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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

奪ったものと奪われたもの

作者: しゅう

 



 雪は嫌いだ。




 騒がしい表通りから少し離れた路地裏。そこはまるで世界から切り離された様に静まり返っている。


「……おめでたい奴らだな」


 思わず零れた独り言に冷たい壁に寄りかかっていた男が笑う。


「今日は聖夜祭だからねぇ。一般人にとって殺人鬼がこの街にいたとしても自分には関係ないとでも思っているんでしょ。君も情報屋の仕事さえ無ければあっち側だったかもしれないよ?」


 凍てつく様な空気も降り積もる雪も、分厚い雲が覆う灰色の空も、風切りと言う快楽殺人犯さえも、飾り立てられた街並みや賑わう露店に浮つく奴らは気にもとめない。


「はっ!それはないな。俺よりもお前はどうなんだよ次期侯爵様。面倒事押し付けられて可哀想にな」

「あはは。今日は何時になく機嫌が悪いねぇ?そんなに雪が降っている事が気に食わない?それとも10年前の事を思い出してたり?あぁ、そっちじゃなくて3年前の方かな?」

「……うるさい」


 ニヤニヤと笑いながら意地の悪い質問をしてくる男を軽く殴り、目を瞑る。


 雪は嫌いだ。俺にとって雪は不幸の象徴だから。


 10年前に闇の魔術に適性があって家族に捨てられた日も、3年前に殺されかけた日も、思い出せば出す程、俺が不幸に見舞われるのは決まって雪が降る日だった。


 あの3年前の聖夜祭(今日)も。


 その日は久しぶりに高熱を出した。しかもそんな日に限って厄介な依頼。酷い頭痛とだるい身体で平然を取り繕って何とか依頼をこなし、さっさと仮宿に帰ろうと路地裏を歩いていた時だ。嫌な風を感じて咄嗟に身体を翻す。


「ぐっ」


 避けたにも関わらず、風圧で飛ばされ背中から壁に叩きつけられた。あまりの衝撃に呼吸が止まる。


「ひひっ!いヒヒヒっ!」


 何度も咳き込んで、うっすらと目を開ける。ゆらゆらと揺れる視界の中で、その男は笑いながらこっちを見ていた。


 ボサボサの黒髪に落窪んだ目、190cmはあるだろう身体は骸だと言われれば納得してしまう程痩せ細っている。


「お前は、餌だ。いひひ、俺の為に、死ね」


 異常者。間違いなくこいつは異常者だ。普段ならともかくこんな状態で勝てる相手じゃない。脳はひっきりなしに警鐘を鳴らしているが、壁にもたれて立つのが精一杯。まともに動けそうになかった。


「ヒヒヒっ俺が怖いのだろう?だから動けないのだろう?」


 ニタニタと、笑みというにはあまりにおぞましいそれを顔に貼り付けながら、奴はゆっくりと近付いてくる。相手が雑魚だと高を括っているのか、はたまたどんな奴だろうが殺せる自信があるのか。どちらでも構わなかった。()()()()()()()()()()


「イヒヒ、死ねっ!!」


 風と共に投げられたダガーナイフが縦横無尽に宙を舞う。


「どんな強者だろうが、お、俺の風からは、逃れられない……!!」

「があぁっ」


 左腕が切り落とされた。


 右足が削がれた。


 脇腹が抉られた。


 トドメだと言わんばかりに心臓に凶器(狂気)が突き立てられる。


 鮮血が真っ白な雪を赤く染め上げた。


「ひひっ!次は、アイツだ。ヒヒヒっ」


 もう俺に興味を失せたのか、生死の確認もせずに奴は風の様に消えた。


「……はぁ」


 脅威が去って、身体の力を抜く。それと同時に()()()()()()。自分の身体を確認する。腕はくっついているし、右足も脇腹も、それ程深い傷ではない。強いて言うなら()()()()()()()()箇所が1番痛みを感じるくらいか。まぁ、奴が俺に時間を与えたおかげで相手の認識をずらす幻術が使用出来て、ギリギリ致命傷は免れたわけだが。


「……っつ、駄目か」


 高熱と少なくはない出血のせいで思考が纏まらない。オマケに身体を打ち付けた時に骨も何本か折れているらしい。これでは自力で動けそうにない。かと言ってここでじっとしていても野垂れ死にするだけで。細く息を吐いて、何とか歩こうと足を踏み出す。


