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ワクワクの夏合宿!君はヤッシーを見たか!

「南部」


「またか」


 鬼業はここ最近、南部の部屋に入り浸っていた。


 もうちょっと言うと、同輩全員が南部の部屋に来ていた。それでは流石に部屋に入り切らないので、中庭に場所を移すのも毎日。梅雨には道場に長机と座布団を持ち込む。



 英語の習いである。



 元々アメリカでボクシングをやるつもりだった南部は、英語も地道に鍛錬して来ていた。向こうでちゃんとやっていけるように、バイトをしながらジムに通えるように、みっちり英語は勉強していた。


 外務省所属である以上、当然、勤務地は海外がメインだ。英語以外にも、複数の言語の習得が義務付けられている。ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、その他の言語から、最低4ヶ国語を選択。


 そして英語は絶対に。



 当たり前のように、鬼業は落ちこぼれだった。


「いやいやいやいや。日本人であるおれが、外国語苦手だからって。しょうがねえだろ」


「お前、そんなんで世界の強豪と戦うつもりだったのかよ」


 南部も、それなりに鬼業に慣れた。話せば通じる猛獣だったのだ、鬼業は。


「ですが、私達もかなり厳しいですよ。南部さんは流石と言うか、真剣に考えておられたんですね。自らの道を」


 春風も勉学はそこまで得手ではない。毒物薬物には、それなりに自信が有るが。ま、秘密だ。


「そこまで大した事じゃないよ。日本じゃ、おれの夢は叶わない。じゃあ、世界に行くしかない。それで世界で一番通じやすくて、勉強しやすいのは、英語。それに」


 ちょっと照れる南部。


「チャンピオンになる前は、日本語の通訳さんも付かないだろ。インタビューされてもさ」


おおー


 鬼業、春風、河川、瀬古。全員が感動の唸り声を上げた。


 かっこいい。


 特に鬼業は、目を見開かされた気持ちだった。


 自分以外にも戦いを求める者が居て、そしてそいつは、自分よりも真剣にモノを考えている。


 以無の慣れた修練だけで満足していた自分とは、本気の度合いが違う。



「おれもやっぱ、もっと勉強した方が良いんだよなあ。空手の道場を、日本でも世界でも開けるって言う選択肢の広さは、絶対に有利だしな」


 瀬古も、南部にはかなり影響を受け始めた。



 笑い話かも知れないが。日本最強クラスの若者達を集めて、最も皆を刺激したのは、武技ではなく座学だった。



 授業時間は、毎日6時間。語学、法律、実務、格闘、銃撃。以上5教科をメインに、サブの語学、道徳、情報など。


 徒手格闘授業に於いて、鬼業のストレス発散を真正面から受ける教官は、既に3人が病院送りになっていた。全員それなりの腕前だったので、鬼業も遠慮無く実力を出してしまったのだ。


