表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/29

6-①


 この街に雪は降らない。

 そのことを、不思議な気持ちになって、バスの窓から空を見上げて祐弥は思っていた。

 〈エフェクト〉の起きる前には、〈兆候〉として、雪が降り始める。三十年前――、自分が生まれるよりも前の話だからよくは知らないけれど、その頃までに降っていた雪と、今の雪とでは意味合いが違う。

 たまにテレビで見たりすると、綺麗だと思うけれど。

 それはやっぱり、脅威で、恐怖すべきものなのだと思う。

 バスは静かに揺れている。駅から遠ざかっていく風景はやがてどんどん寂しく変わっていく。家々はまばらになり、店はなくなっていく。道路の周りにも段々と人通りはなくなってゆき、そのうちよほど注意深く見ない限りは、何かがあるということすら覚えていられないような景色に変わっていく。

 その景色の向こうで、シェルターの外には、いつもどおりの灰色の雲。

 この街に雪は降らない。たとえもう三度も〈エフェクト〉に見舞われていたとしても、それでもこの街は、雪を受け付けない。透明なあの天井は、雪が降り出せばすぐに白く変わって、外の景色を見せないようにする。

 この街から、雪は見えない。

 そのはずなのに、祐弥は一度それを見ている。もちろんそれは、見ようと思って見たわけではないのだけれど。自分の意志に反して、たまたま見てしまったのだけれど。

 なんとなく、今はそれが。

 もうすぐ着くよ、と言えば、永が、はい、と答えた。



 深刻な事態であることは、恒住の顔を見た者であれば誰でもわかっただろう。

 額に浮かぶ汗が、急いで来たからとか、そんな生易しいものでないことは、その目の必死さが語っている。

 玄関付近に佇んでいた由祈乃の姿を見つけるや、恒住は走ってきて、

「灰賀丈部長は! どこに!」

 それに対して、由祈乃は怯えるでもなく、こちらです、と早足で先導する。玄関正面のエレベーターを通り過ぎて、奥。関係者用、と書かれたエレベーターに乗って、地下の二階へと連れていく。

 降りた先で、廊下はコンクリートの打ちっぱなしになっている。寒さと言うよりも冷気が支配する中、屋内だというのに吐く息は白い。窓もなければ光のひとつも入らず、非常口への案内灯があたりをうっすらと緑色に照らしている。古い黴のような匂いの立ち込める中を、二人は歩く。

 錆の目立つ、鉄扉がある。由祈乃はそれに鍵を差し込み開く。金属音が静けさの中に響く。殺風景な書棚の前のスペースに、粗末なパイプ椅子に腰かけた灰賀丈がいる。

 立ち上がって、お待ちしておりましたと言う灰賀丈に、恒住は挨拶すらも省いて、

「何も把握されてないんですね? そちらは。発散実験のことを」

 灰賀丈も、本題に入る準備はできていたらしく、動じることなく、

「ええ。E研が何か行うという話は、市長、副市長にも届いておりません」

 すると、恒住は苦々しい、ひょっとすると今にも泣き出しそうな表情に顔を歪めて、

「……最悪の事態が起こってる。もしかすると、俺たちみんな、騙されてたのかもしれない」

「騙されている? それはどういう……」

 眉を顰める灰賀丈に、一方で口を開こうとした恒住は、依然として文書室に残っている由祈乃に視線を向ける。

「あの、そっちの方は……」

「緊急事態が高い事項なのでしょう。でしたら、そこの久宗がいた方が好都合です。彼女も学生時代、私と同じゼミで〈エフェクト〉関係について学んでいます。さらに言えば――あまりこういうことは言うべきではないかもしれませんが――、私との個人的な繋がりもあります」

