使命の始まり
ニコラは、その長い紫の髪をなびかせながら、確認するようにクリスタルメイデンへと近づく。”負の言霊”が消えたそれは、もはやただの骸骨であった。「穢れ」のないものには古代詩呪術は使えない。
「先生、これじゃボクは何もできないよ」
彼がそう言うと、テスラは、「嘘……」と絶望したかのように顔を覆った。トーマスが蘇る可能性がなくなった。それを知った彼女の、悲鳴のような泣き声が洞窟内に響き渡る。
「ごめんなさい」
無表情で謝るニコラに、テスラは怒りを顕にした様子で、彼に詰め寄った。
「何のためにあなたに近づいたかわかってるでしょ! この化け物‼」
彼女は最初からニコラに興味など無かった。しかし、トーマスを治したい一心で、毎晩閉鎖図書館へと通っていたのだ。彼女が話してくれた世間話や外の世界の話。それらは全て、ニコラのためではなく、トーマスのためだったのだ。
それを知っていたニコラは、特段驚いた様子も見せなかったが……。
「オレたちの願いはどうなる」
ヴォールクは、痺れを切らしたように二人に問う。やっと試練が終わったのだ。見返りというものを求める。それが筋というものだろう。だが、テスラは、「知らないわ」と答えた。その言葉に一行は動揺する。死のリスクだけを背負わされていたのか、と。
「あなたたちがこれを浄化しなかったら、うまくいったかもしれないのに!」
テスラが呪文を唱える。すると、無数の光の剣があらわれ、アゼルたちに降り注いだ。それをニコラが防壁の魔法で弾く。彼女は、「どうして邪魔するの」と彼を問い詰める。ニコラは、
「もう終わりにしよう、先生」
と全員に向かってワープの魔法を唱えた。
◇◆◇
洞窟前の密林。
そこにはまだ魔法を使おうとしているテスラの姿があった。ニコラは防壁の呪文を唱えている。アゼルも加勢した。ヴォールクもフードを脱いで、爪と牙で威嚇する。レウィシアは剣を抜いた。ディオはシズメをかばうように両手を広げる。アウルはその瞳でテスラをジッと見つめていた。
「どうしてみんな、私の邪魔をするの!」
放たれた魔法は、防壁の魔法で全て弾かれる。そんなやり取りが数10分続いた。このままでは精神が持たない。
「もうやめるんじゃ、テスラ先生!」
アゼルが呼びかけるが、彼女は全く引こうとしない。
とうとう、彼女は地面に倒れこんでしまった。そして、狂ったように突然笑い出したのである。
「あの子はいない。あの子はいない。あの子はいないぃいいいい‼」
テスラは最後の魔法を自分に向けて放った。無数の光の剣が彼女の体を突き刺す。体中から血が染み出し、彼女の伏している地面はどす黒い赤に染まった。
「まってて、もうすぐ……あなたのところへいくから……私の、愛しのトーマス……」
そう言ってテスラは命を引き取った。それを見ていた一行は何ともいえない気持ちになった。テスラは自分のことしか考えていない。しかし、何かを守れなかったという負の言葉があった彼らには、その気持ちが少なからず分かったからだ。
「……これで、終わりじゃの」
アゼルがそう言うと、ニコラが彼に近づいてきた。
「アゼル。君の呪いを解いてあげよう。昔の姿に戻りたいでしょ」
ニコラが無表情で彼に向かって言う。アゼルはそれを拒み、
「複数の命を無碍に扱った戒めとして、この姿で寿命を全うしたい」
と願った。ニコラは、
「わかったよ。君がそう望むなら」
と答えた。
『古いこの世にまさに別れを告げ、新しいあの世の入り口に立つに及んで、やっと両方の世界が同時に見えてくるのだ』
ニコラが古代詩呪術を唱えるとアゼルの心臓が、トクンと動きだす。少し息苦しいのか、咳き込むアゼル。
「これで君にも死が訪れるよ。怖い?」
ニコラの問いに、アゼルは、「いいや」と答えた。
