始まりの糸2
外で遊ぶようになって活発になったと喜んでいる大人たちは、ディアドラの訪問を歓待し、こころよくウィルフレッドの元まで案内してくる。
今日も、勉強が終わった時間を狙ったように訪れたディアドラを、侍女は笑顔で案内して来た。
「ウィルフレッド様。ディアドラ様がいらっしゃいましたよ」
「こんには。お勉強は終わったのでしょう?」
「また来たのか……」
勉強が終わりソファーでくつろいでいたウィルフレッドは、入り口に姿を見せたディアドラを見て顔をしかめた。最初こそ、ディアドラの訪れを楽しみにしていたウィルフレッドだが、直ぐにディアドラの訪れを素直に喜べなくなっていたからだ。
「ウィル!ジョン!遊ぶわよ!」
そう言ってウィルの手を取り、ディアドラは外へと走りだす。
侍女たちも既に慣れたもので、短い間に帽子をきちんと被せて送り出した。
俺の方が身分は上のはずなのに。
ウィルフレッドはディアドラに振り回されてばかりだ。
今日もウィルフレッドは、ディアドラに引きずられるようにして渋々走っていた。そんな様子のウィルフレッドを見て、ディアドラは小さく笑った。
「ウィルって、三人の中で一番足が遅いのね?」
「そんなことは無いぞ」
「あ、待って下さい!」
思わず意地になって言い返し、繋いでいた手を振り払って走り出す。そこからは、ジョンを含めて三人で競争になった。
目的地の庭に一番に着いたのはディアドラだ。二歳という歳の差は幼いほど覆せない圧倒的な差となって表れる。
「私が、いち、ばん!」
適度に手入がされた草むらに飛び込んだ。
ディアドラの帽子が取れ、空の青さよりも深い藍色の髪が風になびく。
二番目に着いたのはジョンだった。
初夏の若い緑の草の中に漆黒の髪が埋まって行く。
三番目に着いたのはウィルフレッドだった。
向日葵の様な金髪が日の光を浴びで眩しく輝いた。
柔らかい草の上に転がって息を整える。
草が風で揺れる遥か向こう側の空を白い雲がゆっくりと流れていく。
最初に息が整ったのはディアドラだった。
「ウィルが最後だったんだから、罰として、そうね。あのオレンジの実を取って!」
「はぁ!?」
ウィルフレッドが慌てて顔を上げると、ディアドラが満面の笑みで庭にある木を指差していた。その木には確かに黄色い実が生っていた。
「何で!?」
「一番遅かったからにきまっているでしょう」
「あの、俺が取ってきます」
ウィルフレッドが思わず叫ぶと、ジョンが率先して手を上げた。
ディアドラは肩をすくめため息をつく。
「そうやって、ジョンがやっちゃうからウィルがな~んにも出来ないんでしょう。子供よね」
ディアドラの安い挑発にウィルフレッドは簡単に怒った。
「そんなことは無い!出来るぞ。見ていろ!」
怒りを振りまきながら木に向かう。その様子を見たディアドラはクスクスと笑いながら、ハラハラとした様子のジョンが助けに行かないように睨みを利かせた。
後にジョンは証言する。その笑顔は悪魔の様であったと。
ウィルフレッドは、木にたどり着くも上手く足がかりを見つけられずあたふたしていた。
それをしばらく眺めていたディアドラがニヤニヤと嬉しそうだ。
「やーっぱり、登れないんじゃない」
「うるさい!ディアだってどうせ登れないだろ!」
ディアドラは私的とはいえ王宮を訪れるために、リボンやレースの多い着飾った洋服を着ている。それがわかっていて、わざとウィルフレッドはディアドラを挑発した。
「ふふん。見てなさいよ」
腕まくりする仕草をしながらウィルフレッドの隣に立つ。木の幹を掴み小さな靴を木の窪みに引っ掛ける。
ディアドラが本気で木に登るつもりだと気が付いたジョンは慌てた。
「ディア様!俺がオレンジを取りますから!その服では危ないですよ!」
「大丈夫よ」
そう言って、ディアドラはスルスルと木を登っていく。
ウィルフレッドは唖然と見上げ、ジョンは幾重にも重なったペチコートがはためく度に顔を真っ赤にしてあたふたとしていた。
そうしている間にもディアドラは目的のオレンジに到達した。下から二番目の枝に腰掛け、下から一番目の枝に足を置く。もいだオレンジをかじって見せる。
「ほら、大丈夫。出来たでしょう?」
その勝ち誇った笑顔にウィルフレッドの眉が吊り上る。
「ジョン!登るぞ!」
「あら?ジョンに手伝ってもらったりしないでしょうね?」
「一人で登れるさ!」
ウィルフレッドは、むきになって木の幹を掴んだ。登りかけては落ちを繰り返し、時間はかかったもの下の枝まで到達した。そして手を精一杯伸ばしオレンジを掴みとった。
「わぁ!凄いじゃない」
ディアドラはそう言うと、小さく掛け声をかけて枝から飛び降りた。
子供が飛び降りる事が出来る程度の高さの枝だったのだ。
「オレンジ食べないの?美味しいわよ?」
ウィルフレッドは、苦労して登ったせいで喉がからからだった。ディアドラから褒められ気分も上気していた。オレンジに思い切りかぶりついた。そして吐き出した。
「渋い!何だこれ!」
渋そうなその顔にディアドラは思わず吹き出した。
「あっはっはっは!」
お腹を抱えて笑い転げるディアドラをムッとした表情で見ていたウィルフレッドは、有る事に気が付いた。
「あ!ディア!オレンジ食べてないな!」
ディアドラの手に握られていたオレンジは丸いままで、かじられたような跡は一つも無かった。
「だってまだ固いもの。食べ頃じゃないのに食べたりしないわ。そんな事もわからないの?」
ディアドラに遊ばれっぱなしのウィルフレッドは、何時か見返してやると心に誓った。
そうしている間に、城下の時塔から定刻を告げる鐘の音が聞こえた。いつの間にか思っていた以上の時間が経っていたようだ。
「あら、もう時間だわ。お母様に怒られてしまうから、今日はもう帰るわね。また、遊びましょうね」
さようならと優雅に礼をすると、止める間もなく元気よくディアドラは去って行った。
「……おい」
「はい」
「どうやって降りればいいんだ?」
その言葉にジョンは顔色を青くした。
慌ててジョンは、スルスルと木を降りる。
「今、人を呼んできます!」
「呼ぶな!恥ずかしいだろう!ディアにまた笑われる!」
悩んだ末にジョンの肩に足を置いて降りるという案を採用しのだが、ウィルフレッドは五歳。そしてジョンも五歳。当然の結果として、ジョンの肩に置いた足に体重をかけた途端にジョンは潰れてしまい、ウィルフレッドは木から転げ落ちた。
木下は日陰になるため、さほど草も多く生えてはいない。
泥だらけでヨロヨロと庭から戻った二人を侍女達は活発になったと嬉しそうに迎え入れた。
大人の前では、小さな淑女として振る舞い、ウィルフレッド達の前では活発に振る舞うディアドラ。
子供の二歳の年の差は大きく、ディアドラが率先して遊びを誘導していくという事が何度も繰り返された。気が付いた時には、ウィルフレッドは王子であるのに、すっかりディアドラに主導権を握られていた。
「あいつは、悪魔だ。」
こっそりとジョンへ悪口を言うのが精々であった。
そして、ウィルフレッドが、悪口を言いながらもディアドラに勝ちたいと足掻いているうちに、周りが驚くほど活発な子供になっていた。
そして、この関係はディアドラが女子寄宿学校に入るまで続くのだった。