオの翼の一部は消し飛んだり、皮膚が焼け爛れたりしており酷い状態だったが、グランマークの首は無事だった。
グラセルが雛鳥にするように桃を口に持って行くとかぱりと口が開き、中に桃の欠片を落としてやる。
するとゆっくりと味を確かめるように口の中で転がし、咀嚼して胃に落とした。
「まだまだたくさんあるよ」
どうぞ、と差し出される桃を口に運ばれる事数度、ウルティオの頬には川ができていた。
「あ……桃の木さん、こっちでは、生きているの?」
「うん。英知の森は冥界に落ちちゃったけど、みんな元気に暮らしていて、冥界を守っているよ。そっちで何があったのか教えて」
ウルティオはぽつぽつと話し始めた。
「グランマークが、こっちの世界に逃がしてくれたの」
大戦中期に見つかり、ある程度大きくさせられると戦線に放り出され、自分は天使長の一番幼い部下になった。
大戦中は敵に対し破壊と蹂躙の限りを尽くせばよかったのだが、問題は大戦後だった。
幼さ故失敗もできないことも多く、いつも仲間たちから叱られて小突き回され、最後はおまえなんか要らないと森へ放り出された。
泣いていたところを森の民に保護され、たまに千里眼の天使が様子を見に来たりし、穏やかに暮らしていた。
そんなある日、グランマークたちが人形と化した天使たちを運んできた。
この子たちを守ってやって。
そう言われ、自分は毎日天使たち、自分の兄弟の世話をして笑ってくれた、名前を呼んでくれたという小さな幸せを喜んでいた。
だがある日、森が火事になった。
森の近くで炎の剣を使う少年と別の少年が喧嘩をしてそれが燃え移ったのだ。
全員で消火を試みたものの火の勢いは衰えず、とうとう桃の木の近くまで燃え広がりその身を焦がし始めた。
警告の声と共に突き飛ばされ、倒木の下敷きになった仲間の願いを受けた大地に匿われたが、地表で焼け悲鳴を上げる天使たちと森の民の様子は嫌でも流れ込んできた。
「……気がついたら、全部燃えて、誰も居なくなってて……全部私のせいにされてた」
無実を訴えても聞いてももらえず、千里眼の者たちの弁護も空しく、処分されかけたところを千里眼の天使たちが結託して逃がしてくれた。
「みんなで逃げようって。でも追いかけられて、動けなくなったみんなを私の中に入れて」
ぎゅ、と首を抱くやせ細った腕に力が籠った。
「それで、グランマークが私を庇ったの。体が消されちゃって、首だけ持ってきたの。呼んでも、魔法をかけても、治らないの」
どうすればいいのかも、ここがどこかもわからず戸惑っていると周りに鬼や竜族が来てグランマークの首を強奪しようとしたため、これを退けた。
「……そうしたら、今度は私の力を奪いに来たの」
どうして私がこんな目に遭わなきゃならないの。
疑問が憎しみや怒り、破壊衝動に繋がるのにそう時間は要らなかった。
「辛かったね。頑張ったね。私と一緒に行こう。もしかしたら、グランマークさんの体も何とかなるかも」
「うん」
「その前に、お腹空いたでしょ。これも食べて」
グラセルは様々な果物、特にアーマスの果実を食べさせた。
するとウルティオの体から黒い霧が出て行き、それは箱になった。
「なに、それ」
「キミの憎しみや怒りとか、流し込まれていた色々とか、奪った力を利用して悪さしまくっているのがいるの。これは壊すよ」
グラセルが箱を消し飛ばすと同時にラウルの激しい咆哮と剣戟の音がした。
「グラセル、敵襲だ」
「うん。ウルティオを守るよ」
グラセルは幻術でウルティオを隠し、姿をウルティオのそれに変えた。そして己の六本の剣に守らせるとアーマスの灰と果実の粉末を散布し、暁の剣を構えた。
「準備完了」
「そっち行ったぞ!」
ドットの声とほぼ同時に飛びかかってきた鬼の両手足を切り落とした。
「ウルティオ!?」
「何の用?」
「おまえは憎くないのか、おまえをこんな境遇へ追いやった者たちを皆殺しにしたくないのか」
「そう」
剣を振り下ろして首から下を滅ぼし、次に来た竜族の首を飛ばした。
次から次へと、グラセルは舞うように首を落とし続け、追いついたミカエルと偵察隊はその首を回収して回った。
「ウルティオ、裏切ったな!」
「知らないよ」