「おいおい、こんな所にカモがいるぞ?」

「ラッキー!しかも死にかけじゃねぇか!」


 突然聞こえた声に足を止めた。チラリと視線をやれば、路地裏の入口から銀色の鎧を身にまとった2人組の男が愉しげに笑って近付いてきていて。


「……最悪だ」


 思わず零れた独り言は奇跡的に2人組の男には聞こえなかったようだ。それにしても運がない。奴らの装備を見る限り、どうやらこの国お抱えの騎士団らしいが、言動からするとかなりの下っ端。ただでさえ騎士道精神の欠片も無い騎士団の下っ端だ。もう最悪以上の言葉は出てきそうにない。


「はっ!一丁前にいい武器持ってんじゃねぇか!聖騎士の俺様が貰ってやるよ!きっとその方がこの武器も喜ぶだろうさ!」

「へへっ!違いねぇ!」


 好き勝手喋って、何の躊躇いもなく俺を蹴り倒す。受け身すら取れず、無様に冷たい地面に転がった俺を男達は嘲笑った。


「かはっ、」


 折れていた肋骨が肺にでも刺さったらしい。吐いた血が地面を汚す。それを見て更に笑い声を上げた男達は、何度も何度も執拗に俺をいたぶった。


 あまりに苛烈な痛みに意識を飛ばしては、強制的に覚醒させられる事の繰り返し。それをどれくらい続けただろうか。


 風切りよりも弱い。これなら、殺れる。


 何度目かの覚醒の時にふと、そんな事を考える。嬲られ続けて頭がイカれたのか、淡々と自分の成すべき事を模索する思考につい口角が上がった。そもそも風切りにならともかく、こんなクズに負けるのは俺のプライドが許さない。


「ぎ、ぎゃぁあっ」

「なんだ!?なんだよこれぇ!!?」


 俺が操る影が1人の男の身体を縛り上げ、恐怖を煽る様に1つずつ関節を外していく。痛みに狂い、絶叫する男とそれを見て腰を抜かし、ガタガタとみっともなく震えるもう1人の男。さっきまでの威勢の良さは見る影もなかった。


「くくっ、お前らのおかげで頭が冴えた。危うくあのまま死ぬ所だったんだ。感謝してもしきれないな」

「う、あ、あぁぁっっ!!」


 恐慌状態に陥り、地面を這いずりながら逃げ出そうとした男を影で捕らえて吊り上げる。


「怖がるなよ。言っただろ?感謝してるって。だから特別に選ばせてやるよ。偽造死体になるか、お前ら聖騎士団に恨みのある奴に売られるか。さぁ、どっちがいい?」

「嫌だっ、しに、死にたくない……!」

「白昼堂々お遊びで人を殺そうとする癖に自分は死にたくないときたか。ここまで来ると呆れを通り越して笑えてくるな」

「あや、謝る!おっ俺が悪かったから殺さないでくれ!!」

「ははっ!聖騎士様ともあろうものが無様だな?あぁ、良い事を思い付いた。俺とゲームをしよう。何、ルールは簡単だ。俺がお前の関節を1つずつ切り落としていって、お前が死ななければお前の勝ち。勿論簡単に死んだら面白くないからな。俺の幻術で痛覚を()()()()誤魔化してやるよ」


 どうやら本当に頭がイカれたらしい。狂気じみた言葉がつらつらと流れる様に口から零れる。しかし嫌に頭は冴えているものの、身体の感覚は既にないに等しい。濃厚な死の気配はすぐそこまで迫っていた。


「……そこで何をしているんです?」


 突然聞こえてきた鈴の音の様な声にチラリと視線を向ける。そこに立っていたのは俺より少し幼いであろう歳頃の女。その隣には、この2人組の男とは比べ物にならない存在感を放つ聖騎士。


「あ、あっ、助けて、助けてくれっ!」


 仲間が来た事で希望を見出した男が必死に助けを求める。明らかに分が悪い。最初に手を出してきたのはあっちだが、そんな言い訳が通用するはずが無い。


「たまたま私達が通りかかって良かったですね」


 ふわりと微笑みを浮かべたであろう女は平然とこっちに歩いてきた。聖騎士の男はそれを当然の様に見守るだけ。……これは、流石に無理だな。格が違う。今の俺では逃走する事すら出来ないだろう。


