第三話 優花ver
これは母と娘のお話し
母は私によくお話を聞かせてくれた。童話やおばあちゃん、私が幼かった頃の話。母親が子を優しく包み込むような温もり溢れる声で聞かせてくれた。幼かった私は母親にお話をせがみ困らせ、怒らせたことも数えきれない。母の温もりを感じていた瞬間こそ酔い、愉悦を感じる。今でもその温もりが恋しくなる。ただその思いも叶わないものとなってしまった。
母は私を今日まで、女手一つで育ててくれた。どう感謝したら良いものか。
私の家は『母子家庭』で、娘を保育園に預け日中働きに出てお迎え最後の番になって、やっと母は私を迎えに来る。多忙だけでなく、生活もやっとやっとで贅沢は言えなかったが、母が聞かせてくれるお話が一番の楽しみだった。何物にも代えがたい思い出である。
血族の縁で文化交流に苦しむことはなかったが、母や私が体調を崩した日には必ず祖母や親戚が母を説得する声が聞こえた。そこまで無理して一人で育てなくともいいのでは。縁談や実家に戻ることも視野に入れても良いのでは。深夜尿意で起きた時に聞き耳をたてた時神妙な声音で母と祖母は話していた。私は母の足枷なのか。当時の私には彼女らの会話の意味を理解出来なかったが、今の私はその意味の深さを理解できる。
今となっては祖母や親戚の考えに同意できる。一八歳になった日に思いきって母に聞いた。しかし、母ははぐらかすように返事をしたものだから、不貞腐れて家出紛いなこともした。それでも母は何一つ私を叱ることなく、『おかえりなさい』の温かくそして申し訳なさそうな第一声で迎えてくれた。そんな顔で私を見ないで。母はなぜ私のことを責めないのか。私は母を悲しませたのに。
結局、なぜこの地に拘り続けるのか、あの頃の私は知る由も無かった。
しかし、今となっては私は母の気持ちに同情できる。母が五〇歳代の時に彼女は別の世界に旅立った。周囲の人は生涯未亡人であった母に遠慮の無い言葉を投げ、悲しみに暮れる私は何一つ反論もできず、ただ彼らの言葉に聞くことしか出来なかった。遺品整理中に母の押し入れから段ボールに入った日記が見つかった。旅立つ日まで母が日記を書いていたことは娘である私さえ知らなかった。一冊目の日付は私を妊娠した日になっていた。
思いきって私は一冊目から母の日記を読むことにした。他人の日記を読むことに当初は迷いと罪悪感があるものの、もしかしたら私の知らない母を知れる気持ちが勝り、思いきって読むことにした。遊んだ話、泣いた話、私が生まれた話。そして、母がなぜこの地に住むことを拘っていたのか。なぜ私の『優花』なのか。
そういえば母は私のことを親友と似ていると言っていた。母は彼女に想いがあって、私に彼女の名を付けた。母の想いを名付けるなら『思慕』だろう。
そして母が逝去してから、数年後 私は一人の娘を授かった。彼女の名は『星華』。親の心子知らず。母を困らせたのだから、いつかその報いは私の身に.......。授かった嬉しさと反面、子育ての苦労に悩むことはあっても後悔はしていない。私に出来ることはこの子を一人立ちするまで親として愛を捧げ、親の務めを果たすまで。
この娘に幸あれ。