 灰賀丈は由祈乃を見る。由祈乃の表情は動かない。

「有体に言って、信頼しているということです。リスクを低く抑えられるのであれば、参加するプレイヤーは多い方がいい。ですから、そのままお話しください」

 そういうことなら、と恒住は頷き、話し始める。

「事の発端は、IEO、国際エフェクト機構から、日本政府を通してうちにオーダーされてきた実験計画です」

「日本政府? 管轄は?」

「え? あーっと、確か、いや内閣府です。内閣府だった」

 灰賀丈は顔を歪め、

「やっぱりよそが絡んでるのか。うちの縄張りに鼻を突っ込んできて、どういうつもりだ……?」

 続けても、と恒住が聞けば、ああ、と謝り、先を促す。

「その実験の内容はこういうものでした。S値とV量のことはご存じですか。……なら話は早い。現在はS値とV量については正の相関が認められるという見方が支配的になっています。つまり、S値、兆候に関わる値が大きいほど、V量、〈エフェクト〉発生時に起こる現象の規模が大きくなる傾向があるということです。

 IEOからの依頼は、それに目を付けて、〈エフェクト〉災害の軽減のために、人為的にS値が低い状態で〈エフェクト〉を起こせないかを実験してほしいというものでした」

「……なんだと?」

 灰賀丈は低い声で言う。

「ということは、これまでの朔山市の〈エフェクト〉災害は、人為的に、E研によって引き起こされたものだということか?」

「そうです。これは、」

「ふざけるな!」

 パイプ椅子が大きな音を立てて転げる。灰賀丈は両拳を握りしめて、勢いよく立ち上がっていた。

「よくもぬけぬけと言えたものだな! 何十人も死んでるんだぞ!」

「ま、待ってください。俺、私たちが実験を始めたのは〈朔山消失事件〉以降、今年からで……」

「同じことだ! お前ら、一体人の命をなんだと――」

「同じじゃないよ」

 静かな声だった。

 けれど、それで灰賀丈の叫ぶような声は止まる。声の主は由祈乃で、落ち着いた表情のまま、言い聞かせるように口を開く。

「同じじゃないよ。誰も殺してない。先月も、今月も、死んだ人は誰もいなかったんだから。恒住さんは誰の命も奪ってない。だから、同じじゃないよ。隹親。ちょっと落ち着いて」

「…………」

 灰賀丈は、それで細く、怒りに満ちた溜息を吐き、ゆっくりと拳を開いていく。

「……すまない。取り乱した。話を続けてくれ」

「いえ、言われても当然のことですから……。

 その依頼は、私のところに来ました。私は元々、先端エネルギー工学を専門としていたんですが、以前のポストの任期が切れる頃に、知人からE研に誘われまして、そこで〈エフェクト〉によって発生するエネルギーについて、資源としての運用可能性に関する研究を行っていたんです」

「エネルギー利用? ……総務省にいた頃から聞いたことがないが」

「そうだと思います。一応、所属としては公にされていたんですが、研究内容についてはあまり口外しないようにとE研の上の方から言われて雇用されてましたから。はっきり言って自分のキャリアにも載せられない可能性が高い、と事前に言われたりもしていました。それでも破格の給与を提示されまして……、金に目が眩んだという、情けない話ですが」

「そんなことないと思いますよ」

 由祈乃が言う。それに、恒住も灰賀丈も視線を集めて、

「お金がないと生きていけないんですから。お金のために何かをするってことが情けないなんて、そんなことはないと思います」

「そう言っていただけると……」

「随分肩を持つな、久宗」

「別にそういうわけじゃないよ。ただ、もう後悔してる人を責め立てたって仕方ないでしょ。……すみません、話の腰を折っちゃって。続きをお願いします」

 恒住の背筋が、少しだけ伸びる。

「初めに条件を提示されたときは、正直言って怪しいと思ったんです。でも、そこにはそれなりの理由があって……。今となっては建前かもしれないんですが。

 元々、研究成果を見込まれた分野ではなかったんです。部長さんが聞いたことがないと仰ったとおり、エネルギー利用については、管轄されてる総務省すらまだ目を向けていない分野です。そもそも〈エフェクト〉の発生メカニズムについても明らかにされていませんし、基礎研究すら単なる観測の域を出ていない。ニュートンが引力のことなんて何も思いつかないまま林檎が落ちるのを見ているようなものです。その状態でエネルギー運用なんてできるわけがない。私の役目は他のエネルギー工学の理論を用いて、〈エフェクト〉の性質を仮置きしてその運用モデルを考え出す、それだけの、はっきり言ってしまえば直接的に即時に社会の利益になる要素の低い、事前準備的な性格のものでした。昨今の研究事情に関する成果主義の考え方からすれば、真っ先に排除されるようなもので、そこに貴重な〈エフェクト〉災害対策費を注ぎ込んでいると知られるのは望ましくない。それがE研上層部の言い分で、そのために私は、自分自身の研究内容が公にされないことについて飲みこんでいました。

