四話 ストラザール村の少女(4)
「何を言ってるの!? 今、この村は襲われてるのよ! 」
「ああ。そうだね。少なくとも晩メシのお誘いじゃあ無い。」
「一体…何を…。」
ヘレナはあまりの恐怖ゆえに、この男が狂ってしまったのかと思ってしまう。
だが、その目を見返しても、狂気の色は見えない。
「そこそこ出来るみたいだが、相手が悪い。あのままだと二人とも死んじまうぞ。君はそれでも良いのかい? 」
腕を組みながら、男はヘレナをじっと見る。
「いいわけ無いじゃない! じゃあ、あんたが助けてくれるの!? もう一人増えたところで焼け石に水よ! いい? 闘いって数で決まるの! いくら常人の三倍の強さを持っていても、それ以上の人数で囲まれたら終わりなのよ? 」
「ほう。兵法書まで読んだ事があるのか。じゃあ、俺が助ける事が出来ると言ったら? 」
感情を爆発させたヘレナを見ても、カイルは全く動じずに答える。
ヘレナはとうとう我慢が出来なくなった。
「出来るもんならやってみてよ! もし皆を助けてくれるなら、あたしが出来る事なら何でもするわ! なんならあたしを自由にしてくれてもいい! 」
「……心得た。じゃあ、君は先にみんなの所に行って、ここに村の人が近づかないようにしてくれ。」
それだけ言うと、まるで煙のように男の姿は消えた。
「なに……? 一体何なの……? 」
まるで狐につままれたような気持ちのまま、ヘレナは床下へと続くはしごを降りる。
そこにある小部屋には食料品が積まれており、注意深く見なければ横穴へと続く扉は解らないようになっている。
「ゼーレン…居るの? 」
「姉ちゃん! こっち! 」
ヘレナを待っていたのか、ジャガイモが入った箱の横からゼーレンの声がした。
「もう大丈夫だからな。リリア姉ちゃんも待ってるから行くぞ。泣くな、男の子だろ
? 」
ゼーレンがリリアの弟のセリムの手を引きながら出て来る。
ぐずっていた年下のセリムをあやしている姿は、もう、いっぱしの男に見えた。
「もうあたしがここに来た頃と同じ歳だもんね……。さ、行くよ! 」
そう言うと、ヘレナは二人の少年を連れて、真っ暗な横穴を村の外へと向かうのだった。
*
「なに!? 村が襲われてるって!? 」
村から皆が今日向かった開墾地は、村から半時ほど離れた場所にある。
ヘレナたちがその場所に着いたのは、ちょうど皆がお昼を摂りに村へと戻ろうとしていた時だった。
「そうなの……はぁはぁ……だから…みんな隠れてて……って。」
息を切らせながら、ヘレナが告げる。
「隠れろって…どこに…。」
「一体誰が? 山賊か!? 」
「どうしよう…あたし荷物全部家に置きっぱなしだよ……」
「イワンは大丈夫なのか!? 」
集まって来た村人たちは、口々にヘレナに尋ねる。
今まで魔物やアンデッドに襲われた事はあったが、人間に襲われたのはこの村が出来てから初めてだった事もあって、その顔には不安が浮かんでいる。
「まあ、待てよ。必死でここまで駆けて来た娘を質問攻めにしてもよ。とりあえずここにはまだ敵は来ちゃいねえ。おい! グレン。お前衛兵だったろ? 周りの警戒を頼む。」
「あいよ。任せとけ。」
「おい、誰か! ヘレナと坊主たちに水を。」
一時期は棟梁として数人の大工を使っていたキーロフが、怯えるあまりヘレナに詰め寄る人々を抑えて手際よく指示をして行く。
「ありがとう。キーロフさん。」
誰かから渡された水筒を渡されながら、ヘレナはキーロフに礼を言う。
その水は、とにかく皆に知らせなくてはと急いで走って来た身体に染みわたる気がした。
*
「で、どうなんだ? 村の様子は。」
周りに集まっていた人を散らした後、小声でキーロフが尋ねて来る。
「どうなったかは解らない…。急にヨーゼフさんが来て…その後ろに山賊みたいな人がいて……そして村長とサーシャさんが……。」
