第五話
けたたましく携帯が鳴り、一瞬にして現実に引き戻される。
「静香!!なにやってんのよ、今日はパパんとこのバイト入ってるでしょ!」
涼子からの電話だった。静香はあわてて飛び起き、着物を着、タクシーの中で化粧をした。
涼子は実家が大会社経営をしており、たまにパーティがある。
そこにコンパニオンとして、お酒を配ったりするだけのオイシイバイトなのだ。
ほどなく会場に着き、涼子のパパに挨拶をし、客にお酒を配り始める。
涼子は社長の娘として、黒い豪華なドレスを身にまとい、とてもキレイだった。
(ねえねえ・・・)涼子が手招きする。
(昨日電話したのに何で出てくれなかったの?アンタの男外国に行ったんでしょ?少しの間、遊べると思って合コン誘ったのに!)
静香は笑顔で客にシャンペングラスを渡しながら、返事をした。
(昨日は大変だったんだから。そうそう、ねえ、マックって何か知ってる?)
「マックはマクドナルドでしょうよ」自信満々に説明をしてくれた。
さすが私の親友。知識もおんなじレベル。
「昨日ね、空港で人のマックを落としちゃったのよ。そいでね、弁償って話になってその人とご飯食べに行ったの。」
「マックなんて1000円くらいで弁償できるでしょ?ご飯までおごっちゃって。ソイツ、男でしょ」
涼子の男に関する勘はいつも鋭い。
「そういえばさ〜、満たされた顔してるよね。ふん、いいなぁ」
そういい捨てて、「静香がサボってる」と、パパに告げ口をしにいった。
外人の客に何枚か写真をサービスし、パーティが終わると涼子と二人で残りのオードブルをかき集めに廻った。
ここのホテルのローストビーフは最高においしい。グラスになみなみと高級ワインを注ぎ、ローストビーフをほう張りながら涼子に昨日の男について話してやった。
涼子は興味しんしんで聞いていた。彼女はすでに婚約者がいるのでなかなか自由に恋愛ができない。表向きは、だけど。
影ではいろいろ遊んでるのを静香は知っていた。
その婚約者は実は静香の元彼で別れさせられたイワクつきの男だ。
良家のお嬢様と婚約させると言う理由で。それが涼子。大学に入ってから親友になった子だった。
彼氏紹介すると言われ、会ってみれば元彼の哲平だった。
事実を受け入れるのに2年は苦しんだが、涼子には一切悟られないよう、哲平に約束させたのだ。
「え〜!連絡先聞いてないの?」
涼子は心底残念そうに叫んだ。ホテルのボーイたちは涼子の奔放な仕草がたまらなくかわいいみたいで目が離せない様子だ。
「私も紹介してもらおうと思ったのにぃ」
静香は何人私の男をとったら気が済むんだ!と言いかけあわてて口を押さえた。
「仕事もまだ決まってないみたいだし、どうするんだろう」
そうつぶやくと、涼子は面白そうに顔を覗き込んできた。
「今日ももしかして家に来るかもよ〜。ホテル見つからなかったとか言ってさ。そいでさ、部屋に居すわられるの。
あんた、ヒモになっちゃうよ。気をつけなさいね」
後半のヒモは聞き流すとして、今日もしかして来るかもって言うところに反応してしまった。
「そんなの泊めない。何だったら涼子の所に泊まりに行かせるから」
そう言いながらも今日は臨時でお金が入ったし、と言い訳しながらワインを買った。
