負の言霊
ここは、ドルエンから僻地の密林。薄暗い空気と、ジメジメした気候で、一行は一気に疲労を感じた。その中をしばらく歩くと“川”が見えた。
「ねぇアゼル、この水の道は何?」
ディオが汗を拭うようにアゼルに聞く。
「これは川と言って、大地の表面の水が集まってできる水路じゃ。お前たちは見たことがないじゃろうがの」
「この先に見える洞窟にクリスタルメイデンがあるの?」
シズメが問うと、アゼルは「うむ」と答えて、呪文を唱えた。すると、赤色の膜が一行を包み込む。水を弾く魔法だ。一行を避けるように、水が真っ二つに裂ける。そして、でこぼこの足場を越え、無事に一行は洞窟の中へと入ることができた。
中は真っ暗だ。アゼルの魔法で灯りをともす。すると、洞窟の奥深くから、幾つもの“声”が聞こえてきた。それは、隙間風に合わさって、不気味に思えた。まるで誰かを呼んでいる。そんな感じだ。
「この声は”負の言葉”を持つものにしか聞こえん。奥に行くほどそれが”穢れ”となって見えるじゃろう」
「穢れ……幻覚のようなものか」
ヴォールクが尋ねると、アゼルは、「煩悩のようなものじゃよ」と答えたが、それを理解できるものはいなかった。その様子を見て思い出したようにアゼルは、「そういえば仏教も古代人の遺物じゃったな」と呟いた。
「……どうしてここには水がある」
ヴォールクは不快そうに、目の前の水を眺める。
「もしかしてヴォールクって水が苦手なの?」
ディオがツンと肩を小突いて言うと、フードを深く被り「別に」とそっけなく答えるヴォールク。それを見ていたレウィシアは、
「あんたは小柄だからね。何なら背負ってやろうか?」
と、笑いながら背中をヴォールクに向ける。どうやら彼のことをこどもだと勘違いしているようだ。
「人狼を馬鹿にするな。オレのことはオレで何とかする」
「あんた、人狼だったのかい」
ヴォールクはフードをちらりとあげて、「そうだ」と不服そうに呟いた。
「……そういえば、私たちってお互いのこと何も知らないわよね」
シズメの言葉に、全員が腕を組んで考える仕草をした。確かに”負の言葉”の真相を知るのはアゼルと鬼だけだ。みんなの事情は、表面的なことしかわからない。これから大事な試練が待っているというのにだ。
「いっそのこと、全部話し合おうか。命もかかっていることだし」
レウィシアが言うと、みんな頷いて、負の出来事を小1時間ほど話し合った。アゼルはその様子を動かぬ瞳で見守っている。
「オレは”恨み”」
「僕は”弱さ”」
「私は”嫉妬”」
「あたしは”偽り”」
そして、アゼルは”不死”。
全てを話し合った後、一行はある共通点を見つけた。それは、「誰かを救えなかった」ことである。ヴォールクは仲間を、ディオは家族を、シズメは姉を、レウィシアは親友を。そしてアゼルはトーマスとテスラを……。
「繋がったかの」
アゼルが言うと、みな頷いた。
「”負の言葉”がないのはこの子だけだね。名前は何て言うんだい?」
レウィシアが化鳥の頭を撫でながら聞く。みんなは「名前は無い」と答えた。それじゃあかわいそうだという事になり、名前を付けることにした。しばらく悩んでいると、アゼルが、
「古の言葉で、梟の様に賢い人という意味のある”アウル”はどうじゃ」
と提案する。それに一同賛成した。
「よろしくね、アウル」
「ヨロシク、ヨロシク」
シズメが小さな手で撫でると、アウルはディオの肩の上でゴロゴロと鳴いた。
そのような会話をしながら、一行が洞窟内をしばらく歩いていると、突然鬼がアゼルたちの前に現れた。そして、彼は古代詩呪術を唱える。
『昔の苦悩が今さらのように蘇り、時の空しさが身にしみてくる』
次の瞬間、一行はクリスタルメイデンのある層まで飛ばされる。すると、はっきりと”負の言霊”が聞こえてきたのである。「死を感じたことはあるか」と。それは全員の脳内に直接響き、また、何度も彼らの”負の言葉”を連呼した。これでもかというほど、負の出来事を彼らに見せ続けながら。
「お前は人間が憎いだろう」
「お前は卑怯者だ」
「お前は姉を壊れさせた」
「お前は親友に嘘をついた」
「お前は永遠に許さない」
みんなは耳を塞ぎ、目を閉じた。このままでは頭が狂いそうになる。
「ごめんなさい、お姉ちゃん! 謝るから許して!」
シズメたちの呻きに近い叫び声が洞窟内に響き渡った。それがクリスタルメイデンたちの“声”と共鳴し、洞窟内は地獄のような音で溢れかえっていた。
「……彼らが死ぬまでこの声を聞き続けるのか、先生」
鬼の表情は伺えないが、密かに呟かれた彼の言葉には、低い男の声と、少年の声が混じっていた。
「タスケテ、タスケテ」
一行が悩み苦しんでいる中、アウルが本来の姿に戻り、鬼に向かって飛びかかっていった。使徒ではない彼には、”負の言葉”はないはずだが、その黒い瞳には鬼の姿が見えているようだ。威嚇するように翼を広げている。
「人間に感情移入したか。計算外だ」
化鳥のような「無垢」な生き物には古代詩呪術は効かない。少なからず「穢れ」がなくてはそれは使えないのだ。アウルは鬼に向かって突進したが、それは彼に当たる事はなく、スルリと鬼の体を抜けて、洞窟の岩にガツンとぶつかり、地面へと落下した。
その隙に、鬼はクリスタルメイデンに近づき、古代詩呪術を唱える。
『未だ生を知らずんば、焉んぞ死を知らんや』
クリスタルメイデンから一筋の光明が現れ、五人の右手にある紋章の中へと吸い込まれていった。その瞬間、アゼルの魔法が切れ、洞窟は闇に染まった。鍾乳石から垂れた一滴の水音が、洞窟の中にポチョンと響く。
鬼はそれを聞きながら、「今度こそ解放されるだろうか……」と呟いた。その声は、少し疲れたようにも思える。鬼の額には一行と同じ形の紋章が光り輝いていた。
古代詩呪術『昔の苦悩が(略)』
引用元:平井正穂編『イギリス名詩選』(岩波文庫)p37「静かな想いにさそわれて」より。
古代詩呪術『未だ生を知らずんば(略)』
引用元:加地伸行著『論語』(角川ソフィア文庫)p121より。