やっと息が落ち着いたヘレナだったが、説明をしようと村が襲われる光景を思い出した時、最後に見た二人の姿を思い出して涙が溢れて来る。
「ああ……解った。で、俺たちにどうしろって? 」
「村長は……逃げろって。でも襲って来た奴は人の足で逃げてもすぐ捕まえられるって……。で、冒険者さんは村に近づくなって……。」
「そうか、あいつもまだ村に居るのか……。」
「うん。だからあたし……みんなを助けてって。」
嗚咽を漏らしそうになる気持ちを抑えて、ヘレナは何とかキーロフの質問に答える。
「解った。よくやったな。ヘレナ。」
そう言うと、キーロフは大きなごつごつとした手で乱暴にヘレナの頭を撫でる。
ヘレナは自分ではもう大人だと思っていたが、この一週間はずいぶん頭を撫でられるな、と他愛もない事をその時は考えていた。
*
「ここで待ってても仕方ねえ。戦える者を集めて様子を見に行く。」
「え…ちょっと待ってください……。」
ヘレナは村の皆で何事かを話し合っていたキーロフの言葉に耳を疑った。
「こりゃ、皆で決めた事なんだ。ヘレナ。どうせここで待っていても、村に残った連中がやられてしまってたら何も解らねぇ。それに、俺たちは逃げたところで行く当てなんてないしな。それにな、もし助けられるはずのイワンを助けられなかったとしたら、俺たちはずっとそれを悔やむ事になる。あいつらを大事に思ってるのは、お前だけじゃないって事だ。」
「そうだよ。もし村長たちの犠牲で助かったとしても、きっとあたしたちはそれを喜べないと思うんだ。」
キーロフとリリアの言葉に、ヘレナも頷くしか無かった。
自分でももし一分でも彼らを助けられる可能性があるなら、この身を差し出しても良いと言った事を思い出す。
「解りました。では私も付いて行きます。」
「おい……そりゃあ……。」
「大丈夫です。あたしにだって戦う方法があるんです。」
そう言って、何か覚悟が決まったような顔をしながら、ヘレナは真剣な表情でキーロフを見返すのだった。
*
斥候を買って出た七人は、魔物に襲われた時に使う為の武器を持って、村への道を歩き出した。
まともに使える物と言ったら、剣士だった父からもらったと言う元衛兵のグレンが持っている片手剣位だったが、それでも一切の武器を持たずに移動するよりは、よっぽどマシだった。
「おい。音を立てるなよ。」
その村人たちは、枝の一本も踏まないよう慎重に歩く。
ヘレナから聞いた話だと、連携の取れた軍隊に匹敵するような連中だと思われたからだ。
「あそこの草むらが今動きました…。」
ヘレナが小声で告げてその方向に指を差す。
結局ヘレナの勢いに負けて、キーロフはこの斥候隊に付いて来る事を承諾せざるを得なかったのだ。
もちろん敵を発見したら、直ぐに逃げるつもりでは居た。
その場合にはこの村を放棄する事になるが、もし敵が生き残っていた場合には、隠れる所のほとんどないこの平野で、女子供を連れて逃げる事など不可能だろう事もまた解っていた。
ヘレナが指を差した草むらを、全員が固唾を呑んで見る。
カサカサと言う葉擦れの音がして、一頭の雌鹿が顔を出した。
「驚かすなよ…。でも、ここまで近づけるなら鹿狩りも出来そうだな。」
「そりゃあいい。たまには肉も喰いてえしな。」
全員がホッと胸を撫でおろした瞬間、キーロフの肩に矢が刺さった。
「敵襲だ! 」
訓練を受けていない人間など、こうした時には全く役に立たない。
敵襲と言う声を聞いて、警戒をしながら直ぐに近くの木の下に身を隠したのは、キーロフとグレン。そしてヘレナだけだった。
残りは蜘蛛の子を散らすように闇雲に走って行くだけで、その背中はあまりにも無防備だった。
やられる! とキーロフはその姿を目で追うが、その背中に矢が突き立つ事も無く、十分な距離を取る事が出来たようだった。