 現在、鬼業の相手をして無事で居るのは、虎星教官のみ。かなりすごい。



 こうして、養成所の春はあっという間に過ぎて行った。全員に、勉学の色濃い疲労を味わわせつつ。




「何とか、なった」


「おおお」



 夏合宿であった。実際には休養を兼ねた、旅行だがな。


 山梨県、いわゆる富士五湖の1つ、山中湖周辺に宿を取り、真夏の避暑観光だ。


 そしてペンション不死身荘に到着した生徒5名プラス虎星教官の合計6人を待っていた人間、2人。


 木の実 八と、大熊教官である。


「もう、大丈夫なのかよ」


「おお。・・聞いた。お前が応急処置をしてくれたんだってな。お前のおかげで、死なずに済んだ。ありがとう、鬼業」


「間に合ったのは、運だ。そして、間に合わせた肉体を作ったのは、そこ


のおっさんだ」


「おっさんは、ねえだろうよ。恩人とは言え、相変わらず舐めた奴」


 大熊の憎まれ口にも、若干の親しさがこもっていた。


 あえて言えば、この2人の人生がずり落ちなかったのは、鬼業のおかげで合っているからだ。


 だから大熊は木の実の車イスを押していられる。


「足の麻痺が残っちまったが。命には別状ない」


 言いつつ足を叩く木の実の顔に、曇りは見えない。話を聞いている皆にも、ホッとした感覚がある。


「その麻痺とも、徐々にリハビリしながら、付き合っている。こいつなら、何とかするかも知れない」


 大熊は、すっかり毒が抜けたようだ。完全に人好きのする、ただのおっさんだ。純粋な破壊の奥義を受け継いだ人間とも思えん。


 それ即ち、鬼業から見れば戦いたい相手ではなくなったと言う事。人間としては、好ましいに違いないけれども。



 夏休み前、何なら皆でお見舞いに行こうかと河川や春風が大熊に連絡を取った所、木の実も遊びに行けるらしいと言われたのだ。


 そして。宿で待ち合わせ。



「これから3日間、各自自由行動が許される。だが、決して羽目を外しすぎるな。民間人に手を出し次第、罰則が適用される」


「了解」


 宿の玄関先にて、虎星教官からの訓示。


 武力外交官見習いである鬼業らは、既に特権のようなものを得ている。彼らは、日本国の国益に適い続ける限りに於いて、治外法権が適用される。


 殺人ですらが理由さえ通れば、裁判無しで無罪放免だ。


 だからこそ、その行動は自律心が強く要求される。日本国民を著しく害するような者は、要らない。


 同じく治外法権が適用される武力治安維持要員が、制圧に来る。その者達の実力は、武力外交官に劣るものではない。


 下手な真似をすれば、死ぬ。


 鬼業ら見習いには、既に大量の税金が注ぎ込まれている。出来れば、無駄死にはさせたくない。



「よっっっっし!!どこ行く!!??」


 虎星の話が終わるや否や、鬼業の声が響く。


 若者らは全員その身に溢れるエネルギーを発散させんと飛び出して行った。



「聞いていたと、思うか?」


「さあ・・・・」


 出遅れた虎星と大熊。木の実もまた、自らの手で車イスを爆走させて行ったのだ。




「とりあえず。船だな」


「とりあえずって何だよ」


 鬼業の台詞にツッコミつつ、南部にも異論は無い。そよ風の吹く今、湖上遊覧船は、さぞかし気持ちが良かろうと思われるからだ。


 全員一致で乗船。幸い、木の実も平気で乗れた。


 言うまでもないが、木の実はアマレスチャンプにして、月の輪大熊流を叩き込まれた身。自分の体重プラス車イスくらい、両腕の腕力だけで楽に進ませられる。観光地である事が幸いし、車輪でも楽なように整備されているのは助かった。



 真夏の都市部とは流石に全然違う。涼やかだ。


「良い天気」


「うん」


 春風と河川はデッキで通り過ぎる景色を楽しんでいた。デッキには沢山の一般人も居るが、皆が皆、このレジャーを楽しんでいるのが分かる。


 木の実の乗ったままの車イスを片手で振り回し、特等席だ!と騒いでいる奴らは、知らない振りをしたい所だが。


「どうだ。気持ち良いだろ!」


「おお!」


 意外にも、木の実は文句一つ言わなかった。


 あの出来事で、鬼業に対する信頼が生まれてしまったのだ。


 こと強さに関しては、それで間違っていないが。何もかもに関して信じると。


「うおっ」


 ちょっと、手が滑りかけた。鬼業は今、車イスを掌に乗せているので、少しズレるとこうなる。


 流石に、瀬古と南部も焦って、車イスと木の実が落水しないよう、捕まえようと動いたが、何とか鬼業のバランス取りが間に合った。


 鬼業は信用出来ないと言う事で、今度は瀬古が車イスを持ち上げてやる。ちなみに、150キロを超える重量だが。瀬古も涼しい顔で持ってやっている。


「絶対に、周りの人にぶつけるなよ」


 南部の注意が走る。鬼業は無論、反省中。


 ・・・こちらをじっと見ていた車イスのお子様が居たので、今度はそっと持ってみたり。やはり南部が、そばで注意して見てくれていた。


 遊覧船の上では、それ以上の騒ぎも起きず、平和に過ごせた。


 上では。



「何だ、あれ」


 最初に気付いたのは、瀬古に支えられ、最も視界の広かった木の実だった。


 木の実の声を受け、周囲の者も湖上を観察する。



 何か、居る。



「ネッシー!?」


 河川が食い付いた。


「いや。山中湖なんだから、ヤッシーだろ」


 鬼業も、興味津々で見ている。



 水面に、長く太く丸みを帯びたホースのようなモノ、恐らく首、がたゆたっている。そしてそれは、ゆっくりとだが、動いている。頭部は、どちら側にも出ていない。頭は水面下か、それとも無いか。



 船上は、ちょっとした騒ぎになった。


 もうちょっと鑑賞していたかったのが大方の客の意見だろうが、実際問題、巨大生物とぶつかりでもしたら船の故障に繋がる。遊覧船は定期通りに帰港した。



 船を降り、歩きがてら昼食の議論。


 結論。昼は郷土料理!


