見せたくなかったもの
ドルエンに戻ったアゼル一行は、シズメの家へと赴いた。出迎えたのは召使の女性。「いかがなされましたか」と聞かれ、アゼルはシズメと約束があることを伝えた。すると、階段の奥の部屋から女性の悲鳴が聞こえた。「痛い、痛い」と何度も叫んでいる。
「ただ事ではないのう、どうしたのじゃ」
「それは……教えるわけにはいけません」
召使は困ったように答え、それ以上は話さなかった。しばらく沈黙が続くと、召使を呼ぶ声が聞こえた。
「メアリー、こっちに来て!」
「あの女の子の声だ」
ディオは少女の声を聞いて、シズメだと確信したようだ。召使に事情を説明して彼女と会わせてもらえないかと交渉したが、「お帰りください」と突っぱねられた。明らかに何かを隠している。少し強引だが、アゼルは睡眠の魔法を使って召使を眠らせ、階段の奥の部屋へと向かった。
扉を開けると、顔や首、腕や手首に掻き傷のある女性が青ざめた顔で暴れていた。それを必死に抑えるシズメの姿もあった。部屋は枕や人形、雑貨が放り捨てられ床に散らばっている。まるで地獄絵図だ。
「痛い、痛い! 放してシズメ、私凄く痛いの!!」
「痛くない、それは目に見えない心の病気なのよ、お姉ちゃん」
「嘘つき、あぁ痛い、私だけが何もかも失ったのよ!」
その様子を見ていた一行は、ごくりと唾を飲み込んだ。ディオは手に持ったキュアスノーをぎゅっと握り締め、シズメたちの元へと駆け寄った。
「ほら、シズメちゃん。キュアスノー採って来たよ」
「――! まさか、本当に採ってきたの?」
「そう。これでお姉さんの目の病気が治るよ」
「……帰って!」
「いてっ!」
シズメはディオに向かって、床にあった人形を投げつけた。カーテンが閉められているからか、薄暗く、その表情は窺えなかった。その間も「痛い」という叫び声は轟いている。
「お姉ちゃんは、目が見えない方が幸せなの。わかるでしょ」
「でも……」
ディオは困惑して言葉が出せなかった。沈黙と悲鳴が入り混じり、独特の空間が生まれる。
「マホウで何とかならないのか」
ヴォールクが小声でアゼルに問う。アゼルは「無理じゃ」と答えた。
「心の病は魔法では治せん……ニコラがいればのう」
「ニコラ?」
「……いや、今のは忘れてくれ。それより」
アゼルはシズメの姉に向かって歩き、彼女に「死を感じたことはあるか」と問いかけた。すると、彼女は「今よ! 今! 私は死ぬの!」ともがきながら答えた。
すると、機会を伺っていたように鬼が現れた。その姿はシズメと、姉にも何となく見えたようだ。肩が震えている。
「感情移入」
鬼はそう唱えると、二人の体の中に分離して入っていった――
――「ねぇアンナお姉ちゃん。どうしてそんなに綺麗なの」
そう呼びかけたのは幼い頃のシズメだ。対して笑顔で、「あら、シズメはとても可愛いわよ」と返したのは姉のアンナ。まだ目が見えていた頃の彼女がそこにいた。二人は性格も見た目も正反対だが、仲が良かった。
しかし、異母姉妹であったシズメとアンナは、両親の喧嘩を度々見かけることになっていた。
「アンナは前の女の娘でしょ! この家はシズメと私たちのものよ!」
「私にとっては二人とも大事な娘だ。たとえお前と血が繋がっていなくとも……もしかしてお前、財産目当てで結婚したのか!」
怯えながら親の様子を二人は毎晩見ていた。そのうち、アンナの様子がおかしくなっていく。喧嘩の原因が自分自身の存在であることに深く傷ついたのである。
「私はいらない子なの……?」
「お姉ちゃん……」
◇◆◇
ある日、シズメの母がアンナの部屋にやってきて、アールグレイを飲ませた。それを飲んでしばらくして、アンナは視力を失った。毒を盛られたのだ。そのときから彼女は完全に狂ってしまった。
「シズメは目が見えていいわね」
「シズメは愛されていいわね」
「シズメは太陽の光を見れていいわね……」
「あぁ、どうして私だけ、許せない。あの女」
「あはははははははははは」
「あぁ痛い。痛い痛い痛い痛い!!!!」
姉が狂っていく様子を見て、シズメは恐怖と安堵を感じた。
(私でなくて良かった)
とも思った。しかし、アンナの”嫉妬”心は日に日に膨らんで、自身を傷つけていく。自身の様子を客観的に見ながらアンナは震えた。「これが今の私の姿……」と。美しかった肌は爪あとで赤く爛れ、顔色は青白い。アンナは記憶の中で大きく叫んだ。
「シズメさえいなければ、シズメさえ!!」――
「お姉ちゃん……」
シズメは泣き叫ぶアンナを見て、一筋の涙をこぼした。
「”嫉妬”か。イミタシオンよ。どちらを使徒と宿命るか」
「試練の場では、なるべく意志の強い者の方が良いだろう。よく考えよ」
鬼はそう言うと、アンナに放り投げられた枕からはみ出た羽毛に混じるように消えていった。喚き声とシクシクすすり泣く声が室内に響き渡っている。
「意志の強いもの、か……どちらの命も儚いが……」
アゼルは少し考えて、シズメの肩をポンと叩いた。到底旅に参加できそうなのは彼女しかいない。シズメはアゼルの方を向いて涙をぬぐう。
「あの鬼、イミタシオンっていうの?」
「あぁ、ワシが名付けた。良ければカーテンを開いて太陽の光に手をかざしてくれんかの」
言われたとおりにすると、シズメの右手にU字型の月の紋章が現れた。一通り事情を説明すると、シズメは、「叶えたい願いがあるの」と言い、同行すると答えた。また、顔を下げて本音もこぼした。
「薬屋に行っている時が安らぎだったの」
と。キュアスノーなどは本当はどうでもよくて、ただ仲の良かった姉が壊れていく様を見ていられなかったのだという。家族の事となると他人事と思えなかったのか、悲惨な現状を見てディオは瞳をウルウルさせていた。
「――ちょっとまってて」
シズメは自室に入ると、
お父さんお母さん、私はこれから旅に出ます。今まで面倒を見てくれて、愛してくれてありがとう。必ず戻ってきます。お姉ちゃん。必ず元通りにしてあげるからね。 ――シズメ――
そう書き記したメモをアンナの部屋に残して、アゼル一行と共に、光が差したモーレピアへと向かった。