美しく残酷な優しい世界
少し前の話になるけれど、セカイ系と呼ばれる、アニメや漫画やライトノベルの中で人気の出たジャンルがあった。
簡単に言うならば、たった一人の女の子を救うために世界の全てを敵に回すとか、世界の存亡と言う重大な責任が、主人公一人に一任されると言うものだ。
「彼女を救うのか、世界を救うのか」
そんなセリフがアニメーション作家である新海誠監督の「雲のむこう、約束の場所」という劇場用アニメーション映画であったのだけど、それが全てを表していると言っても良い。
だけども世界に二人っきりと言う感覚は、物語の世界だけというわけではないだろう。
むしろ現実に起こりうる感覚が、物語の中と結びついてリアルに感じられたからこそ、世界とヒロインのどちらかを選ばないといけないという立場に追い込まれた状況が、胸を剔るような気持ちへとさせるのかも知れないと思う。
当然の事ながら、そこで世界を選ぶ事はありえない。
セカイ系の主人公であるならば、選択するのはヒロインであるべきだ。
僕はもちろん彼女を選び、世界を敵に回す事になる。
それは美しくも残酷な物語であり、最近の流行である「ヒロインも敵も、そして世界さえも救う主人公」になれなかった後悔の話である。
人は誰でも自分自身の人生と言う名の物語における主人公であるみたいな話をたまに聞く機会があるけれども、それで言うならば、それまでの僕の物語はだいぶ地味な物語であったと言えるだろう。
そもそも商業ベースに乗る事など絶対に有り得ないレベルである。
波風の全く立たない凪いだ海のような人生で、中肉中背、中の下であった。
そんな僕が、僕自身の人生における主役として悲劇と言っても、喜劇と言っても良い、どちらにしても涙無しには語れない舞台に躍り出る事になったのは中学二年生になった春先の事である。
と言っても、たいした話ではない。
すでに書いたように僕の人生というものは、波風の全く立たない凪いだ海のような人生である。
多くの人が経験しているように、恋をして彼女が出来て別れたと言う単純な物語である。
それから十六年も経った今となっては思い出したくないものだったが、あえて別れた理由を言うならば彼女がヤリマンの糞ビッチであったと言う事だ。
「そんな時代もあったよね」
「中三で100人切りとか、どんな時代だよ」
中島みゆきの名曲を歌うように元彼女である立花満子は言い、僕は抑えめにツッコミを入れる。
満子は笑いながらやんちゃだったのよと言い、目尻にシワを見せた。
お互いに三十を越えて年相応に外見は変わりつつあるものの、基本的に彼女は昔のかわいらしさを残して良い歳の取り方をしている様だった。
二度結婚して二回離婚しているそうなのだが、あえて理由は聞かなかった。
僕は別に彼女と別れたショックで同性に走ったと言うわけでは無いが、彼女いない歴15年を数えていて、もちろん独身であった。
性的交渉を持ったのは、プロを除けば彼女が最期である。
山本譲二の「みちのくひとり旅」のサビの部分が頭の中で流れていたが、それを口にする事はない。
休日の駅前で偶然再会した彼女に誘われて、近くのコーヒーショップに入ったのだが、昔の話が募るに連れて僕は心を剔られる気分であり、早く帰りたいと思っている。
「そう言えば、満華も元気よ」
満華と言うのは彼女が15の時に産んだ娘であり、僕が世界を敵にまわした原因であり理由であり、苦い思い出である。
僕は満子と満華の為に人生の中で一瞬だけ物語の主人公に躍り出た事があるのだが、端から見ればそれは満子と満華の物語であって、僕はその中に出てきた通行人Aレベルでしかないのだろうけど、当時は恥ずかしながらそんな事とは思ってはいなかったのである。
「妊娠したw」
すでに別れていた僕を満子がクラスの端に呼び出して笑いながら陽性反応を示す市販の妊娠検査キットを見せてそう言ったのは年が明けて新学期が始まったばかりの始業日の事だった。
僕としてもそりゃぁやりましたよ、ヌかずヌる八ですよと思ったが、そもそも彼女が相手にしていたのは僕だけではないと言う事を僕はすでに知っていたのだが、さすがに確率的には自分の子供であるかも知れないという事に戦慄した。
中学生にして父親である。
テレビやドラマの中でなら、あり得るかも知れないけれど、いざそれが自分の身に起きてしまったとなると、膝が震える思いがした。
それでも未練タラタラだった僕は、結論から言えば産みたいと言う彼女を支え、妊娠が親や学校に発覚して大問題になった中で立ち回り、二人の世界を世界を守るために、まさしくそれ以外の世界を敵に回したと言えるのだけども、中学生がどうかすることができる問題ではなく、現実には奇跡も魔法もないんだと言う事を思い知らされる羽目になったというだけだ。
僕は満華が生まれてすぐに、転校することが決まったのだった。
だから、携帯など持っていなかった僕は、それからの二人を知る事は出来なかった。
ただ、念のためにやった血液検査で、僕の子ではないと言う事だけははっきりした。
地元に戻ってきたのは働くようになってからである。
満子も僕に続いてどこかに引っ越していたようで、すでに足取りが途絶えていたので、駅前で十六年ぶりに再会したのは本当に偶然だった。
「満華はずいぶん大きくなっただろ?」
「もうあの頃の私達と同い年よ。もうすぐここに来るし。待ち合わせしてるのよ」
さて逃げようと思った時にはすでに時遅く、
「お母さん、遅れてごめーん」
と言う、中学生時代の満子によく似た女の子がテーブルの横に立っていた。
そしてその後ろには一郎二郎三郎と言った感じで、坊主頭の小学生の男の子が背の順に並んでいた。
「満華は解ると思うけど、紹介すると一郎二郎三郎よ。年子なの」
「……雑だな」
「男の子だもの。これくらいがちょうど良いのよ」
そんな僕と満子の会話を聞いていた満華が笑顔で言う。
「新しいお父さん?もしくは本当のお父さん?」
「どうかしら」
満子も笑顔で言うのだけれども、僕は「ヒロインも敵も、そして世界さえも救う主人公」になれる訳も、なる気も無いと言う事を、とりあえず主人公として宣言しておく。
とりあえず、今は……