少年の記憶
「やぁ変な耳のお爺さん。名前はなんて呼べば良い?」
ニコニコと愛想よく振舞う少年。自分よりも強い存在なら怒らせないようにしようという、彼なりの考え方が透けて見える。
「アゼルと呼んでくれ……お主のことは何と呼べば良いかの」
「ディオでいいよ。それよりさ、先にマホウを見せてよ。ヴォールクから聞いたよ。銃や大砲より強いんだってね! それって僕にも使える力?」
キラキラした少年の目。アゼルはヴォールクに「余計なことを……」と言ってため息をついた。しかし、少年と交渉をするためには必要なのかもしれない。そう思ってアゼルはしぶしぶ呪文を唱える。
すると、少年を包むように水色の膜が出来た。
「これは何?」
「まぁ見とれ」
不思議そうに問うディオに、アゼルは小石を投げつけた。しかし、それはディオに当たることなく、膜に弾きかえされ、地面へと転がり落ちた。いわゆる防壁の魔法である。それを見てディオとヴォールクは顔を見合わせて小さく驚いた。
アゼルが魔法を使えるくだりを説明して、いよいよ本題に入る。アゼルはディオに尋ねた。「死を感じたことはあるか」と。ディオは、「当たり前じゃない」と即答した。
「こんな土地だよ。ここはまだ比較的安全だけど、地方なんかはもう滅茶苦茶。それに、僕の家族だって――」
そう言いかけてディオは止めた。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。唇をかみしめて、小さく何かを呟こうとしたが、言葉にならなかったようだ。静かな沈黙が始まる。しかし確実に聴こえる心音は穏やかではなかった。
すると、ディオの足元の影を這うように鬼が現れた。彼はその姿に驚き、震える手で銃を構える。
「ねぇアゼル! コイツは何、マホウで追いやってよ!」
「安心せい。イミタシオンは命は奪わん。心に潜り込むだけじゃ」
「心?」
「――感情移入」
まだディオの感情が負の面を持っているうちに、鬼はそう唱えてディオの体へと入っていった。まるで一体化するように――
――ティアマト南部の僻地、イナモニナ。そこがディオの故郷であった。
父は他界。母は病気がちで、外に出ることが出来ず、兄のディオと妹のディオナがその世話をしていた。収入はなく、生活は、近所の住民たちに少量の食べ物などを恵んでもらって成り立っていた。
「いつもありがとう、いつかきっとこの恩を返すからね」
幼い頃のディオは、なぜ近所の人が食べ物をくれるのか考えもしなかった。ただ、与えられる日々に感謝をしながら、ディオナと二人で母の面倒を見ていたのであった。
しかし、ディオが15歳になったある日、事件は起こった。ディオナが突然家に来た男に連れ去られそうになったのである。ディオが「待て!」と言うと、男はナイフを彼に突きつけてこういった。
「この女は売り飛ばす。そのために今まで育ててきたんだからな」
それを聞いて、ディオはゾッとした。近所の人が面倒を見てくれたのは、そういうことだったのかと。
「お前は男でよかったな。そこの役立たずの母親と今ここで死ぬか、食うに困ってのたれ死ぬか選ばせてやる。せめてもの情けだ」
ディオは長く悩んだ。そこで、母が一言「逃げなさい」と彼に告げた。ディオは恐怖のあまりに、母の顔を見ることが出来なかった。ディオナは泣き叫んでいる。
「助けて、ディオ兄!」
と。その声がやたらと脳内を刺激してくる。
(助けてやりたい)
という気持ちが彼の胸の中に溢れた。
「どうした、あと十秒くれてやる」
カウントされるたびに、ディオの恐怖心は高まった。
「8……7……6……」
(駄目だ! 殺される!)
そして、とうとう家から飛び出してしまったのだ。
「ごめん。母さん、ディオナ……!」
そうしてディオは、首都カラカラへと向かってひたすら走った。自分の”弱さ”を責めながら――
「僕の記憶……思い出したくも無かったのに、どうして」
ディオが腰を抜かして、その場にしゃがみこんだ。彼は全てを捨てて生き延びた。いや、最も憎い者に生かされたのかもしれない。
「”弱さ”か。イミタシオンよ、こやつを使徒と宿命るか」
「使徒はどんなものでも良い。問題はマヤのクリスタルメイデンにトーマスの命が宿るかどうかだ」
「そうか、ニコラ。お前は本当に……」
鬼は霧のように姿を消した。落ち込む少年に、アゼルは「手を太陽に掲げるのじゃ」と言う。言われたとおりにすると、U字型の月の紋章が彼の右手に現れた。それを見てアゼルは
「また使徒が死ぬ姿を見るのかのぅ……」
と呟いた。それを聞いた二人は不思議そうに首を傾げた。
「とにかくここから出ないか。危なくて迂闊に行動できないだろう。それにもう夕方だ。一眠りしたい」
ヴォールクが言う。
「ならさ、ドルエンなんてどう? 食べ物や衣服が沢山あって、安全なんだって」
「知っておるぞ。ならそこへ行こうかの」
アゼルはワープの魔法を使って、ドルエンへと向かった。