「ワシは沢山の言葉と、人に出逢ってきた。もう十分じゃ」
「そう」
「オレたちの願いは叶えてくれるのか」
「あぁ、君は人狼だね。居たんだ、本当に」
淡々と答える二コラに牙をちらつかせるヴォールク。
「怒らないで。できる範囲ならやるよ」
と二コラは答えた。
「オレは人間になって、法律家として密猟者どもを凝らしめる方法を探したい」
「ディオナに逢わせて欲しい」
「お姉ちゃんの心の病を治して」
「貴族層も下級民層も関係なく噴水の水を飲めるようにして欲しい」
そのうちの2つだけ叶うとニコラは言った。彼は説明する。
人を探すことは、魔法や古代詩呪術を使ってもできない。また、噴水の水には“穢れ”がない。なので古代詩呪術を扱うことはできない。よって、叶えられるのはヴォールクとシズメ。二人の願いだけである、ということだった。
「そっかぁ、じゃあ僕はディオナを探す旅に出るよ。アウルと一緒にね」
「あたしも、王国を見守っていこうと思う」
ディオは背筋を伸ばし、レウィシアは決意したように深呼吸した。アウルは毛繕いをしながら、「ディオナ、タビ」と何度も反復していた。
「まずは人狼の方からだね」
ニコラは古代詩呪術を唱える。
『天かつわれをいかんせん』
ヴォールクの長い髪は解け、犬の様な顔立ちは段々人の顔へと変わっていく。彼は、数十秒ほどで、見た目が30歳ほどの「人間」になっていた。
「怖い顔は相変わらずなんだね」
ディオが意地悪そうに彼に言うと、ヴォールクは「黙れ」とフードを被りなおす。それはだいぶ小さく感じた。もう顔を覆えない。彼の戸惑う様子に一行はクスッと微笑んだ。
◇◆◇
シズメの姉アンナも、ニコラの呪術と魔法で無事に元の美しい姿へと戻った。
「あの時。酷いこと言ってごめんね、シズメ」
「ううん、私がお姉ちゃんと同じ病気だったら同じこと言ってたわ」
二人は長い間抱擁していた。その姿を見て、一行はドアをそっと閉めた。
「――それで、あんたはどうするんだい?」
レウィシアはニコラに今後のことを尋ねた。すると彼は、「また閉鎖図書館へ行くよ」と答える。アゼルが、「一人でか」と言うと、「もちろん。もう誰とも関わりたくないんだ」と言い放った。
ディオは、
「1000年も人の”負の言葉”を聞き続けていたら嫌にもなるよね……」
と、同情するように言う。レウィシアはニコラに向かって、「これを伝奇にしてもいいかい?」と尋ねた。
「伝奇?」
ニコラは、「別に良いけど」と不思議そうに答えた。何故、人間の癖にそういったものに貪欲なのか、彼にはわからなかった。知らない間に人類は何らかの進化をしたのであろうか。
「では、お主も書いてみてはどうじゃ」
アゼルが提案すると、ニコラは何故か胸が躍った。
(書いてみたい)
急にそんな気分になったのだ。エルフの血が濃いのか、人類全員に備わっている欲なのかは分からない。
「エルフの知識で法律のことを教えて欲しかったんだがな」
「――それなら、私のパパに教わると良いわ」
ドアが開かれる。そこには優しい目をしたアンナと、シズメの姿があった。彼女らは父に相談し、ヴォールクを邸宅に迎え入れることを約束した。
みなそれぞれの道を歩んでいく。振り返らずに。まっすぐと。
「これから、みなの、”本当の使命”がはじまるんじゃな」
アゼルはみんなと別れると、今は無きエルフ村の跡地までワープし、花を手向け、どことも言わずに旅に出た。“スカボローフェア”を口ずさみながら何者かに誘われるように――
古代詩呪術『古いこの世に(略)』
引用元:平井正穂編『イギリス名詩選』(岩波文庫)p81「老齢」より。
古代詩呪術『天かつわれを(略)』
引用元:谷沢永一編集『名言の智恵 人生の智恵』p70「天といえども」より。