 それだけならよかったんですが、その先です。

実験を、成功させてしまったんです」

「実験……? それは、今回の〈エフェクト〉発生のような、ということか?」

「いえ、最初は本当に小規模でした。東京、首都高の〈エフェクト〉災害の前に、覚えてますかね。西東京で小規模な〈エフェクト〉が発生していたことを。覚えてないなら構いません。いずれにせよ、その内容自体は大したものではないので。

 その日、ちょうど研究室内でひとつのモデルを実際に組み立てて作ってみていたんです。簡単な装置で、〈エフェクト〉発生時のV量を一部借用してモーターを動かす、という仕組みのものでした。そのへんの高校生だって作れるようなちゃちな作りのものだったんですが、あらかじめ都内のS値の変動がそれらしいことはわかっていたので、試しに設置してみたんです。そうしたら、モーターを実際に動かすことに成功しまして」

「それは、」

 灰賀丈は息を呑む。

「とんでもないことじゃないか。発展させれば、〈エフェクト〉災害そのものの立ち位置が、まるで変わる」

「いえ、そこまでのものじゃないんです。実験の詳細レポートを見てもらえればきっと部長さんにはわかってもらえるんじゃないかと思うんですが、はっきり言って再現性がない。直感に論理と理論を付与するのが科学だとすれば、あれは科学のもっと前にあるものです。

元々、とてつもなく無理があるんですよ。現時点における〈エフェクト〉のエネルギー転用というのは。〈エフェクト〉の発生条件がはっきりしない上、発生時における現象もバラバラ。当然発生場所も定まらないものだから、同条件による実験がまずできない。実験室で再現できない現象を研究するのは、現代科学の趣旨にそぐわないんです」

「……確かに、そのとおりかもしれない。しかし、あなたはその実験を見事に成功させた。ならば、そこには何かしらの裏付けがあるはずだ」

「いいえ、ただの直感です」

 恒住はきっぱりと言った。それに灰賀丈は、一瞬言葉を失う。

「私は直感先行型なんです。理論の積み重ねの先で直感を見出すわけじゃなく、直感によって得た結果と前提の間の膨大な距離を理論で埋めるタイプ。そして今回は理論が構築できなかった。だからこれは科学技術のためにはあまり意味のない成功だったんです。

 ……それでも一応、公金を頂いているのだから、なんて。そんな柄にもないことを考えて、報告書を仕立ててしまったのが、すべての間違いだったのかもしれません。内部用として出したつもりだったのが、おそらくIEOに渡った。だから、私に白羽の矢が立ったのだと、そう思います。先ほど述べた、人為的な低S値状態による〈エフェクト〉の発生――つまり、定期的なS値の発散によるV量の抑制。その実験を、国内で行うことになった。そして内閣府から提示された実験場が、ここ。朔山市です」

「シェルターがあるからですか?」

 そこで、由祈乃が口を挟んだ。恒住は頷く。

「もちろん、それもあります。ここ朔山市は、国際的に見ても〈エフェクト〉対策の精度が非常に高い。衆院選挙の直前に〈朔山消失事件〉があって、そこに色々と政治的なやりとりがあっただとか、そういう背景があるらしいですが、とにかく地方都市としては、それどころか日本という小さな国家が抱えるには不相応なほどに高度な防衛体制が築かれている。