言った敵を斬り伏せ、しばらくすると一人の天使が彗星のように光の尾を引いて飛んできた。
飛んできた勢いを利用した斬撃を防御したもののまともに受け、グラセルの足は膝まで地面に埋まる。
「フレメル?」
しかし顔つきもやや幼く、持っている武器も良い大剣ではあるがジールが管理しているような武器ではない。
「ゴミのくせによくも俺様を八つ裂きにしてくれたな」
「ゴミ? 今ゴミって言った?」
グラセルが飛んできたフレメルの目を見ると、きちんと自分が森を燃やし天使たちをも殺したことを理解している。
そして、生き残ったウルティオにすべての罪を被せたことも理解していた。
それでいて、自分は全然悪くないと思っている。
ぶちりと何かが切れた。
「ゴミはおまえの方だ、この金メッキ!」
グラセルが怒鳴りフレメルを吹き飛ばすと、更にもう一人のフレメルが蹴り飛ばした。
「グラセル、こいつがウルティオを追い詰めて、濡れ衣着せた奴で間違いないんだな?」
「ほぼ間違いないよ。でも滅ぼさないでね」
「わかった」
ぎり、と大剣が握り直される。
「それで、オレとこいつが同じ名前ってのは気に入らない。あいつにピッタリな名前を付けてくれ!」
「キンピカ!」
「見たままだな!」
フレメルは大剣を肩に担いで笑い飛ばし、キンピカと名付けられた当人は顔を真っ赤にして怒り狂った。
「吠えるなよ小僧」
「誰が小僧だ!」
「おまえだよ」
フレメルが一歩踏み出すと彼の周囲の大地が溶けて真っ赤な水たまりになった。
「ウルティオに濡れ衣着せたんだってな、オレの顔と名前でダサい真似しやがって……覚悟しろや小僧!」
フレメルの力の放出と加速に耐え切れず防具が弾け飛び、より身軽になったフレメルは同じ顔に切りかかった。
盾にされた大剣も様々な魔法が付与された業物ではあったものの造物主が自ら手掛けた作品には及ばず、またフレメルの技術もあり黄金の鎧もその中身も両断された。
「けっ」
ミカエルたちが首の回収や生き残りの捕縛を終えやってきて、惨殺死体となっているフレメルと、防具などが吹き飛び下着一枚になっているフレメルを見て首を傾げた。
「終わったのか?」
ミカエルは短く問う。
「はい、終わりました。ウルティオと同世界の、あー……フレメルを撃破しましたので回収お願いします」
「ああ、わかった。服や武具などに関して父上に頼んでおくから、すまんがもうしばらく我慢してくれ」
「あ、は、はい」
服を再構築するフレメルとは別に、焼け焦げた天使を詰めた袋のタグを見て、グラセルはおもしろくなさそうな顔をするとペンを取り出し名前欄に「キンピカ」と書き加えた。
「これでよし!」
少しばかり胸がすいたと同時にグラセルの頭がわしづかまれる。
「イタズラ書きはチラシの裏にやろうな?」
「ぎゃあ父様! だって紛らわしいんだもん!」
「それとこれとは関係ないだろうが!」
「ご、ごめんなさいぃっ」
頭を握り潰されかけたグラセルはべそをかきながらウルティオを守る幻術を解除した。
「あ……ありがと……頭、大丈夫?」
「うん、大丈夫。あとこれは私が悪いから気にしないで」
「さて、おまえがウルティオか?」
ウルティオは曇った目でミカエルを見上げた。
「はい……どちら様ですか?」
「私はこの世界で天使長をやっているミカエルだ。そちらの世界の私は何をやっていたんだ?」
「ミカエル……ストラーフノーリと一騎打ちを行った末相討ちとなり大破消滅しました」
「そうだったか」
「なあ、オレの父上、インフェルっていう天使は知っているか?」
こういうのだけど、とフレメルはインフェルの画像を見せた。
「鬼と交戦した際、殿を務めていた隠竹という武将と相討ちになりました」
そっか、とフレメルは肩を落とした。
「あの兄さん強いもんな……でもオレ、父上に育てられなかったらあんなダサいことになっていたのか……」
「とりあえず、一度天界に戻るぞ。グランマークの頭もどうにかしなければ。グラセル、連れてきた人間が待っている。必ず回収して天界に来い。門が不安定だから急げ」
「はい!」
グラセルがドットの所に行くと、ラウルも擦り傷や切り傷を負ってはいても軽傷だった。
「二人ともよく無事だったね」