「船は最高だったな!」


「ああ!」


「うん!!」


 木の実、鬼業、河川。普段は大人しい河川も、今回ばかりは大はしゃぎだった。


 そのテンションのまま頂く料理もまた、最高だった。各自の好みの「ほうとう」に、ワカサギ。腹もくちくなったら、ジュースでやっとテンションも落ち着く。


「で。あのヘンなのは、何だったんだろうな」


「さあ・・・」


 皆が持っている疑問を、南部が口に出してみる。いつもならぼやけた言い方をしない春風でも、流石に不明瞭にならざるを得ない。


「なあ」


 ちょっと声を潜めた瀬古。


「あれって、誰かのイタズラじゃないか?ラジコンか、誰かが潜って中か


ら動かしてるのか知らないけど。それで目立とうとか考えて」


 それを聞くと、周囲からも同感の声が広がる。


「誰の仕業か分からないけど、罪作りな奴だぜ。地元の人は、ひょっとしたら観光のネタになるって、大喜びしたかも知れないのに」


 南部も同情したかのような発言だ。


「かと言って、大悪党の犯罪でもないしなあ」


「ああ」


 湖でしてはいけない行為に含まれるかも知れないが、鬼業の認識では強いて止めるまでもなかった。これは木の実の認識もそう変わらない。むしろ、僅かな時間でも楽しませてくれて、感謝しているくらいだ。


「あえて調査するまでもないでしょうかね」


「だな。地元の観光協会か何かが動くだろう」


 春風と瀬古の意見に、全員が同意。悪意までは感じない。危険行為ではあるかもだが。自分達が動くレベルではない。



 この武力外交官見習い達が動けば、当然ながら先ほどのヤッシーは刺し身になってしまう。それはやり過ぎと言うものだ。



 午後の時間は、散策に当てる。腹ごなしの休憩でもあるし、明日以降も休暇なのだ。ここらの地理を把握しておくと、より楽しめるだろう。


「自然豊かっちゃあ、そうなんだけど。流石に、何も無いな」


「そりゃ東京なんかと一緒にしちゃダメだよ。この辺りは避暑地で別荘も在るんだから。静かな環境を求めて来た人がスーパーのセールなんて見せられても、困るでしょ」


 南部の疑問に、河川が答える。


 寺社仏閣を見て回っている最中だが、水筒を持っていたのは春風と河川だけだった。ちょっとのどが乾いて、ジュースでも・・と思いきや、売店が見当たらない。土産物売り場に戻らなければいけないようだ。まあこれは、美観を損ねないと言う意味では正解でもある。


「船着場に戻るかー」


「おー」


 鬼業の号令に瀬古と木の実が相槌を打つ。コミュニケーションがちゃんと取れていて素晴らしい事だが、全員が武術の達人且つ鍛え上げている事が見た目でも分かる夏服である事が不味い。これから襲う気だと言われても、全く違和感が無い。


 船に乗った時は大丈夫だったから、問題は無い。はず。



 飲み物を入手しつつ、湖畔でくつろぐ。湖には、やはり遊覧船が楽しそうに騒いでいる。


「ヤッシーが、もしも本物だったなら」


「なら?」


 いきなり突拍子もない事を言い出した鬼業。とりあえず聞いてみる春風。


「誰が戦う?」


「え」


 全員、ドン引きである。


 あんなか弱い生き物をいじめるなんて!


「あれ、多分サメより弱いよ」


「鬼業。相手を見て、ケンカを売れ。あんな遅い動物を襲うのは、恥だろう」


 河川、瀬古からの注意もいつもより厳しい。


「えー。だって、せっかくの恐竜じゃねえか。絶対、強いって!」


「あんなの、誰でも勝てちゃうだろ・・・。せめてティラノサウルスとか出てきたらにしようぜ」


 鬼業の弁明も、南部に軽く流される。


「本物だったら。それは、きっとロマンチックなんですけどね」


「だろう!」


 春風からのフォローに鬼業もテンションを上げる。


「恐竜に乗るのは、確かに楽しそうだな」


「乗馬ぐらいなら出来るんじゃないか?」


 楽しそうな事なら木の実も付き合いたい。それに瀬古も付き合う。


 下半身が言う事を聞かない木の実だが、誰かがそばに居れば、ゆっくり進むくらい出来るだろう。流石に木の実の腕力で手綱をぎゅっと握ると、馬がひどい目にあうので、それはナシだ。


「んじゃ、午後は乗馬か。牧場あるなら、牛乳とか飲めるかな?」


 鬼業の声を合図に、皆は移動を始める。



ざ、ああああ



 風が、波を作る。



ざあ!