 生き残る事は不可能。そう脳が判断したのか意地でギリギリ繋いでいた意識がぶれ始める。次第に緩まる術をぼんやりと眺めていれば、男の目に欲が浮かんだ事に気付く。気持ちの悪い欲がはっきりと近付いてくる女に向けられていた。


「今怪我を治すので少し待って、」


 それに全く気付かない女に舌打ちを零す。その刹那、術が完全に解けたと同時に女に襲い掛かった男を軋む身体を無視して蹴り飛ばす。ゴキリと嫌な音をたてて何処かの骨がまた折れた。


「……てめぇ何を、へ?」


 苛立ちと憎悪に塗れた目で睨みつけてきた男の首がズレて、地に落ちる。何が起こったのか分からず唖然としていた女はハッとして俺に手を伸ばした。


「そんな身体で何してるんですか!?ちょっと座って下さい!ジルも手伝って!」

「は、?」


 この女はなんて言った?まるで俺を気遣う様な、そんな言葉を口にした気がして。必死に思考を巡らせようとするが、意志とは別に意識はどんどん沈んでいく。どうせこの怪我なら死ぬだろうと諦めが胸を占めて、そのまま意識を手放した。




「……っう」


 目を開けて、あまりの眩しさに目が眩んだ。重だるい身体を起こしてゆっくり辺りを見渡す。質のいい調度品が並んでいる広い部屋には見覚えなどない。


「俺の泊まっている宿とは大違いだな。……それにしてもここは何処、おいおい」


 かなり寝心地の良いベッドから降りようとして、自分の服が変わっている事に気付いた。それだけならまだしもあれだけボロボロだった身体には傷一つない。オマケに古傷までなくなっている。


「……どういう事だ?」


 こんな高度な聖魔術の使い手の知り合いなんていない。そもそも俺はあの後────


「あっ!起きました?身体の調子はどうです?」


 パタンとドアを開け、近付いてきた女に思わず目を見開く。


「お前、」

「もう!私じゃなかったら貴方死んでたんですからね!」

「……あ、あぁ。助かった」


 にこにこと無邪気に笑う女が不意に俺に手を伸ばす。咄嗟に身構えた俺に少し驚いた顔をして、敵意が無い事を示すかのように両手を上げた。


「すみません。熱を計ろうとしました」

「……悪い」

「いいえ。急に手を伸ばされて警戒しない方がおかしいですから」


 気分を害した様子も無く、おおらかに笑う女に身体の力を抜く。


「では失礼します」


 そっと伸ばされた手が頬に触れる。俺と違って柔らかく温かい手。何となく落ち着かず、視線を落として時間が過ぎるのを待っていれば、女の手が肩に降りる。そしてぺたぺたと腕やら脇腹やらを触っていく。


「痛い所とか変な所とかありますか?」

「……問題ない」


 流石に、無防備過ぎないか?あの日はそれ所じゃなくて気付かなかったが、()()()()()聖女はかなり整った容姿をしている。光を反射して輝くふわふわの金髪に無垢な深緑の瞳は1度見たら大抵の男は忘れられないだろう。そんな女が傷の確認の為とはいえ、名前も知らない男の身体を触っていて、しかも部屋には俺達しかいない。


「……うん、大丈夫そうですね!あぁ、そうだ!貴方に怪我を負わせた騎士はちゃんと除名されたのでご安心を。……それにしても貴方ぱっと見貧弱そうなのに、良い筋肉持ってますねぇ」


