野生と文明
サバイバル訓練当日の明け方、子供たちが無人島の森の中に放り出され、四苦八苦する様子を教員たちは見ていた。
「やっぱり、野生育ちは違いますね」
「グラセルにとっては天国だね」
ウィネルやクエネルを始めとする親によってまともに、大切に育てられた子供たちが悪戦苦闘する中、ただ一人グラセルだけは元気だった。
創造主の庭というのもあって味の良し悪しはあれど季節を問わず木の実が食べられるというのもあるが、グラセルは硬くてまずいと言われるような木の実や芋虫などを平気で完食し、水源地を確保して綺麗な水を飲み、獣の群れに交じって寝ていた。
「グラセル、なんでそんなに元気なの?」
「もう、体中が痛い」
弱音を吐くウィネルとクエネルにグラセルは若いココナッツに鉈を振るいながら言う。
「学校に来るまではこういうのが当たり前だったから。温かいご飯なんて食べた事無かったし」
「よくそれで生きて来られたな」
「うん。森の暮らしは桃の木さんや動物さんたちが教えてくれたの。リスさんやモモンガさん、鳥さんたちが食べられる木の実や葉っぱを教えてくれたり、ネコさんがネズミさんを、熊さんがお魚さんの獲り方を教えてくれたりしたの」
「うん、それで私とクエネルはお腹を壊して動けないんだけど」
「なんでグラセルは平気なんだ」
なんでだろうね、とグラセルは心底不思議そうな顔をしてココナッツを渡した。
「とりあえず、これ飲んで。新しいのを採ってくるから」
ぱたぱたと飛んで行くのを見送りつつ、二人はココナッツジュースに口を付けるのだった。
その様子を見ていたグランマークはそっと苦笑した。
「ちゃんとよく噛んだり調理したりしないからお腹を壊すんだよ」
グラセルが無事なのはただ慣れているからだろう。
「グランマークさん?」
「ああ、千里眼でグラセルの様子を見ていたんだ」
グランマークが机の上の水晶玉を一撫ですると、水晶玉は光り空中に像を結んで映像が流れ始めた。
「あ、ココナッツ見つけた」
グラセルはヤシの木を見上げ、その内の若い実を幾つかと落ちていた実を抱えて持ち去った。
そして、十分に熟していた実を良い場所に置いて飛び去る。
「ちゃんと他の果実のためになるのを選んでるね」
果実は多ければ多い程良いというわけでもなく、ある程度間引かなければ質の良い実は実らない。
「植物たちも怒らないわけですね」
グラセルは拠点に戻り、二人が飲み終えたココナッツを受け取るとかち割って中身をあげていた。
「でも不思議ですね。動物を狩ってもいいのに」
フレメルなど片端から狩って肉の祭状態だ。
目につく端から捕食しにかかるフレメルとは逆に、グラセルは子持ちや妊娠しているメス、手負いの獣は見逃してやり数が増えすぎている獣を狩りはするのだが、必要な分を確保すると残りは近くの獣にあげてしまう。
「ほとんど草食ですね」
「少し様子を見てみようか」
教員たちが各自の行動に目を光らせる中、グラセルたちの拠点に変化が訪れた。
拠点に肉食動物が現れるようになり、最初にグラセルが群れのボスと戦って叩き伸し、自分が食べていた肉を与える。すると獣たちはグラセルをボスと認識したのか狩りを手伝うようになった。
肉や木の実、山菜などの食物を分け合い、ちょっとした群れになっている。
狩った獣の皮や骨で寝床や狩猟道具を作ったり、植物をうまく使って虫除けの香や軟膏を作ったり、最近では土器や鉄器を作り出し生活水準は一番文明的で高くなっている。
「凄いね、ココナッツからここまで発展するなんて」
ココナッツからロープやタワシ、油などを作ったりしてそれを他の班と接触した際の交易品にしていた。
「水のろ過装置まで作りましたよ」
グラセルが自然界の循環の仕組みをクエネルとウィネルに教え、クエネルがそれを基に装置を考え、ウィネルが実用段階で発生しうる問題点を洗い出し、またクエネルが改良し、それをレンガやコンクリートの製造などの技術を持つ他の班に依頼して作成する。