ソファーでうたた寝をしていたのか、気がつくと23時になっていた。
(今日は来ないのかな。それとも・・・)
別な女を見つけたのだろうか?私よりお金持ちの心の広い・・・。
妙に嫉妬している自分に驚いた。
ふとテーブルを見ると、朝には気づかなかった、おそろいの舞子キティの一つが転がっていた。
(おそろいなんて馬鹿みたいだけど・・・)
静香はそれをとりあげ、自分の携帯につけた。つけていることでまた会える気がしたのだ。
次の日から新学期が始まった。
合同の式があり、新任の教授の紹介などで半日は潰れるくだらない1日だ。
ただ、ひとつの楽しみは新入学生にかわいい男の子がいるか、いないかというところだった。
涼子はいつにもまして気合が入っている。
パリのファッションショーで見て気に入り、即買いしたお高いワンピース。
「あいかわらず、セレブね〜。あんた、今のうちにそんな贅沢して将来何を楽しみに生きるのよ」静香の憎まれ口も涼子には心地いいらしい。
静香は少し伸びた髪を後ろに結い上げ、いつものジーンズにヒール付きのサンダル。ちょっとセクシーなキャミにパーカーをはおっていた。
バッグはもちろんバーキン。
大事な相棒。
講堂に入る時間まで学食の喫茶店でコーヒーを飲む事にした。
久しぶりに会う子もいて休みの間に付き合い始めた子もいた。腕組みなんかしちゃってさ。
静香は昨日の男を思い出し、淋しくなった。
「静香、なによ、このストラップ。ダサくない?」
涼子に指摘され、あわてて携帯を隠した。
「舞子ストラップじゃん、何?京都に帰ったの?」
「・・・いいの、いいの。忘れて。」
気を取り直し、新学期のプリントを見てみると、静香の大好きな考古学の教授にアシスタントがついていた。
「やだ〜もうなんでセドリック先生、私雇ってくれるって言ってたのに」静香は落胆した。
セドリック先生の本を読み漁るチャンスだったのに。
「准教授。ヴィゴ、ド、ラヴァイエ」涼子が読み上げる。「すごいデブだったりしてね」涼子が興味なさそうにつぶやいた。
「私、ちょっと教授に抗議してくる。約束だったんだもん」
静香が席を立とうとすると涼子が止めた。
「あんた、ホント気が強いわね。いい加減にしないと男逃げるよ」
痛いところを突かれた。
(これっきりだからね、なんて言わなきゃよかった。)
昨日の事をおもいだし心が痛む。
しおしおと席に着いた静香を涼子が追い討ちをかける。
「それとさ、あの生け花の馬鹿男。いつ別れるの?不倫なんて気持ち悪いからやめてほしいんだけど」
「ひど〜い!!お金持ちの涼子にはわかんないよ。私には親もいないし自分で食べてかなくちゃいけないんだから!」
「バカ!もっと自分を大事にしろって言ってるの!」
学食で怒鳴りあいのケンカになり、哲平がどうどうと2人をなだめた。
みんなは興味津々で見ている。
礼拝のベルが鳴り、涼子は静香を置いてさっさと講堂に向かった。
(何よ、哲平もとったくせに)
静香はなるべくゆっくり行こうととろとろと歩き始めた。
すると近くでマルクス先生の声が聞こえてきた。マルクスも人間と悪魔の間の子だった。
バイセン村でヴィゴと共に育ち、共に学んだ。
差別されていたヴィゴを兄のように守ってくれた。
「お前、なんでこそこそ隠れてんだ?