 じぃーっと俺の身体を見つめながら不穏に動く手。


「……痴女か」

「ち、痴女!?歴代最高の聖女で天使と見紛う美貌と言われる私に向かってよりにもよって痴女呼ばわりですか!?」


 息継ぎもなくまくし立てる女につい口角が上がる。


「男の身体を見てニヤニヤしてる奴が歴代最高の聖女様か。世も末だな」

「むぅ!っていうかそもそも!私が触れたのに顔色1つ変えないなんておかしくないですか!?普通顔を赤らめるとかするでしょう!?不能なんじゃないですか!」


 整った眉を吊り上げてぶんぶんと腕を振る姿はかなり子供っぽい。確かに自分で言うだけの事はあるし、実際この女が微笑めば落とされる男は多いだろう。


「自覚あるなら不用意に男と2人きりになるな。襲われても文句は言えないぞ」

「いつもはしませんよ?貴方は大丈夫そうだなぁと。実際全く手を出さないじゃないですか。…………ところで私のどこが駄目なんです?」

「実際の歳は知らないが、言動がガキ臭い」

「がっガキ……!」

「……あと単純にタイプじゃない」

「ちょっ、今どこ見ました!?やっぱりあれですか!胸ですか!?」


 ささやかすぎる自分の胸に手を当ててガックリと項垂れる女。しかし落ち込んだのも一瞬で、次の瞬間にはガバッと顔を上げ、俺を睨みつけてきた。


「そこまで言うなら勝負しましょう!」

「は?」

「ふふん!まだ私15ですし!まだまだ成長期は終わってませんから?もうちょっと経てば貴方が思わず惚れてしまう様な立派なレディになる筈です!なので!今度会う時に貴方を惚れさせたら私の勝ちです!」

「俺は何も言ってないぞ。……まぁいい。勝手にしろ」

「勝手にします!」


 息巻く女から目を離して布団を被る。


「あっ!待ってまだ寝ないで下さいよ!ご飯食べないと」

「少し横になるだけだ。…………なぁ、お前何で俺を助けた」


 俺は一般的に正義だと謳われる聖騎士を殺そうとしていた。一応は被害者とはいえ、この女は俺が嬲られていた所を見ていないのだから、助ける道理はないはずで。


「……貴方の持つ闇魔術が相手を欺き惑わす力なら、私の持つ聖魔術は真実を見抜き人々を救う力ですから」


 ここ、アリア聖王国は宗教色の強い国で、慈愛の女神アリアを信仰している。慈愛の象徴である聖魔術を持つ聖女達は女神の使徒として国に保護され、大切に守られる。衣食住は手厚く保証され、多くの人間にかしずかれ、思うがままに生きられる日々はさぞ甘美なものだろう。裏を返せば常に国の監視下に置かれ、国の為だけに力を使う事を誘導されている、とも言えるが。


 しかしそれは貴族出身の聖女だった場合だ。確かこの聖女は庶子にも関わらず、他者を寄せ付けない圧倒的な魔力量と聖魔術の適正を持っていたはず。プライドだけが異様に高く、悪意が人の形をしている奴らが平民の妾との子(邪魔者)をどうするかなんて想像に容易い。今回この聖女がたった1人の護衛だけで外を歩いていたのも、何かしら面倒事を押し付けられたんだろう。慈愛の女神の使徒とはよく言ったものだ。


「あ、そう言えばまだ自己紹介していませんでしたね。私はオフィーリア・ベルモンドです」

「……俺はイヴ。それにしても随分と頑なだな。父方の姓(貴族)を名乗るのはそんなに嫌か?」

「あ……っ、すみません。貴方を騙すつもりはなくて……!」

「ある程度の事情は知ってるから気にするな。このザマでも俺は情報屋なんでね」


 一流だなんだと言われてもまだまだ力不足。それが分かっただけマシだと思っておこう。……力をつけたあかつきには勿論風切りにはそれ相応の報いは受けてもらうが。


「情報屋……」

「まぁ、俺の場合は何でも屋に近いな。金さえ貰えばある程度の事なら請け負っている。……何か依頼でもあるのか?」

「……いえ」


 逸らされた顔にため息を吐いて起き上がる。


「お前は善意で俺を治したんだろうが、このまま貸しを返さないのでは俺の気が済まない。流石に死者を蘇生するとか大それた事は出来ないが、俺の持つ全ての力を使ってお前の願いを叶えてみせる」

「……大袈裟ですねぇ。私は聖女なんですから人を救うのは当たり前の事ですよ?……でも、そうですね。もし、もしも叶えてくれるなら、1度でいいので死にそうになった時、私を助けて下さい。約束ですよ?」


 約束だと言ってはいるが、この女は期待などしていないのだろう。この女は大切なものを根こそぎ奪われ続けてきたのだから、それも致し方ない。下手に期待して傷付くよりも、最初から期待しなければ傷付く事も絶望する事も無いのだから。


