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5-③



「永ってさ、なんで病院いたの?」

「お見舞いです」

 誰の、と聞いていいのか迷った。その程度には繊細な世界で、祐弥は生きている。

 病院だって、例のごとく駅の周りにあって、駅の周りにはいつもどおりに水族館があって、ふたりは例のごとく水族館に佇んでいる。他に行くところがないのか、と思わないでもなかったけれど、一度年パスなんかを買ってしまうと行かなくては損という気持ちにもなって、半ば日課のようになってしまう。

 そっか、ととりあえず祐弥は頷いて、

「まあ、誰だって色々あるよな」

「……あの、祐弥さん」

 すると永は遠慮がちに、目を伏せながら、

「いま、お話、聞いてもらってもいいですか」

「ん? いいけど」

 断る理由もない、と思って頷きながら、祐弥は少しだけ、バレないように姿勢を正す。たぶん、真剣な話が始まるのだろうと予測して。案の定、永は張り詰めた声で、あの日、と切り出して、

「……〈朔山消失事件〉。知っていますか?」

「まあ……。小学生のときだから、あんまり覚えてないけど。ニュースでやってたよな。確か相当。山一つ、まるごと〈エフェクト〉で消えたってやつ」

「あの日、遠足だったんです。私たち」

「……それって」

「賑やかな日でした」

 永は静かに話し出す。目の前の水槽で、小さくクラゲが揺れている。青く照らされて、白く輝きながら。

「その日まで、しばらく雨が続いていたことを覚えています。この地方では珍しいことで、もしかしたら今年の遠足はダメかもしれない、なんて先生たちを言っていたこと。もしそうするならDVD学習の時間にしようと言っているのを聞いて、内心喜んでいたこと。その日の朝、ただの曇り空になっていてがっかりしたこと。朝、集合した学校の校庭で、友達がすごく嬉しそうにしていたこと。バスに乗りながら、あれは私の家、あれは僕の家、なんてはしゃいでいたクラスメイトのこと、今でも覚えています」

 語り慣れているような、淀みのない言葉だった。ひょっとすると本当に語り慣れているのかもしれない、と祐弥は思う。何度も何度も、誰かにこの話をしているのかもしれない。何の根拠もないけれど、なぜだかそう思った。

「私を入れて、クラスメイトは三十人。意識不明が七人。死者が二十二人でした」

 三十ひく七ひく二十二。

 簡単な計算の答えが目の前にいる。

「今でも行ってるんです。お見舞いに」

「あれから……、えっと」

「八年。ずっと」

 そっか、と祐弥は言った。それ以外に、どう言葉をかけていいかわからなかった。それで一度、会話は途切れてしまって、仕方なしにまた、祐弥はクラゲの泳ぐ水槽を見ているふりをする。その横の説明書きを読んでいるふりをする。ベニクラゲは弱ってくるとポリプと呼ばれる状態に若返り、再び生まれてくることから、不老不死と呼ばれています。

「祐弥さんは、」

「ん」

「……いえ、すみません。なんでも」

「いいって。言ってみ?」

 少しだけわざとらしく、祐弥は笑顔を作る。こんなに面倒見よかったっけ、と自分で不思議になる。部活で後輩は結構いたけれど、あの頃は世話を焼くよりも、世話を焼かれる方が多かった。理由を挙げるのなら、ひょっとすると永の前髪が長いのとか、背が小さいのとか、肩が細いのとか、声が弱いのとか、そういうことになるのかもしれない。

 でも、何か、それ以外のものを感じているようにも思える。

「祐弥さんは、」

 永がぎゅっと、拳を握るのが見えた。

「ご両親が死んだときのこと、覚えてないんですよね――?」

 一瞬、

 だけじゃない。思考が止まったのは。考えが止まったのは。頭が動き出すまでに、どのくらいの時間が経ったのかわからなくて、動き出してからもすぐには考えをまとめられなかった。

 確かに、その話をした記憶はあった。誰にだって、聞かれたらそのことは答えている。だってそれはすでに終わったことについての事実だし、自分の中では正直なところ、それほど、薄情にも、重みを持った出来事ではないし――、なのに、

「私もなんです」

 なぜか、強烈な胸騒ぎがする。

「私は、覚えてないんです。山一つが消えたとき。同級生のほとんどが死んだとき。同級生の残りが意識を失ったとき。警察の人、市の人、国の人、たくさんの方が来て、私に聞きました。何があったの。原因を究明したいから、当時の状況を教えてほしい。でも、何も覚えてないんです。何も答えられなかったんです。

 それだけじゃない。それどころか、私はそれに答えられなかったことすら覚えていないんです。その頃の記憶がそっくり抜けていて、気が付いたらすべてが終わっていた――」

 言葉は尾を引くようにして、ゆっくりと沈黙に変わっていった。祐弥が何も答えられずにいると、やがて永は決まり悪そうにして、

「すみません。いきなりこんなことを言って。ご迷惑でしたよね。病院に行くたびに、そのことを思い出してしまうんです。誰かに話したくて、祐弥さんが、その、私と同じならと思って……」

