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掃除屋と呼ばれた冒険者  作者: 尾籐イレット
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二話 ストラザール村の少女(2)



「それで、カイルさん。いつ頃今回の依頼は片付きそうですか? 」


「多分、あと二日くらいで片付くと思う。ただ、今のままじゃ、そのうちまた集まって来ちまうだろうね。」


 夕食を囲みながらのイワンの質問に、カイルが素っ気なく答える。



 また集まって来てしまうと言われた事が気に掛かるのか、イワンはそのまま黙り込んでしまった。


 カイルは共に食事をするのを最初は断っていたが、村の為の仕事をしてもらえている人に何のもてなしもしないと、この村の一生の恥となると言うイワンの説得で、夕食と朝食だけは一緒に摂る事になっていた。



「大丈夫ですよ。おと…村長さん。新しい畑の開墾も種まきまでには間に合いそうですし。来年にはゼーレンたちも手伝ってくれると思いますし。」


 じっとテーブルを見つめたまま固まっているイワンに、ヘレナが声を掛ける。



 今、村人総出で掛かっている畑の開墾が終われば、村にはだいぶん余裕が出て来るはずだった。


 作付け面積が増えれば、それだけ収入も増える。

 日々の作業も面積に比例して増えるが、来年には弟たちも十分戦力になってくれるはずだった。


 そうして村に余裕が出来てくれば、また冒険者を雇えばいい。そんな気持ちでヘレナは答えたのだった。



「……ありがとうヘレナ。助かるよ。」


「いや、あたしたちがどれだけ世話になったか…。そうそう、牧草はどうします? 明後日にはヨーゼフさんが取りに来ますよね。村長のやり方見てましたし、あたしも手伝います。」


 ヘレナは、少しでも恩を返そうと、普段はイワンがやっている仕事を手伝いたいと申し出た。



「あ…ああ。そっちは頼もうかな。さ、残りを食べちまおう。そろそろカイルさんも出る時間だからね。」


 それを聞いたカイルが、チラリとイワンを見る。


 その眼はどこか虚ろで、ヘレナは一抹の不安を覚えた。



「うえ…。にんじん入ってる…。」


 カイルに何か言葉を掛けようとして逡巡していたヘレナの隣で、ゼーレンがスープを混ぜながら愚痴をこぼした。



「なに? ゼーレン。アンタそうやって好き嫌いしてると、夜に黒い鬼が来て攫われちゃうよ? 」


「なんだよ姉ちゃん。俺だってもう子供じゃないんだ。夜に悪い子を攫いに来る黒い鬼なんて居ないって知ってるもんね。」


「またそうやって大人ぶる。あら? またあんた怪我してるじゃない。……ほら、見せなさい。」



 黒い鬼と言うのは、この国の子供なら誰でも一度は聞かされた事がある話だ。


 悪事を働いてそれを省みない子には、全身を黒装束で固めた男が真夜中に音もなく部屋に入って来て、その子を攫う。


 攫われた子は永遠に続く地獄のような世界で苦役に就かされ、そして気が付いた時には自分も黒い鬼になっている。


 …そんな世界中どこにでもあるような母が言う事を聞かない子に聞かせる話だった。


 ヘレナも、最初に母からこの話を聞かされた時には、怖くて布団に潜り込んでしまい、そのまま顔を出す事すら出来なかった。



「……なあ、ゼーレン。黒い鬼は本当に居るんだぞ? 」


 強がりを言うゼーレンに、イワンが突然そんな事を言い出した。



「なんだよ。イワンさんまでそんな事言うの? 」


「俺はね。元々この辺りに住んでたんだ。戦争が始まったのは、ちょうどゼーレンくらいの歳だったかな。その当時は軍隊なんだか盗賊なんだか解らないような連中ばかりでね、おじさんたちもずいぶん酷い目に遭った。だけど、そんな連中のところには夜中に黒い鬼が来たんだ。」


