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4-③



 でかすぎて、全体像の把握までにだいぶ時間がかかった。

「うおわぁあっ!」

 だから、警備の男が声を上げてからようやく、これがやばいものらしいと気付くような有様だった。

 場違いなくらいゆっくりと祐弥は視線を巡らせた。全体像。黒い。歪だけれど、人の形に見えないこともない。下から上へと視線を動かしていく。裸足。足それ自体は妙に大きくて、足首は異常に細い。膝の位置が祐弥の目のあたりにあって、そこから妙に太ももが折れ曲がるようにして腰。ここもまた異様に細くて、そこから急に上体が広がっていく。腕も細いのだけれど、やはり手それ自体だけは妙に大きく、獣のように鋭く尖っている。頭まで見ると、毛髪は見当たらず、それどころか表情も、顔のパーツも真っ黒く塗り潰されてしまったように何もない。

 やばいな、と祐弥は思った。

 この間見たでかい鳥の、百倍くらい恐いぞ、と。

 だってこの間のは、まだしも想像できたから。たぶん恐竜くらいの時代までさかのぼればああいうのだっていたんだろうなとか、ひょっとすると未踏のジャングルの奥深くに行ったりすれば今でもああいう生き物がいるかもしれないとか、自分を誤魔化すことができる。

 でも、これはダメだ。

 存在しない。

 自分の世界に、生活の延長上に、これは存在していない。

 ということは。

 自分の世界と、生活の延長上に存在していなかった結果が、突然現れる可能性がある。

 あのさ、もしかしてこれ、

 死んだりするんじゃねえの。

「――――っ」

 動き出しはしたけれど、覚悟が決まったわけじゃなかった。

ただの咄嗟の反射行動。永の肩を掴んでいたのを、腰のあたりに持ち替えて、そのまま腕力で引っ張ろうとする。

引っ張れた。意外にも。びくともしないとか、そういう想像をしながらの行動だったけれど、そこにあったのは体重分の力だけ。なら話は早い。このまま引っ張り続けて戻り切ってやる。力を入れた分だけ後頭部が痛むのに不安な気持ちを覚えながら、それでも気合を入れて、歯を食いしばって、

「う、うわあ!」

 もう一度、警備員が叫んだ。

「入ってきちまうぞ! そいつ!」

 一歩下がったら、目の前の巨人も一歩踏み出した。踏み込んできた。踏み入ってきた。

 近づこうとしている。近づいて来ようとしている。

 どうしよう。大声で叫びたくなる。どうすりゃいいんだ。

 このでかいのが中に入ってくるのはまずい。それはわかる。どう見たってこんなのが人のいるところに入ってきたらいけない。なのにこっちが逃げようとすると追いかけてくる。人のいる方に逃げたらいけないのか。でも人のいる方に逃げないと誰も助けてくれないじゃないか。どうすりゃいいんだ。

 自分でどうにかするしかない。

 だって、そこの警備員に聞いたらこう言うに決まっている。その子を置いてじっとしていればいい。実際さっき言われたし、それでもそんなのはごめんだ。目の前で危ない目に遭いそうなやつがいてじっとしてていいなんて道理はない。

 命まで賭けるような相手か?

 賭けろ、と自分の声で聞こえた。

 自分でも何をするつもりなのかわからないまま、祐弥は永を抱えたまま走り出した。

 巨人の方に向かって。

 永の足が地面に突っかかるのを、無理矢理前に前に押し出すようにする。巨人の足下をすれ違っていく。ものすごく機敏に動いたらどうしよう、という考えがなかったわけではないけれど、さっきの一歩の遅さに期待した。期待通りで、巨人が動く間もなく祐弥はシェルターの外に出ることができる。

 そのまま走り続ける。街から離れるようにして。

 ここに来るときも見た通り、シェルターのすぐ外ですらほとんど何もない空き地ばかり。冬枯れの田園風景がぼんやりと広がっているだけ。人の姿なんか欠片もなくて、文明だって少し前に衰退しきったみたいな有様で、

 ここなら使える。

 そう思った。

 何を?と思う余裕すら、今は消えていた。

 巨人が近付いてくる。

 祐弥の視線はそれに注がれている。

 注いでいるそれに、どんどん熱が籠り始める。

 そして、熱が灯る。

 燃え始めた。

 祐弥の視線の先――、巨人の胸のあたりから、ぽう、と火が灯った。虫眼鏡で陽の光を集めて紙を燃やすような、じりじりとした、小さな炎。ただでさえ黒い巨人の身体から、ぶすすと黒い煙が立ち始めて、

 ぱんっ、と。

 破裂したような、甲高い音。それから目を灼くような赤い光が弾けた。

 それを契機に勢いよく、めらめら、ぱちぱち、と音を立てて巨人が燃え始める。微かに身をよじらせる。一歩近付いてくる。それだけで祐弥の顔――服が守ってくれない場所に、息もできなくなりそうな熱波が押し寄せてくる。巨人の動かした足の、元あった場所のアスファルトが、ぐんにゃりと歪んでいるように見えた。ちち、と小さな音がして、祐弥がもしその音の元を探そうとしたら、髪の毛の先の焦げ付き始めるのがわかっただろう。