「あぁ、約束だ」




「イーヴ。何時まで黄昏てるの?そろそろシャキッとしてよ」


 3年前にした約束を思い出していれば、愉快そうにヘラヘラと笑う男に肩を小突かれた。


「……外でその名を呼ぶな。それと馴れ馴れしいぞ」

「あはは!じゃあなんて呼べばいい?千の顔と名前を持つ情報屋ゼロさん?」


 おちゃらける男を無視して裏路地の奥へ歩き始める。


「怒らないでよ。面倒事押し付けられた者同士、仲良くしよ。それに小さい頃からの幼馴染でしょ?毎回会う度に顔も名前も声も違って全然気付かないけど、君の唯一の友達兼幼馴染は僕しかいないし」

「腐れ縁の間違いだ」

「えぇ〜。この国最強を誇る辺境伯のご子息、しかも稀代の闇魔術の使い手と幼馴染なんて、僕が唯一自慢出来る所なのに、っとと。危ないな」

「首を落とされたくなければそのうるさい口を閉じろ」


 顔のすぐそばにナイフが突き立てられても表情1つ変えない男に舌打ちを零して、足を速める。人の嫌がる事をさせたらこの男の右に出る人間はきっといないだろう。自分で人を怒らせる天才と豪語するだけの事はある。


「何処に行くの?」

「風切りを見つけた」

「……え、もう?流石国内随一の情報屋。仕事が早いね〜」

「無駄口叩いてないで行くぞ」

「勿論。これで逃がしたりすれば僕の首が飛ぶからね」


 薄暗い路地裏を2人で駆ける。煌びやかな王都から1歩踏み込めば、そこはもう無法地帯。風切りだけじゃなく、奴隷商やら違法薬物の売人、死体専門の売人など、多くの犯罪者が闊歩する場所。


「おい、足音立てるな」

「いやいやいや。君の基準に合わせられるわけないでしょ。走ってるのに足音がしないなんて異常だよ」

「俺のじゃない。路地裏(裏の世界)の基準だ。これくらい出来ないと直ぐ死ぬぞ」

「僕はこれでも生枠の貴族(表の世界の住人)なんですけど?」

「そんなの通用するか。死にたくなきゃやれ」

「横暴な」


 横暴だと言う割にヘラヘラと笑って足音を出来るだけ殺す男を鼻で笑ってスピードを上げる。


「なら囮になれ。風切りの場所はもう探知出来るな?」

「問題ないよ。さっさと仕留めてね。僕じゃ大して持たないから」

「そんなに時間はかからないさ」


 確実に風切りを殺す為に万全を期したのだから。



「……思い通りにはいかないものだな」


 先回りして念入りに罠や術を組もうとしていたのにどうやらそれは叶わないらしい。少し先にいるのはターゲットの風切りと、3年前に会ったあの聖女。横たわった女に振り下ろされようとしているナイフ。それを淡々と仄暗い瞳で見つめる姿は、まるで生気を感じられない。完全に生を諦めている女と風切りの間に割り込んで、渾身の力でナイフを蹴り飛ばす。


 カランと高い音を立てて少し離れた場所にナイフが落ちた。


「え、」


 女の目が俺を捉えるとその目は驚きに見開かれ、間抜けた声をあげる。その声で我に返った風切りが動き出すが、もう遅い。蜘蛛の糸の様に細い影が冷たいコンクリートや薄汚れた壁から伸びて風切りを絡め取る。


「ぐが、が」

「死にたくないなら動かない方が身のためだ。動けば動く程食い込むぞ?」

「死ね、死ね……!」

「……まともに会話も出来なくなったのか」


 知性のない、殺しという快楽に呑まれてただの獣に成り果てた風切りに興が覚めた。暴れ狂う風切りに近付き、縛り上げている影の1本を掴み軽く引く。そうすればあっさりと奴の首が落ちた。


「哀れな奴」


 突出した風魔術を持ってしまったが故の万能感。それを飼い慣らすだけの精神力も知性も無く、快楽を貪るだけの日々が風切りを傲慢な殺人鬼に変えたのだろう。もう少し知性と警戒心があれば、こちらも無事では済まなかっただろうが。