その間、グラセルは材料を集めたり群れを率いて狩りをしたり、周囲を探索するという、完全な役割分担ができていた。
「逞しいね。まるで人の子みたい」
「あ、肉食型に変化が。他の班を襲撃、略奪しています」
「とうとうやったね。禁止してないからいいけど」
グラセルはどう防ぐつもりだろうと、グランマークは水晶玉の操作を別の教員に任せ焦点をグラセルに合わせた。
今日の食料調達を終えたグラセルは狼の子供たちと遊んでいた。
「……ん?」
ふと鼻を掠めた血の臭いにグラセルは低く大人の狼を呼んで子供たちと一緒に拠点に戻るよう指示を出し、そっと臭いを辿った。
この辺り一帯は自分たちの縄張りのはず。荒らすのは誰だ。
地面に伏せて音も無く移動し、草の影からそっと覗き見ると、天使が一人倒れていた。
周囲に敵の気配も無いが血の臭いが酷い。
「ジン、そんな怪我してどうしたの」
「あ、グラセル」
じわりとジンの目に涙が浮かんだ。
「フレメルが僕たちの拠点にやってきて、めちゃくちゃにしたの。ご飯もみんな取られちゃったぁ」
とうとうジンは声を上げて泣き出した。
すると、一匹のメスの狼がやって来てグラセルに冷たい鼻を押し付けた。
『グラセル様、森を酷く荒らす奴がいます。御身と同じ天使で、手負いも妊娠中の者も、子持ちも、見境なく狩っています。木々も遊びで伐り倒されたり踏み荒らされたりし、怒りに満ちています』
この辺りはグラセルがきっちり管理するようになったため快適に過ごせているが、これからはわからない。
「わかった、ありがとう」
ジンを拠点へと連れ帰ると、ウィネルとクエネルは驚きつつも手当てをし、事情を知ると取引先を潰されたクエネルは渋面を作った。
「あいつ、なんて野蛮な!」
ゴリゴリと木の実を磨り潰す手つきが荒くなる。
「グラセル、どうする? このままだと被害は拡大するし、ジンの他にも避難してきた場合、負傷者を収容するにも限界がある」
「それなら、他の避難民が来る前にフレメルを挑発して建設中の第二拠点で迎え撃つよ。ウィネル、危ない事を頼むけど襲撃を受けている班があったら、慌てたふりをして手紙を落としてほしい」
「手紙?」
「うん。手紙に、第二拠点にお引越ししましたっていう地図を書いておくの」
「良い案だがそれだけだと弱いな。ジン、奴ら真っ先に何を狙ってかっぱらった」
「え、お水と、お塩」
「グラセル、手紙に追加だ。先着三班に綺麗な水と塩、香辛料等の食料を出すと」
わかった、とグラセルは書き加える。
「ウィネル、捕まるなよ」
「うん。準備してから行くね」
ウィネルは弁当を作り始めた。
磨り潰した木の実から作ったパンを用意し、塩で作ったタレに漬けていた肉を炭火でじっくりと焼く。ふわりと漂う良い匂いにジンが目を奪われていたのでウィネルは焼いていた肉を一切れあげた。
ジンが肉を口にすると、塩と香辛料と油と、しっかり下処理された肉の良い香りが絶妙な調和を持って口の中に広がる。
「美味しい! こんなに良い物食べてたの? お塩はどうしたの」
「香辛料と香草はグラセルが見つけてくれたんだ。塩は、オーブンやかまどを使った際に発生する煙の熱を利用して海水を煮詰めて、それをそこに干してある海藻にかけて天日で乾かしたんだ」
乾いて白くなった海藻を軽く振れば塩の結晶がパラパラ落ちる。
「そのタレは最近完成したんだよ。グラセルがいろんな木の実や種を採って来て特徴を教えてくれて、クエネルが知っている調味料に近い物を作る努力をしてくれて、私がそれを最大限に活かす料理法を考えるんだ」
辛い種を知らないかとグラセルに聞いたらすぐに見つけてくれた。
「いいな。僕の所はレンガや焼き物しかできなかったから食糧難だったよ。お塩だって、交易で手に入れるしかなくて買い叩かれた」
