絡まる糸1
ウィルフレッドは、ジョンを連れて城の兵舎に来ていた。
今回の社交シーズンで社交界に顔見せが済んだら、慣例に従い軍に入ることが決まっている。体を鈍らせるわけにはいかない。兵舎の前には訓練が出来る広場があるので丁度良かった。
毎日とはいかないが、頻繁に顔を出し、体を動かす。最初は王子の登場に動揺していた兵士たちも、王子が訓練場に混ざり込んでいる事にいつの間にか慣れたていた。
二人で準備運動をし、剣の型を確かめる。一通り軽く体を動かし汗を流すと水場で顔を洗い、汗を拭く。
ウィルフレッドと同じようにタオルで顔を拭っていた若い兵士が気軽に話しかけた。
「ウィルフレッド王子、今日はもう終わりですか?」
「ああ。明日の準備もあるからな」
「明日が社交デビューとかいうヤツですか。デビュタントって言うんでしたっけ? 毎年警備に当たりますが、自分なんかには縁遠い豪華な光景ですよね」
城の広間が飾り付けられ、着飾った貴族たちであふれかえる。そして、明日は社交シーズンの最初の舞踏会であり、今年社交デビューする者が一斉に顔見せを行うため、かなりの数の貴族が出席する。
今年の目玉は間違いなくウィルフレッドである。
それを思うと少しだけ憂鬱になる。
「パートナーは、ディアドラ様ですか?」
「ああ。一番歳の近い独身の身内だからな」
決まった婚約者がいない者は、歳の近い親族の中からパートナーを選ぶのが通例だ。
「ええ~。そんな理由なんですか?」
若い兵士は、がっかりしたように肩を落とした。若い兵士のあまりの落胆ぶりに、ウィルフレッドは不審そうな顔をする。
「何だ?」
「えっと、その、ウィルフレッド王子の結婚相手なんじゃないかって噂があったんで……」
「はぁ!?」
思わず大きな声を出したウィルフレッドの様子に、気が付いた年長の兵士が駆けつけて来た。
「何かありましたか?」
「いや、実は……」
若い兵士が事情を説明すると、年長の兵士は渋い顔をして若い兵士の頭を力ずくで下げさせた。
「申し訳ありません。躾けが成って無かったようで。お前も何気軽に王子に尋ねているんだよ!」
その様子にウィルフレッドも苦笑いした。
「いや。俺が聞いたんだ。そんな噂があるなんて知らなかったな。そんなに広まっているのか?」
「まあ、そうですね。噂になってますね。ディアドラ様だけじゃないですよ。他にも何人も名前が出ては消えてって感じですよ」
「そうなのか。全く知らなかったよ。ありがとう」
礼を言いあまり叱りすぎるなよと口添えしてから、その場を後にした。
ウィルフレッドは、後を付いてきたジョンをちらりと見る。
「お前、知っていただろ?」
「噂ですか? 知っていましたよ」
「何故言わなかったんだ!」
「所詮、噂ですよ。ウィル様に一番近い身分の高い女性がディア様だから噂になりやすいんです。否定する方が本当だと勘違いする方もいるかもしれませんし、放って置くのが一番だと思いました」
「……まあ、それもそうなんだが……」
ウィルフレッドは釈然としない気持ちを抱えたまま、舞踏会を迎える事になった。
豪華な舞踏会用の衣装を身にまとったウィルフレッドは、不満そうにソファーに腰掛けていた。
扉がノックされ侍女がディアドラを案内してきた。
「ディアドラ・クリフォード様がいらっしゃいました」
ディアドラは、ウィルフレッドのために揃えたドレスを纏っていた。普通の舞踏会では男性は女性を引き立てる装いをし、女性の方が華やかな装いとなる。
しかし、今日はウィルフレッドの社交デビュー、デビュタントだ。主役はウィルフレッドである。
そのためディアドラの髪の色に合わせた濃紺のドレスは、上半身は大人しいシックなシルエットを意識し、首元から白い花模様の刺繍がグラデーションになるように施された。上半身をシンプルにした分、後腰から裾までボリュームのあるフリルを作ったバッスルスタイルにしてバランスを取っていた。
「ご機嫌いかが?」
にこやかに入ってきたディアドラだったが、不機嫌そうな態度のままのウィルフレッドに、眉をひそめた。
「どうしたの?」
不機嫌な顔のままのウィルフレッドの代わりにジョンが答えた。
「青春の苦悩を噛みしめているんだと思います」
「何それ?あぁ、忘れていたわ。今日がデビュタントね。おめでとうございます」
ドレスの裾を摘まみ優雅に礼をする。
ぶすっとしたままのウィルフレッドは渋々といった様子で、
「……どうも」
と短く返しただけだった。
ディアドラの表情も一瞬険しいものとなったが、直ぐに気を取り直した。今日がデビュタントで気が立っているのだろうと考えたからだ。
「ジョンもデビュタント、おめでとうございます」
ディアドラは、ウィルフレッドにした礼と同じだけ深い礼をジョンにもする。
「ありがとうございます。夜会のドレス姿は初めて拝見しますが、今日の御髪の色と合わせた濃紺のドレス、刺繍が夜空の星の様で、とても素敵ですよ」
「うふふ。ありがとう。あなたも素敵よ。ダンスの申し込みが殺到しそう」
いつも会うのは昼間なので、ディアドラは露出の少ないドレスばかり着ていた。今日の装いも社交界の流行を考えれば十分大人しいデザインである。しかし、デビューして2年で既に社交界の流行の発信源となっている、昼と雰囲気の違うディアドラの姿に、慣れない心がざわめいた。
「今日のお相手は?」
「従妹に頼んであります」
デビュタントの時のパートナーには、皆、特に注意を払う。大体が、社交デビュー済みの年の近い未婚の親族を選ぶ。親族以外のパートナーの場合は、近しい親族に該当する未婚者がいなかった場合や公認の婚約者の場合に限られるのからだ。
「一番近い従妹というと、サイラさんね? まだ来ていないの?」
ディアドラは部屋の中を見回すが、部屋の中には3人しかいない。
「そうです。他の人と同じくホールで待っているはずです」
「あら、他の方はパートナーと一緒に登城していらっしゃるのに、女性がパートナー無しで待っているなんて可愛そうじゃないの! 早く行って差し上げなさいよ」
「しかし……」
ジョン自身も、ホールで待っているであろう従妹の事は気になっていた。しかし、その事以上に、晴れの日だというのに不機嫌な様子を隠そうともしないで、ソファーにもたれて座っているウィルフレッドの事が気になっているのだ。
ジョンとディアドラという親しい相手ということで気を抜いている上に、昨日知ったディアドラとの結婚の噂話が、ウィルフレッドの機嫌の悪さに拍車をかけている事は明白だ。当事者同士を残して自分が離れるというのはためらわれた。
「大丈夫よ。ちゃんと時間には会場に行くわ」
重ねてディアドラに進められ、ジョンは渋々と部屋を後にする事になった。