「う…嘘だ…。」


「本当だよ。おじさんも一度だけ見た事がある。奴らは夜の闇の中から不意に現れて、一息で首を狩って行くんだ。こう…スパっとね。」


 そう言いながら、イワンはゼーレンの首の辺りを手刀で斬る真似をする。



「ひっ…。」


「ちょっと…あなた。」


 すっかり怯えてしまって、黙々とスープを食べ始めたゼーレンを見て、サーシャがイワンを窘める。



 今までヘレナがゼーレンを叱っていても、イワンがこうして加わって来る事は無かった。


 いつも通りに笑顔を浮かべながら食事を続けるイワンの姿を見ても、何処か今までとは違った人を見ているような、そんな漠然とした不安をヘレナは覚えていた。



*



「それでは行ってくるよ。朝日が昇るまでは何があったとしても決して門を開けないように。」


 ここ一週間繰り返された通り、そろそろ日が暮れる時間に合わせてカイルが門の外へと出て行く。


 食事を終えた彼を見送るのにちょうど良いと言う事で、ヘレナがここしばらくは門の戸締り係となっていた。



「あの…。あたし、何か変な事言っちゃったんでしょうか…。」


 ヘレナは、おかしな雰囲気になってしまった夕食は、自分が何かしてしまったからでは無いかと不安になり、カイルに尋ねた。


 カイルの背中がピタリと止まる。



「いや…。何も変な事は言ってない。それに…もうすぐ終わる。それまでの辛抱だよ。」


「このままアンデッドがこの村を襲わなくと良いんですけど……。 」


「そう…だね。ただ、今のままじゃ難しいだろうな。」



 それだけ言うと、カイルは片手を上げ、振り返らずに村から離れて行く。


 その姿はどうにも悲しそうで、ヘレナは陽が落ちているのに気が付いて慌てて門を閉めるまでその姿から目を離す事が出来なかった。



「ずいぶん遅かったね。ヘレナ。」


 居候をさせて貰っているイワンの家に戻ると、玄関でばったりとイワンと会った。



「ごめんなさい、村長。閂がなかなか嵌らなくって…。」


「そうか…。もうずいぶん使ってるからね。キーロフに言って直してもらおう。」


「あ…。いや、あたしの手際が悪かっただけで…。多分まだ何ともないと思います。…おやすみなさい。」


 それだけ言うと、ヘレナはパタパタと廊下を駆け、自分の部屋へと逃げた。



 あの悲しそうな背中をずっと見ていた事を言うのはなんだか気が引けて、ヘレナはイワンに初めて嘘をついてしまった。


 イワンの前から逃げる事には成功したものの、ベッドに倒れ込んだヘレナを襲って来たのは苦い後悔の味だった。



*



「……だからダメだって言ったじゃない! あなたは考えが足りなさすぎるのよ! 」


「あの時は仕方なかった。そうするしか無かった! それは知ってるだろ!? じゃあ何か出来たのか? 違うだろ! 」


 ベッドに倒れ込んだまま、服も着替えずに眠っていたヘレナの耳に、男女が言い争う声が聞こえて来た。



「イワンさんとサーシャさんの声…? 」


 二人に拾われてから、彼らが声を荒げて喧嘩をする姿は見たことが無かった。


 ヘレナも結婚したらあんなふうになれたら良いなと思う理想像とも言える仲の良い夫婦だった。


 そんな二人が、聞いた事もないような大声を張り上げてお互いを罵っていた。


 

