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4-①



「いや参った。流石にこんだけ頻繁だと、みんな不安になるらしいな」

 加藤、と名札に書かれた男が市民課の執務室に帰ってきた。お疲れさまです、と別の職員が声をかける。

「うい。さっきの人の後、まだ自主避難来た?」

「結構。金倉さんから連絡があって、安全課でとりあえずのとこ、まとめて連れてってくれるらしいっすね。加藤さんが行ったあとの分はお願いしちゃいました」

「あー。やっぱどっか取りまとめてたんだ。わっかんねーな、実際の動きは」

「人が少ないうちだけらしいすけどね。これでもっと増えるようなら対応お願いするってことでした」

「あー、じゃあ今のうちに分担決めとくか。どうすっかな。基本の対応はあっちがやるだろうから、こっちは待機要員だけ置いときゃいいのかな」

「責任者だけ置いときゃいいんじゃないすか?」

「勘弁してくれ……、ってそうも言ってらんねえわな。んじゃ、俺以外で回してもらうか。んじゃこういうときは久宗さんから――、あ?」

 加藤はきょろきょろと執務室の中を見渡して、

「あん? 久宗さん、案内出ちゃった?」

「あれ? 久宗さん、帰りましたよ」

「は?」

「加藤さんには言ってある、って」

「……だっけか? いつ?」

「さあ……、あ、いやそうだ。ちょうど案内出る前に言っといた、って言ってました」

 がりがりと加藤は自分の頭を掻きながら、

「だっけか? ……言われればそうかもしんねえ。あれー? 覚えてねえな。確かに、こっから案内出る前にぽろっとなんか話した記憶はあるんだけどな」

「その年で物忘れっすか」

「こえーこと言うなよ。ま、久宗さんも高階さんもいないんだったら、素直に窓口にいちばん近いやつから案内役だな」

了解です、という声によろしく、と返した加藤は歩いて、自分の席を通り越す。執務室内のテレビを囲みながら腕組みをしている一団の仲間に入った。



 頭がものすごく痛い。

「――さま、お客様」

「――ん」

 誰かの呼びかけに答えて、それからようやく意識が浮かび上がってきて、それに合わせてゆっくりと身体を起こす。起こしながら、なんでぶっ倒れてんだ、という疑問が湧いてくる。

 目の前には若い女がいた。どこかで見覚えがある、と祐弥は感じたが、思い出せず、そのままあたりを見回す。

 水族館の中にいた。静かで、薄暗くて、少しだけ肌寒い。

 なんでこんな場所にいるんだっけ。そもそもの記憶を取り戻そうとして、

「あ、」

 ばっ、と周りを見渡した。

 いない。永が。

「どこ行ったんだあいつ……」

「あの、お客様。大丈夫ですか? どこか気分が……」

 心配そうに覗き込んでくる顔が誰なのか、そこで思い出した。受付の人だ。この水族館の。いつも暇そうにしてる人。いつも帰り際に笑顔でまたお越しくださいと言ってくれる人。

 たぶん顔を覚えられてる。

「あの、すみません。あたしと一緒に来てた――、和服の、女の子。見ませんでしたか?」

「え? ああ、さっき先に受付を出ていって、」

「どこに行きましたっ?」

「そこまでは……」

 困惑した様子の女を前に、祐弥はハッと我に返って、すみません、と頭を下げる。それから壁に手を突きつつ立ち上がる。

 頭が痛い。

「無理しない方が……。大丈夫ですか? スタッフ用の休憩室ならご用意できますけど」

 たぶん、この親切に乗っかるのが本当のことなのだろうと祐弥は思った。おかしな選択肢を同時に浮かべながら。

 頭を打った。これはよくない。スポーツをやっているときなんかも散々聞いたことだけれど、頭に衝撃を受けるのは格別によくない。脳震盪という単語だけはよく知っている。実際のところその脳震盪とやらがどういう危険を帯びた状態であるのかまではよく知らないけれど、字面から見て脳が揺れるのだ。豆腐みたいにぐしゃぐしゃになるのかもしれない。考えただけでぞっとする。動かない方がいい。

 ついでに災害に見舞われている最中でもあるのだ。自分の勝手な判断で動かない方がいい。押さない駆けない喋らない戻らないなんて言葉がどれほど染みついているのかといえばそこまで自信はないけれど、勝手な行動を起こしたやつから酷い目に遭うというのはパニックホラーの映画たちがたくさん教えてくれた。施設の中にいて、親切なスタッフの人が保護してくれると言うのだから、従った方がいい。それが無難だ。それが最善だ。

「いや、大丈夫です」

 そう思うのに、どうしてだろう。

「友達、探しにいくんで」

 どうしてそんな、あからさまにハズレの選択肢を掴んでしまうんだろう。

 それでも心配の言葉を投げてくる水族館職員に、大丈夫っす、と僅かに残った空元気で笑顔を作って、祐弥は自分の足で歩き始める。顔だけ誤魔化したところで痛みが消えるわけじゃない。鈍く痛む感覚に、もしかして頭の中で出血とかしてないよな、なんて恐ろしい不安を抱きながら、水族館を出ていく。

「あたし、なんでこんなことしてんだろ」

 駅前に出て、途方に暮れて、そしてそんなひとりごとを言う。

 絶対におかしい。自分でそう思う。明らかに理由が追い付いていない。

 確かに多少は縁があるとは思う。こっちに来てほとんど最初に会った相手だし、一応それっぽく困難だって一緒に乗り越えた。そのあと何を示し合わせたわけでもなく偶然会ったりもしたし、ここ一ヶ月なんか毎日会っている。水族館の回り方だけじゃなくて、スーパーで何が美味しいとか、映画はこの日が安いとか、そういうことも教えてくれたりした。

 でも、別に大親友というわけじゃないのだ。

 友達だ。それは間違いない。貴重な高校生の青春の一ヶ月をかけて出来上がった友情はここにある。けれど、比べるような話ではないとわかってはいるが、東京にいた頃の、中高一貫でほとんどみんな顔見知りの、長い付き合いの、そんな同級生たちの方がよっぽど関係が長いし、深いのだ。

 総合的に、客観的に見て、自分がここまでする理由が見当たらない。

 なのに、足はすでに動き出している。

 どっちに行ったのだろう。少し考え込んだはずなのに、わかりっこないだろと自分で自分に呆れたはずなのに、なぜだか足取りに迷いがない。逆算するようにして自分の行先を理解する。たぶん、いちばん近いシェルターからの出口。そこに自分は向かっている。

「……なんなんだよ」

 ラジコンにでもなったみたいな気分だった。自分の身体を、得体の知れない何かが動かしているような感覚。何かのスイッチを押されているのに、そのスイッチが何なのか、どこにあるのか全く分からないような錯覚。

 本当に、錯覚なのだろうか。

 気付けば走り出している。



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