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2-⑤



「車」

 助手席からぽつり、と声が零れた。

「あんまり使わない方がいいよ。バスとか電車とか……、市の幹部、みんな使ってるアピールしてるから」

「これはこれで利点もある」

 ハンドルを握る灰賀丈は、信号の赤になるのにゆっくりブレーキを踏みながら、同時にラジオの音量も下げて、

「聞かれたくない話をするときなんかにな」

 そ、と答える声は短く、助手席の由祈乃は窓の外ばかり見ている。大通りから少し外れた道にはほとんど街灯もなく、立ち並ぶ古い家々にすら人の気配はない。車のエンジンも停まってしまえば静かなもので、あたりには何の音もしなくなる。

「お前、どうしてこんなところにいるんだ」

「別に」

「あれからどうしてたんだ」

「どうも」

「心配してたんだぞ」

「嘘ばっか」

 遮るように、

「それどころじゃなかったくせに」

「……」

 灰賀丈はハンドルを指で叩くと、信号を覗きこむようにして、長いな、と呟く。

「秘書をやらないか。俺の」

「やらない」

「週三勤務、月給九万。……暮らしていけないだろう、それじゃ」

「いけてるよ。家賃はほとんどかかってないし。税金だってちゃんと払ってる。時間に余裕もあるし、これで満足してる」

「その時間で何をしてるんだ」

「……」

「今はいいかもしれんが、そんな生活、病気でもしたらどうしようもないぞ」

「……」

「同情だとか、そんなことで言ってるんじゃない。お前の力が必要でもある。俺だってここに、ただ椅子に座っているためだけに来たわけじゃない。〈エフェクト〉対策の最新モデル都市の安定化。やるべきことがあってここに来たんだ。二度目の災害で予定外に業務は拡張しそうだし、その上現地で使える人材がどのくらいいるか、今の時点ではよくわかっていない。能力的に信頼できるやつが傍にほしいんだ。これは単に、お前の能力を買っているという話だよ」

「何年前の話?」

「人間には二種類いる」

 灰賀丈は人差し指と中指を立てて、一本ずつ折りながら、

「昔の自分は賢かったと嘆くようになる者。それと、昔の自分は愚かだったと嘆くようになる者。どう見てもお前は後者だ」

「買い被り。あとその二種類理論、やめた方がいいと思うよ。必要以上に馬鹿っぽく見えるから」

「なぜこの街だった?」

 沈黙。

「縁もゆかりもない。だからこそ驚いたが……、朔山の消失事件。あれか?」

 由祈乃は何も応えない。

「目的があって来ているはずだ。……学部のころの研究、まだ続けてるのか」

「まさか。そんなに大したものじゃなかったし。今は……、」

「今は?」

「少し、悲しいだけ」

 灰賀丈は小さく息を呑んだ。俺は、と口を開いて、結局その先を言葉にしないまま、考えておいてくれ、と言って終わらせてしまう。

 もう一度、信号を覗きこんで、

「それにしても、随分待たされるな」

「五分は待つよ」

「なにっ」

「メイン通りじゃないところは、結構そう。……だから言ったの。車はやめておけばって」

 音は聞こえなくなる。赤信号の前で、車はずっと停まっている。



「どえー」

 と声を上げながらベッドの上に身体を投げ出した。帰ってきて、シャワーを浴びて、夜八時。

「なんかお見合いみたいになってたな……」

疲れ切っていた。理由はたぶん、自分で分析したとおり。

 お見合いみたいな時間だった。お名前は、まではともかく、向こうからその後に飛んできた、年齢は、ご趣味は、好きな食べ物は、なんてたどたどしい質問のくだりは、祐弥にとってはあんまりにも慣れない会話だった。初対面の会話が苦手だとか、友達を作るのが苦手だとか、そういうのは自分には無縁のものだと思っていたが、そうでもなかったのかもしれない。ひょっとすると自分と似た能天気で何も考えてないような人間ばかりが周りにいて、それが露呈してこなかっただけなのかもしれない。

 年齢は十四で、学年は一つ下。ご趣味は読書で、好きな食べ物は草餅。

 接触したことのないタイプの人間だった。

「でも、なんか……うーん」

 自分でも不思議だと思う。不思議だと思うが、

「気になる、ってか、安心する、ってか……」

 客観的に見れば、明らかに触れちゃいけないタイプの人間なのだ。和服で出歩いてて、家族ぐるみで怪しい宗教セミナーを――あの司会の男は父親だったらしい――やっていたり、記憶を定期的に喪失しているらしかったり。祐弥だって、もしも自分の友達から「最近こんな子が友達になって」なんて聞いたら、口に出すかはともかくとして、ちょっと距離置いた方がいいんじゃないのくらいは内心思う。