「ま、捕まえようと思えばいつでも捕まえられますからね。残りの矢も少ないですし。」
「クソっ! なんだってあんな奴が…。」
「それを言っても仕方ありません。我々は後の事を考えましょう。」
馬の上で世間話でもするように話している二人の男が、ヘレナたちが隠れている木に近づいて来る。
ヘレナにはそのどちらの声も聞き覚えがあった。
「おお。これは良い。ちょうど目を付けていた娘がわざわざ来てくれていたみたいです。」
舌なめずりをしながらヘレナが隠れている木を見ているのは、幼い頃に彼女たち姉弟を売ろうとした詐欺師。
「そのうち味見をしてやろうと思ってたんだがな。イワンの野郎の邪魔さえなければ……。。」
もう一人は憤怒冷めやらぬと言った表情のヨーゼフだった。
普段の人の好さそうな仮面は既に脱ぎ捨てられており、尊大で下卑た表情をその顔に浮かべていた。
門の目の前に居たはずのこの二人が生きていると言う事は、村での戦闘はもう終わっているのだろうとヘレナは理解出来た。
そして、戦闘が終わって、この連中が生きていると言う事は、あの冒険者がヘレナの願いを叶えられなかったとも取る事が出来た。
*
「バルダさん! やっと追いつきました…。」
走って来た五人ほどの賊が、彼ら二人に合流する。
「やっと来たか。残りは? 」
「こっちは俺たちだけです。」
すぐ傍で声が聞こえるほどだと言うのに、彼らは気にした風でもなく会話を続ける。
所詮村人だと侮っているのが手に取るように判った。
「さて、隠れていないで出て来るがいい。今なら苦しめずに殺してやる。」
それを聞いて諦めたのか、ヘレナは身を隠していた木の傍にスッと立ち上がる。
「村に残ってたみんなは? 」
「おい! ヘレナ! 」
声を上げたキーロフを見ながら、ヘレナは大丈夫だとこくりと頷く。
「これはこれは。あなたを殺すつもりは無いんですけどね。村に残っていた皆さんはもう居ませんよ? 」
「あなたたちがやったの…? 」
「はい。私たちが皆さまを送らせていただきました。あなたは村娘にしておくには惜しい美しさだ。特別にさる貴族様に仕えていただく道をご用意しております。」
ニヤニヤとバルダと呼ばれた詐欺師が笑いながらヘレナを見る。
執事がするような礼がヘレナの激情を誘った。
後ろに控えている賊たちも、ヘレナの姿を上から下まで舐めるように眺め、いやらしい笑いを浮かべる。
「さて、もう逃げる事も出来ません。あなたが逃げてもそこの大男と剣士をたっぷりといたぶらせて頂いた後、馬で追いかけますので。」
勝利を確信した表情のバルダが馬を降りて近づいて来る。
「それは私に任せろ。身体検査もしてやらなくてはならないしな。」
すいとバルダの前に出るようにヨーゼフが前に立ち、それを見たバルダが横に避ける。
ヘレナは地団駄を踏みそうなほど悔しい思いをしていた。
―――あとちょっとだったのに……。
しかし、もう二度とチャンスが訪れる事は無さそうだった。
脂ぎったヨーゼフの手がヘレナに伸びて来る。
いよいよ進退が極まったのか、ヘレナもまるでその手を取るように手を上げ…。
次の瞬間、ヘレナが向けた手のひらから一メートルほどの大きさの光の塊がはじき出された。
「え…? 」
ヨーゼフは何が起こったのか解らず、自分の身体を見る。
その左半身は丸く削り取られており、ヨーゼフには自分の心臓が零れ落ちながら脈を打っているのが見えた。
後ろではバタバタと人が倒れる音がして、手に持っていたはずの武器が地面に落ちる音が響く。
その次の瞬間には血の回らなくなったヨーゼフの身体は、その足元にあった泥の中に、ぐしゃりと崩れ落ちた。
「父と母の仇。討たせてもらったよ。」
それだけ言うと、魔力を使い切ったヘレナの意識はゆっくりと暗闇に落ちて行った。