約束
――ピュー、ピュー……
口笛の音が聞こえる。幼い頃のレウィシアは、惹きつけられるように、下級民層の住む方へと階段を下る。
すると、綺麗な髪色をした、自分と同じぐらいの女の子が楽しそうに口笛を吹いていた。レウィシアの存在に気付いた彼女は、「あら、聞こえてた? ごめんなさい」と言って微笑んだ。それがアレンダとの出会いである。
彼女の側にはいつも下級民層の人たちがいた。そしていつも変わらぬ音色の口笛を吹いている。それを気に入ったコキアの父は、特別に彼女を邸宅に呼んで、その音色を貴族層に聴かせた。美しい音色に貴族層は夢中で聴き入った。
たちまちアレンダは時の人となった。下級民層の間でも、口笛が流行った。グルニエも、そんなアレンダを敬愛していた。彼女の口笛は、貴族層と下級民層の隔たりをなくしてくれるのではないかという噂まで立つほどの人気ぶり。
気付けばレウィシアはそんな彼女と親友になっていた。レウィシアは女王の愛娘で、城から抜け出すのをしょっちゅう叱られていた。将来はこの王国の未来を担う身。彼女は周囲に恵まれた自由なアレンダが羨ましかった。
「アレンダが女王になればいいのに……」
それを聞いていたグルニエは、「女王になったら僕たちも噴水の水が飲めるようにしてよ!」と言って、腕を組んだ。
「約束だよ」
彼はそう言って、レウィシアたちの輪の中に入ってきた。こうして、3人はよく集まっては会話をするようになった。
ある日、レウィシアは、“親友”という名目で、アレンダとグルニエを城の中へと招待した。アレンダは城の柱に手を添えて、「立派な柱ね。まっしろ」と微笑んだ。
だが、グルニエはそのとき、「これが自分のものになったらなぁ……」と呟いたのだ。それをレウィシアは聞き逃さなかった。
10年後、レウィシアは次期女王になることを拒み、「アレンダこそがこの王国の架け橋となるのではないか」といって、自分は王国の警護をすると宣言した。貴族層と下級民層はそれに納得した。女王は国の象徴。音楽を通じて二つの層を繋げられるのなら、この王国の革命だ。それほどアレンダは慕われていた。
しかし、レウィシアの本音はそうではなかった。ずっと引っかかっていたのだ。グルニエの言葉が。「いつか殺される」そんな気がしていた。
それは的中する。
グルニエは、アネモネという貴族層の女性に近づき、
「アレンダは、貴族層のお人よしさに付け込んで、この王国を乗っ取るつもりだ」
と吹聴したのだ。それを聞いた彼女は憤って、貴族層たちにそれを伝えた。噂は下級民層たちにも行き渡った。
果てには、彼女を“信じる”下級民層派と“信じない”貴族層派で、王国は分裂してしまった。噴水の水を下級民層が飲もうものなら、貴族層たちが石を投げるようになってしまい、その報復に、下級民層も、貴族層の屋敷めがけて罵声を浴びせるようになった。そのころの噴水の周囲は土や石ころで汚れていた。
喧嘩する国民たちの様子を、城の中から見ていたアレンダとレウィシア。もう直彼らの内戦が始まるだろう。そう悟った。
「ねぇレウィシア。私、死ぬかもしれないわ」
(知ってる)
「言葉でも音楽でも伝わらないのなら、命で伝えなくては」
(知ってた)
「……レウィシア。私、この王国に、一時の夢を与えられたかしら」
(本当はこうなることを)
「ああ。与えられたさ」
(あたしはずっと”偽り”続けていくだろう)
「……良かった」
(ごめん。アレンダ、あたしこの王国を背負うのが怖かったんだよ)
――ガチャン……。
アレンダは最後に、王国に昔から伝わる、“スカボローフェア”の音色を口ずさみ、この世を去った。これを期に、アネモネが女王となり、グルニエが王国の警護係に任命された。レウィシアは城から追い出され、貴族層でも下級民層でもない、“一般市民”と呼ばれるようになった――
「”偽り”か。いかにも人間らしい」
鬼が言う。それを聞いてレウィシアは、「返す言葉が無いよ」と言い返した。
「この者を使徒と宿命るか」
アゼルが言うと鬼は、「申し分ない」と答えた。
レウィシアの右手にU字型の月の紋章が現れると、アゼル一行の紋章が一斉に輝きだし、ドルエンの南側のほうへと光が差した。
「使徒たち、そしてアゼルよ。ここからが試練の始まりだ。今度こそ。悲願を成し遂げるのだ」
鬼はそう言うと、噴水の水に溶けるように消えていった。