昨日のホテルは出たのか?402号室だぞ。地縛霊だから交信もスムーズに行っただろう?ありゃ、お前まさか霊を連れてきたのか!ぼんやりしてるからとりついたんだ。
霊は大事にしろよ。礼拝堂に入る前に取っておけ。除霊されたらもったいないからな」
「ありゃ・・・ほんとに憑いて来てるな。」ぼんやりした声がした。
話の意味は全くわからなかったが、セドリック先生の准教授だということはわかった。
なんだか、ぼんやりした感じの男だわ・・・。
どんなヤツだろうとこっそり見ようと柱越しに覗いた途端、体が凍りついた。
・・・この前寝た男だ。
今日は一応スーツを着て髪もキチンとしてる。
でも、あの目の色。まちがいなくあの男。
柱に縮こまり、この状況をどう処理したものかと頭をフル回転させた。
決めた。
・・・逃げよう。
これ以上いい考えなんて浮かばない。
「おお、静香、久しぶりだな。少し太ったんじゃないか?」
マルクス先生はホントに口が悪い。
でもここで振り返っては大変。
静香は軽く会釈をし走り去った。
「ああ、紹介しておこう・・・って行っちまったな」
マルクスはヴィゴを振り返りこういった。
しかし、なぜかヴィゴは凍りついたような顔をしていた。
ヴィゴは不思議そうに覗き込むマルクスに無理矢理笑顔を作った。
ヴィゴは礼拝堂に入る前、背中にくっついてきた地縛霊を礼拝堂の入り口で待機するよう、説得した。ソイツはさみしいっと駄々をこねる。
(後でな)とやさしく言うとソイツは体育すわりでしゃがみこんだ。
静香はそうろっ、と礼拝堂に入ると涼子が手招きしている。席を取っといてくれたのだ。
涼子は時々きつい事を言うが本気で心配してくれているのがわかる。(ありがとう)とお礼をいい、仲直りをした。
その時礼拝堂の祭壇側の扉から、マルクスとあの男が入ってきた。
(涼子・・・。困ったことになったの)
礼拝をしながら静香は小声で涼子に懺悔をした。
「ええ!どうすんのよ!」涼子が叫び、礼拝堂の生徒全員が涼子を振り返る。
(ちょっと!叫ばないでよ!!)
涼子は興味津々で新任准教授ヴィゴを眺めた。
(なかなかいい男じゃん)
涼子は感心しながら言った。
(女より男の方が寝た相手を覚えてるもんよ。
私もそれで苦労したんだから)先輩顔で涼子がつぶやいた。
静香はバッグの中のストラップを弄びながら、もう一度会えたことに喜んでいる自分に驚いていた。がやがやと騒がしくなり生徒達が一斉に出口に向かう。
ヴィゴ達が礼拝のストレスから介抱され、ほっと一息ついているとセドリック教授が近づいてきた。
「お前さんの霊は除霊されちまったよ」
そしてヴィゴへ生徒たちに配るように、とプリントの束をごっそり手渡した。
「これを生徒に渡してくれ、お前さんはアシスタントなんだからな」
セドリックは元天使でバイセン村を任されていた長老だった。今は退職し、好きな人間界で第二の人生を送っている。考古学教授だが、特に勉強していたわけではない。彼は何百年も生きていて、見てきた事を話しているだけだ。ときどき、学会ではとんでもない学説を唱える事で有名だったが、大体はセドリックが正しかった。実際に目で見てきたのだから。
時々は記憶違いもあるが。
「・・・ああ、セドリ・・・いや、教授。ややこしいな。」そして教えられた教室に向かった。
ヴィゴはもそもそとプリントを抱え、階段を駆け上がった。
教室のドアを開けると40人ほどの生徒が興味津々の顔でヴィゴを眺める。その中に静香がいたのだ。(まずい・・・。)
ヴィゴが教室に入ってきたのを見ると、静香は急に下を向いてなにか一身に書き綴りはじめた。プリントを全員に配り終えるころ、セドリック教授が入ってきた。
「去年と同じ顔ぶれだな。ん?一人増えたか。」
ヴィゴが気になるあまり、見にきた涼子がイスに縮こまった。
「今年からアシスタントをやってくれるヴィゴ先生だ。本職はバイヤーだったかな?
