花と水と音楽と
モーレピア。
純白の壁の家が並んでいる。また、色とりどりの花が生い茂る広場があり、中央には無色透明で綺麗な水が噴き出る噴水があった。噴水から北側には、雄大荘重なバロック調に近い、立派な城がある。
「ねぇねぇみんな、あの噴水の水って凄く美味しいらしいよ。飲みにいこう」
落ち着かない様子ではしゃぐディオを見て、一行はため息をついた。彼が噴水に近づいたとき、一人の男が恐ろしい顔つきで、
「汚らわしい手で水を触るな!」
と叫んだ。
驚いたディオは一歩ずつ下がって手を上げる。相手が短剣を彼に向けていたからだ。
「器とかあるんですかねー。僕知らなかったから!」
「シラナカッタカラ、シラナカッタカラ」
化鳥が繰り返すと、余計に事態は悪化していく。短気な男は鼻もとのちょび髭が吹っ飛ぶぐらいの大声で、「ふざけているのか!」と苛立ったように短剣をさらに近づけた。
そこに、一人の足音がする。
「よしなよ、グルニエ。またくだらない差別してるのかい?」
オレンジ色の瞳が特徴的な女性が、男とディオの間に割って入った。腰にはサーベルを差している。白い衣服に包まれ、左胸の辺りには小さな花飾りが付けられていた。
「レウィシアか……お前もまだくだらない見回りをしているのか。もう城の人間ではないというのに」
「ああ。お前に追い出されたからね」
二人が睨み合う。その隙に、ディオはこっそり抜け出してアゼルたちのもとへと駆け寄った。
「水飲めなくて残念だったわね」
シズメが意地悪そうに言う。ディオは、「うん……」と落ち込んだ様子で肩を落とした。
「助けた密猟者の奴にモーレピアは平和な王国だと聞いたことがあるが、ここの人間も武器を持っているのか」
「平和を保つには、守るための強さもいるんじゃよ。おそらくのぅ」
「……よくわからんな。人間は」
アゼルとヴォールクがそんな会話をしていると、さっきの女性が一行を呼び止めた。男は城のほうへとずんずん音を立てて歩いていく。聞こえるように大きく舌打ちをしながら。
「せっかく来たんだから飲んでいきなよ。良い思い出になるよ」
女性は噴水を指差していった。
「え、いいの? 手で汲んでも」
「もちろん。ここの水は世界中の誰でも飲んで良い……かつての女王がそう言ってたのさ」
「カツテノジョオウ」
「ふふふ、おもしろいオウムだね。君も飲んで良いんだよ」
「ノンデイイ、ノンデイイ」
「じゃあ、いただきます!」
ディオたちは噴水の水を飲んだ。ほのかに花の香りがし、のど越しがさらりとして美味しかった。その様子を見ていた男の子が一人。この国には不釣合いな服装をしている。顔にはそばかすがあった。
「ほら、あんたもこっちにきな。美味しいよ」
「でも僕たちのせいで、アレンダ様は……」
「口笛。覚えてるだろ?」
「……うん!」
そういうと、男の子は水を飲むと、さっさと下の階段を降りていった。まるで人目を避けるように。周囲を歩く貴婦人たちも、その様子をあまり快く思っていないようだ。わざとらしく手で追い返すような仕草をしている者もいれば、噂話をするかのように口に手を当てる者もいた。
「ねぇお姉さん。お姉さんはここを守ってる兵士なの?」
「レウィシアでいいよ。あたしはただ、警備ゴッコしてる変人さ」
「国からの命令で動いてるんじゃないのね」
「まぁね」
一部始終を見ていたアゼルは、レウィシアから何か黒い影を感じていた。「まさか」と思い、問おうとしたが、止めた。遠くからヴァイオリンの音色が聞こえたからだ。
「この伸びやかな演奏は、コキアだね。さすが音楽家の息子だよ」
「コキア、コキア」
化鳥が返すと、レウィシアは軽く笑いながら説明を始める。この国は、貴族層と下級民層に分かれていて、階段の層が低いと位が低いのだそうだ。コキアと呼ばれる少年は、貴族層の音楽家の一人息子なのだという。
「あの子は音楽の力を信じてる。アレンダ様もそうだった」
「アレンダ様って、ここの女王様のこと?」
「もう亡くなっちゃったけどね」
シズメの質問に答えると、レウィシアは胸の花飾りを見つめた。そして、それをギュッと握り締めた。
「あたしは……」
「レウィシア様~!」
何かを言おうとした彼女のもとに、ヴァイオリンを持った少年がてこてこと走ってきた。金髪の髪に翠の瞳をしている。服装も整っていて、いかにも貴族という感じだった。
「コキア! またあそこに音楽を届けに行ってくれるのかい」
「はい。約束ですから」
「敬語はよしてくれ。今はもうただの一般市民なんだから」
「これが僕の普通なんです」
「相変わらずだな」
二人はたわいも無い会話をしていたが、アゼルは気になったことを聞いた。
「アレンダ女王はみなから慕われていたそうじゃが、今の女王は誰なんじゃ」
「さっきの男の女だよ。名前なんて忘れたね」
そっけなく返すレウィシア。
「……アネモネ様です。彼女は僕たちには良くしてくれます。でも、下級民層の人たちには酷いんです。噴水の水を飲むなとか、階段を上るなとか……」
コキアは訴えるように一行に詰め寄る。そして、「音楽だって聴くのを認めない」と憤っていた。
「さっきから聞いていれば、花の名前ばかりだな。何か意味があるのか」
ヴォールクが言うと、レウィシアが説明を始めた。水の恵みで成り立つこの国に生まれた者として、花や草木は切って切れないもの。だから、貴族層は花や草木の名を好んで付けるのだと。
「でも、アレンダとかグルニエって花、聞いたこと無いわ」
シズメが言うと、レウィシアは、「それは下級民層だったからさ」と答えた。
「じゃあ、アレンダ様って下級民層出身の女王様だったんだ。人望が厚いとちゃんと国民は認めてくれるんだね!」
レウィシアの顔が曇る。
「ああ。一時はね……でも最後は処刑された」
「何故じゃ」
ずっと聞きながら堪えていたコキアが俯いてしまった。やがて視線は噴水の方へと向かう。
「貴族層と下級民層を衝突させ、内乱に発展させた罪でね」
「あの時、僕はどうすることも出来なかった。惑星のように綺麗な長い髪は短く切り落とされ、ギロチンであの世に召されたのです。まるで見世物のようでした」
重苦しい空気が漂う。人の不幸を聞いたときは何でこんなにも胸が痛いのだろう。
「立ち話もここらにして、宿をとらんか。探し物もおおよそ見当がついたところじゃし」
「……やっぱり、レウィシアさんだよね」
「こうも簡単に見つかるのも問題よね」
こそっと話すディオとシズメ。
「私の顔に何かついているか?」
レウィシアは不思議そうに、見つめてくる一行に聞いた。アゼル以外の使徒は、「どうしてこんなに簡単に見つかるんだろう」と思いながらも「なんでもない」と答えた。
「そうか。宿は噴水の左側にある。迷わないようにね」
「ああ、すまぬのう」
お礼を言って、一行はレウィシアたちと別れ、宿へと向かった。宿代は相部屋で300シルバーだった。
「じゃあこれで」
シズメは、懐から600シルバーを出して自分だけ別室で夜を過ごした。