六話 ストラザール村の少女(6)
「おい。ずいぶん遅かったな。キャロライン。危うく間に合わないところだったぞ? 」
ヘレナの手を引いて、女騎士の前まで来たカイルは、何の前置きも無くいきなりそんな風に話しかけた。
「お前か…カイル。向こうで手間取ってな。その娘はなんだ。」
おろおろしたままのヘレナは、二人の会話を眺める。
―――歳も同じくらいで、背もカイルの方が少し高い。お似合いのカップルだな……。
地下の狭い隠し通路を通り、みんなの所まで走って、更に攫われて…。ボロボロになってしまっていた自分を見て、悲しい気持ちになる。
―――ただの村娘のわたしが、あんな人の横に立ちたいなんて、おこがましいよね……。
ただ、女騎士のキャロラインが、カイルの手を握ったままのヘレナを見る目には、明確な敵意を感じ取る事が出来た。
―――あたし……なにかしちゃったかな……。
身に覚えのないヘレナは、必死で心当たりを探す。
ただ、攫われて首元に短剣を突きつけられた時よりも余裕はあった。
「ああ、今回の報酬さ。何でも言う事を聞くし、自分を自由にしてくれて構わない。と、そう言う契約で仕事を請けた。」
「なっ……。おい。カイル。どういう事だ? 」
カイルがキャロラインに、とんでもない説明をする。
そして、キャロラインがヘレナを見る目には、敵意どころではなく、憤怒に近いものすら感じられるようになっていた。
「いいから見てろって。ちょっと治療魔法が使える奴を呼んでくれ。出来たら腕を再生する事が出来るような奴。この隊なら居るだろ? 」
「副官! タニアを呼んで来い! ……で、なんなのだ!? 」
キャロラインは、隣に居た厚い眼鏡を掛けた小柄な女性に向けて命令を出し、カイルを睨む。
「ちょっと、キーロフさん! こっちに来てくれ。」
「おう、ヘレナ。目が覚めたか…。さっきは済まなかったな。連れて行かれるまで、俺たちは何も出来なくてよ。無事に帰って来てくれて本当にホッとしたぞ。」
イワンの背中を、泣き笑いしながらバンバンと叩いていたキーロフが、カイルの下へと歩いて来て、隣に居るヘレナに頭を下げる。
「で、カイル。この騎士さんとは知り合いなのか? 」
「まあちょっとした縁があってな。傷の具合はどうだ。」
「まあちょっと痛むが何でもねえよ。放っておきゃ治るさ。」
そう言って、キーロフは矢が刺さっていた右肩を回そうとするが、どうやら相当痛むらしく、顔をしかめる。
「ダメです! ちょっと見せてください! 傷口だけでも塞いでおかないと…。」
さらに大きくなった包帯の血の染みを見て、ヘレナはカイルに握られていた手を振りほどき、思わずキーロフの肩に手を当てる。
淡い光が手のひらから溢れ、包帯から垂れそうになっていた血が止まる。
「え…? なに?……それ……。」
「あ、医療魔術師さんですか! ごめんなさい。あたし、これくらいしか出来なくて……。」
先ほどの副官に連れられて来た騎士の肩には、医療魔術師である腕章がついていた。
カイルが医療魔術師を呼んでいた事を忘れ、素人治療をしてしまった事をヘレナは謝った。
だが、周りの様子がどうもおかしい。
そんな中、カイルだけがニコニコと笑っていた。
「…………娘。お前……詠唱はどうした……。」
「あたし、魔術の詠唱とか出来なくて……。すみません……。」
詠唱の事を聞かれたが、魔術に関しては実母に絶対に隠すように言われていたので、目にする事も避けていた。
きっと詠唱も無しに治療するなんて、荒っぽい事をした事を怒られるのだろうなとヘレナは首を竦める。
「……タニア。お前は詠唱無しでどこまで出来る? 」
「隊長、あたしが詠唱無しで治療しようとしても、擦り傷一つ消せやしませんよ。詠唱ありなら腕や足の一本くらい生やしてみせますけどね。あと、この子はあたしが何があっても連れ帰りますので、手続きはお願いします。」
「あの…。その…。」
しかし、恐れていた怒声は聞こえる事は無く、むしろ自分の今後が勝手に決められてしまいそうになって、ヘレナはあたふたとしだす。
「そこの人、どれ、ちょっと見せて。」
タニアと呼ばれた医療魔術師は、キーロフの包帯を取り、傷口を確認すると、おもむろにぶつぶつとつぶやいた。
本職の医療魔術師の治療をヘレナは見るのは初めてだったが、口元でつぶやいた言葉に魔力が宿り、そして傷口に魔法陣が生まれたと思うと、あっという間に傷が塞がって行く。
「うわ…。もう全然痛くねぇ…。すげえな。」