君たちも若者の間で流行っている面白い物があったら教えてやってくれたまえ。」
皆ははいっと返事し、今学期のテーマの説明に入った。
ヴィゴは教室の前に設置されているイスに座り、頬杖をついた。
ここからだと静香がよく見える。
見ないようにしよう、と思いながらも目は静香を眺めていた。
クラス中がだるい空気に包まれていたが、静香だけは真剣な顔をしてノートを取っていた。
説明が終わり、昼食の時間になった。
ヴィゴが黒板消しをまちがった方法で用い咳き込んでいると、涼子が話しかけてくる。
「・・・あのう大丈夫?・・・はじめまして、ヴィゴ先生!涼子って言います。」
かわいい女が話しかけてきた。
「お昼一緒にいかがですか?校内、案内します」静香は涼子をものすごい視線で睨んだ。
が、涼子は軽く無視し、ヴィゴの腕に自分の腕を絡ませ学食へと向かった。
静香の大切なバッグを人質に。
「涼子、バッグ返してよ」
静香はイヤイヤついていく事になった。
学食では哲平が涼子の為に席を取っていたがヴィゴ達が現れ、あわてて駆け寄ってきた。
「ちょっと、涼子何やってんだよ。誰だよソイツ」涼子はヴィゴから腕を放し、ニンマリと微笑んだ。
「静香の彼氏よ」(ちょっと、何よ!)
静香が後ろから黙らそうとしたが、遅かった。
哲平は昔の彼女だった静香の彼氏に少し嫉妬した表情で「あっそう」と答え、人数分の食券を買ってきてくれた。
ヴィゴは出てきたウドンを見て気分が悪くなり、食べる勇気は出なかった。
デジカメで写真を撮り、今日の報告としてまとめることにした。
人間界にっほんリサーチ2回目の報告はこうだ。「にっほんではサナダムシを食う。」
「先生ウドン食べないんなら静香食べてあげてよ。この子細いくせに食欲だけはすごいんだから」
静香は無言でヴィゴのウドンを取り上げおいしそうに食べ始めた。
「先生、どこ住んでるの?」
涼子がかわいく聞いてくる。
「・・・オカ マホリンホテルに泊まって。今日もそこになるかなあ。」
「ふーん。あそこ幽霊出るでしょ。」
ヴィゴはむせた。
・・・忘れてた。除霊させちまったんだ。墓でも行って新しい相棒を見つけなきゃ。
「やっぱ出たんだ〜女の幽霊でしょ?ヤケに食欲旺盛な」
涼子はそういい、にやっと静香に笑いかけた。
いい加減にしてよっと静香は涼子を睨みつける。
静香は少々過食気味だった。
両親の記憶がないとか、恋人を親友に取られたとか、そんな事がストレスではなかった。
どこかで自分が自分でない。
そして、それを見つけたいのにまだ見つからない。いつも心が淋しかったのだ。
それが忘れたくって過食に走った。
3年前少し変化が訪れた。はじめてTVで古代文字を見た。そして習いもしていないのにすらすらと読めたのだった。
古代文字は神が使ったとされる文字。なんだか懐かしくて無性に涙が出た。
ここに、答えがある。そう思い学費を工面して大学進学を決意したのだった。
静香はウドンをすすりながらセドリック教授にもらったプリントを取り出し再度眺めた。
その時ヴィゴが物問いたげな目で静香に目線を送ってきた。
(何?)少し期待を込めて目をしばたかせた。泊めてほしいのかしら?
静香はウドンをすするのをやめた。なにも欲望を食欲だけで満たす事はない。
(えっと・・・お願いしづらいんだけど。)
(何?)期待が高まる。
(・・・この辺に・・・墓地あるかな?連れて行って欲しいんだけど)
静香は呆然としてしまった。
(墓地?なんで?・・・肝試し?)
いや、幽霊がどうとか言っていた。
・・・変なヤツ。
静香は残りのウドンを平らげた。
ヴィゴは静香にすがるような目をし、静香は真っ向から無視した。
(幽霊の女とでもしてれば?)
