新しい糸2
ウィルフレッドとジョンは、お茶会の会場に向かうために、バルコニーから庭へと降り小道を進む。小さな小道のであり、花を咲かせる木も少ないため人目を引かず、城に慣れた者にとってはちょうど良い裏道のような存在の道だ。
裏道といっても、王子が日頃から使うような小道であるから、生垣は綺麗に手入れが成され、雑草一つ無い。
足早に歩いていると、丁度二人が通り過ぎた生垣の向こうが騒がしくなった。
ウィルフレッドが不審そうに立ち止まると、ジョンはウィルフレッドから僅かに前に進み出て腰に差している剣の柄に手をかけた。
勢い良く生垣を突き破って表れたのは一匹の犬だった。
とっさにウィルフレッドが口笛を吹くと、犬はピシッとお座りをした。生垣の葉っぱをまき散らしながらお座りをしてしっぽを振っている犬を観察する。
城では、狩猟の時の共としてまた警備要員として一定数の犬が飼われている。
「ウィル様の合図を聞くという事は、城の犬ですね。どうして、こんな所から……」
ジョンは警戒を緩めると犬に近づいた。
「首輪がありませんね。抜けて逃げてきたんでしょうか? お前、何をくわえているんだ?」
犬は、ピンク色のフワフワした布の塊をくわえていたのだ。
「あ、こら、離すんだ」
取り上げようとしたジョンに抵抗を試みた犬も、ウィルフレッドが近寄って手を差し出すと、大人しくくわえていた獲物を渡した。
城の主人である王家の人間に服従するように躾けられているから当然なのだが、ジョンは恨みがましい目つきで犬をみた。
「それ、何です?」
「帽子……だな」
それは、レースが沢山使われているピンクの帽子であった。明るいピンクの色使いと可愛らしいデザインから若い令嬢の物と推測できた。
ウィルフレッドは顔を顰めた。
「どこから持ってきたんだ。今日の参加者のか?」
「おそらくは。私から返しましょうか?」
「ああ、頼めるか? 拾った礼と理由をつけられて面会を求められても面倒だ」
帽子をジョンに手渡そうとしたとき、再び生垣が大きく揺れた。
ジョンは再びウィルフレッドを背後に押しやり剣の柄に手をかけた。
生垣を文字通り突き抜けて表れたのはピンク色の塊であった。
「待ってと言ってるでしょう!どこに行ったのよ、もう!」
そう言いながら生垣から這い出て来た人物は、ウィルフレッドとジョンに気が付いて大きな栗色の瞳を瞬かせた。派手な顔立ちではないが、整った容姿をしており、これから美しくなっていくであろう、可愛らしい顔立ちだった。
慌てて立ち上がり、ドレスに着いたほこりや葉っぱをはたき落すと、淑女の礼を取った。淑女らしい態度で取り繕っても、今更第一印象は変えられない。
本人もわかっているのか、バツが悪そうに顔を赤くしている。
「お恥ずかしい所をお見せしてしまって。私、アン・フロックハートと申します」
軽く屈んだ彼女の髪にはいまだに葉っぱが絡み付いていた。
ウィルフレッドには、格式ばった王城であまり見る事のない、素直な仕草が新鮮に見えた。
「ぷっ……あー……と」
ウィルフレッドは、思わず吹き出してしまったことを誤魔化そうとしたが、どうやら聞こえてしまったらしい。アンに睨まれてしまった。
「失礼ですが、後ろの男性が持っていらっしゃる物。私の帽子の様なのですけど?」
アンの言葉が、少しトゲトゲしいモノになったのは仕方のない事だ。
「あぁ、コレか。君のだったのか。うちの犬がくわえていたんだ。すまないな」
ジョンが、帽子を一度受け取ってから渡そうと伸ばした手を、ウィルフレッドはさり気なく避けた。そして自らアンに手渡した。そして、アンの髪についた葉っぱをさり気なく、楽しそうに払い落とした。
カツンという靴音にジョンは振り返った。
「あら? 2人ともこんな所にいたの?皆さんお待ちよ」