 ……はっきり言います。私はこの街が実験場にされることに、何の異論もなかった」

 一拍、恒住は間を置いた。その間に、いかなる罰でも受ける覚悟があると言いたげに。

 けれど、由祈乃も、すでに灰賀丈も、動こうとしなかった。だから、恒住はそのまま続ける。

「〈エフェクト〉は、これもまた推測段階に過ぎませんが、人のいるところでしか発生しない性質があると考えられています。この発散実験を行うには、人のいる場所で行わなければならず、そして当然人的被害が出てはいけない。であるなら、世界のどこを見渡しても、ここより適切な場所はないんです。ここであれば、何の被害もなく〈エフェクト〉の発生を受け切ることができる。その上、ご存知だと思いますが、朔山市は恒常的にS値が高い特殊な環境にある」

 灰賀丈が頷く。

「確かに、そのとおりだ。国内の定点観測データを並べた際、有意に高い」

「原因まではわかりませんがね。世界各地にいくつかそういう……ホットスポット、なんて呼んだりすることもあるみたいですが、そういうS値の高い場所というのが点在している。〈エフェクト〉を人為的に発生させる実験には最適というわけです。

 そして肝心の人為的に〈エフェクト〉を発生させる方法ですが……、これも、かなり早い段階で見つけてしまった。どうもアラスカ、タクラマカン、グレートビクトリア、ツングースカ……このへんの、近年〈エフェクト〉による災害があったところでは同時並行で実験させてたんじゃないかと思います。やけにIEOからそれらしい情報が提供されてきて、モーターへのエネルギー転用実験を少し応用するだけで、ツギハギで実験のための仮想条件を構成できてしまった」

「そして、成功させたわけか」

「……はい。一度目は、予想していたとおりの結果が出ました。〈エフェクト〉の形態がどのようになるかこそ予測できなかったものの、観測されたV量は予想の範疇。シェルターも完全に機能していました。

 この実験は、段階的に〈エフェクト〉発生に使用するS値を上げていくことを想定していました。第一実験が成功したのを受けて、第二実験を行ったのですが、そこで二つの問題が発生しました。一つ目は、予想していたV量よりも値が随分大きくなったことです。これについては、内閣府から説明を求められたときには〈共鳴〉現象によるものではないかと答えたのですが」

「共鳴?」

 灰賀丈は聞いたことがあるか、と言いたげに由祈乃に視線を送る。由祈乃も首を横に振った。

「先端技術者の間で噂されている程度のものですから、知らないと思います。ツングースカで発生した〈エフェクト〉において、S値の割に異様なV量が観測されたことがありまして。その際に現地の技術者たちが出した結論が、複数の〈エフェクト〉が同時発生し、それが相乗効果を生んで、互いのV量を高めたのではないか、という考え方です」

「それで、」

 由祈乃が言った。

「今朝方、調査をしていたんですね。この街で、常に〈エフェクト〉が発生していないか、なんて」

 はい、と恒住は頷く。

「観測機では、明らかに同時発生は認められませんでしたから。もし可能性があるとしたら、そうしたものではないかと」

「待ってくれ。恒常的な〈エフェクト〉なんてものがありうるのか? 私の持っている情報では、すべて一過性のものとして認識しているが」

「……眉唾なんですがね。〈エフェクター〉というのものを聞いたことがありますか?」

「いいや」

「ごく稀に、いると噂されているんです。〈エフェクト〉災害に巻き込まれた際に、小規模な〈エフェクト〉を使えるようになる人間が。超能力者みたいなもんです。もっぱらネットで騒がれてる噂で、関連したレポートはE研どころかIEOからも受け取ったことはないので、私はあまり信じていないんですけど。朔山市内で名前のない新興宗教なんですかね、降霊会とかいうのをやってる、細羽永。彼女、〈朔山消失事件〉の生き残りらしいじゃないですか。条件はぴったり当てはまってる。だからひょっとして、と思ったんですが」

「馬鹿な。いくらなんでも……。雷に打たれて電気が出せるようになるか?」

「ですよね。私自身、一応の確認のためにという、」

「いますよ」

 きっぱりと。

 由祈乃は言った。

「いますよ。〈エフェクター〉は」

 表情は、変わらないように見えたかもしれない。落ち着いて、余裕があって、一歩引いたような顔。

 けれど、もう少し注意深く見てみれば、ちゃんと読み取れるかもしれない。

「私が、そうですから」

 覚悟している。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