「グラセルや鬼、悪魔など、みんなのおかげだ。あとラウルが守ってくれた」
『ドットも、ナイフを投げて術者の喉を潰すなどよく戦いました』
無事でよかったと安堵の笑みを浮かべ、グラセルは二人に己の体内倉庫に入ってもらい天界へ飛ぶ一行に追いつき、久々に天界の空気を吸った。
「懐かしい」
「そっか、おまえずっと冥界と人間界にいたもんな」
「うん。またあちこちのお祭りとか行きたいな」
だが、青い顔をして冷や汗を流しているウルティオに気付いたグラセルは足を止めて手を差し伸べた。
「ウルティオ、手、繋ぐ?」
おずおずと伸ばされた手を取り、グラセルはゆっくりと歩調を合わせた。
ちょっとの物音や天使を見かけただけで酷い怯えが伝わって来る。
「父様」
「仕事中だから父様はやめなさい……なんだ?」
「私はルキフェル父様に名前を付けてもらったけど、父様ならなんて付けたの?」
なんだそんなことか、とミカエルは青い目を細くした。
「アルフ……大昔に飼っていた猟犬の名前だ。おまえみたいに食べるのが大好きで、特にリンゴにはうるさかった」
「ありがとう。ウルティオ、もしウルティオって呼ばれるのが嫌ならアルフって名乗るのはどう?」
「うん。あ、でも……グランマークはどうしよう」
「千里眼だから、センリで良いんじゃないかな」
まあ綺麗な生首、と笑うのは目隠しをしてジールを連れたグランマークだ。
「グランマーク、あちらのジールに関してはどうなった?」
「捕虜を返すことを条件に、迷惑料ってことでウルティオとグランマーク、ジールをもらうことができたよ」
「グランマークをもらった? どうやったんだ」
「あっちの汚職隠蔽体質でこっちが被った迷惑と、キンピカがやった侵略行為と、センリの行動からもうお宅らの味方をすることは無いって言ってやった」
「詳細は報告書にまとめてあり、提出しました」
ジールは意図して表情を消しているが、疲労の色は隠せない。
「ありがとう、後で読む」
「さ、父上に肉体を用意してもらっているし、データ移行の準備もできているよ」
第一技術研究室に置かれた三つの培養ポッドの内二つにはそれぞれ霊体の天使が二人ぷかぷか浮いていた。
「きゃ、どこも丸見え」
「ふざけてないでさっさと終わらせましょう」
ジールがあくびを噛み殺しながら言う。
「俺は早く帰って寝たいんです」
「わかってるけど、これどんなに急いでも一週間はかかるよ」
「ええ、急いでやってさっさと温泉入って寝ましょう」
そのやり取りを見ていたグラセルは、綿毛の塊をジールに差し出した。
「ジール先生、これあげる」
「グラセル?」
「冥界タンポポの綿毛で作った寝袋なの。空中にふわふわ浮くから、錨を天井や床、空間とかに打ち込んでね」
「ありがとう」
「グラセル、私には?」
「ごめんね、一個しかないの」
「そっかぁ」
肩を落としたグランマークはセンリの首を空いているポッドに入れて閉め、水を満たした。
「データ移行開始」
カタカタとキーボードを叩き、モニターにゲージが映し出されたがグランマークが言った通りデータ移行の完了までかなり時間がかかりそうだ。
「グランマーク、なんでこんなにかかるんだ?」
「またグロ画像とか集めてたんじゃないでしょうね」
ミカエルとジールの、じっとりとした目に彼は失礼だな、とむくれた。
「ただでさえデータ量が多いし、ジール君との同期もあるから時間がかかるんですよーだ」
ウルティオは不安そうな目でポッドに入っているジールを見上げた。
「あの、ジール、何か酷いことをされていませんでしたか?」
「大丈夫、何もされてなかったよ。再起動した時キミの心配をしていたよ。さあ、キミの中にいる子たち含めて全員治そうか」
「全員?」
まさか、とミカエルの頭に過ったのは身分証の発行手順だった。
「グランマーク、まさか……」
「うん。ウルティオの中に居る子、全員。私の千里眼を妨害していたのはウルティオの中に居る千里眼持ちが守ろうとしていただけだったんだ」
「は、はい……なんでわかったんですか」
「キミのアスカルークが起きたから。ほら、あっちでイェダが待ってるから、まずは傷を癒しておいで」
「ウルティオ、こっち」