「ふふーん。あたし、本当に凄えんだぜぃ? 」
もうぐるぐると肩をまわし、肩口の傷もすっかりと消えているキーロフの驚きの言葉に、タニアが自慢気に答えている。
「え……? 今のどうやってやるんですか? 魔法陣ってどうやったら作れるんです? 」
これは、色々と聞いておかないとと、ヘレナは早速タニアを質問攻めにしだした。
そんなヘレナを見て、タニアは嬉しそうにあれこれと教え始めている。
「隊長! ちょっと見ていただきたいものが! 」
そんな中、血相を変えた一人の兵士が、ヘレナたちが居る場所へと走って来て、キャロラインに報告をする。
「なんだ! 今は手が離せぬ! 」
「はい! 一味の人定が終わりました! 死体の総数は四十二で、そのうち二十三の死体は、掃除屋の手によるものだと思われます。連中の拠点から逃げたと思しき数とちょうど合いますので、組織の壊滅は間違いないかと…。」
「それだけの報告なら後にせよ。他に何かあるのか? 」
「はい! ただ……。ちょっとどんな魔法を使ったのか解らない死体がありまして…。その死体が持っていた剣だけでも見ていただきたいのですが。」
タニアと話しているヘレナをじっと見ていたキャロラインは、その兵士の持ってきている剣をちらりと睨んだあと、驚きに目を丸くする。
「魔法? お前……また何かやらかしたのか? 」
「いや? それも俺じゃあない。」
一歩下がって皆の様子を見ていたカイルを、キャロラインが睨む。
だが、カイルは口の端をちょっとだけ上げて、顎をしゃくってタニアと話しているヘレナを差す。
「なんだ……これは……。おい!副官! サーティスを呼んで来い! 今すぐにだ! 」
慌ててその剣を手に取ると、その切り口はまるで磨いたように滑らかだった。
また副官が黙ったまま走って行き、今度は鎧の上からローブを羽織った魔術師を連れて来た。
「これは…火属性でもない…もちろん水属性でもない…。こんなに綺麗に物を切り取る魔法なんて聞いた事もありません……。まるで突然その部分がなにも無くなったような……。ちょっと他の物も見せてくれ。その死体もだ。」
魔術師はその異常さに一目で気が付き、『どんな魔法を使ったのか解らない』死体を早速確認しに行く。
そして、半刻ほどで戻って来て『何が起こったのかは、王都の魔導研究所に持ち込んでみないと解りません。』との報告をキャロラインに上げた。
「おい娘。貴様は一体ヨーゼフたちに何をした? ここでやって見せろ。」
「あの…。小さい頃に母から二度と使っちゃいけないって言われてて…。」
そして、タニアの傍で既に小さな魔法陣を作り始めているヘレナに、どういう魔法を使ったのかを聞き出そうとするが、意外と強情なヘレナは言いつけを盾に断る。
どうやら、今回の騒動で相当肝が据わったようだった。
並大抵の人間ならば、神性を有する騎士のキャロラインの言葉であれば、抵抗する事すら出来ずに言う事を聞く。
困り果てたキャロラインは、黙っているカイルを見やる。
「すまないが、なんとか見せてくれないか。おいカイル。お前からも言ってやってくれ。」
「ヘレナ。約束だろ? 無理しない程度で十分だから見せてやってくれ。」
「……わかりました。ただ、ここではちょっと危ないので。」
カイルに助け舟を出してもらって、やっとその魔法を見せて貰える事になる。
そして、村から少し離れた場所にある大きな木の前まで来て、ヘレナは手のひらほどの大きさの光球を作り、それを大木に向けて飛ばした。
その木の幹には、ちょうど光球と同じくらいの穴がくりぬかれ、その切り口はまるで鋭利な刃物で柔らかいものを切ったように滑らかだった。
「おい。サーティス。あれはなんだ。ただの光球では無いのか? 」
「私にもさっぱりです…。ただ、見たところ、あれは魔力の塊では無いかと…。」
「あんなのが魔力の塊だと……? 」
ヘレナは肩を落としているキャロラインの姿を見て、期待ほどでは無かったのかと思い、かなり加減して力を使った事を後悔した。
義両親に対する態度で、悪い人では無いのだろうとは解っていたけれども、威圧して人を従わせようとする姿がどうにも気に入らなかったのだった。
「あの…。もうちょっと時間をもらえれば、もっと大きいものが出来ますけど…。」
「娘…。私は大きさが小さいと言っているのではないのだ……。人の目に光って見えるほどの魔力の塊を扱える者が居るなど、聞いた事も無いのだよ……。」
その言葉に、キャロラインは更に肩を落とす。