 ヘレナは隣に寝ているゼーレンに目を向ける。


 一度眠るとなかなか目を覚まさない弟は、二つ隣の部屋から聞こえる、くぐもった怒声くらいでは目を覚まさなかったようで、すやすやと寝息を立てている。


 ホッとしたヘレナは、服を着替えて自分のベッドにもぐりこむ。



 そして、これ以上は何も聞きたくない、と枕をすっぽりと頭から被り、目をぎゅっと閉じた。


 だが、目に浮かぶのは村から離れて行く赤髪の男の悲しそうな背中。


「一体…どうしちゃったの…。こんなのイヤだよ…。」



 そんなヘレナのつぶやきも、夜の闇の中にただ消えて行くだけだった。



*



「おはよう。ヘレナ。眠れなかったのかい? 」


 夜明けの少し前、顔を洗おうと部屋を出たヘレナに声を掛けて来たのはイワンだった。



「だいぶん飲んだんですか? お酒の匂いが…。」


 ヘレナはイワンの質問には答えずに散らかったダイニングテーブルを見ながら訊き返す。


 いつも四人で…最近は五人で囲んでいたテーブルには、酒の空き瓶が何本も転がっていた。



「うん…? ああ…ちょっとね。君も呑むかい? 」


 ヘラヘラと軽薄な笑いを浮かべながら、イワンが答える。


 いつもしっかりと剃られていた頬に、無精ひげが浮かび、服もだらしなく裾がズボンからはみ出していた。



「もうちょっとで弟が起きて来ます。尊敬する村長のそんな姿は見せたくありません。あたしが片付けておきますので、顔でも洗って来てください。」


 ヘレナの厳しい目を見たイワンは、その言葉にハッと我に返ったようで、ヘレナに言われた通りに洗い場へと向かう。


 ヘレナには昨日まであんなに大きく見えていた背中が、急に二回りも小さくなったように見える。



 いそいそと洗い場へと向かう、イワンの姿を見送ったヘレナは、ため息を一つつくと、散らかったテーブルを片付け始めた。



*



「それじゃ、行ってきます。」


 急いで片づけを終わらせて、慌てて顔を洗い、すっかり顔を出した太陽を横目に見ながら門までの道を急ぐ。


 もう彼は門の傍で待っているはずだった。



「カイルさん。居ますか? 」


「ああ。居るよ。周りの安全は確認してるから、門を開けても大丈夫だ。」


 普段は、必ず隠し窓から周囲を確認した後でなければ、門を開ける事は出来ない。


 だが、聞き間違いようのない、のんびりとした声を聞いた事と、この一週間の共同生活での安心感と、待たせてしまった罪悪感から、ヘレナは直ぐに閂を外す。



 門が開いて、ヘレナの目の前に出て来たのは、赤い髪の男ではなく抜き身の剣だった。



「これがコダマって魔物なら死んでたぞ? ヘレナ。君だけじゃなくて村の皆もだ。」


 悲鳴ひとつあげられずに固まっていたヘレナに、赤い髪の男が、口の端だけを上げるニヤリとした笑顔を浮かべて門の影から出て来る。



「なん…で…。」


「なんでこんな事をするかって? 今まで門を開ける前には必ずあの覗き窓から門の外を確認してたろ? そういう手順を一度でも怠る奴は必ず死ぬ。それを身をもって知ってもらいたかっただけだ。」



「だって…。」


「大丈夫だと言っただろって? 魔物の中には殺した奴の声色をそっくり真似る奴が居る。魔道を極めた魔術師なら見分ける事も可能だが、君はそうなのかい? 」


 眼前に迫った死の恐怖と、目の前の男が言う正論に言い返す事も出来なかった事で、ヘレナはへたりと座り込んでしまう。



「う…うわぁああぁん…。」


 悔しさと安堵の感情がないまぜとなってしまい、ヘレナは零れる涙を抑える事が出来なかった。

 何年もずっと堪えて来たその感情が涙と一緒に堰を切って溢れ出す。



「お…おい……。」


 そこまで怖がらせてしまったかと目の前の男がおろおろとしだすのにも気が付かず、ヘレナは子供のように泣き続ける。



 その声を聞きつけて、家の窓から顔を出す者もあったが、二人とも見知った顔であり、別段暴力を振るわれている訳でもない事を確認すると、興味無さげに引っ込んで行く。



 他人のいざこざに不用意に顔を突っ込むと碌な事にならない事を知っている彼らなりの処世術とも言えるものだった。



「ああ…スッキリした。」


 まだしゃくりあげ続けているヘレナは、涙声でそれだけ言うとスッと立ち上がる。


 ヘレナが泣いている間、カイルはヘレナの横に座って肩を貸しながら彼女の頭を撫で続けていた。



「何か…あったのかい…? 」


 不安そうに眉根を寄せながらカイルがヘレナに尋ねる。



「ううん。なんにも? ちょっといじわるな冒険者さんにビックリさせられただけだから! 」


 それだけ言うと、ヘレナはくるっと踵を返して家へと向かう。


 後には呆然としたままのカイルだけが取り残されていた。



「ね。あたしこれから朝ごはんの準備も手伝わなくちゃならないの。そんなところでボーっとしてないで、早く来てくれる? 」


「解ったよ…。」


 ヘレナがくるりと振り返りながら、立ち止まったままのカイルを見る。


 その顔に浮かんでいたのはいつものような作り笑顔ではなく、優し気な笑顔だった。



「なによ……あんな顔も出来るんじゃない…。」


 少しだけ染まった頬と、急に高鳴った心臓の音が聞こえてしまいそうな気がして、ヘレナは駆け出すようにして家へと戻るのだった。



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