涼子はヴィゴが自分にあまり興味をしめさないので(こんなことは涼子にとってありえない、とても失礼な事だった)哲平をせかし、次の授業へそそくさと出て行ってしまった。
「ちょっと、涼子待ってよ。2人にしないで」静香があわてて荷物をまとめようとした。
そのとき、携帯が落ちた。ストラップが揺れる。ヴィゴはそれをひろいあげ、一瞬嬉しそうに眺めたが何かを思い出したのか急に顔が凍りついた。
静香はヴィゴから携帯を受け取り気まずそうにバッグにしまった。
「・・・ありがと。」声が震える。
「・・・彼氏にばれなかった?」ヴィゴが冷たくつぶやく。
静香はしばらく動けずヴィゴを眺めていたが、「いやなヤツ」とつぶやきその場を立ち去った。
・・・オレって最低だ。
ヴィゴは頭を抱え机に突っ伏した。
何分そうしていただろうか。
その頭をぐっと押さえつけられた。
「お前早速静香とケンカしたのか」
マルクスが笑っている。
「あの子はアビリルに似ているが性格は全然違うぞ。手が空いてるなら仕事手伝ってくれ」ヴィゴはもそもそ立ち上がり、マルクスについて行った。
「この後オレ、展示会の仕事が入ってるんだけど・・・」軽く無視され生徒に配るプリントのコピーを頼まれる。
コピー機なんて触ったことない。事務のお姉さまに手伝ってもらい、どうにか刷り上げ、
あわてて移動の呪文をかける。展示会場に向かうのだ。
今日は幸運機が売りに出されるらしい。見たことはないが、ネーミングがよい。
ヴィゴは年齢計を得意先に紹介するつもりだった。
静香のことは忘れよう。オレはイヤなヤキモチ焼きの男になりさがった・・・。
静香は午後の授業を受けながら上の空だった。
彼氏にばれなかった?って。
なんで知ってるんだろう。私に男がいること。
いやなヤツって本当は私のこと。
私にはあの生け花野郎が必要。ヴィゴとの関係は・・・ただ、満たしたかっただけ。
でも彼にとってあれは遊びじゃなかった。
何人も男に抱かれてきた経験からこれだけは言える。あのキレイなうす紫の目で見られると心まで見透かされる気がした。
(忘れよう)
静香は大きな音を立てて机に教科書をのせ、授業に集中する事にした。
こうして2人の気まずいながらもいい関係が続いた。
静香は古代文字に詳しいヴィゴを勉強の先生として尊敬していた。
古代文字を母国語のように読む静香はヴィゴの死んだ彼女、アビリルそのままだった。
ヴィゴは一度ならず、静香をアビリルと呼んでしまい?という顔をされた。
涼子はすっかりヴィゴのファンになった。
ヴィゴは涼子を素晴しいと褒め称えたからだ。
バイヤーのヴィゴにとって彼女は歩くファッション雑誌だったのだ。
「今日の君のまつげは素晴しい。」そして彼女の付けまつげをつけてるところを必死でノートに取った。
ヌーブラという存在を教えてもらった時なぞ皆の前で涼子の胸を触り、涼子をあわてさせた。「すっげえ、張り付いてる!」
そして本気で涼子の服を脱がせようとしたのだ。
「・・・涼子、頼むからつけてるとこ、見せてくれ」合掌してヴィゴは頼んでいた。
ヴィゴをデートに誘う女の子はたくさんいたが、結局彼女とまでは言える子はできなかった。
「ヴィゴ先生ってかっこいいんだけど、ちょっと変わってるわ」
一緒にランジェリーショップに行って下着を買った、と自慢気に話していた子が静香にぼやいたことがある。
「ホテルにまで行ってガーターのついた下着を着て見せてあげたのに、Hもしないでさ。
何時間でも考え込んでるの。最後に一言、コレは天使には売れねえって。
意味、わかんないし。私風邪ひいちゃった。」
静香はヴィゴが他の女と付き合うと考えただけでも身がちぎれるほどつらかった。
なぜ、たった一度だけの男なのにそこまでつらいのか自分でもわからなかった。
ただ、ヴィゴが毎日そばにいる。
不思議な事に静香の過食は以前よりかなりマシになった。
静香は相変わらず男はいるみたいだが、恋人というより、金でつきあってるといった関係なのは見て取れた。それは少なからず、ヴィゴを慰めた。ただ、「今日はデートなの」と言う日はいつものジーンズでなくキレイなワンピースを着ていたりセクシーなミニをはいていたりする。キレイな足に見とれながらもヴィゴは少しヤキモチを焼いた。
もう一つのヴィゴの仕事、バイヤーの展示会は大成功で年齢計は売上を伸ばしたかに見えた。今年の夏はマルクスたちを誘って青い海でのんびりしよう。涼子も誘って・・・。もしかしたら静香もくるかもしれない。
こんがり焼けた肌に黒のビキニ。いや、白の方が似合うかな?
