2-②
あっ、と高階が呟いたのは、始業のベルが鳴ったと同時だった。
近くの席がいまだに空いたままなのをじっと見つめながら、隣の席の同僚に声をかけた。
「もしかして今日、久宗さんって来ない日ですか?」
同僚も同じように由祈乃の席が空いたままなのを見て、確かに今日はまだ見てないっすね、と答える。高階は溜息を吐いて肩を落としながら、
「悲しい日だ……」
同僚は笑って、今日は高階さんが窓口当番っすね、と言う。直後に電話が鳴って、高階も同僚も同時に動いたが、利き手で取ろうとした分だけ、同僚の方が素早かった。
はい、市民課戸籍室です、と隣で受けるのを聞きながら、とりあえず高階は庁内ネットワークの画面を立ち上げて、メールチェックを始める。
新着メールが一件来ている。秘書課の代表アカウントからだった。クリックして開くと、こんなことが書いてある。
『灰賀丈エフェクト対策部長が本日付で赴任されることとなりました。つきましては、十四時頃から各課への挨拶回りに訪れるとのことですので、あらかじめお知らせいたします』
へえ、と高階は呟く。偉い人たちは大変だ、と思いながら横目で小山田室長の席の方を見る。苦そうな顔でマグカップに口を付けている。そんなに嫌なら飲まなきゃいいのに、と言いたくなるような顔をしていた。
自分みたいなヒラには関係ないことだな、と思いながらメール画面を閉じる。ついでに、さっきまで見ていたニュースサイトも閉じることにする。一応業務関係のことを見ていたわけではあるけれど、インターネットの画面が窓口から見えるのはあんまりよろしいことではない。
焼け焦げた巨鳥の写真をもう一度だけ見て、×印を押した。
人のパソコンを使う気にはならない。
しばらく携帯を使って家の中でニュースを見ていたけれど、やっぱりじっとしているのは性に合わなくて、祐弥は駅の方に繰り出すことにした。道中に何か面白いものがあるわけでもない。だらだら歩くよりも、素直に最寄りの待合から路面電車に乗っていった。
意外に人はいる。こんな田舎なのに?と東京生まれ東京育ちとしては妥当な疑問も浮かんだりする。が、わざわざ調べるほどのことでもない。見えないところに人はいるんだな、なんて納得してそれでお終い。
それよりも気になるのは、意外に人がいる割に、やけに静かな街だということだった。平日昼間の古本屋の方がまだ活気があるように思える。今日の天気が冬曇りだからか、それともこの街を覆うドームが見た目通りに閉塞感を与えてきているのかは知らないが、妙にくぐもったような、ぼんやりとした空気があたりに満ちている。
駅前で路面電車を降りても、その印象は変わらなかった。
建物、というか店の並びなんかはそこまで東京と変わりはない。ターミナル駅と比べるのは酷だが、各停でしか止まらないような駅なら、東京にだってここよりのどかで、何もないような場所はいくらでもある。土地の使い方の豪快さを考慮に入れてしまえば、あるいはほとんどの駅よりも、ここ朔山駅の方が垢ぬけて見えるかもしれない。
いくらか歩いてみただけでも、結構な気合の入りようだとわかる。駅ビルだけ見てもカラオケ、服、本、ファミレス、とありきたりなものがちょっと並外れた広さで展開されているし、なんと屋上二階には水族館が入っているらしい。駅周りの案内板を見れば、映画館もそう遠くないところにあるようだし、飲食店の集まる通りもあるみたいだし、地図上で見られる図書館の面積は大きすぎて、アスレチックのあるタイプの公園と合体してるみたいに見える。
「すげ」
と祐弥は案内板の前で呟いた。これならいくらでも時間を潰せそうだ、と思う。思ってから、財布をバッグから取り出してみる。残金五千円。十分といえば十分だけど、どうせならもっと下ろしてぱあっと使ってしまおうか、と思う。最近の自分を客観的に見れば、それをするくらいの苦労はしている。間違いなく。
「つっても、ひとりじゃなあ」
祐弥にはいまいちひとりで遊ぶ、という遊び方がわからない。この間までいた学校は中高一貫で、しかも人数もそこまで多くないものだから仲の良い友達が多く、大抵のものは誘えば二人以上で一緒に遊べた。ひとりになることが嫌いなわけじゃないが、純粋にその状態での楽しみ方がわからない。
カラオケは却下。服も本もそこまで興味があるわけじゃないし、ひとりファミレスは絶対に時間を持て余す。ひとり焼肉に挑戦しようかと思ったけれど、五千円の半分以上がそれで吹っ飛んでしまいそうだし、何より朝食をそこそこ食べてしまったせいで、いまいち食べることに対するモチベーションが高くない。映画館か水族館かな、と思って、物珍しさに水族館を選択することにした。
あたりをぐるぐる見回ってから駅ビルに入ったせいか、構内図を見ると結構遠くのところにエレベーターがあった。大人しくエスカレーターを使うことにする。水族館は十階と十一階で、結構な階数を上ることになる。
途中で足を止めたのは、ちょっと見ない景色だったからだ。
生涯学習センター、と書いてある。八階まで上ってきたら、九階まで吹き抜けになっていて、どちらもその生涯学習センターらしい。
ボランティア系の響きがする、と祐弥は思った。が、そのフロア全体に学校に似た雰囲気が満ちていて、不思議な安心感が芽生える。
構内図はどこにでもあって、すぐに祐弥はそれを見つけられる。それからようやくなるほど、と頷く。イベントホールみたいなものか、と。
地図上に並んだ文字は、ナンバリングされた講義室と、多目的ホールと、それからトレーニングルーム。市民の集いとか、そういうやつに使う場所なんだろう。あんまり縁がなさそうなところだ。
階を後にしようとしたところで、遠くでエレベーターが開くのが見えた。そこからぞろぞろと人が降りてくるのも見えて、さらには多目的ホールにそれらがどんどん吸い込まれていくのも見えた。
なんだろう、と祐弥は足を止めた。気になる。何か面白いことをしているのかもしれない。ちょっと中を覗いてみようか。
大人しく水族館に行っておけばよかったものを。
おかげで祐弥は、ちょっと恐ろしいものを見る羽目になる。