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5-②



 お金払ってくるから待っててね、と言われてしばらく経ってから、もしかして自分で払うべきだったんじゃないか、と思いついた。

 総合病院、待合室。しんとした空気はなくて、思っていたよりも人の姿はある。その中のひとつとして、祐弥は椅子に座っている。

 やっぱり、ついていった方がよかったんじゃないか。

 番号札を持って、由祈乃が呼ばれていった方を見ながら、祐弥はそう思う。

 検査は結構時間がかかったけれど、結局問題なしとのことだった。たんこぶもそんなに日を待たないうちに消えるだろうということで、髪を洗うときと寝るときだけ気を付けて、が処方箋。支払いまでお待ちください、と言われてすぐに貰った番号札が読み上げられて、由祈乃はここで待っていて、と言って消えていった。

 別々の財布で暮らしているのだ。たぶん。あまりよく覚えていないけれど、そういう風に決めたんだったと思う。それは自分のことは自分でしろとか、そういう話ではなくて、祐弥の両親から遺された財産に、由祈乃は決して手を出さないとか、そういう方向性の決定。

 だったらここも、自分で払うべきではなかったか。ここ一ヶ月見ていただけで、由祈乃が節約家か、生活苦かのどちらかであることはわかっている。眠くてふらふらしていて突然頭をぶつけたというだけで病院まで連れてきてもらって、お金まで負担してもらって、というのは申し訳ない。

「行くか」

 たぶんこっちだったろ、という方向に、立ち上がって進み始める。

 そしてどこでも目立つやつだな、あいつ、と思う。

 和服が目に入った。それだけでもう、よほどのことがない限り人違いということはない。念のため顔の判別ができるところまで寄ってみれば案の定で、永は永で祐弥が視界に入っただろうその瞬間にパッと顔を向けてきた。少し視線が上に向いていたから、たぶん頭の色を見たのだろうと祐弥は思う。

 ひとりではなかった。隣に、室内だというのにコートを着たままの、長髪の男が立っている。

 あれかな、と祐弥は思う。信者。だったら自分は話しかけない方がいいだろう、と判断して、ちょっとだけ頭を下げて、その場を立ち去ろうとする。

 が、

「いやね。変な話じゃないんだよ。ちょっと聞かせてほしいことがあってさ。全然、おじさん怪しい人じゃないから。一応ちゃんとした身分があって――名刺いる? 確かこのへんに……、ありゃ。今日は持ってくるの忘れちゃったかな。まあいいや。全然怪しくないんだって。ちょーっとお話聞かせてもらえればそれでいいからさ」

 溜息が出る。なんだそりゃ、と思いながら、祐弥は大股で永に近付いていく。

「おーい。お待たせ」

 あんまり病院の中でやるようなことじゃないよなと躊躇いながらも、仕方なく大きめの声を出す。男がこちらを振り向く。状況を飲み込めていない、という表情。残念ながら永の方も似たような表情をしていたので、

「ごめんごめん。待たせちゃって。いま会計してもらってるからさ。これで検査終わり。一緒に帰ろーぜ」

 男の存在を無視するようにして、永の方だけを見ながら歩く。すぐ傍まで来ても永は話の流れが読めていないみたいだったので、そのまま後ろに回って、肩に手をかけて、そのまま押していく。慌てたように永が、

「あの、祐弥さん」

「なーんもなかったよ。ただのたんこぶだったって。それでこんなでかいところに来んのも笑えるよな」

 そのまま進む、進む。ついてくんなよ、と思いながら。

「あー、ちょっと待って待って、そこのふたりとも」

 舌打ちが出そうになる。勢いで誤魔化せるかと思ったのに、誤魔化せなかった。

「なんすか」

「いやいや。そんな邪険にしないでよ。ちょっと聞きたいことがあるだけなんだって。君、その細羽永さんのお友達?」

「不審者と話すなって学校で言われてるんで」

「いや不審者って。参ったな……。名刺、このへんに朝入れてきたはずなんだけど、滅多に使わないもんだから……」

 どこにやったっけ、なんて歌うように言いながら、男はコートのポケットというポケットを叩く。なんて怪しいおっさんだ、と祐弥は思った。自分でおじさんおじさん言ってるんだから、年はそれほど若くないのだろう。が、見た目にはかなり若くも見えて、そういうところが怪しい。年相応じゃない人間というのは、何かしらその理由を隠し持っていそうに見える。

