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1-③



「んー。まあ、こんなとこか」

 大きく背伸びをすると、もうすっかり日も傾きかけている。窓辺に寄りかかりながら、薄暗く曇り始めた部屋の中を祐弥は眺める。

 思ったよりも荷物は少なかった。段ボールに数箱。自分の荷物はたったそれだけで、半日もかからずに部屋の中はすっかり生活めいた。

 これからここで暮らすらしい。

「実感、湧かねー」

 何もかもが急だった、と祐弥は思う。

 両親との突然の別れもそうだが、引き取り手として叔母が手を上げてくれたのも、前の東京のマンションを引き払ってこの街にやって来たのも、やっぱり何ひとつとってみても急すぎて、まだまったく理解が追い付いていない。

「……ま、そりゃそうか。ずっと寝てたんだし」

 祐弥は腰を捻るようにして、屈んでは立ち上がってを繰り返した自分の身体を労わる。その努力の成果に背を向けるようにして、外の景色を見る。

 平屋の窓から見る景色は、これまでの人生でずっと見てきたような、高層階からの眺めとはまるで違っていた。文字通り地に足が着いたような安心感と、いまこの瞬間に誰がそこから入ってこようとしてもおかしくない、そういう不安感が入り混じる。

 冬の陽は短く、もう白っぽく落ち始めた光が、部屋を満たしている。

「……散歩でも行くか」

 早いうちに家の周りに何があって何がないか、確認しておくことも必要だろう。祐弥は窓を閉めると、由祈乃から貰った地図を片手に、靴を履いて家から出る。今度はちゃんと、自分で勢いよく玄関の戸を閉めた。

「あれ?」

 鍵を閉めて、家の前の道路に出て、右と左を確認して手元に目を落とした祐弥は気付く。右にも左にも、どちらにも道がある。由祈乃から渡された地図を見ると、この家の左側にしか道が続いていないのに。

 左に進めば、スーパーもコンビニもある。右に進めば、

「せっかくだし、こっちに行ってみるか」

 何があるかわからない。そっちの方が面白い。祐弥は口の端をにんまり上げて、右に向かって歩き出した。

 じっとしているよりも身体を動かしていた方がすっきりする。前の学校ではバスケ部で、ほとんど毎日走り込みだってしていた。今さらこっちの学校で部活をやる気になるかと言えば微妙なところだけれど、それでもこうやって少しでも暇を見つければどこかに出歩いていく、そういう癖はたぶん抜けやしないだろうと思う。

「何があるわけでもないみてーだけど」

 歩き始めてから五分もすれば、この地図の作り手が右側の道を省いた理由が薄らわかってくる。

 何もないのだ。本当に、何も。

 田畑に背景以上の価値を見出せる人間だったら別だろうが、祐弥から見れば本当に何もないようにしか見えない。どうなってんだ、と思う。駅からここに来るにつれて段々素朴な感じになってきているのには薄々勘付いていたけれど、ビル群からせいぜい三十分やそこら歩いただけでここまで絵に描いたような田舎になるようなものなのだろうか。冬枯れの草花ほど寂しいものはなく、漠として広がる田畑の土は味気なく、あるいはその表面に降り落ちた霜だけがこの世に残された僅かな色として祐弥の目に映り込んでくる。気分を変えてみようと顔を上げてみても、空はいつもの冬曇りだし、

「これだしなあ」

 白く溜息を吐いた。瞳と空の間に架かった、透明のドームを見つめながら。

「変な街」

 呟きながら歩き続けていると、そのドームの曲線が段々丸みを帯びて地面に近付いてくる。

 行き止まりだ。はあん、と祐弥は頷く。

「結構端の方にあんだな、家」

 これで地図の作り手の意図がはっきりわかった。右側には本当に何もなかったのだ。少なくともここに来たばかりの高校生が必要とするものは、本当に何も。

 街の端では、透明のドームが、透明のパネルの壁として立っていて、外と中とを切り分けている。平常時だったらどこだろうが少し手で押してやるだけで、忍者のからくり屋敷みたいに壁が扉になって開くということはすでにわかっているが、向こう側に広がっているのも大して今までと変わり映えする景色ではない。このへんで引き返そうか、と思ったとき、ふと祐弥の視界に、鮮やかな色が映り込んだ。

