鬼の悲願
アゼルは鬼が去ると、みんなに向かって言った。
「申し訳ない」
と。
まるで、最後の別れをするような表情だった。その顔色を見てディオは、「大丈夫?」と声をかける。ヴォールクは、「何かやましい事でもあるのか」とフードを少しだけあげてアゼルの目を見た。シズメとレウィシアは黙って様子を伺っている。
「これから行って欲しい場所がある」
そう言うと、アゼルは説明を始めた。
一行の出会った鬼は、古代マヤ文明を築いたマヤ人が、生贄の儀式を行っているのを知っていた。そして、その犠牲になった一体の「クリスタルメイデン」という骸骨に、古代詩呪術を用いてトーマスの命を宿らせようとしているのだ。
しかし、クリスタルメイデンたちから放たれる”負の言霊”に邪魔されて、鬼の力だけでは、事を成し遂げるのは不可能であった。そこで、鬼は5人の使徒を集めて”負の言霊”と”負の言葉”を共鳴させようと考えた。
そしてその隙にトーマスを転生させようとしているのだ。
「まって、それじゃ私たちは囮ってわけ? 共鳴できなかったらどうなるの」
シズメが怯えたようにアゼルに問う。彼は、「……クリスタルメイデンに喰われる」と答えた。“喰われる”とは直接“食べられる”ということではなく、脳が壊れてしまう(精神の破壊)という意味である。
「そんな恐ろしいこと、できるもんか! シズメちゃんのお姉さんみたいになるんでしょ!」
ディオはアゼルに向かって、散々罵声を浴びせた。話を聞いていたシズメは姉のことを言われて、「何でそんなこというの」という感じに、喧嘩となってしまった。それを見ていたヴォールクは、「やはり人間は醜い」と呟く。
みんながバラバラになりかけた。その時、レウィシアは、「行ってみようじゃないか」と切り出した。それを聞いて一行は時が止まったように静まった。
「いざとなったら、鬼も骨も、この剣で斬ってやるよ。鶯頭。あんただって小銃を携えてるじゃないか」
彼女がディオを指さして言う。すると、彼は、「2発分しかないんだよ……それに」と言うと黙りこんでしまった。彼はまだ何かを隠しているようだ。
「この紋章に従わなかったらどうなるの」
シズメが尋ねると、アゼルは、「これは死の契約じゃ。守らなければ死ぬ」と答えた。使徒に選ばれたものは逃げることは許されない。これは、ある意味呪いだ。一行の空気がより重くなる。
「あたしはまだ死ぬわけにはいかない。行くよ、あたしは」
「……地獄のような場所じゃぞ」
「あんたと鬼が行けって言ったんだろ」
「……すまぬ」
一行はその会話を聞いて、しぶしぶ同行することにした。「何もせずに死ぬくらいなら」という気持ちだったのだ。
「マヤの遺跡ってのはどこにあるんだい」
「ドルエンより南の僻地じゃ、クリスタルメイデンはそこの鍾乳洞の奥深くに眠っている」
「ドルエンの南? 地図には何も記されてないわよ」
「古代人の文明は今の人間には知られていないんじゃ。一度滅んだからの」
それを聞いて、ディオは不思議そうに首を傾げた。「どうして古代人は滅んだの」と。
「衛星じゃ。それが鬼の呪術の作用でおかしくなって、タイヘイヨウへと落下したのじゃ。それは海の水を蒸発させ、海洋そのものを枯らしてしまった」
アゼルの説明は、彼らには難しかったようで、再びみんなシンと静かになった。
「とにかく……クリスタルメイデンの所へと行けば良いんだな。俺は俺の願いを叶えたい。それだけだ。まだ死ぬわけにはいかないんでな」
ヴォールクが切り出すと、一行はアゼルの方を見た。彼は再び、「申し訳ないのう」と呟く。
「その代わりオレは誰も助けんぞ」
「いざとなったら助けてね。アゼル、レウィシアさん」
「お姉ちゃん待っててね。必ず帰るから」
「あたしがみんなを守る、今度こそ、誰も死なせない」
アゼル一行はそれぞれの想いを込めて、マヤの鍾乳洞へと向かった。ちょうどコキアのヴァイオリンの音色が響き始めた頃だった。