アダムとイブのすぃーとホーム
この世界、この時代の街の空気はコンクリートとアスファルト、グレーとブラックの粒子に満ち、生物の味がしない。
「世知辛いね。世も末だよ」
あちこちでボヤき声。
「自分だけが良ければ良いのさ」
こちらでもボヤき声。
「神も仏も居りゃしない!バチばかりあててさ!」
神様も仏様も慈悲を忘れたと誤解され、いつしか人の世から離れていく。
森の木々様に天に向けて林立するビルの街を歩く人、人、人。
スクランブル交差点で、クロスする人、人、人。
迷う人、転ぶ人、重い荷物をあぐねる人。
それらを避けて、スイスイと行く人、人、人。
誰もが触れる事に恐怖を抱いているのか、
終焉の世は誰も手を差し伸べない。
★
――、ああ。あと……、一回だったったか?あー、ここ迄長っかった。カウントゼロになれば人間になれる、なれたら……。
ヴィィィーン。エレベーターの中でサラリーマンの姿に化けた悪魔が独り。愛妻が待つ部屋に戻りながら、今日は疲れた。お土産のケーキの箱を抱えて考える。
……、焦れてるよなぁ。奥様。怖いなぁ……、今日のお弁当にアイツ、絶対『聖水』入れたんじゃねえ?昼から腹の具合が悪かったよ。たく……。
「あと一回なんだから出来れば待ってて欲しい、マイハニー、ああ!でもそうなれば……、困ったな」
ピコーン。ガコン。四角い箱が止まり口が開いた。部屋へと向かい、スィートホームへと帰宅。
――、ルルルるるるる、らららら、らぁらあらぁ♪ピー!コトコト、カタカタ、グツグツ……
「ンフフ。今夜はカレー。ダーリンったらさっさと『100の善行』を片したら、人間になり、私とあんな事やこんな事出来るのにぃ、もう少ししたら。ダーリンのこれ迄の頑張りをきっと手助けして下さった、神に感謝致します」
ありふれたファミリータイプの一室。二人のスィートホーム。
そこで何故か、白いフリフリエプロンだけを身に着けている堕天使が、キッチンでありふれた夕食の支度の真っ最中。
本来ならば男でも女でもなく、ただ汚れなき美の極致の姿を持っている天使なのだが、ここにいる堕天使は性別男の悪魔と前世において秘められた純愛だったのだが恋人同士だった事を思い出し、同じく思い出した悪魔の愛の告白を受け入れた為に、墜されたその時以来、美しい女性の姿をとっている。
「ああん!早く人間になってベイビー欲しい!前世の夢のひとつなの、それに人間に化けれなくなってから、外に出るのは冬オンリー!羽根隠せなくなったのよね。コート着て、しかも人気の無い夜だけしかダーリンとお出かけ出来ないなんて」
クネクネしながら、お玉でクルクル鍋の中をかき混ぜている。クツクツクツクツ、スパイスな湯気が立つ。
……、ダーリン、悪魔が世のため人のために善行をすれば身を焼かれるなんて、私知らなかったの。ああ……、最初は大きな事して早く『禍憑』を出しきってしまおうと数回分、重ねて無理をしたら……、ダーリン、灰になるかと思ったわ。だから、百回に分ける様になっていたのね。だからちっぽけな親切ばかりを積んで、随分時間かかっちゃった。
堕天使は青い瞳に涙を浮かべる。
「でも!ダーリンは偉い。私達の愛の為に、あと一回迄辿り着いたの。本当ならそんな事しないでって言わなくちゃいけないんだけど。人間なんてどうだっていいもの。んん。ダーリンを人間にする手は、実はもうひとつ方法があるの。出来れはこっちでって、地に堕ちる時に、神様に最後の命令されたのだけど。うふふ。でもこれって塩梅がとっても難しいから嫌い」
ピッ!IHクッキングヒーターのスイッチを切ると、くるくるくるステップを踏みながら、エプロンの裾をひらひらさせた。背なの羽根から純白の羽毛が飛び散る。
「ああん、この羽根さえ無くなれば……。」
堕天使となっても天使の名残がある。頭に頂いていた輪っかは地上に堕され女の姿になった時、粉々に割れて無くなってしまい、羽根だけが残った。
「でも!少しだけ宿る禍憑を減らせたと思うの……、ダーリン!ラストの禍憑が少しでも小さくなる様に私、分量頑張るわ!」
自分自身に言い聞かしながら冷蔵庫へ向かう。パタン。ドアを開けて取り出したのは、百均で仕入れたボトル、中には澄んだ水が、底にほんの一雫のキララを宿し入っていた。
「ジャジャジャジャーン!神様から使えと言われた聖水!をう~んと薄めたもの。コレを毎日、毎日、毎日、少しずつ取り込めば禍憑が消えて行くんだけど……、だから世の中に迷惑がかからないラッキーアイテム!でも、下手をすればダーリンが、シュボッて即座に消えちゃう代物、きゃ!何これ?」
後ろからぽすんと頭の上に置かれたケーキの箱。
「普段の飯にソレ入れない、それ使った方がいいのは分かるけど、具合が悪くなるから平日は嫌だな、休日がいい。善行する時もそこを狙ってるんだぜ。で……、なんて格好してんだよ、ただいまハニー」