「あ、あったあった。俺はこういうもんでね」

 名刺を差し出されて、祐弥はすぐには受け取らない。うさんくさそうにその名刺と、男の顔を交互に見る。目が合うと、男はにこっと笑う。もしそれが警戒心を解く目的での笑顔だったとしたら、相当ナメられたもんだ、と祐弥は思う。ぐいぐいと名刺を前進させてくるので、汚いものでも触るみたいにして受け取った。

「独立行政法人……?」

「そそ。独立行政法人日本効果対策支援研究機構。長い名前でしょー。みんな正式名称とか覚えてくんなくてさ、実を言うと俺もよく忘れちゃうんだけど。大体E研とか呼ばれるかな。俺、そこの研究員やってんのさ。結構偉いんだぜ」

 主任研究員恒住利一郎、と書かれた文字を、それでもうさんくさそうに祐弥は見て、それを突き返す。

「名刺なんていくらでも作れるだろ。てか、今時そんな肩書とかあったくらいじゃ信用できないし。この子と話したいなら親通してよ、親」

 しまった、と言ってから思った。自分が突き放すんだったら、という感覚で親を引き合いに出してしまったけれど、永の親がそういう、自分が期待しているような常識的な対応をしてくれるだろうか。心の中で首を横に振る。無理だろ。怪しい宗教セミナーの司会やってるんだぞ。

 しかし恒住は困ったように、

「あー、まあ、それもそうかあ。ほんとにこんなに小っちゃい子だとは思わなかったんだよなあ。ちゃんと大人がいるときにアポ取りしなくちゃダメだよなあ。俺、そういうの苦手……」