・・・何も着ないのが一番だけど。
・・・たまらん。
そんな事を考えながらヴィゴがパソコンで売上帳をつけていると一通のメールが届いた。
悪魔界から呼び出しがかかったのだ。
年齢計は全くのデマ。悪魔界の不安をあおる商品として指摘されてしまったのだ。
ヴィゴはあわてた。年齢計じゃなかった?
そういえば、静香が違う事を言っていた気がする。聞いてみなければ。期日は今日の・・・10分後。マジで!!!
ホントに年齢計じゃなきゃオレ、捕まるぞ。
静香に直接聞くしかない。頭が混乱していたせいで静香の自宅の前に移動したつもりが
静香の部屋に移動してしまった。
目の前に想い出のベッドがあった。
かすかに揺れている。
静香だ。・・・泣いている?
静香はヴィゴが入ってきた音に驚きあらゆるものを投げつけ始めた。
「もう、これっきり別れたのよ。戻ってこないで!」
投げつけた相手がヴィゴだと知ると静香は呆然とした。体に巻きつけたシーツが落ち、静香の裸があらわになる。
「・・・何してるの?」
体を隠そうともせず静香は聞いた。
ヴィゴはしどろもどろになる。目のやり場にこまるのだ。
「人の家で何してるの?」
「・・・助けてくれ」
声が干からびたようだった。
「年齢計のことだけど、あの電気屋で君がパソコンを修理していたとき、151歳でオレが死ぬって言っててそれで・・・」
思うように説明ができない。
静香の軽蔑したような目が辛かった。
ヴィゴは頭を抱え、(もう無理だ)と思った。
「年齢計だと思って悪魔界に売りに出したら、なんか違って・・・。
本当の事を話さないと捕まって火あぶりにされちまう・・・」
ヴィゴはパニックに陥った。
静香は何のことかさっぱり、という顔をしたが、血圧計のことだとわかってくれ、部屋中を引っ掻き回しダイエットマシンを購入する際取り寄せたヘルスケアパンフレットを取り出した。
「これにあなたが年齢計って思い込んでいるものが載ってるわ。
展示会に出したのと同じじゃないかもしれないけど。
でも、年齢計っていうのもなまじ嘘じゃないわね。だって、ここに」
とパンパンとパンフレットを指で叩いた。
「血管の老化で血管年齢がわかるって書いてあるもん」
ヴィゴは落ち着きを取り戻した。
「・・・ありがとう!!」そして静香の貸してくれたパンフレットを抱きかかえた。
そして新聞の折り込みチラシの裏面に手馴れた手つきで魔方陣を書き、もぞもぞと呪文を唱えた。
一瞬にしてヴィゴは魔方陣のなかに消え去った。
(なんなの?いまの・・・)
静香は真っ裸で立ちすくんでいた。
ヴィゴって何者?そして自分が裸だと気づきうめくようにベッドの中に倒れこんだ。
ヴィゴにとって久々の悪魔界だった。
とはいっても、ここは裁判所。
天界と悪魔界両方の裁判がなされている。
以前は別々になっていたが、人間界と同じく経費削減ということで合同裁判の形をとっていた。
ヴィゴが裁判所への橋に向かい、(橋の下は虚無の国につながっており、落ちたら永遠に落ち続ける。)ヴィゴの後ろをついて来る黒いオオカミをにらみつけた。
さっきからジロジロ見張られてる気がしたのだ。
「なんか用か?」
ヴィゴが聞くと、ソイツは立ち止まり、耳の後ろを掻いた。
ヴィゴがなお、橋を渡り続けるとオオカミは突然おそいかかり、ヴィゴの右手の服の袖をちぎり取った。ヴィゴの腕の入れ墨があらわになる。
「何をするんだ、コイツっ」ヴィゴはオオカミの腹を蹴り上げ牙で怪我し少し血の出たところを手で押さえた。
ヴィゴの腕の入れ墨は生まれたときからあった。子供の頃はタダのアザだと思っていたが、大人になるにつれ蛇の模様が浮かび上がってきた。セドリックは「なんだかわからんが、忌まわしい感じがする。人に見せるんじゃないぞ」と言った。
マルクスにも見せた事はない。
できるなら隠したかったが、もう、そんな時間はない。
なにせあと、5分だったのだから。
「お待ちかね〜」天使もどきが入界手続きを取ってくれた。
「あんさん、久しぶりやな。変なもん売りつけたんやないか?
