プロローグ
世界は過渡期の混乱をむかえていた。科学で発展していった「人間」と、魔法を使えるようになった「エルフ」。人類はその二種類に分派していった。特にエルフは長寿で、約200歳ほど生きることが出来るようになった。
彼らは学術や芸術に詳しく、また貪欲であった。
次第に、人間はそんな彼らを恐れるようになった。「いつか能力的に優位に立ったエルフたちが自分たちを滅ぼすのではないか」と。
そうして、人間はエルフを人里離れた深い森の中へと追いやったのだ。その際にエルフは数千冊もの書物を人間たちから持ち去った。彼らはそれらを「閉鎖図書館」へと封印した。負の遺産として。
だが、私は数千年に亘る閉鎖図書館の封印を解いた。本当は入ることは許されないと知りつつも、人間の作った文学に興味があった。エルフの血が濃いといったところだろうか。
そこで、私は自分の持つ特殊な力に気付いた。「古代詩呪術」という能力に。これは、ある詩や小説の一部分を、念をこめて詠むと、何らかの影響を及ぼすというものだ。例えば『吾輩は猫である』と唱えると、目の前の人間が猫のような所作をするといった類のものだ。
私はそれが面白くて、しょっちゅう閉鎖図書館に通った。
それが村長連中にバレて、閉鎖図書館の中に封印されてしまった。だが私にとっては本の楽園に放り込まれたようなものだ。沢山の本に囲まれていろんな智慧が身についていく。私は毎日いろんな本を読み漁った。特にワーズワスという古代詩人の詩は私のお気に入りである。
ある日、私より年上のテスラという女性が閉鎖図書館に現れた。窓からちょこんと見えた羊のような耳が印象的な女性だった。暗がりで影しか見えなかったが、とても優しい声で彼女はこう言った。
「一人で寂しくない? よかったらお話でもしましょうか」
「ボクに何のよう。今は本を読むのに忙しいんだけど」
幼い頃の私がそう返すと、彼女は少し寂しそうに俯いた。それが気になって、本を読む手を止めて話を聞いてみた。彼女の息子の話だった。心の病を患っているようだ。
「そんなの、村長たちに看てもらえばいいじゃないか。どうしてボクのところに……」
「魔法じゃどうにもならなかったの。だからあなたの力を借りようと思って」
「ボクには関係ないね。生老病死。逃げられないんだよ、人もエルフも」
悟ったように私が言う。正直面倒くさかったからだ。すると、彼女は突然うな垂れてすすり泣いた。そんな夜が何十日も続いた。根負けしてしまった私は、閉鎖図書館へ彼女の息子を連れてくるように指示した。
そうして、私は古代詩呪術を用いて、彼女の息子のトーマスの治療をしたのだった。
――だが、それを知ったエルフたちは私の力を恐れた。魔法と違う力によって治ったトーマスを「呪いの子」としてテスラにわざわざ処刑させたのだ。
テスラは人間の生み出す、科学の脅威を訴えており、エルフたちからは高い信頼を得ていて「先生」と呼ばれていた。その信用もその日で消えた。トーマスが死んだ夜、彼女は再び私のところへ来た。
「ねぇニコラ。トーマスを蘇らせてちょうだい」
私は止めた。形のない人間に古代詩呪術をかけることなど出来ない。形あるものにしかそれは使えないからだ。だが、彼女は大声で泣き叫んだ。
「わかってる、わかってる。でも……! 悔しいの、あの子は賢かったのよ。もし生きていたらエルフの村にとって、良い影響を与えていたかもしれないわ。それをどうしてあんな惨い仕打ちを受けなくてはならないの……!」
「……先生。ボクはココから出られない。でも、先生にならこの力を使うことが出来るかもしれない」
数十日夜を窓辺で共に過ごしたせいで、何となく情が移ってしまった私は、彼女の力になろうとした。ある書物の読解も済み、その力を使ってみたいという好奇心もあった。うな垂れていた先生の顔が勢いよく上がる。
「できるの」
「うん、多分ね。でも先生とボクの身に何が起こるかはわからない。もしかしたらこの世界を巻
き込むかもしれないくらい強い言葉だよ」
「何でも良いわ、早くしてちょうだい」
『――ディエス――』
その日から、世界は大きく変わった。
エルフの住む村は火の玉が現れてしばらくしてから焦土と化し跡形もなくなった。私の長い髪は荒れ狂う雲のように波うち、頭には赤い角が二つ生えた。テスラ先生は、額に出来たU字型の月の紋章の中に取り込まれていった――