第3話 互いの呼び名
ヤツは徐に立ち上がって、二、三歩踏み出した。
何なのだ?なぜこんな暗い中を歩ける?
心中で愚痴っていた私に気付いたかのようにヤツは振り返り、戸惑う私に向かって手を差し伸べた。
「ん?どうした?足もとが覚束ないのであろう?」
差し伸べた手のひらを上向きに、ヒョイヒョイと上下に振り私にアピールした。
これは・・・手を繋げということなのか?
何となく子供扱いをされたことに引っかかりを覚えながら、しかしそれほど悪い気はしなかった。
おずおずと差し出す私の手を、ヤツは逃がすまいとしてむんずと掴んだ。
急に握られた手に少し驚いたが、手をそのままに歩き出した。
なんだか久しぶりに人の温もりに触れたような気がする・・・
歩きながらヤツは聞いてきた。
「ここを出て、どこぞ当てでもあるのか」
私は沈黙を持って否と答えた。そのことには触れず、ヤツは更に聞いてきた。
「そなた、私に名を告げぬとなると、私はそなたを何と呼べばよい?答えねば勝手に名付けるぞ」
その問いにはどう答えて良いのかわからず、また沈黙した。ヤツは何もしゃべらない私を見て、ふ〜っと空を見上げため息を吐いた。
「いいだろう。では、私はそなたをフィオナと呼ぶことにしよう」
・・・え!?フィオナ?なんで??
と目が点になっている私を尻目に、ヤツは「よい名だ」とばかりに一人でウンウンと頷いている。
そんなヤツにジト目を送りながら、私もヤツの名前を聞こうと思った。
しかし、自分は名乗るのを結果的に拒否したのに、相手にだけ名を教えてもらうのは不公平な気がして躊躇していた。
するとヤツは自ら言った。
「ふふ、私の名を聞きたくてうずうずしているのであろう?さて、どうしようか」
その人を食った言いぐさに、私はムカッとした。
「べ、別にアンタの名前なんか聞きたくないもん!」
あ、しまった。腹立ちのあまり、つい反対のことを言ってしまった。むむ〜。
私の反省が顔に出ていたのであろう、ヤツはふっと口元をゆるめて言った。
「そうか。私の名は知りたくないか。
しかしアンタと呼ばれるのはあまりよい気がせぬな。
私の名はジー・・・。ジークという」
なんで自分の名前を言うのに詰まったのか理解に苦しむが、これでヤツは私の胸中で、ヤツからジークに扱いが昇格した。おめでとう。
お互いに呼び名の件が解決ところで、しばらくは黙々と歩き続けた。
しかし、ジークと出会う前に味わっていた漠然とした不安感をふと思い出した。
「ねぇ、ジークさん。どこに連れてってくれてるの?もうかなり歩いたんじゃないかな〜」
「あぁ、そろそろ見えてくる。なんだ?弱音か?」
むっか〜!!何なの、この人はさっきから!
文句の一つでも言ってやろうと、ジークの後方を歩いていた私は、彼に並び立つように歩を早めた。
そして彼の顔を見上げようと顎をあげたとき、「森を抜けた」とジークが言った。
それと同時に彼の顔に月明かりが当たり、私は腰を抜かしそうになった。
ジークは、ものすごい美形さんだったのだ!
鼻筋は通り、意志の強そうな眉、目を閉じたり開けたりする度にふぁっさふぁっさと風が起こりそうな長いまつげ、引き締まった口元、シャープな顎。
そして何よりもびっくりしたのはその瞳だ。まるで宝石だ。そうエメラルド。
その二つのエメラルドが、大きく見開いて言った。
「そなたのその顔、その瞳・・・」
私は焦った。え?私?私の顔を驚いてるの?なんで?私の顔ってどんなの!?
こんな美形の前で、見たこともない自分の顔に自信を持てるはずもなく、私はジークの凝固した視線にたじろぎ、彼から目を背けた。
そんな私の態度に我に返ったジークは、私から顔を背けて、照れ隠しのように咳払いを一つし、「失礼」と謝罪した。
何の謝罪かわからない私は、首を傾けた。
するとジークは「わからなければ別によい」ともう一つ咳払いをした。
何だかまた子供扱いされたようで、ムッとした。
・・・しかし私はいったいいくつなのだろう?端から見るといくつぐらいに見えるのだろう・・・
そこで私ははっとした。
も、もしかしておばあちゃんとか?だからジークは私の顔を見て驚いた?
若い娘を助けたつもりだったのに、月明かりの下で見た私は、シワシワのおばあちゃんだったからびっくりした?
さっきのは、その驚きを私に悟られたと思っての謝罪?
どんどん思考がネガティブになる私に、ジークが声を掛けた。
「どうした、フィオナ?なぜ俯く?」
悩みの胸中を知られたくない私は、慌てて顔を上げて「なんでもない」と言いかけて止まった。
私の目に、森から抜けた風景が飛び込んできたのだ!!




