走る糸2
ウィルフレッドは、ジョンとアンが少し冷静になった頃合いを見計らって、疑問に思っていた事を尋ねた。
「アン嬢、ディアが恩人とはどういう事なんだ?」
最初に会ったのは、ウィルフレッドと同じく王城でのお茶会だった。あれからのわずかな間に何があったのだろうかと、ウィルフレッドは首を傾げた。
「えっと……」
言いよどんだアンは、チラリとジョンを盗み見た。ジョンの顔からは、先ほどよりは落ち着いた様子だが、苛立ちを隠せない焦った表情が見て取れた。
アンは、仕方ないと内緒にしたかった事情を話始めた。
「最初にお会いした時に、私、生垣を突っ切ってしまって……それで、その、スカートが破れていたのです。それに気が付いたディア様が、いったん侍女に繕わせてから戻る様にと助言して下さったのです。そのまま王妃様のお茶会に出席していたらと思うと、感謝しかありません……」
その告白にウィルフレッドもジョンも目を丸くした。あの場に居たのに、全く気が付かなかったのだ。
「気が付いたか?」
「いえ、全く……」
アンは、恥ずかしそうに続ける。
「デビュタントの時も、助けて頂いたんです。その日、象牙のカメオと真珠のネックレスを身に着けていたんです。お父様達も綺麗だと褒めてくれたし、大丈夫だと思っていたんですが……」
「夜会では、明かりが蝋燭しかありませんからね。光を反射する透明度のある貴石が相応しい。象牙などの透明度のない宝飾品は、昼のお茶会が相応しいとされていますね」
ジョンの言葉にアンは頷いた。
「その通りです。ディア様に教えて頂いて、慌ててしまって……恥ずかしくて結局早めに退席してしまったのです」
ウィルフレッドもジョンも、デビュタント当日は、緊張などしていないと思っていたが、そんな解りやすい宝石の種類も見落としていたという事に驚いた。
「ディア様が、お二人とも緊張しているようだからきっと気が付いていないだろうとうとおっしゃっていたのですが……」
アンの言葉に、その通りなので二人は苦笑いするしかなかった。
「さて、ジョン、落ち着いたか?」
ウィルフレッドが、気持ちを切り替えるようにジョンの方を軽く叩く。
ジョンは、素直に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「たまには良いさ。さあ、ディアを迎えに行こう」
ウィルフレッドはにやりと不敵に笑って見せた。
ジョンは、顔を引き締めて頷き、アンは驚いた顔をした。
「ディア様の居場所がわかるのですか!?」
「ディアも、ただでは攫われなかったという事だな。足を痛めていたから逃げ切れなかったのだろうけど、手掛かりは残してくれたからな。これをちゃんと辿らないと、ディアに怒られるぞ。ジョン直ぐに猟犬を手配をしろ」
「猟犬……なるほど。直ぐに手配します」
ウィルフレッドの手掛かりの意味に気が付いたジョンは、表情を明るくして部屋を出て行き、猟犬を連れて直ぐに戻った。いう事を聞かない猟犬のリードを無理やり引きずる様にして戻ってきたジョンだったが、ウィルフレッドの姿を見た瞬間に素直にお座りをする様子にため息を漏らした。
「よし、この香水の匂いをよ~く嗅ぐんだ。忘れるなよ」
ウィルフレッドは、部屋に充満した香りを猟犬に覚えさせる。ジョンもその間に、割れた香水瓶の周りの液体を拭き取り、布にしみこませた。
猟犬が案内する先を辿る。
王城の中でも使用人が通る場所を進む。
兵舎の側も通る事となり、ウィルフレッドのお忍びでの城下散策という名目で、数人の兵士を借り受けた。ウィルフレッドにディアドラとの仲を聞いてきたゴシップ好きは、さりげなく外し、出来るだけ口が堅いと思われる者を選んだ。朝の鍛錬で日頃の様子を見ているために、納得出来る人選だった。
猟犬は、城の通用門から外へと案内をする。
馬に鞍が乗せられ引かれてきた。
ウィルフレッド達が、馬上の人となると、門番が預かっていたリードから猟犬を離した。
勢い良く走っていく猟犬の後を馬で追う。
どさっという重い物音に背後を振り返る。
そして、一同がぎょっとした。
「ごめんなさい!」
一人兵士が転んでおり、彼が乗るはずだった馬にアンが乗っていたのだ。
「アン嬢!?」
「危ないですよ!何しているんです!?」
「大丈夫です。辺境育ちですから、乗馬は得意です!」
そういう問題では無いのだが、猟犬は既に放たれている。
アンが付いて来ている事はわかっていたが、通用門の所で大人しく引き返すと思っていたので、好きにさせていたのだ。馬を止める事が出来ないタイミングを見計らって動いたのだろう。アンの裾の長いドレスを着ているとは思えない安定した手綱さばきを確認したウィルフレッドは、決断を下した。
「時間が惜しい。行くぞ」
猟犬を見失わないように、一斉に馬の速度を上げた。