「でも、そのおかげで私たちはこうしてオーブンや水の浄化装置が手に入ったんだ」
「持ちつ持たれつ、助け合いだから気にするな。ジン、おまえの班にいた他の奴らはどうした」
「わかんない。夢中で逃げたから」
「そっか……グラセル、第二拠点をそれっぽく偽装してて。私は手紙ついでに他の人を探すから。クエネルは念の為ここの守りを」
「任せろ」
手紙を手にしたウィネルはパンに焼いた肉を挟んで香草に包んだお弁当を持ち、小鳥の声を聴きフレメルを探し、運良く見つかる前に見つける事ができた。
グラセルとクエネルは手紙で釣れると思ったみたいだけど、それはあっちが自分たちの事をある程度知っている場合だ。
そこに本当に美味しい食料があるとわからなければ、あの馬鹿なようで意外と頭が切れる奴は釣れない。
弁当を手にぱきりと枯れ枝を踏み、フレメルと目が合った。
「ようウィネル。美味そうな物持ってんじゃねえか」
「うわぁ、本当にカツアゲしてたんだ」
見逃してほしいな、と言えばフレメルはにやにやと笑う。
「おまえグラセルと組んでたな。情報よこすなら見逃してやる」
「そっかぁ……あまり気乗りしないな」
「じゃあ、ぶちのめす!」
フレメルが地を蹴るほんの少し前にウィネルは地を蹴って空へ逃げたのだった。
弁当と手紙を落として。
フレメルは手紙を一瞥し、香草の包みを解いて臭いを嗅ぎ少し舐めてしばらくすると齧り付いた。
「……美味いな」
肉もきっちり血抜きがされ香辛料が効いており、ちゃんと叩いて切れ目まで入れてあるため柔らかくて食べやすかった。
そして塩気と微かに甘みがあるし、肉特有の臭みが無い。
「あいつら、かなり良い物食ってるな」
店に並んだっておかしくない味だ。
今までぶちのめした連中を使って拠点の整備や食料の生産と確保をやらせているが、ここまでの技術を持った奴はいない。
捕まえた連中も、グラセルの班は食料に関して群を抜いていると言っている。
「フレメル、どうだ?」
「ウィネルに会った。あいつら、こんなに良い物食ってたぞ」
一口ずつ食べた仲間たちが顔つきを変えた。
「……やろう」
「地図もある……捕虜たちはグラセルの班と交易して油や薬を手に入れたって言ってた」
グラセルたちは食料や薬、獣や植物から採れた油を差し出してレンガや土器、鉄器などを手に入れ、たった三人で更に豊かな暮らしを手に入れていた。
しかも、コショウとは違うが香辛料も手に入れている。
手には第二拠点の地図があるが、こいつは罠だろう。ジンを取り逃がしたからそこからグラセルに情報が渡ってもおかしくはない。
「フレメル、どうした? グラセルの班取らねえのか?」
「このままじゃダメだ、十中八九罠がある」
「なんで?」
「考えてみろ、ジンが手傷を負って逃げてるだろ? 森の中で血の臭いをぷんぷんさせてりゃ獣に襲われる。食い殺されるのを避けるためには人里に逃げ込むだろうよ。だがオレたちがこの辺りの班をほとんど吸収して一まとめにしちまったから、近場で残っているのはグラセルの班だけだ。交易があったならそっちに逃げ込む。オレたちの情報はとっくに流れてると見て良い」
「グラセルにそんな頭があるかよ」
ある、とフレメルは断言した。
「対人ならウィネルとクエネルがいる。クエネルはクソ真面目で勉強や鍛練を怠らないし、ウィネルは抜け目がない。グラセルは戦いの際の強さを見ただろう。飴で闘技場の地面を耕して逃げ場を潰していって、最後はあの空爆だ。説明能力がほとんど無いだけで狩りの能力はあるし、元々野生育ちだっていうから縄張りの防衛戦に関しては経験があるだろう」
「考え過ぎじゃないか?」
「舐め腐って油断したところをブチ伸されたいのか?」
フレメルは甘いと切り捨て、更に考える。
どうすればグラセルたちに勝てるか。
「どうするんだ?」