バイブレータ以来やおまへんか。」
そうそう、以前は悪魔界で「バイブレータ 男イラズ」を売りかなりの売上を上げた。
ただ、一部の商品が手違いで神の国に流れてしまい、なんとハレンチな!ということで危うく去勢されそうになったのだ。
ヴィゴは天使もどきにこっそり金を渡し、入界手続きを早めてもらった。
あと、1分後には裁判が始まる。
「へぇ、こんな仰山もろうて、おおきに。
こっちへどうぞ」
人間界輸入品取締り局への扉を案内してもらった。門番のトロールにも賄賂を渡す。
「さあさあ、どうぞ」
ギィっと巨大な扉が開き、めらめらと炎が襲う。
向こうでギャーとかヒーとかうめき声が聞こえてきた。不幸な連中が火あぶりにされている。
オレも今日死ぬのか・・・。
全身白髪の頭とひげでからまってる爺さんが机で待ち構えていた。
「ああ、またアンタか。よう来るなぁ。
今回はっと。あぁ、年齢計ね。あれはいかん。
ウチのばあさんが120歳だなんてありえん。
ざっと見積もっても5600歳のはずだ。
私はまだ若いんよっと言い始めてな。ルージュまでひきよったわ。
何か証明になるもの持ってきたか?」
ヴィゴは必死でパンフレットを指し示し、身振り手振りで説明した。
しかし、爺さんはヴィゴの言う事など聞いてはいなかった。
着ていたシャツの腕が破れ、ヴィゴの入れ墨が見えていたのだ。
ヴィゴの目の色、腕の入れ墨。
爺さんはそれらを興味深く眺めた。
「おまえさんもしや・・・。しかもお前さんの父親は・・・あいつか?」
ヴィゴは(会ったことも名前も知らないオヤジについて聞かれ)アイツって?と逆に聞き返した。そしてあわてて入れ墨を隠した。
爺さんは興味深そうにヴィゴを見つめていたが、急に話をそらせた。
「このパンフレットなかなか面白い。
この、ブブッとキャンプというものをお前さん、仕入れられるか?」
「もちろん、ヴィゴ商店の名にかけ、仕入れてみせます」
ヴィゴは自分の胸に親指をむけ、自信満々に答えた。
・・・あとで静香に聞こう。
ヴィゴは無罪放免になり、無事に帰してもらえることになった。
今回はラッキーだ。
いつもは去勢だの、丸刈りだのさんざん脅かされるのに?
しかし、オレのオヤジがどうだっていうんだ!ヴィゴはイライラしながら魔方陣に乗り人間界に向かった。
静香はヴィゴが消えていった魔法陣の前で呆然としていた。(一体、何事?)