 気にすんなよ、と言ったのは単に反射で、何かを考えてから口にしたわけではなかった。思考のリソースは、もっと別のところに使われている。

「永、昨日何してたか覚えてる?」

 そう聞いたのは、確信を得るためだったのかもしれない。

 永は首を、横に振った。



 俯いた男が乗り込んできて、由祈乃は黙って開くと閉じるのボタンを交互に押す。ゆっくりとエレベーターが動き出すと、その音に紛らすようにして男、灰賀丈は溜息を吐く。

「昨日から今まで最悪の忙しさだ」

 疲労の溜まった様子だった。しかしそれでも背筋自体は伸びていて、言葉遣いもしっかりしている。由祈乃の視線は一瞬、その手に握られているエナジードリンクに向かい、それからエレベータの扉に戻る。

「記者会見用の説明用資料作成はもちろん、本省からも報告資料をせかされるし、修復のための業者との連絡まで俺の仕事だ。ただでさえシェルターが破壊されていたことの公表如何で頭が痛いのに、本省のやつら、細かい事情がわからんだの言って国際電話まで俺の方に飛ばしてくる。おかげさまで中央アジアでテレビデビューする羽目になりそうだ」

「それ、」

 由祈乃は言う。

「私に聞かせてどうするの?」

 灰賀丈は頭痛でも振り払うように目頭を押さえて、頭を横に振って、

「どうも。ただの愚痴だよ。E研のやつらに至っては、一体どんな連絡体制をしてるんだか、肝心なときに限って電話すら繋がらない……。」

「E研?」

 由祈乃は不思議そうにして、

「今朝会ったけど」

「何?」

「主任研究員の人」

 ちょっと待って、と由祈乃が鞄を漁る間にエレベーターはぽん、と音立てて止まってしまう。とりあえず降りて、それからそのエレベーターのすぐ近くで、

「あった。これ」

 由祈乃が折り畳みの財布から、恒住利一郎、と書かれた一枚の名刺を取り出す。端に折癖がついたそれを、灰賀丈は受け取って、

「聞いたことがないな。別部署か?」

「要るならあげるけど」

「助かる。……いや待てよ。この恒住とかいう男、どこで会ったんだ?」

「病院」

「病院?」

「姪っ子が怪我したから、その付き添い。向こうはフィールドワークとか言ってたけど」

「うちでか? ……おかしいな。E研がこのあたりに人を置いてるなんて話は聞かないんだが……」

 知らないけど、と由祈乃が言うと、それもそうだな、と灰賀丈は頷く。そして灰賀丈は携帯を取り出して、早速番号を打ち込み始める。

「少し近くで聞いてもらっていていいか。あそこのやつら、ときどき妙に神経質になるからな。名刺の出所の説明を求められるかもしれん」

 由祈乃が何か答える前に、灰賀丈は通話ボタンを押してしまう。

「……もしもし。私朔山市エフェクト対策部長の灰賀丈と申します。こちらは日本効果対策支援研究機構の恒住様の電話でよろしいでしょうか」

 向こうの話す声が大きいのか、由祈乃の耳にまで通話音声が聞こえてきて、

『ああ、はいはいどーも! 恒住と申しますけれども。どういった……?』

「突然のお電話申し訳ございません。昨日の〈エフェクト〉発生の件で、E研の防災研究室に連絡を取りたいのですが、まったく繋がらないんです。恒住主任にお聞きするのも筋違いかとは思うのですが、他に伝手もなく……。うちの久宗が名刺をいただいておりましたので、それを頼りにご連絡差し上げた次第です」

『はあ、なるほど。久宗さんってのは……』

「今朝、病院でお会いしたと聞いております」

『あー! あの美人の。はいはい。んで防災研究室。全然繋がらんような状態ですか? 昨日から?』

「はい。何分、特殊な事例なので早めに連携体制を構築したく、三十分ごとに連絡しているのですが」

『そりゃあおかしいですね。防災は性質上、常に誰かしら置いてるはずなんですけど……。了解しました。ちょっと私も東京の方がどんなことになってるかはすぐにはわからないんで、確認して折り返しますよ。電話番号はこれで大丈夫ですか?』

「はい。恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします」

『いやいや! こっちの落ち度ですからね。朔山市さんには実験協力いただいてる身でもありますし、むしろ今までこっちからご挨拶にも伺ってないで、申し訳ない。国の方が間に入るって話とはいえ、いっぺんくらいそちらに顔を出すべきなんでしょうが、こっちに来てからというもの調整、調整でどうにもまとまった時間が取れなくて……』

「……ん? 実験?」

『ええ、ええ。いやあんまり電話みたいなので話すべきじゃあないのかもしれませんがね。先月と今月の……、いやあ申し訳ない。国の方から話も行ってるとは思うんですが、第二の方は予想していたよりもだいぶ強烈なV量が出ちまいまして。理論値で見たらまだ耐えられる数値ではあったんですが……と、言い訳はこのへんで。朔山市さんにはご迷惑かけ通しになってしまって申し訳ございませんでした』

「待ってください。実験? 一体何の話ですか?」

『へ? ……あの、失礼ですが、こちらお電話口の方は市の対策部長さんでよろしいんですよね?』

「そうです。間違いはありません。E研の実験とは何の話ですか? こちらでは何の連絡も受けていないはずですが」

『……連絡取り次第そちらにすぐに向かわせていただきます。十五分ほどでそちらに着くかと思うんですが、ご都合どうですか?』

「最優先で対応いたします」

 通話が切れる。灰賀丈は由祈乃に、

「すまんが、頼めるか?」

「地下の文書保存室」

由祈乃は答えて、

「あそこなら常時施錠されてるから、内鍵閉めれば誰にも聞かれる心配ないと思う。先に向かっておいて。私がE研の人、来たら案内するから」




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