「……なんで、イヴさんが、ここに」


 冷たいコンクリートに横たわったままの女が呆然と俺を見つめ、か細い声を出す。


「俺は基本約束は違えない主義だ」


 女を座らせれば、その身体は恐ろしい程冷え切っていて。とりあえず俺の上着を肩にかけた所で囮役が遅れて到着した。


「遅い」

「……いや、飛ばして来たんだけど、……風切りは?」

「そこに転がってるだろ」

「…………え。あの風切りをあっさり殺しちゃった感じ?」

「隙だらけだったからな」

「へぇ、イヴの規格外っぷりが年々凄い事になっていく……って、オフィーリア様!?」


 座り込んだ女を見て珍しく男が表情を崩した。


「……っあ、セドリック、様」

「安心しろ。こいつは大丈夫だ」


 この国の中枢に位置するセドリック侯爵家の次期当主、ウィル・セドリックにカタカタと震えだす女と目線を合わせて背を摩る。幾分か落ち着きを取り戻した女にウィルは少し距離をとったまま話しかける。


「……何故、オフィーリア様がこんな所に?護衛はどうしたんですか?」

「……え、あの、昨日専属の護衛が外されて、それで、風切り討伐を、頼まれました……」

「頼まれた、ね。期日は明日だったはずだが?」

「…………そうだったんですけど、追い出されました」


 自嘲気味に笑う女にウィルが顔を歪めて舌打ちを零した。それにビクリと肩を揺らした女は見てるこっちが可哀想なくらい怯えている。これまで貴族から受けた傷は相当深かったようだ。


「それにしてもお前よくこんな奥まで来たな。風切り討伐なら路地裏でも浅い所に行けば良かった気もするが」


 風切りの狩場は路地裏でも比較的浅い場所だ。たまたま路地裏に迷い込んだ一般人や腕試しとして路地裏に入ってくる冒険者、形だけの見回りをしに来る騎士団をターゲットにしていたはず。奥に入り込めば入り込むほど、化け物じみた強さを持つ奴ばかりのこの場所では風切りのレベルは中の中。弱くはないが、かと言って強い訳でも無い。だから風切りは奥にはあまり立ち入らなかったはずだが。


「……路地裏に入って少し入り込んだ場所までは逃げ出さない様に騎士が着いて来たんです。そこからは適当に歩いて、いつの間にかここまで来ていました」

「……なるほど。慈愛の聖女様は大層おモテになるようだ」

「へ?」

「ここは路地裏(裏の世界)を牛耳ってる男のテリトリーだ。ここの常識がある人間はまず近付かない最も危険な場所。だが、お前の母親があの男の恩人なのは路地裏の住人(俺達)にとって有名だからな。お前にとっては最も安全な場所だと思ってここまで誘導したんだろう。ここにはお前に家族や友人を救われた奴も多いから、どうしてもお前を救いたかったんだろうな。まぁ、まさか風切りが格好の餌(お前)を殺す為にここに立ち入るなんて思いもしなかっただろうが」


 長くここで生きていたにも関わらず、あの男の恐ろしさを知らなかったのはある意味幸せな事かもしれない。


「……でもなんでオフィーリア様を助けなかったの?イヴが間に合わなかったら、危なかったでしょ?」

「言ったろ。ここはあの男のテリトリーだと。俺が間に合う事も全部分かった上で傍観してたんだよ。今も何処かで俺達を見てんだろ。……そんな事よりさっさと帰るぞ」


 女を抱き上げて歩き出せば、これ以上無くニヤニヤと口元を歪めるウィルが俺の前に回り込む。


「さっきから思ってたんだけど、イヴちょっと近くなーい?それ無意識なの?」

「……は?」

「あとさ、あんなに嫌がってた風切り討伐をあっさり受けたのって、オフィーリア様の為だよね。命を救われたからってイヴはそこまでしないじゃん。……まさかとは思うけど、惚れちゃった?」

「寝言は寝て言え」


 ウィルを蹴り飛ばし、足早に路地裏を歩く。


 惚れた?俺が、この女に?ありえない。ありえないだろ。


 ただ俺は借りを返しただけで。


 昔の全てを奪われた自分と似たこの女に同情しただけで。


「ちょ、ちょっとイヴさん、早くないですか!?わっ」


 女の声でいつの間にか駆けていた足を止めれば、腕の中の女が驚いた声をあげる。それを気にする余裕もなく、未だに雪を降らせる曇天を見上げた。


 何で俺は、偽名を名乗らなかったんだろうか。わざわざ馬鹿正直に名乗らなくても、いつも通り偽名を名乗れば良かったはずで。


「イヴさん?」

「…………そう言えば、お前何で俺だと分かった?」

「え?」


 不思議そうに首を傾げる女の深緑の瞳が俺を写す。そこに写っているのは今ではウィルしか覚えていない俺の素顔。


「……お前は俺の天敵だな」

「え?えっ??ちょっと待って下さい!いきなりなんです!?」

「闇魔術が相手を欺き惑わす力なら、聖魔術は真実を見抜き人々を救う力。以前お前が言っていたが、今までどんな聖魔術師でも俺の闇魔術(幻術)を見破った奴なんていなかったぞ」