問う言葉に顔を上げ、口を開く。
「明け方に兵を八割率いて第一と第二、両方に東側から奇襲をかける。残り二割は拠点の防衛だ」
「卑怯じゃねえの?」
「卑怯もクソもあるか。そうしねえと勝てねえ」
夜中は警戒されるだろうが、明け方なら太陽光を味方に付けられるし、気も緩む。一晩中警戒しててくれれば疲れている所を叩ける。
全軍率いて拠点を一つずつ確実に潰すこともできるが、そんな事をすればグラセルはすぐさま自身の拠点を放棄して、少人数故の機動力を最大限に発揮してこちらの拠点と捕虜を奪うだろう。
「おまえら、あいつらは強く賢い。油断も慢心も無くやれ」
風を操作してそれらを拠点に流したウィネルは黙って口を尖らせ、そして聞いていたクエネルは舌打ちした。
第一か第二、どちらかにまとめて来てくれたなら拠点ごと潰してやったのに。なんて面倒な。
「こっちも準備を急がないと」
クエネルは魔法で作った地下室に大急ぎで水や食料を隠し、ジンと手負いの獣や子育て中の獣、妊娠中の獣などを招き入れ言い聞かせた。
グラセルのように通じてくれていれば良いのだが。
「いいか、大きな縄張り争いになるから大人しくしてろ。もし私とウィネル、グラセル以外の奴がここに降りて来たらあっちの通路から逃げろ。外に繋がっている。ジン、いざとなったらこいつらの誘導と殿を頼む」
「わ、わかった」
幼い狼がぴぃぴぃ鼻を鳴らしてクエネルにすり寄った。
「また遊んでやるから、家族をちゃんと守るんだぞ」
ふわふわの毛皮を撫でてやり、彼は立ち上がって出入り口を閉めて隠した。
冗談で作り始めた地下がこんな形で役に立つ日が来るとは夢にも思わなかったし、できればこんな風に使いたくはなかった。
「さて……来るなら来い」
全員返り討ちにしてやる。
一方、グラセルは簡単に張りぼての都市を作るとフレメルたちの会話に目を吊り上げた。
「褒めるかけなすかはっきりしてよ」
むすりと頬を膨らませてグラセルはある物を調達すると泥の中を転げ回り、特に鼻や頬骨の上に念入りに泥を塗りたくる。
『グラセル様、この戦、勝てるでしょうか』
グラセルは不安そうな顔の狼の頭を小さな手で撫でて笑い返した。
「勝てるよ。こっちは負けなければ良いだけんだもん」
こっちが負けないように戦うだけで、相手は勝手に生産力を落として物資を使い果たす形で疲れてくれる。
長く戦えば傷も増えるしお腹だって空くし武器も消耗する。なにより痛いし疲れて飽きて嫌になるものだ。
「何時に来ても同じだもん」
グラセルは余裕たっぷりに狼の群れの中で眠り、クエネルもグラセルに紹介されたフクロウに見張りを頼み眠った。
そして夜明け少し前、空が白み始める頃。
臭いと足音にグラセルは目を開けて狼たちを起こし配置に着いた。
全員が家屋に家探しに入ったのを受け、グラセルはそっと大地に囁く。
『大地よ、家屋を崩して』
獣たちの嘆きと木々の怒りを受けていた大地は声に応えて身を震わせ、昨日グラセルが作った張りぼての家屋を残らず崩した。
「かかれ!」
瓦礫から這い出て混乱している子供たちに狼が牙を剥き出しに襲い掛かり吠えたて、一か所に追い込みにかかる。
「フレメル、追い込まれてる!」
「突破するぞ、続け!」
フレメルの号令により統率を取り戻した子供たちは脱出を図るがそこは群れのボスが待機している道だった。
「バイバイ」
さっと狼の包囲網が消え、入れ替わりに植物の種が機関銃のように飛んできた。
「うわっ、いたたっ!」
「クソッ、グラセルか!」
「そうだよ。おはよう、眠れた?」
「いや、これからだ」
目の前に武器も無く現れた泥まみれのグラセルにフレメルは鉄のナイフを向けた。
「変な物飛ばしやがって」
「変じゃないよ。かわいい子なんだけど」
「なにがかわいい子だ」
グラセルに斬りかかろうとした時、未知の痛みにフレメルは動きを止めた。
