切れた糸1
どんな言葉であれば説得出来るのか。ディアドラには思いもつかなかった。無意識にその場から少しでも離れたいと、青ざめた顔で地面の上をジリジリと後ずさる。
パキンと踏んだ枯れ枝が音を立てた。
「大丈夫よ。私の言う通りにすればあなたは幸せになれるの」
ディアドラを見つめながらも、夢の中を漂う様などこか焦点の合っていない瞳でうっとりと女は微笑む。
自分の安全のために女にすり寄る事はディアドラのプライドが許さない。
「私の幸せは私が決めるわ。貴女じゃない」
「あなたは私なのよ! 反論するなんて間違ってる! ありえない! どうして!」
度重なるディアドラの否定に、ついに感情的に叫んだ女が手を振り上げた。振り下ろされる事を覚悟して、ディアドラは目をつむり体を丸くして身構える。
「ぎゃあ! 何なの!?」
予想していた衝撃が無く、代わりに女の悲鳴が上がった。
続いて男達の慌てた声と警告する声、激しく暴れる物音。
ディアドラは、恐る恐る目を開く。
女の腕には犬が噛み付いていた。振り払おうとするも圧倒的に犬の方が力が強く、思うように振り払えない様子だった。
男達はというと、人影が増えており王城の兵士に拘束されていた。
何が起こったのか理解が追いつかないディアドラは、その場から動く事が出来なかった。
犬に引きずられ女とディアドラの間に距離が出来る。その隙を縫って抜けて来た影が、ディアドラを覆った。
驚きで体を固くしたディアドラだったが、声を聞いて力が抜けた。
「ご無事で良かった」
聞き慣れたジョンの声だった。安心してジョンに体重を預ける。
ほうっと吐き出された息が、ジョンを震わせた。
「……本当に、良かった」
「ありがとう……」
ディアドラの言葉に我に返ったジョンは、ディアドラから腕を離すと縛られていた手首の紐をナイフで断ち切る。擦り切れて赤くなった手首が痛ましかった。
「ディア。立てますか?」
「大丈夫だと思うわ」
ジョンから差し出された手をぎゅっと握りしめてディアドラは立ち上がった。自分の体を見下ろすと、埃と皺でドレスがヨレヨレになっていた。
ディアドラは、いつだって隙の無い出で立ちと立ち振る舞いをしていた。こんな恰好で人前に居る事に恥ずかしさを覚える。
「嫌だわ。埃だらけね」
少し屈んで埃だらけのドレスを叩く。その拍子にビクリと繋いでいたジョンの手が強張ったのがわかった。ディアドラは不思議そうにジョンを見上げた。
酷くショックを受けた様子だったジョンは、ゆっくりと怒りに表情を変えた。
「どいつです?」
「え?」
「貴女に、不埒な真似をしたのはどいつですか?」
「え?」
ディアドラは意味が解らず瞳を瞬かせる。ジョンは、それを別の意味で解釈した様子だった。
「すいません。言いにくいですよね。言わなくて大丈夫です。ちょっとやつら全員を葬ってきます」
穏やかにそう言うとくるりとジョンはディアドラに背を向けた。その様子に不安を覚えたディアドラは思わず洋服の裾を掴んで引き留める。
不安でいっぱいのディアドラにジョンは笑顔で笑って見せた。
「大丈夫です。ディア様の名誉は守りますから」
そこまで言われてディアドラは、ある事を思い出し、掴んでいた手を離し背中を確認する。
今朝、アンとドレスの交換をした時にサイズが合わずにドレスの背は仮止めの糸で止めているだけだったのだ。部屋から出ないし、人に合う前に自分のドレスに着替える予定でいたので、本当に仮で止めていただけだった。
背に回した手触りだけでの確認になったが、糸で止められている気配はない。ディアドラの背中はぱっくりと開いていた。
「ま、待って! 勘違いよ! 多分まだ、何もされていないと思うの!」
ディアドラの焦った声にジョンはピタリと足を止めた。
「多分?」
「ええと、いえ、何もされていないわ。これはちょっとした事件が重なったせいよ」
「…………本当に何も無かったんでしょうね?」
「大丈夫」
こくこくと頷くディアドラにジョンは大きなため息をついた。