バッ!


 異音。その音を耳にした瞬間、若者達は大急ぎで湖を見詰めた。




 居る。




「おれがやって良いか」


「お前じゃ、殺しちまう。おれが行く」


「南部君でも、危ないよ。私が行く」


 鬼業が真っ先に名乗りを上げたが、即座に却下される。そして南部がグローブをはめかけたが、河川が前に出た。


 そして誰も河川を止めない。河川はズボンのすそをまくり上げ、靴と靴下をその場に残し、湖に入る。


「危なかったら逃げろよー」


「うん」


 瀬古も、かけるだけ声をかけるが。


 誰一人として、真剣に心配している人間は居ない。



 河川は、格闘実技に於いて、鬼業の次に強いのだから。




 デカい。全長30メートルはある。何故こんな水竜が生きていられるのか。こんなモノが生息していたなら、何故今まで目撃情報が出回っていないのか。


 あらゆる疑問は、目の前の現実を片付けてから解消しよう。



ゴ!


 竜がこちらを認識した!真っ直ぐ突っ込んで来る!


 ラッキー。


 遊覧船に向かわれたなら、手加減出来なくなる。最悪、鬼業が出陣、湖は水竜の血で染まる。


 だが、この流れなら、大丈夫。



 湖に「立つ」河川に向かい、竜はものすごい速度で泳いで来る。



「何度見ても、奇っ怪」


「ふふ」


 瀬古の唸り声を他所に、春風は微笑む。


 だがその笑みの意味は、威嚇いかく。鬼業だけが知っている事だが、この技を初めて見た時、春風は殺気すら漂わせていたのだ。


 これは山河流忍術の秘術の中にもある。一瞬、抜け忍かと勘違いしたのだ。



 だが違った。これは花押式柔術の技法。


 「水捏みごね」。現在、河川は、一見水面に浮いているように見えるが、その実は水をね回している。


 具体的に説明しよう。


 まず足裏を4点に分割し考える。親指付近、小指付近、かかと、足裏全体。正確には、3点と全体、だが。


 その4点を以って、水面を捏ねる。


 まず親指で水を後方に蹴る。蹴られた水は足裏を通過、かかとに到達。その水をかかとで更に蹴る。それはやはり足裏を通過、小指に到達する。そこから水を親指方面に向かうよう、小指を曲げる。この時、水は足裏の前面を通過。


 通過している間、常に水は足裏を押し上げている。そしてその通過は足の運動している限り、常に生じる。これが花押式水上歩行術、水捏ね。


 初心者は足が「つる」ので、注意だ。河川も慣れるまでは、浮き輪を掴みながら練習していた。


 だが覚えたなら、使用者は地面に立っているように水面を足場に出来る。


 ここまで説明しておいて何だが。水捏ねは、別に奥義でも何でもない。花押式の誰かが、やってみたら出来たー。そんなノリで生まれた、副産物のような技だ。


 当然ながら、先に説明したように強靭な足裏が無ければ不可能な技法。そして強靭な足裏とは即ち、より稽古をした足にしか存在し得ない。


 より足を使った者。より踏み込んだ者。より歩法を研鑽した者にのみ許された、特別なオマケだ。


 だから、戦闘には何の役にも立たなくとも、これが使える人間は、花押式では尊敬される。誰よりも修練を積み重ねてきた絶対的な証明だからだ。



 絵で見たプレシオサウルス、水竜そのままの姿の生き物がこちらに向かって来る。鬼業なら嬉々として惨殺しただろう。やはり、自分が出て来て正解だ。


 この河川かせん 磁器じきなら、無傷で取り押さえられる。その後は、動物園にでも放り込めば良い!水族館か?