グラセルに手を引かれ、ウルティオはイェダの前に立った。
「こちらの私とは初めましてだね。さ、中の子を全員出して」
「わ、わかりました。お願いします」
ウルティオは次々と天使たちを外に出し、グラセルがそれを待ち構えている医師や看護師の前へ誘導し列を作らせにかかった。
「軽傷の人はあっちの列に並んでください。気分が悪い人は真ん中の列、手足とかが吹っ飛んじゃっているような人がいたら運ぶので教えてください」
幸い、治せる者は自分で治したのか、手足が吹き飛んでいるような者はほとんどおらず治療もすぐに終わり、残るは軽傷の者たちの誘導だった。
「ウルティオにそっくりだなあ」
「お肌ももちもちねえ」
「わわ、ドット、ラウル!」
捕まったため、グラセルはドットとラウルを出した。
「誘導と列の整理、お願い!」
「わかった、任せろ」
誘導を開始したドットだったがすぐに首根っこをつかまれた。
「人間さんはか弱いんだから、ちゃんと手当てしなきゃダメだよ」
「グラセル、すまない。ラウル、後を頼む」
「わんっ」
残ったラウルは怯えさせないように子犬の姿で小さく吠えて誘導を頑張っていたのだが……。
「あら可愛い!」
「魔界狼……わざわざ子犬の姿になってくれているのか、頭良いなおまえ!」
『グラセル様ぁ』
ぴぃぴぃと鼻を鳴らし、助けを求めるも誰も救援に入れなかった。
ミカエルは身分証の発行手続き、フレメルは報告書と始末書の作成に追われていた。
しばらくしてやっと解放されたグラセルも報告書を書いて隠竹に送り、ウルティオの側に行く。
「お名前、どうする?」
「ごめんなさい、やっぱり、ウルティオのままでお願いします」
「うん、わかった。フレメル、この後お風呂とご飯行くけどどうする?」
「ちょっと待て……ぃよっしゃっ、終わった! これ出してくるから先に風呂行っててくれ!」
「わかった。さ、行こう」
こっち、とグラセルはウルティオの手を引いて歩き出し、ラウルはドットのフードに入って後に続いた。
「着いたよ。ここが共同浴場ね。ドット」
「どうした」
「天使には基本的に性別が無くて、その日の気分によって女の子になったり男の子になったりすることがよくあるんだ。混浴状態でもびっくりしないでね」
「わかった。ラウルはどうする」
「洗うよ。ね、ラウル」
ラウルは短く鼻を鳴らした。
早歩きでやってきたフレメルと合流して風呂に入り、ドットはさっさと自分を洗うとラウルを洗い始め、グラセルはウルティオに合わせてゆっくりと体を洗っていた。
「どうしたの?」
「熱く、ないよね」
「お湯の温度は約四〇度だから火傷しないよ。熱かったらここのつまみで水の量を増やして調節できるんだ」
「あ……温かい……」
「もしかして熱湯風呂にでも投げ込まれたの?」
うん、と彼はうなずいた。
「大戦が終わった後、殴られて水たまりの上に倒れ込んだら汚いって溶岩に叩き込まれた」
「熱いなんてもんじゃないじゃないの、それ」
見ていたフレメルが口を開いた。
「なあ、なんで向こうのオレたちはそんなダサいことになってるんだ。グラセルみたいな初期型なら戦力的にも大事にしてもらえるだろうに」
「自分の地位が脅かされると思ったんだって」
ぽつ、と言葉が落とされる。
「初期型のほとんどの天使は戦死しちゃって、戦いに向いた天使になれる、まっさらな状態だった初期型は私だけになっちゃったの」
戦争でどこの軍隊も疲弊しきっていたし、そこに倒したと思っていたルキフェル、正しくはその後継機が現れたことで戦況は様変わりし天使はどうにか勝利を収めた。
「でも、生まれたばかりのチビに従えないって。助けてくれたのは生き残った千里眼持ちのみんなだけだった」
フレメルは紅玉の目を瞬き、それをグラセルに向けた。
「グラセル、あのキンピカの仲間が来たら教えてくれ。半殺しにしてやる」
「え、だ、ダメだよ」
ウルティオが弱々しく訴えるとフレメルは小首を傾げ、やがて納得したようにうなずいた。
「わかった。皆殺しにしよう」
「フレメル」
ウルティオの世話をしていたグラセルに嗜めるような声音で呼ばれ、彼は唇を尖らせた。
「こしあんの押し売りはどうかと思う」
「そっちじゃねえよ! おまえもう飯のことしか考えてないだろ」