ヴィゴが不意にあらわれ、「悪魔くん」で見かけた以来の魔法陣を手早く書き、そこに吸い込まれるように消えていった。
そして、悪魔界とか、火あぶりとか。
静香が魔法陣の上に消しゴムを置いてみたり、こわごわ鉛筆でつついたりしていると、不意に風が起きた。
魔法陣からヴィゴが戻ってきたのだ。
消しゴムを頭に載せて。
「・・・助かった」
勝手に冷蔵庫を開け、置いてあった例のワインを勝手に空け飲み始めた。
ベッドに腰掛、ワインを一気飲みするとコロンと横になる。・・・疲れた。
なぜか今回は簡単に釈放された。
オレのオヤジがアイツって・・・。誰の事だ?
・・・会いたくもないけど。
ヴィゴはワインボトルを抱きしめながらそのまま眠りについてしまった。
静香はベッドをとられてしまい素っ裸でヴィゴを見下ろした。
なんなの、・・・コイツ。
そう、コイツのセイで仕事なくなっちゃった。
静香は大事な事を思い出し床にへなへなと座り込んだ。
実は今日生け花野郎と別れたのだった。
ソイツは約束もしてないのに突然たずねてきた。そのことだけでも腹が立った。いそがしくレポートをまとめてた時だったから。
しかも生け花展に出展する花を代りに生けろ、と言われる。
これはいつものことだけど。
くだらない男。もう我慢できなかった。
ヴィゴの寝た後、のらりくらりと男と寝るのを避けていたのだ。
「今日は生理なの」とか、「今日は危険日なの」とかごまかしていた。
しかしいつまでもこの手が通用しない。
今日の生け花野郎はいつもにましてしつこかった。
(お金のためよ)と自分に言い聞かせ裸になりマグロのように目をつぶって横たわる。
しかし、体にキスをされた途端言い知れぬ嫌悪が体中を駆け巡った。
・・・私はヴィゴが好きなんだ。この男では話にならない。
その気持ちに気づけたことは静香を有頂天にさせた。
・・・ヴィゴに伝えなきゃ。好きだって。
しかし、今この体をまさぐってる、まさに入ろうとしてる一物はヴィゴのものはなかった。
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて!!!!!!!!!」
たまらなくなりベッドから蹴っ飛ばし服を投げつけた。
「もう、お前に生徒は回さないからな」と怒鳴られ「結構よ」と言ってしまった。
・・・来年からどうしよう。
大学もやめなくちゃ。働きに行かないと。
そしてベッドの中でワンワン泣いているとヴィゴがやってきた。
突然やってきて訳のわからない事をパニックになって話すし、魔法陣を書き消えていった。
そして再び戻ってきたと思ったら、ワインを勝手に飲み人のベッドで勝手に寝始めるなんて。
ヴィゴをベッドの端にコロンと押し込み、自分もその横で寝転ぶ。
だって私のベッドだもん。
ヴィゴの腕から少し血が出ている。
静香は濡れたタオルでキレイに血をふき取ってやった。
変なアザも見えるけど。ナンだろう、これ?この前は気づかなかった。
生け花野郎にまさぐられた体は気持ちに反し正常に反応していた。
朝、ヴィゴが目覚めたら、もしかして。
悶々としながらも、明日に少し期待しながら眠りについた。
でも・・・。朝起きるとヴィゴはいなくなっていた。
・・・夢?
夢じゃなかった。
ワインボトルがベッドに転がっている。
魔法陣が簡単に破られゴミ箱に捨てられていた。
ヴィゴが寝ていたところにチラシが一枚置いてあった。
「バイブレータ 男イラズ」
ヴィゴ商店と書かれたアメリカンコミック調のド派手なチラシ。
ヴィゴ商店・・・。
これでもやってろって言う事?
アイツ!サイテーだわ。
クゥウン。
クゥゥゥン。
異様な気配がする。
静香はシーツで体を隠しながら部屋の隅を見やった。
・・・可愛い。なんて可愛いの。
そこには真っ黒のパグ犬がいたのだ、
それはヴィゴの腕に噛み付いたオオカミだった。オオカミのつもりだった、が正解だろう。
本人もかなりショックを受けてるみたいだった。静香はそうと知らずに、「可愛いね。ヴィゴが置いていったのね」と犬を引き寄せ、撫でてやった。