 頭部、巨大な口がこちらを目がけ開く。この瞬間、河川は目の前のモノがロボットか何かである可能性を捨てた。ヨダレを垂らすロボットは、流石にまだ無いだろうよ。


 頭だけで1メートルを超える大きさだが。


 全く問題無い。




 左方向からの頭部スイング。恐らく、こちらを一旦身動き出来ぬようにしたいのだと思われる。そのための叩き付けだ。



 水面をジャンプ、すれ違いざま、水竜の頭頂部をこするように撫でる。45度ほど曲げた後、逆方向に振る。めまいを起こしてくれていると助かるが。


 お。ちゃんと、動きが鈍った。下手に曲げすぎると折ってしまうのが怖い。優しく揺らしたつもりだ。それでも三半規管と脳は急激な動きに付いていけない。しばらくは実力を出せない。


 さあ。ここからが、本番。瀬古や春風では殺してしまうから自分が出て来たのだ。


 その真価をお見せしよう。



 ゆるりと動く水竜。頭を水面下に沈め、気持ち悪さ、吐き気が落ち着くのを待っているのだろうか。


 だが、それでは私が見えるまいよ。


 水竜の背中に立つ。現在は、回転して私を振り落とす余裕も無いか。


 ならば良し。そのまま動くな。


ゴ、リ


 水竜の四肢は、足ヒレになっている。が、その関節は付け根にちゃんと存在する。極める事は、十分に可能。


ミキ


 一瞬だけ関節を逆に曲げる。可動範囲は、一撃目で見極めた。


ギチ


 痛みを味わった後、開放感、癒やされたような感覚を覚えているはず。一瞬の制限からの素晴らしき自由。


ギシ


 四肢の全てを、一旦極めてから、優しく解き放つ。



 これでこの水竜は、私からの痛みと甘い開放感の両方を味わった事になる。





 優しく首を触る。竜は緊張と恐怖と期待によって、身動きが取れない。私の動きを待ち望む存在と化している。


 さあて。この竜に適当な知性があるなら、人に慣れるはずだが。


 地球上のあらゆる生物の関節を知り、化石から恐竜の骨格までをイメージ、どのように極めるかをも模索し尽くした河川ではあるが。竜の知的能力までは分からなかった。体がデカいなら、イルカやゾウのように高い知性を持っていて、全く不思議は無いのだが。


 抵抗の様子無し。良し。



おおおおおおおお



 見ていた鬼業らだけではない。遊覧船の乗客からも大きな歓声が上がった。


 竜を撫でる青年。



「まっ!待って下さい!!」


 河川は、その声に振り向いた。遊覧船の船着場の方向ではない。鬼業らの居た岸とは正反対に位置する場所。そこからこちらに話しかける者。


「その子をいじめないで下さい!!」


「これ以上は、何もしませんよ。遊覧船に万が一の事が有れば、と思い動いただけです」


 河川は静かに語る。


「は、はい」


 メガネの青年。動きやすい服装は、観光に来たこちらと然程変わりない。強いて言えば、より動きやすいアウトドアを考えた服装か。



 遊覧船の移動を見届けた後、鬼業達もメガネの青年に合流。事情が有るなら、聞こう。


「それで。この恐竜は、一体?」


「はい。このプレシオサウルス、いえフタバスズキリュウかも知れませんが」


 フタバスズキリュウ。鬼業はともかく、他の者達には少し聞き覚えのある響きだ。その名の通り、日本で発見された化石から名前の付いた首長竜である。


 だがそれと、今目の前に居る水竜との関係は?フタバスズキリュウは、少なくとも恐竜絶滅の時代には共に滅んでいるはずなのだ。


「この首長竜は。生き残っていたんです」


「ふむ」


 鬼業の空返事。いや、気のない返事ではない。


 頭が理解出来ていないだけだ。鬼業だけでなく、誰も分かっていない。


「もちろん、僕にだって分かりません。でも、こいつらは確かに生きているんです」




 こいつ「ら」?




「群れが居る?」


 南部が、聞きたくない事を聞く。それは目こぼし出来ない。


「はい。私は、小さい頃からこいつを見ているんです。親が居るんです」


 親。雌雄は確実に居た。そして子供が大きくなるまでメシが食えるほど、エサには余裕のある環境。


「なるほど」


 河川が、何となく理解し始めた。




 遊覧船は一時欠航。山中湖での遊泳やボートも一時的に禁止。


 山中湖は、大勢のテレビ局、新聞社が押し寄せ、大賑わいとなった。観光客もまた、湖には出れずとも周辺にて双眼鏡をのぞき込む。そして売店には長蛇の列が出来た。



 鬼業達も、一旦ペンション不死身荘に戻った。ヤッシーは、青年がどうやってか湖に隠したようだ。


 鬼業、南部、瀬古、春風、河川、木の実の6人部屋に、青年を招く。教官も呼びたいが、大熊と一緒に出ているようだ。


 瀬古と春風が茶と茶菓子を用意してくれている。


「さて。話を聞こうか」


 鬼業の一声から、青年の話は始まった。

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