 赤いマフラー。

 それだけだったら、そこまで不思議には思わなかっただろうに。

 へえ、と祐弥は驚く。和服だった。背格好から見て、自分より小柄な女だろう。壁の向こうに、和服に赤いマフラーの女が立っている。東京にいたころは割と見かけたりしたけれど、このあたりにもそんな服を着てる人がいるんだな、と思うと同時、さすがに和服にマフラーを合わせてる人は今まで見たことなかったな、とその奇抜さに動揺したりもしている。

 目が合った。

 咄嗟に逸らす暇もなかった。突然振り向いたその女――顔を見れば女の子――と、ばっちり目が合った。向こうは驚いたように目を見開き、祐弥はきっとそれ以上に驚いて目を見開いている。

 自分で不思議だった。

 初めて見る顔なのに、なぜだかどこかで会ったことがあるような気がした。

 そして、その女の子は微笑んで、ぺこり、と頭を下げてきた。

 祐弥も同じように、微笑みこそできなかったが頭を下げる。ども、と絶対に聞こえないような音量で呟いてみたりもする。少し迷って、結局パネルの壁を押して、外に出ていく。

「こんちわ」

「こんにちは」

 静かな声だな、と祐弥は思った。綺麗だとは思ったけれど、ここが街中だったら簡単に聞こえなくなりそうな、あるいは季節が夏だったらそれだけでかき消えそうな、そんな声をしていた。

 でも、なぜだか妙に落ち着く。まさか一目惚れってわけじゃあるまいし。やけに強く感じられる親しみに、心の中で祐弥は首を傾げた。

「お散歩ですか」

 お散歩。その響きを祐弥は少しだけ噛みしめる。同じくらいの年に見えたけれど、自分とは随分キャラが違いそうだ、と。少なくともお散歩、なんて言葉を使う時点で、球技大会のドッジボールで本気になりすぎて鼻から大量出血する羽目になる、なんて経験はこれまでもこれからもなさそうに見える。

「そんなとこ。そっちも?」

「はい。……ええと、」

 視線が自分の髪に集められているのが、感覚でわかる。祐弥は自分の髪を一房摘まんで、ちょっと恥ずかしくなりながら、

「これ? 最近染めたんだけど、もしかして馴染んでない?」

「いえ、そんなことは……。ただ、あまり見ない方だと思って」

 ああ、と祐弥は頷く。

 東京を出る直前に、思いっきり髪を金色に染めた。未だに目に映るたびに自分で驚くくらいにはきっちり染めた。確かに街の中心部はともかく、こんな何もないところにいきなりこんな派手な頭が現れたら、そりゃ注目するだろう。たぶん自分でもすると思う。でも、向こうだって、見様によっては自分よりも目立つ格好をしている。

 お互いにお互いを、変な恰好の奴だな、なんて思って見ていたと考えると、ちょっと笑えた。

「最近引っ越してきたんだ」

 悪くはないかもしれない、と祐弥は思う。知り合いらしい知り合いが、身内のたった一人。元々物怖じしない性格とはいえ、ちょっとくらいは不安に思っていたのだ。

 ここで一人くらい、学校に行く前に、気安い相手を作っておくのも悪くないかもしれない。

 このへんに住んでんの、なんて言葉を口にする前に、二人揃って上を向いた。

 街の壁の外。ここではドームの屋根に遮られず、直接空が見える。

 灰色の空から、はらはらと白。

 片手を受け皿にするようにして差し伸べていた和服の少女が、それに触れて言う。

「雪、」

 それで、もう会話は終わりになることが決まった。どちらから言うでもなく、それは決定してしまった。

 東京で育っていようと、田舎で育っていようと。

 髪を染めていようと、和服を着ていようと。

 どんなに違いがあったとしても、今、この世界に住む限り、誰だってそれが意味するところはわかっている。

 これから〈めちゃくちゃなこと〉が起こる。

 逃げなければならない。



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