「おい、おまえ、何しやがった」
「種を植えただけだよ」
フレメルたちは慌てて種が当たった所に目をやると、植物が高速で根を張り皮膚の下や肉の中を突き進んでいた。
麻酔効果もあるのか痛みはそれほどでもなく、それが逆に不気味だった。
そして、僅かな痛みと共に赤い露に濡れた新緑が顔を出す。
「ひ、あ」
森に悲鳴が響き、血塗れのクエネルは肩で息をしつつ狼の手当てをする手を一瞬止めた。
「グラセルをバカにするからだ」
森でグラセル以上に恐ろしい奴なんて、そうそういるものか。
ぎゅ、と包帯を縛り狼の頭を撫でてやる。
「ほら、終わったぞ。家族に顔を見せてやれ」
狼は冷たい鼻を手に押し付けて獣用の出入り口に入っていった。
一方、ウィネルはフレメルの拠点を襲い防衛に当たっていた同級生を植物の花粉で昏倒させ、捕虜たちを解放していた。
「出て大丈夫なの? フレメルが来るんじゃないの?」
「来ないよ。グラセルが倒した」
「グラセルが?」
「うん。教室に戻ったらわかるよ」
そしてグラセルはというと、フレメルの兵たちの命乞いに首を傾げていた。
「助けてくれ、許してくれ!」
「なんで?」
心からの疑問を込めた一言にフレメルと見ていた教員たちも目を丸くした。
「え、なんで……同じ天使だろ」
「私たちを食べに来たんでしょ? なんで自分たちが食べられる側になったってわからないの?」
「グラセル、頼むからやめてくれ!」
これに対し、グラセルは湿度の高い目を向ける。
「なんでさ。狼さんや熊さんたちから聞いたよ。お腹の中に子供がいる子を遊びで殺したり、もう勝負がついているのにしつこく攻撃したり、考え無しに木を伐ったり葉を毟ったりしたの」
フレメルたちが踏み荒らした草木の中には、五十年かけて芽を出した木もあったのだ。
「みんなやめてって言っていたのに聞かなかったよね!」
なるほど、とグランマークはうなずいた。
「あの子は友達のために怒ったのか」
自分たちは短期間しかこの森にいないけれど、動物たちはずっと長くこの森に棲む。決して好き勝手に荒らして良い場所ではない。
とはいえ、これ以上はまずい。
「ヤスミン、医療班に連絡を。植物の苗床にされた子供が十五名搬送される」
「は、はい!」
ヤスミンが医療班に連絡を入れ、医薬品と搬送の手配をしていると水晶玉からグラセルの声がした。
「自分からご飯になりに来た奴にかける情けなんて無いよ」
言ったグラセルは苗床にした同級生たちを引きずって日の当たる場所に置いた。
「かわいいね、また綺麗なお花見せてね」
それに応じるように植物の動きが活発になり、ヤスミンたちがフレメルたちを回収しに来た時には花が咲いていた。
「う、うぅ……」
内側から植物に食い荒らされ、まったく動けなくなった子供が呻く。
「うわ、十人も増えてる」
「フレメルの班とは別の奴だな」
漁夫の利を狙った班だよ、とグランマークが軽く言う。
「その子たちの不意打ちから狼の子供を庇ったクエネルが重傷を負わされて、グラセルがカンカンに怒って追加したんだよ」
罰が当たったね、とグランマークは植物に手を伸ばす。
「さて、茨さん、この子たちを解放してくれるかい……うん、ありがとう、良い子だね」
茨は子供たちの体から根っこの一欠片も残さずするすると退去して大地に根を降ろした。
「グランマーク、これは一体」
「この茨さんたちは動物に寄生して苗床にする事もあるけど、今回はグラセルがオシオキ目的で協力を要請していたから大人しく解放してくれたんだよ」
「こんな事もあるんですね」
「大地のお姫様を怒らせたんだ、かわいい方だよ」
でも、今回はやり過ぎだ。
「グランマーク先生……オレ、グラセルに負けたんですよね」
掠れ声に目を向けるとフレメルが目を覚ましていた。
「うん、完全敗北だ」
「油断したつもりも無かったのに、どうして」