「どうしたの?」

 そのとき、由祈乃が帰ってきた。あ、と祐弥は声を上げる。待っててって言ったのに、と別に怒っている風でもなく一言呟かれて、大変申し訳ない気持ちになる。

「いるじゃん。大人」

 恒住の顔が輝いて、

「あれ? てかどっかで会ったことない?」

「どうも、こんにちは。市役所でお会いしましたね」

「あー、そうだそうだ! あのときのお姉さん! いやー、よかったよかった。これも何かの縁だね!」

「あの、病院なのでもう少し声のボリュームを」

「あ、すみません……」

 男が縮こまる。祐弥はそれを白い目で見る。大人なのに。由祈乃よりも年上に見えるのに。垣間見える幼さがどんどん不信感に変換されていく。

「いえね、わたくしこういうものでして……」

 恒住はもう一枚名刺を取り出して由祈乃に渡し、

「はあ……。あ、E研の」

「そーそーそーそー! いやあ知っててくれたなら話は早い! っと、またあまりの喜びに声がでかく……」

「由祈乃さん、知ってんの?」

「うん。仕事周りでちょっとね。市役所に来たりするんだよ。たまにお茶出しとかしてる」

「その名刺が嘘ってことは?」

 いやいや手厳しいお嬢ちゃんだなあ、でもこのくらい警戒心が強い方が大人は安心ですね、なんて恒住は言う。由祈乃は、じゃあ調べてみる?と言って携帯を取り出して、

「出てきたね。名前載ってる」

 このページ、ほら、と言うのに、祐弥も顔を寄せて、

「……他人の名前を勝手に名乗ってるのかも」

「お嬢ちゃん、さては将来の夢は警察官だね?」

「それは大丈夫だよ。私、この人の身元一回確認してるから」

 そこでようやく、祐弥はぐうの音も出なくなる。疑ってすみませんでした、と言うべきか言わないべきか考える。その間に、

「いやね。大したことじゃないんですよ。今ちょっとその仕事の関係で朔山市内の調査、まあ言ってみりゃひとつのフィールドワークか。そういうのやってまして。で、そこの」

 恒住は永に目をやる。永はびくりと驚いて、祐弥の後ろに隠れる。ちょっとかわいいな、と祐弥は思った。

「お嬢さんにね。聞きたいことがありまして」

「はあ……。どんなことなんです?」

「いやね。……あー、どうしよっかなあ。言っちゃうか。言っちゃってもいいよな? 別に機密扱いにしてるってわけでもないんだし」

 恒住は口の横に手を当てて、膝を折って屈むようにして、いかにもわざとらしく、小声で、

「あのさ、このへんで〈エフェクト〉がいつでも発生してる――、とか、そういうの。心当たりない?」

 はあ?という言葉すら出なかった。何を言ってるんだこのおっさんは、と信じられない気持ちになる。

〈エフェクト〉がずっと発生したりなんかしていたら、今頃この街は更地だ。そのくらいのことは、テレビで聞きかじったくらいの知識しかない祐弥にだってはっきりとわかる。大きいものは首都機能を麻痺させるくらいで、小さなものだって国内で発生したら夕方のニュースはそれ一色になる。それの原因だとか、理由だとか、そんなものはわからなくても、少なくとも何かしらのひどい結果が残ること、それだけはわかる。

 でも。

 まさか、ということもある。立て続けに二回だ。数年前にも起こったらしいから、これで計三回。このそれほど大きくもない街で〈エフェクト〉が発生しているらしい。今、待合室の隅で暇潰しのためにか点けっぱなしになっているテレビでだって、ずっと昨日発生した〈エフェクト〉の報道がされている。無残に壊れたシェルター。KEEP OUTの黄黒のテープ。

 一応、振り返って永の顔色を窺ってみた。

 何の話?という顔。

 すると恒住も、思いのほかするりと引き下がって、

「ああ、大体わかった。正直俺もあんまし信じてなかったからさ。一応確認ってだけ。この街でいちばん変わってるって噂の子が知らないって言うんだったら、まあそうなんでしょ。悪かったね。時間取らせちゃって。これ、大したことないけどお礼」

 言って、くしゃくしゃの千円札を差し出してきた。永は祐弥の後ろにいるので、それが永に差し出された場合、必然的にそれは祐弥の目の前に来る。

 祐弥も永も、同時に由祈乃を見た。

「いいんじゃない? 貰っておきなよ。アンケートに答えて図書カード貰うようなものでしょ」

「そそそ。おっさんが若い子の時間吸い取っちゃったから、そのお詫びとでも思ってよ」

「はあ……」

 受け取る。そして永を見る。困った顔。たぶん自分も今、同じような顔をしている。

 そんなことにはお構いなしに、恒住はいかにもすっきりした顔をして帰っていってしまった。

「変わった人だったね」

 由祈乃がのんきに言うので、うん、と祐弥も素直に頷いてしまう。それから、自分が何をしようとしていたのかを思い出して、

「あの、由祈乃さん。お金、」

「受け取っておきなって。何ならほら、お友達? そっちの子と一緒にどこかで食べてきたらいいよ」

「え、いや」

 そうじゃなくて、と祐弥が言う前に、由祈乃は永に向かってこんにちは、と微笑みかける。永の方もゆっくりと頭を下げて、お世話になっております、なんて畏まって言うものだから、祐弥はなんだか居心地が悪くなって、

「なんだよ、もう」

「何もないみたいだし、私ももう仕事行っちゃって大丈夫かな? 一応、祐弥さんのこと家まで送ってから戻ってくるだけの時間くらいはあるんだけど」

「いいよ。子どもじゃないんだから」

 きっぱり言うと、由祈乃は驚いたような顔をした。む、と祐弥も面白くない気持ちになったけれど、すぐに由祈乃はそれを打ち消すように笑って、

「そうだね」

 言って、

「そうだった」



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