2-①
ちゅんちゅん、という音につられて、少しずつ祐弥は目を覚ましつつある。
漫画みたいな声だな、と思った。ほんとにこんな鳴き声出すんだな、とぼんやり考えた。朝の時間にこんな風に近くで鳥の声を聞くことなんて、これまでなか、
「鳥っ!」
そして完全に、目を覚ます。
「…………あれ?」
昨日自分で片付けた、新しい自分の部屋で。
リビングに近付くにつれて、ずぞっ、ずぞぞっ、という音が聞こえてきて、リビングに辿り着くと、半分くらい死んだような顔で由祈乃がカップ麺を啜っていた。それはほとんど目を瞑ってすらいるような様子で、恐る恐る祐弥は近付く。
「お、おはようございます……」
おはよう、とものすごく気怠い声が返ってきた。それからものすごくのっそりとした声色で、
「よく眠れた? 私はこれから寝るんだけど」
「あ、え。寝てないんすか」
「昨日の後処理で夜間待機要員になっちゃって……。私ロングスリーパーだから、こういうときほんときついんだよ」
もっきゅもっきゅと麺をたらふく口に含んでは咀嚼する由祈乃。それを見ているうちに祐弥のお腹もぐう、と鳴り、何か食べるものないかな、と目線を探らせると、由祈乃が何も言わずに立ち上がり、後をついていくとキッチンの下の棚を開け、いくつかのカップ麺から選ばせてくれる。とんこつラーメン、ソースマヨネーズ焼きそば、てんぷらうどん特盛。いやそんなに朝から食えるかな、と思いつつなぜだか今朝は妙に食欲が旺盛で、とんこつラーメンを選ぶ。
由祈乃にケトルでお湯を沸かしてもらいながら、そこでようやく自分が聞くべきことに思い当たる。
「あの、昨日」
「大変だったね。私も連絡来たときびっくりしたよ。市民証、持って行かないで外出ちゃって締め出されて……って。滅多にあるものじゃないから、災難だったよね。何もなくてよかったけど」
「あ、何もなかったんですか」
「ん?」
「いや、なんか昨日の記憶全然なくて……」
由祈乃は怪訝な顔をしながら、
「わっ、」
急に祐弥の額に手のひらを当てて、
「……酔っぱらい?」
「未成年っすよ!」
「敬語」
「あ」
「無理にとは言わないけど」
そのときかぽっ、と音がして、ケトルの湯が沸いた。祐弥が動く前に、慣れた風に由祈乃がそれを手に取って、さっとカップ麺を仕上げてしまう。ん、と差し出されたそれを、どうも、とおずおず受け取る。
「あたし、昨日どうやって帰ってきたんす……来た?」
「あ、そこから記憶ないんだ?」
「はい……、うん。ていうか全般的に……」
「ちゃんと歩いて帰って来たよ」
「え、マジ?」
「マジマジ」
由祈乃は携帯を取り出して、いくらか操作した後、画面を見せてくる。
『朔山市 二度目のエフェクト災害 けが人等なし』
ほっ、と祐弥は息を吐く。けが人なし。ということはあのときのあの和服の子も逃げきれた、ということだ。横転した車を目にしたことは覚えているけれど、あれだってそこまで派手だったわけじゃないし、運がよかったのだろう。ひとまずは、それで安堵する。
「もう出てるんすね、ニュース」
「まあね。被害こそそれだけど、規模は最近の中じゃ一番だから……。あ、そうだ」
そこでパッと由祈乃は目を大きく開いて、
「喜べちびっ子。しばらく学校はお休みだそうです」
「え」
「って、連絡がさっき学校からありました。今日から行く予定にはしてたけど、まあこんなことがあったらね。前は一ヶ月くらい休みになってたから、今回も最低一週間くらいは休みになるんじゃないかな。というわけで、謳歌するといいよ。若さを」
「はあ……」
まあそりゃそうか、と祐弥は思う。台風が来れば休みになるように、〈エフェクト〉が発生したらしばらく休みになるのが普通だ。正直なところ昨日の今日で急に学校に行って心機一転新生活がんばるぞ!という気持ちにはなり難かったので、素直にありがたい。
まあそれはいい。それはいいけれど、そもそも昨日、自分がどんな風にこの家まで帰って来たかの方が聞きたいことで、
「あの、」
「もし時間を潰す道具がないなら、私のパソコン、使ってくれていいよ。ゲーム機とかはほとんどないけど。別にお店とかが営業自粛するって話は聞かないから、駅の方に行けばそういうのもいいかも。私は眠すぎて吐きそうなのでもう寝ます。あ、あとまた夜番になっちゃったから午後から家出るね。ということで夜はまたそのへんのを食べてください。もしくは買い物に行ってきてください」
ごちそうさまでした、と由祈乃が手を合わせれば、それで何も言えなくなってしまう。
仕方ない。いや仕方なくはないが、これから一緒に生活する相手に、何もこんなに序盤で波風を立てることもない、と思う。生きているし、けがもないのだ。だからどうやっていま生きていて、けがもないのかを調べるのは、もう少しゆっくりやってもいいだろう、という優先順位の付け方もある。
おやすみなさい、と告げようとして、それでもひとつだけ、今すぐ聞かなくちゃいけないことを思いついた。
「すんません。いっこだけ。市民証ってどこ行けば貰えま……貰える?」
「え? 机の上に置いておいたよね」
「え、」
「ほら、重要書類一覧みたいなクリアファイル。学生証とか含めて目次と一緒に置いておいたんだけど」
「マジか。ごめんなさい、全然見てませんでした」
「ううん、私こそごめんね。大事なことはちゃんと言っておけばよかったね」
他にない?と聞いてくる由祈乃に、大丈夫す、と祐弥は答える。
まあ大丈夫だ、とその背を見送りながら思う。
生きてるし。