「うん!」
黙って聞いていた偵察部隊の天使数人が噴き出した。
その後、おはぎや饅頭はこしあんか粒あんかでわいわい騒ぎつつ一行は食堂へ向かった。
「ウルティオ、そんなに少なくて大丈夫?」
「どのくらい食べられるかわからないから、とりあえずこのくらい」
ウルティオの皿には申し訳程度しかよそられてなかった。
「……うん、足りなかったら好きなだけおかわりすればいいよ」
「うん」
食卓に着き、一行は食べ始めた。
「あ……」
「どうしたの?」
「味が、わかる」
グラセルは翼を出して己の能力を開放してウルティオを包んでやり、ドットはあやすように頭を撫でてやり、フレメルは追加を受け取りに行った。
頬を濡らしながら食べるウルティオにグラセルたちも瞳を濡らした。
「ウルティオ、まだまだいっぱいあるからね」
「連中が来たら教えろ。やっぱ気に入らねえから皆殺しにする」
するとドットが「それだと問題になる」と言う。
「軍事や狩猟の罠の研究ということで殺傷能力の高い罠を設置するのはどうだろう。それで、味方の近隣住民にはきちんと警告しておく」
「それいいな」
「ああ、かかる方が悪い」
物騒な事を言いつつ昼食を終え、一行は研究室へ戻った。
「戻ったか」
出迎えたミカエルの顔はやや疲労感が漂い、ジールは綿毛の寝袋に潜り込んでいびきをかいていた。
「あぁん、ジール君ずるいぃ……私もその中で寝たいのにぃ」
機械と有線接続中のグランマークは孫の手で寝袋を引き寄せようとするが、後数センチで届かない。
「先生は何をやっているの?」
「遊んでいるだけだ。ほらグランマーク、これなら有線接続のままでも眠れるだろう」
ミカエルは何やら金色の塊を出した。
「あれ、このベッドは」
「竜族のベッドだ。冷却で悩んでいただろう。冷却と結露防止の魔法がかけてあるから多少の無茶でも通せる」
「ありがとう!」
ごちっと良い音がした。
「……痛い……痛いよ……」
「父様、あれ寝心地悪そうだね」
「冷却最優先だからな」
タンコブを作りつつも仕事のペースを上げたのか、データ移行のペースが上がった。
「どうだ」
「これなら……四日かな。ジール君が復帰すれば三日」
「よし、ジール用にも用意しよう」
「循環式水冷ベッドでよろしく。これ寝心地悪いし接触面からしか放熱できないから効率悪い」
「了解した……ほら」
ミカエルはその場で魔導書を作り出しグランマークに渡した。
「ありがとう……うん、快適」
魔導書から水が溢れ出てグランマークを包み込んだ。
グランマークからの放熱で水がお湯になるがすぐに冷却されるようで、中にいる本人はとても快適そうで仕事の速度もまた上がった。
「グランマークはもう放っておいても大丈夫だ。家に帰るぞ」
「はい」
そうして家に帰った途端、ミカエルはグラセルを抱いて放さなかった。
異なる世界からやって来た天使たちの身分証や通信コードの割り振りなど、多大な労力を費やしたためだ。
公私の姿の落差に目を丸くするドットとウルティオだが、隠竹は呆れている。
「みっともないから離れろ。グラセルは俺の部下だろうが!」
「嫌だ、癒しが欲しいんだ! それにグラセルは私の子だ」
「やめてー、私のために争わないでー」
眺めていたドットはラウルを撫でながら小首を傾げる。
「お義父さんが、二人?」
聞いていたアガムはからから笑って呼びかけた。
「ほらお義父さん、ご飯ができましたよ」
「誰がお義父さんだ!」
二人して同時に返すがネズミの姿になって脱出したグラセルは素早く食卓に着いた。
「アガムさんのご飯!」
全員で夕食を食べ、寝静まった頃、ミカエルと隠竹はそっと話し合っていた。
「ウルティオはタンクとして利用されていただけだったな」
世界を亡ぼす危険な組織かと思いきや、別の世界で虐待を受け続けてやや歪んでしまったグラセルだったとは。
「ウルティオを組織名にしたのは信仰の力をも利用して歪みを大きくしてウルティオの力を削ぐためか?」
「ああ、タルムの予想が的中した」
ウルティオの世界にいる天使たちの思惑もあるが、こちらのテロリスト共の思惑も重なっていた。