「隊長! ヘレナは渡しませんからね! うちの師匠と一緒にあたしが鍛えますから! 」
そして、自分の仕事を放ったまま、ずっと付いて来ていたタニアが、ヘレナの腕に自分の腕をガッチリと絡ませながら、そんなキャロラインに追い打ちを掛けた。
*
「娘…。いや、ヘレナだったか。君には二つの道がある。」
村に戻って来るまでずっと黙っていたキャロラインは、ヘレナに道を提示する事にした。
先ほどとは違い、キャロラインと話をするヘレナを心配そうな顔で見ているのは、義両親と弟、そして村人たちだった。
「このままこの村で村娘として過ごすのがまず一つ。そして我々と共に来て王都の魔法学院で勉強するのが二つ目の道だ。」
「もし、この村で過ごしたいと言ったら、あたしはどうなるんでしょうか。」
「この村で過ごすと言うのなら、二度とその魔法は使わせない。危険すぎるからな。魔導士にお願いして、人が持つ魔力の源であるチャクラを閉じてもらう事になるし、その後も一生監視は付けさせてもらう。ヘレナ、君はどうする? 」
ここまで見せられて、とうとうキャロラインもこれを自分の胸だけに仕舞っておくことは不可能だと判断した。
ヘレナに向かって真剣な眼差しを向け、今までとは違う、対等な者に対する態度で、その道を示す。
「……突然そんな事を言われても……。」
ちらりとカイルを見るが、彼は何も答えぬまま、じっとヘレナを見ていた。
次に家族を見ると、心配そうな顔でヘレナを見ているのが判った。
そして、同じくらい心配そうに見ている村のみんな。
そして、ヘレナは空を見上げて悩む。
これがチャンスだと言う事は、ヘレナにもよく解っていたからだった。
「姉ちゃん。俺ならもう大丈夫。ちゃんと村長とサーシャさんの言う事を聞いて、姉ちゃんの分もしっかり働くから。」
そんなヘレナに声を掛けて来たのは、弟のゼーレンだった。
ヘレナは弟に振り返り、ここに来た当時から比べるとずいぶん大きく、しっかりして来た姿に今更ながら気が付く。
「そうだよ。ヘレナ。二度と会えなくなる訳じゃない。」
「そうそう。魔法学院って確か二年制だったでしょ? あっという間よ。」
続いて声を掛けて来たのは、イワンとサーシャだった。
「ゼーレン……。お義父さん……お義母さん……。」
「おう、行って来いや。俺たちの事も心配すんな! 」
「どうせなら、この村出身の大魔導士が居るって誇れるくらいになって来なさいよね。」
義両親に続いて、村の皆からも声が掛けられた。
「みんな……。わかりました。それでは、どうかよろしくお願いします。」
ヘレナがキャロラインにやっとそれだけ言うと、村のみんなから大きな歓声が沸き起こった。
*
「よし。後は今回の襲撃の後始末が終わり次第、私は半数の兵を率いて街へ戻る。それに付いてくるといい。王都での身元保証人も私が責任を持って引き受けよう。」
「でも……わたしはカイルさんとの約束も果たさないと……。」
旅だちの祝いの宴席を開くと言って村人たちが散った後、キャロラインに言われたヘレナは、カイルとの約束をまだ果たして居ない事を思い出す。
ヘレナは、不安な気持ちを抱えたまま、カイルを見る。
だが、その顔には穏やかな笑顔が浮かんでいた。
「俺との契約はもう成ってる。また何かあったら頼ってくれよ。」
「え…? それはどういう…。」
ヘレナは意味が解らずに聞き返す。
「俺は君にその力を使わせて、君の身体をここまで連れて来ただろ? 」
「……? 」
「だから、何でも言う事を聞くし、自分を自由にしてくれて構わないって契約は完遂された。今回のアンデッド討伐の代金も貰ってるしな。欲をかくとロクな事にならない。」
そしてヘレナは気が付いた。村が襲われて、ヘレナが命の危険すら感じている時に、この人はここまで考えていたのだ……と。
「あの……。また……お会い出来ますか……? 」
「縁がありゃまた会えるだろ。君のその大きな力はトラブルを呼び込む事もある。そんな時は頼ってくれ。ヘレナ。」
「はい! もちろんです! 」
手を振りながら去って行くカイルの背中に、ヘレナは思う。
私があの人の横に立てるほどの人間になれたら、この気持ちを伝えよう。
だから、今は少しでも近づけるよう、自分を磨くのだと誓って。
「はあ……。また一人増えるのか……。」
そんなやりとりを見ていたキャロラインの独り言は、ため息と共に夕焼けに染まるストラザール村の長閑な景色へと消えて行ったのだった。