 なのに、なぜだか自分ではそんな感じがしない。

 物珍しさなのかわからないけれど、不思議なくらい。

「まさか、マジで一目惚れしたわけじゃないよな」

 へっ、と自分で自分の言葉を笑い飛ばしたとき、ちょうど、ぐう、とお腹が鳴った。祐弥は大きく足を振って、ベッドから起き上がる。あ、と声を上げる。買い忘れた。夜に食べるはずのものを。

 仕方がないからキッチンの方に向かう。朝言われていたはずだ。カップ麺があるはずだ。食べていいはずだ。朝も晩もカップ麺というのはどうも明らかに身体に悪そうだ、なんてことは自炊なんてしたことがなくても直感できたけれど、ないものは仕方がない。このタイミングでもう一度外に出たら湯冷めして風邪を引きそうだし、そんなのは馬鹿らしい。

「明日ちゃんと食べればいいっしょ……」

 ソース焼きそばに湯を注ぎながら、それでも実は、ちょっとだけ祐弥はわくわくしていた。実はこれまで、ほとんどカップ麺を食べたことがないのだ。大雑把で濃い味だな、とは思うが、香り付きの消しゴムをたくさん揃えるみたいな楽しさは、間違いなくそこにある。

 説明書きを見ると、五分待てと書いてあった。携帯できっちりタイマーをセットして、それから手持無沙汰に祐弥はキッチンとリビングの間を行ったり来たりする。

「そういえば、こっちってどうなってんだろ」

 その途中で、ふと気になった。リビングから出る扉は、キッチンに繋がるもの、それから祐弥の部屋へと向かう廊下に出るためのもの、そのふたつだけではない。もうひとつ、廊下に出るのの向かい側に、扉がついている。

「変な感じ」

 前に住んでいたのは、そこまで大きな家でもなかったから。

 家の中に自分が入ったことのない場所があるなんて、子ども向けの古いお話みたいに思えた。

 扉を開ける。

「うわ、暗」

 手探りで近くのスイッチを押すと、廊下があった。携帯を見れば残り三分三十秒。ちょっと見てくるくらいなら、と祐弥は出ていく。

 大して何があるわけでもなさそうだった。いくらか襖があって、そのくらい。たぶん中は和室だろう、と思いながら進む。廊下を一度折れたら、すでに突き当りが見えている。

「なんかちょっと、こえーな」

 わざわざ声に出したのは、実際に怖かったから。その気持ちを打ち消すため。

 別に自分が使うことになった廊下と大して変わらないように思えるのに、なぜだか輪をかけて静かで、輪をかけて人気がなくて、輪をかけて幽霊でも出てきそうに思える。そして思考を掠めた幽霊、という言葉に呼応して昼間の光景のフラッシュバック。

 マジでいたらどうしよう。

 それでも、突き当りのところまで歩いたのは、度胸があったからというよりも度胸試しのつもりだったからで、実際にあったのは意地だった。

 そして固まる。

 襖が半開きになっている。

「やなんだよな、こういうの……」

 無駄に想像力を煽ってきて。

 閉めとこ、と祐弥は襖に手をかけ、ぱたんと閉じる。それから、もしかして換気してたのかな、と思って開け直す。

 ついでにちょっとだけ、中を覗いた。

「ここ、由祈乃さんの部屋か」

 あまり物は置いていなかった。

 机があって、テーブルがあって、それくらい。テレビもないし、いくらか部屋の隅にCDや本は積まれているけれど、本棚はない。

 代わりに、布のかかった、大きなイーゼルが置いてあった。

 美術室でよく見るやつだ、と祐弥は思う。絵、描くんだ、由祈乃さん、と思い、それから頭を振る。人の部屋を覗き見るのはよくない。そう思って、

 風が吹いた。

「あ――、」

 思った以上にがたついた家らしい。襖を開け過ぎたのか、廊下から風が吹き込んで、テーブルの上に重なっていた紙を飛ばした。仕方ないだろ、と自分で自分に言い聞かせて、中に入っていく。仕方ない。そのままにしておくわけにはいかないし。少しだけその紙に描いてあるものが見えてしまうのも、仕方がないのだ。

「――あれ?」

 見覚えがあった。

 というか、自分だった。そこに散らばっていたのは、祐弥を描いた人物画だった。

 戸惑った。上手いけど。すごく上手いけど、なんで自分なんか描いたんだろう。しばらく考え込んでから、いや深い意味なんてないだろうな、と納得することにした。ちょっと恥ずかしいだけ。別に他の絵を拾ってみれば、自分の絵ばかり描いてあるわけでもないし。他のはもっと普通のものだ。風景とか、風景とか、風景とか、知らない人の顔とか、ほらそんなのばっかり。畳の上から拾い上げる。一枚、二枚、三枚――、

 細羽永がそこにいた。

「――なんで?」

 和服の少女の肖像画を拾い上げて、しばらく、祐弥はその場に佇んでいた。



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