「クエネルやウィネルのような一般的な天使の兵を相手にするのであればキミの作戦は間違ってはいなかった。キミが直接指揮を執りグラセル以外の二人を相手にするのであれば、苦戦はするけど確実に勝てたよ。捕虜を完全に自分の兵士として動かせていたのならグラセル相手でもキミの勝利は確実だった。でもこれはどんなに有能な指揮官でも難しいからあまり考えなくて良い」
「じゃあ、なんで」
「グラセルを常識的な兵士と考えたのが間違いだよ。動物の縄張り争いで防衛戦を知っているという読みまでは良かった。でも、あの子の大地や動植物に対しての知恵と情の深さを読み間違えた。キミがやらなければならなかったのは武力制圧ではなく外交だった」
外交、とフレメルは呻くように言う。
「話し合いでならグラセルの班と争うことなく同盟を結べたんだよ」
そうすればグラセルは森の保護と回復を求め、見返りに己の知識と技術を提供しただろう。
「そんなことが」
「可能だよ。動植物はそういう戦略に長けているんだ。甘くて美味しい実を付けるのだって、動物に実を食べてもらって自分の種をどこか遠くへ運んでもらうためだからね。ちゃんと代価を払ってる」
「オレは、間違えたんですね」
「あながち間違いとも言い切れないよ。キミの班もグラセルの班もどちらも文明の礎として素晴らしい物だった。両方とも規模が大きかったから衝突するのも時間の問題だったよ」
これは在り方の問題だとグランマークは思考を巡らせる。
同族を含む他者と戦い、奪って発展する様は炎のようだ。
短期間の内により強大な文明を築くのはフレメルの方だろうが、生物全体で見ると他の種族をいくつも滅ぼし、結果惑星をも喰らい尽くしかねない。
時が経つにつれ生物としての、個としての力は失われ、自ら敷いた法にがんじがらめにされて、いつの日か文明のために個があるのか、個のために文明があるのかという壁にぶち当たるだろう。
そうして獲得した技術や知識で発展した末に、資源を使い果たすか、叶えたい夢が無くなったその日が文明の寿命だろう。後は緩やかに数を減らし、眠るように衰退して滅ぶ事が予想される。
対するグラセルは、他者と共に程良く楽に生きるにはどうしたら良いだろうかと知恵を絞り、手を尽くす様は大地のそれだ。
文明の爆発的な発展は望めないが、生物としての多様性や野性的な強さを残したまま長く存続できるだろう。
生存するのは厳しく物を一つ作るにもとても手間がかかるが、その分大災害や大きな戦争でも無い限り人口はとんとん、奴隷にだって役割が与えられ無駄が生じ難い事が予想される。
今回はたまたまグラセルが勝ったが、同規模の文明同士の衝突となった場合ほぼ間違いなくフレメルの方に軍配が上がるだろう。
緩衝地帯に放った管理者は今の所グラセルのような生活を送っているが、このままその生活を続けるのか、フレメルのようなやり方を選ぶのか。
「先生?」
グランマークの思考はフレメルによって中断された。
「ああ、ちょっと考え事。今回の訓練は中央に報告しておくよ。緩衝地帯の発展と未来において重要な情報になる」
「そんなに、ですか?」
「うん。ゆっくり休んでね」
訓練を終えて学校に戻り、呼び出されたグラセルは寮から通うのではなく一か月の間都市部にあるミカエルの館から通うように命じられ絶望した顔をしたという。
通常なら娯楽が無いド田舎に送られるが、それでは罰にならないとの事だった。
「あぁりえなぁいぃ」
ぐったりとベッドに沈むグラセルにウィネルとクエネルは苦笑して声をかける。
「一か月すれば寮に戻れるんだろ」
それまでの我慢だ、とクエネルが言う。
「ほら、いざとなったらこっそり抜ければ良いさ」
限界まで学校に残って勉強するという手もあるとウィネルが提案する。
「うん、ありがとう。頑張るよ」
こうしてグラセルの都市暮らしが始まった。