「おかえりなさい!ダーリン。わあ。ケーキ。嬉しい。うふふ。可愛いでしょう、だって!羽根があるから可愛いお洋服着れないんだもん!」
「そりゃそうだけど、それなりになんかあるだろ?通販で買ってるじゃん、下だけでも履け」
「あるけどパターン決まるから飽きちゃった!どうせダーリンだけしか会わないんだから、これで良いの♡」
は?コイツバカか?真っ裸にエプロンだけって何なの。頭が痛くなる悪魔の夫。ケーキの箱を食卓へ置きテレビをつける、ニュース番組がある。
「どこもかしこも新しい禍の話が多いな」
「この前ダーリンがお婆さんを助けたからでしょう?」
カチャカチャと食器を並べながら、妻は部屋着に着替える夫に話す。
「うん。そう。スクランブル交差点で渡りきれなかったからね、手を貸したんだ。あの時は苦しかったな……、三日三晩身体の中が業火に焼かれたんだよ、連休中で良かった」
轟々と紅蓮が身体中を走り回るのを、ベットの中で身を丸めじっと耐えた夫。開けた朝、何時もの様にスゥ……、と身体から出ていった禍憑。
「使うなって言うけど、あと一回が物凄く大きかったら、最初みたくダーリン灰になりそう!そりゃ。私は早く!ダーリンと契って赤ちゃん欲しい!ダーリンが人間になった時、私に真実の愛のキスをすれば、羽根が綺麗サッパリ無くなり、人間の女になれるんだけど」
スパイシーなカレーをよそいながら話す、彼が愛してやまない妻を席に座り眺めつつ、夫はテレビの番組を変える。思いっきり賑やかなバラエティ番組にした。
……、うん。まだまだ沢山人間は残ってるな。禍憑が俺の身体から出る度に、災害、病、大きな戦争が人の世を襲う。このままだと俺が放った禍憑で、人類滅んじゃうんじゃないか?て心配になる。
「そんなにコレを使ったら具合が悪くなるの?ダーリン。何時もほんのちょっぴりしか使ってないのに……」
カレーにサラダを運び終え、ボトルを手に不安そうに聞いてくる妻に、凹んだ思考を遮られる夫。
「うん。苦手。でもこの先はそれを使おうか、ラストをやらかしたら、人類滅亡しちゃうかもしれないし、さ」
禍憑が抜けるに連れ、良心が育ちつつある悪魔。
「人類滅亡……。でもでも、ダーリンが、コレを使い続けていたら、もしもってな事もあるでしょう?気を付けているけどほんのちょっぴりなのに。ダーリンがやり損なって消えたら……!そんなの嫌!」
堕天使はシンクに向かう。ジョボボボホ……。神から与えられたそれを流す。キララ……。最後にほんの一滴のモノが、儚い光を伴い排水口へと流された。
「ええ!バカ!何やってんだよ!」
それを見て、慌てて立ち上がり声を上げた悪魔。
「いいの!こんなの無くたって。だってあと一回だよ?」
「その一回で!人間居なくなったら、どうするんだよ!」
うふふ。と堕天使は無邪気に笑う。
「居なくなんかならないから。私達が残るでしょう?」
サッとボトルをゆすぐと、堕天使は食卓に座る。
ストン……、悪魔が気が抜けた様に椅子に座る。
「天に坐す我らの神よ。日々の糧に感謝致します」
堕天使がしとやかに祈りの言葉を述べる。
テレビから笑い声、話し声。ピロロ。地震速報のテロップを知らせる音。
白いクロスの上には湯気立つカレーの皿、レタスとプチトマト、コーンに海藻が盛られたボウル。薬味の小鉢。
ありふれた食事。
ソレを眼の前にし、ぐるぐると先を考えた悪魔が、ああ……、と思いつきニヤリと嘲笑う。スプーンにカレーをすくうと口に入れ、美味しいよハニーと褒めた。
「うふふ、ありがとうダーリン。未来のアダムとイブはここにいるの。神様がもしもの時はそうするからって、その時はお力を貸してくださるお約束。私達が新たなる世界の始祖となる様に、特別恩赦のご慈悲をお与えになられたの。神様信じててよかったわね。だから少し身体を休めたら、ラストを頑張って。応援してるわ、マイダーリン」
堕天使は微笑み愛しの悪魔を眺める。
★
この世界、この時代の街の空気はコンクリートとアスファルト、グレーとブラックの粒子に満ち、生物の味がしない。
「世知辛いね。世も末だよ」
あちこちでボヤき声。
「自分だけが良ければ良いのさ」
こちらでもボヤき声。
「神も仏もいやしない!バチばかりあててさ!」
神様も仏様も、慈悲を忘れたと誤解され、いつしか人の世から離れていく。
森の木々様に天に向けて林立するビルの街を歩く人、人、人。
スクランブル交差点で、クロスする人、人、人。
迷う人、転ぶ人、重い荷物をあぐねる人。
それらを避けて、スイスイと行く人、人、人。
誰も手を差し伸べない。触れる事を恐れる様に。
そして、この世界の終焉が何時になるのかは。
何時になるかは、まだ少しばかり未来。
しごくありふれたマンションの一室で、悪魔と堕天使は、甘く夢見て暮らしてる。
終。