 自分がやっている。

 自分がこの巨人を、燃やしている。

 自分の視線に、そういう力がある。

 ありえないことだろうに、祐弥はそれを自然に受け入れていた。そういうものだ。自分の視線はそういうもので、そういうことができるとわかっているから、こうしてシェルターの外に出たのだし、そういうことができるとわかっているのだから、こうして永を助けに来なければならなかったのだと、今になってははっきりわかった。

 手とか、足とか。

 そういうのを動かすのと同じだ。自分にとってこれは自然なことで、初めからできることだった。できて当たり前のことだった。

 どうして忘れていたんだろう。

 永のあの、怪しい宗教みたいな場面を見ても敬遠しなかったのは、そうだ。そういうことをできる人間がいると知っていたからだ。そういうことができる人間はいる。理由なんてわからなくても、できることはできる。

 起こることが起こるみたいに。

 理由がなくても、起こるみたいに。

〈エフェクト〉みたいに。

 巨人を覆う炎は大きくなる。ほとんど雷が弾けるみたいな光。でも、もう大丈夫だ。使い方を思い出してきた。こっちに飛んでこないようにすればいい。方向を弄ってやればいい。炎の方向が、こっちを見ないように。空に昇るみたいにしてやれば、大丈夫。誰も傷つかない。

 あの日とは、違う。

「あの日って、なんだっけ」

 一際大きな音がした。

 それと同時に、きっとその音だったのだろう。巨人の右肩がぼろりと崩れ落ちる。ぐずぐずになった断面から欠片が零れ落ちて、みるみるうちに高温によって形を失っていく。

 そこから、巨人はもう元の形を保てなくなる。細いパーツから順に落ちていく。上半身と下半身は腰から分かたれて、上半身から腕が切り離されていく。半分に避けてしまった肩から、ごろりと頭が落ちる。

 真っ黒な顔。

 真っ黒な、顔。

「――――あ、」

 父さんと、母さんの。

 しばらくの間、祐弥は何の音がしているんだろうと、ずっと思っていた。

 目の前の巨人はもう死骸だけを残して動かなくなったのに、やけにうるさい音がする。〈エフェクト〉の警報なんか目じゃない。

 何の音なんだろう。

「――みさん。祐弥さん!」

 それがわかったのは、永が声をかけてきてから。

「祐弥さん! しっかりしてください」

 こっちの台詞だよ、と思ったのだ。

 抱きかかえていた永は、いつの間にか目に光を取り戻していて、こっちを見て、一丁前に自分の心配なんかしてきている。あたしの台詞だよ、と。さっきまでしっかりしてなかったのはお前の方なんだよ、と。自分がどれだけ苦労して、どれだけ勇気を振り絞ってここに来たのか、滾々と語ってやろうとして、そこで気付いた。

 声が出ない。

 違う。

 声がずっと、出続けている。

 ずっと聞こえていたのは、悲鳴だった。

 悲鳴を出しているのは、自分だった。

 喉が震えている。痛い。鼻も、口も、どちらもこれでもかというくらい開いていて、身体の中にどうしてこんなに空気が入っていたのか不思議になるくらい、そのくらいものすごい量の声を吐き出し続けている。

 どうして悲鳴なんて上げているんだろう。

 悲しいからだ。

 どうして悲しいんだろう。

 それは――、

「祐弥ちゃん!」

 今度は別の声。不思議と、かき消えたりはしなかった。

 抑えようのない自分と、どこか冷静な自分。後者の方が、その先を辿ってくれる。

 由祈乃だった。

 前髪が汗で、額に張り付いている。冬だっていうのに、どれほど急いできたんだろう。必死な顔で、こちらに駆けてきている。

「大丈夫っ?」

 大きな声。

 不思議と、聞き覚えがあった。

 数回しか会ったことがないはずなのに、なぜか懐かしい。

 なぜか、安心する。

「あの、祐弥さんが、この人が、あの、急に――」

 慌て放題で永が言うのが聞こえる。やっぱり、ちゃんと目が覚めてれば結構いいやつそうなんだよな、と祐弥は思い、

「わかってる! どうして、いくらなんでも多すぎる――」

 肩を抱かれる。由祈乃の方が背が高いから、祐弥は腕の中にすっぽり収まる。すごく細い人だ、とそのとき気付いた。骨が直接肌に触れてるんじゃないかと思うくらい。もっとちゃんと暮らさなくちゃダメだよ、なんて場違いな言葉が浮かんでくる。

「もう大丈夫だよ」

 すごく優しい声だった。

「目が覚めたら、全部忘れてるからね――」

 その言葉で、ようやく思い出した。

 自分には、忘れていることがある。

 それはすごく大切で、すごく切実で、すごく、忘れちゃいけないことであって、そしてきっと――、

「――ほんと?」

 何よりも、忘れたかったことだ。

 気が遠くなるくらい。



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