「持ち帰った敵の首から情報を抜いてみたが、ウルティオから力を奪い尽くしたら列柱の中心部に自動的に箱が出現し、ウルティオ本人を喰らって完成する予定だった。またグランマークの首が演算装置として使われる計画もあった」
そうして完成した箱は人間界を旅して、開かれたら呪いをぶちまけて汚染、浸食し世界そのものを呪詛の箱にする。
「もしあの箱が完成して人間の手で開けられていたら、私たちはその呪詛に打ち勝てた人間のみを保存して一度世界を滅ぼし、新たな世界に彼らを放り込まねばならなかっただろう」
人間の負の感情が世界を満たした時、あるいは世界の生命の循環や環境が著しく損傷した時、自分たちは終末をもたらす……そういう決まりだった。
そのサイクルが早まってしまうのは良くない。
「そうだな。呪詛といえば、力の乱れなどに関してはどうなった」
「かなり落ち着いた。だが呪詛の影響で魔獣が発生、しかも繁殖するようになってしまった。エサは人間と人間が出す負の感情だ」
「エルイラーナには存続してもらわねばな」
「人間だけで魔獣が討伐できるようになったんだったか」
「ああ、彼らは自らの手で鋼を作り出し、それを神々や私たちが力の付与を行った武器を用いている。優れた職人などはそういった力の付与を必要としないことすらある」
「将来有望だな」
「グラセルが拾っただけはある」
ところで、と隠竹の目が光った。
「ウルティオも冥府によこさないか?」
「バカを言うな。あの子は天界に据え置きだ」
数日後、希望を聞かれたウルティオや千里眼の天使たちは天界に残ると言った。
「大丈夫? 無理してない?」
「してないよ。こっちの英知の森は無くなっちゃったんでしょ? なら、もう一度森を作れないかと思って」
「森の中に私たちの村を作る予定なんだ。ウルティオを一人になんかしないから大丈夫だよ」
そしてセンリとジールことリブラーは冥界で暮らすと言う。
「こっちの私と違って私は全部の目を使えるし、もう滅びのデータを受け取らなくて済むし、ジール君……じゃない、リブラーもいる。冥府なら就職口もあるでしょ」
「俺はセンリがいないと機能停止するんで、なるべく一緒にいたいです。あとお世話をしなきゃ」
隠竹は笑い、ミカエルは今すぐにでもふて寝したい気分になった。
「悪いなあ、センリとリブラーはうちがもらう」
「ああ、大事にしてやってくれ」
どうにかそれだけ返し、ミカエルは冥界へ帰る鬼と天使を見送るために門に行った。
そして、門を前に隠竹がグラセルに向き直った。
「グラセル」
「はい」
「呪物への対処ご苦労だった。後は人間界で夫を看取って、確実に冥府に連れて来い」
「はい! ドット、ラウル、行こう!」
グラセルはドットとラウルをまた倉庫に入れ、門の中へと飛び込んだ。
無事に帰還した二人をフェジオとクエネルは喜んで迎え、話しを聞き、それをイリアンがまとめた。
そうして迎えた夜、ドットはラウルの毛皮を撫でつつ言う。
「これからは戦士の時代ではなく交易重視の時代になるだろうから、俺はお払い箱だな」
「寂しくなるけど、そうだね。魔獣や逃げ出した魔界の獣、その子孫もこの先ちょっとは出るけど、この大陸ではそんなに増えることはできないでしょ」
「ああ。戦士ももう新しい世代が育ってきている……俺は老いたから、若い奴に地位を譲ろうと思う」
グラセルは出会った当初と比べてすっかり大人の男の顔になったドットを見上げた。
「エルイラーナが治めているこの大陸では魔獣に関してはもう心配しなくて良いけど、他の大陸や島では魔獣に対抗する術がまだ無いんだって。どうする?」
ドットは微笑んだ。
「限界まで旅してみよう。フェジオがきっと羨ましがる」
気付けば、グラセルに救われてから二十年も経っていて、自分は三十歳を過ぎていた。フェジオとアルダたちの間に生まれた王家の子供たちも随分育っていて玉座を押し付け合っている。
自分は商人になるだの学者になるだのと毎日が賑やかだとフェジオが呻いていた。
「そういえば、クエネルはどうするんだ?」
「フェジオが寿命で死ぬまでエルイラーナを助けるって」
「泣いて喜びそうだな」
その後、二人は三十年の間世界各地を回り、毎日のように日々の冒険を綴った手紙がフェジオに届いたという。