 大嫌いな雪と同じ白髪も曇天の様な灰色の瞳も、忌まわしい家族と確かに血の繋がりがあるのだと言う証の顔も。全て偽って過ごしていたのに誰一人として気付きやしなかった。


「……それは、見る目がなかったのでは?この国の聖魔術師なんてろくなのがいませんし」

「ふっ、確かにな。……なら、俺と一緒にこの国を出るか?冒険者になって世界中を旅してももいいし、気に入った国があればそこに住んでもいい。もう搾取されたり、縛られる事はないしな。お前のしたい事を見つければいい。もし見つからないのなら、お前の気の済むまでずっと一緒に探してやるさ」

「えっと、イヴさんイヴさん。それって、あれですか?プ、プロポーズ、とか?」


 顔を真っ赤に染めて俺を見つめる女に自分の言葉を思い返す。


「……?…………はぁっ!?」

「だ、だってそうじゃないですか!ずっと一緒に探してやるとか!それってつまり、ずっ、ずっと私の傍にいてくれるって事でしょう!?今更嘘でしたとか無しですよ!?そんな事言ったら泣きますからね!?」


 首まで赤くして涙目で俺を見る女に言葉を詰まらせていれば、後ろからウィルが首に腕を回してきた。


「そうだよイヴ〜。そこまで言っといて無理でーすはないからね?そもそもイヴがそんな事を言うなんて惚れてる以外ありえないから!それにイヴ、今顔真っ赤だからね!いい加減認めればぁ?」


 ご丁寧に鏡を取り出そうとするウィルを地面に沈める。


「いってて、照れ隠しが過ぎるよイヴ。……あーあ、先が思いやられるなぁ。……あ、良いこと思いついた。ね、僕も着いて行ってもいい?イヴもオフィーリア様守りながら戦うには限度があるし、僕がいたら安心じゃない?」

「…………勝手にしろ」

「やったね!これでこの腐った国ともおさらば出来る〜!それにしてもオフィーリア様愛されてるぐはっ」


 ベラベラ喋るウィルを踏み付けて女を抱え直す。馬鹿が余計な事を言うせいで顔が熱い。


「イヴさん」

「……なんだ」

「私、雪って嫌いだったんです。雪が降った日は必ず辛い事があったので。でも今は嫌いじゃなくなりました。……雪の日にイヴさんに出会えましたし、それに、…………それに、雪はイヴさんの色ですから」


 ふわりと照れた様に笑う女から視線を逸らしてため息を吐く。もう駄目だ。認めるしかない。


「……俺の負けだ」

「ん?」

「全然立派なレディにはなっていないが、この勝負は俺の負けだ」

「なぁ!?わざわざそれ言う必要あります!?今の流れは普通に好きだって言う場面でしょう!?」


 バタバタと暴れる女を抱く力を強めて額に唇を寄せれば、ピタリと面白い位に固まった。そして緩慢な動きで自分の額に触れ、一気に顔を赤らめさせる。


「オフィーリア」

「ひぇっ」

「……なんだその間抜けな声は」

「だ、だって。今までお前呼ばわりだったのに、こんな時に名前を呼ぶなんて狡い……!」


 手で顔を隠したオフィーリアに思わず口元を緩める。今度はその手に唇を落とそうと顔を近付けた途端、ガっと柔らかい手に頬を掴まれ唇が重なる。色気も何も無い子供みたいなキス。


「ふっ。お前らしいな」

「どうせ!どうせ私は子供みたいですよっ」


 拗ねたようにそっぽを向くオフィーリアに愛しさが込み上げてくる。まさか自分がそんな事を思う日が来るなんて想像もしていなかった。だがそれも悪くない。


「オフィーリア」

「……何ですか」

「愛してる」

「だっ、だから狡いですって!!」




最後まで読んで頂きありがとうございました!

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おまけ

「ねぇ、僕いるの忘れてない?」

「わっ!すっすみません!」

「オフィーリア、謝らなくて良いぞ。こんな奴放っておけ」

「ひどっ」



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