そこにいたのは、既に咲き誇っている大輪の薔薇の花。藍色の髪の毛を結い上げ、日傘に帽子、王宮を訪れるのに相応しい格式ある最新のデザインのドレスに控えめに宝飾品を身に着けたディアドラがこちらに歩いて来る所だった。
ディアドラの背後には、数人の令嬢が付き従っている。
ウィルフレッドとジョンの影にもう一人居る事に気が付いたディアドラが、尋ねた。
「あら?そちらの方はどなた? 初めてお会いしますわよね? 私、ディアドラ・クリフォードと申します。そちらのウィルフレッドとは従妹ですの」
「は、初めまして。私、アン・フロックハートと申します」
「フロックハートというと、フロックハート辺境伯のお身内かしら?」
「はい。父です」
「まあ、そうなの。お兄様が私の兄と懇意にしていて、何度かお会いした事もあるわ。辺境伯は、あまり王都へはいらっしゃらないけれど、お元気かしら?」
「はい、歳はとりましたがいまだに馬で領地を巡っています。あの、クリフォードと仰いますと、クリフォード侯爵の?」
「ええ、娘ですわ」
「こちらの方の従妹だと仰いましたか?」
アンも貴族の娘。貴族名鑑を見た事くらいある。全てを覚えているわけではないが、目の前の男達が誰なのか、思い当たったアンの顔色が悪くなった。
その様子を見て、ディアドラは、不思議そうに首を傾げた。
「あら? 貴方達、名乗って無かったの? 駄目じゃない」
「名乗らなかった訳じゃない。名乗る前にディアが来ただけだ!」
ムッとするウィルフレッドの横で、ディアドラは困ったように少しだけ肩をすくめた後、花が咲く様な笑顔をみせた。
「気が利かなくて、ごめんなさいね? 紹介するわ。こちらウィルフレッド王子よ。一緒にいるのは、ジョン・ヘッドリー、王子の乳兄弟なのよ」
そしてディアドラの後ろにいた令嬢たちも紹介していく。
しかし、アンはそれどころでは無かった。王宮の生垣を思い切り突き破った所を王子に見られたのだ。後ろを見ていないが、確実に枝の幾つかは折れているだろう。最悪、穴が開いているかもしれない。
出掛けに乳母から領地の城とは全く違うのだから十分に注意して行動するようにと言われたのに、飛ばされた帽子を犬がくわえて行ってしまった瞬間から、その事をすっかり忘れていた。
昼のお茶会に帽子を被らずに出席するのは不作法とされている。そのために、帽子を取り返さなくてはと必死だったのだ。
「紹介も終わった事だし、王妃様にお茶会を始めたいのにウィルがまだ来ないと言われて探しに来たのよ。さあ、早く行きましょう?」
ディアドラが一同を促した所で、流れるようにウィルフレッドを通り過ぎ、アンの側によると何かを耳打ちした。途端にアンの仕草がぎこちなくなり不審な素振りをみせた。
「侍女の方をお連れでしょう? 控えの間で待っているはずですから、御髪を直して来たらいかが?」
「そ……そうですね!ありがとうございます。ちょっと直してまいります!皆様はどうぞお先に会場へ行っていてください!」
アンは、既に多少乱れていた髪型を自分でグシャリと崩して、先に会場へ行くことを進めた。
アンを残して行くことに、ウィルフレッドがわずかにためらったことに、気が付いたのはジョンだけだった。
その後、和やかにお茶会が始まり、一通り会話が弾んだ後、参加者は庭の散策に出たりとくつろいだ雰囲気となった。
さり気なくウィルフレッドは辺りを見回すが、アンの姿は見つからなかった。確認すると、ディアドラの口添えで王妃に挨拶をした後、早々に退出を申し出たという。
自室に戻ってから、ウィルフレッドは悪態をついた。
「あの悪魔。どうして邪魔ばかりするんだ」
「……ああいう、清楚で可愛い感じが好みだったんですね」
「そういうのじゃない」
「……へぇ」
「…………手を出すなよ」
「好みのタイプと違いますよ」
「そうだな。お前、肉感的なのが好みだもんな」
「なぜ、それを!」
「どれだけ一緒にいると思っているんだ」
思わぬ反撃にジョンは黙った。